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シンは、悩んでいた。
竜博士の弟子を探すと言っても、直接聞いて快く名乗ってくれるものなのだろうか。そもそもガリア王があれだけ血眼になって竜博士を探しているのだから、弟子の存在などとうに知れ渡っているだろう。
しかし、弟子が見つかったなどという話は聞かない。それはつまり、その人物は兵隊たちから上手く隠れているということである。
グレン王子がなぜそんな謎の人物がこの街にいると知っているのか、シンには全く見当もつかないが、ガリア王の必死の捜索を潜り抜け、未だ見つかっていない者を、正攻法で探せるものだろうか。
シンは衛兵に気を付けながら、昨日の高台へと向かった。先程の路地とは反対方向にあるため、まだこちらの方が安全だろうと考えたのだ。
もう朝になっているため、通行人が増え始めているが、幸いにも高台への道には誰もいなかった。ここならば、しばらく考えをまとめられる時間があるだろう。
シンが高台へあがると、そこには先客がいた。
「あ、昨日の。おはようございます」
昨夜、ミリアの歌を翻訳してくれた、眼鏡をかけた少年がそこに居て、シンに声をかけた。手には白い用紙を木の板にはりつけたものを持っており、一心に空の絵を描き写している。足元にはインクの入った瓶がいくつも並べられていた。
シンは挨拶もそこそこに、彼に聞いた。
「ここで何をしているんだ?」
「天気の様子を記録しているんです」
「天気の様子を?」
「はい。空というものはですね、この世の一切を映し出す大きな鏡なんです。空と風を読めば、遠く離れたことでも、手に取るようにわかります。僕はまだ未熟なので、こうして記録にとって、後でじっくり調べるんですよ。もうすぐ終わりますから、少し待っていてもらえますか?」
少年が集中して手を動かしているところを邪魔するわけにもいかず、シンは周囲に注意しながら、竜博士の弟子を探す方法を考えた。
この際、衛兵に聞いてみることも考えたが、それはすぐに間違いだと考え直す。そして、眠気でまともに思考が働いていないことに気がついた。
一日かけて草原を抜け、知らない街で夜を明かし、そして今度は誰かに追われており、衛兵の様子が気にかかる。疲れていないはずがなかった。
木に寄りかかって立っていたものの、次第に身体がずるずると下がっていく。立とうという意思が薄弱になっていく。
眠気と戦っていると、肩を力強く揺さぶられた。
「大丈夫ですか? 起きてください!」
シンが驚いて目を開くと、少年が座り込んで顔を覗きこんでいた。
「急に眠ったのでびっくりしましたよ。寝不足ですか?」
「あ、ああ、ちょっと事情があって……」
そう言うシンの眼をみて、彼は続けた。
「――――寝不足だけじゃなくて、疲労と空腹もですね。昨日はそんな様子ではなかったのに……。いったい何があったんですか?」
「僕にもよく分からない。何か怪しい人に追われているようなんだ。それが誰だか分からなくて、全然休めなくて……」
「なるほど。じゃあ、ついてきてください。僕の家だったら休めますよ」
シンは慌てて彼に言った。
「嬉しいけど、それはできない。巻き込むわけにはいかないよ」
「大丈夫です。僕の家を知ってる人は、この街にいません。隠れ住んでるんですよ、僕」
「隠れ住んでいるのなら、余計に行くわけには……」
「いいんですよ。あなた、信用できる人みたいですから。それに、もうすぐ引っ越すので、今の家は廃棄する予定なんです」
彼は、そこまで言って、何かに気がついたように、あっと小さく漏らした。
「そう言えば、まだ名前聞いてませんでしたね。僕はトラッシュと言います。たぶん、年下ですよ」
それは見るからにそうだろう、とシンは思ったが、もしかしたら見た目よりも年をとっているのかもしれない。
「あ、ああ。僕の名はシンだ。僕は十九歳だけど、トラッシュはいくつなんだ?」
「ああ、やっぱり、そんな気がしました。僕は十八歳です。とても見えないでしょう? こんななりですからね。じゃあ、シンさん。行きましょう」
十八歳ならほとんど同年代なのだが、そもそもこの体格で十八歳ということに、シンは驚いていた。
トラッシュは荷物を脇に抱えて、すたすたと高台の奥の方へと歩いていく。シンも遅れないよう、彼について歩いた。
高台の先には、樹齢何百年にもなりそうな大きな木があり、その後ろは断崖になっていた。ダンロンの街の背後は崖になっている、とシンはその時初めて知った。
「トラッシュ、どこに向かってるんだ? この先は崖だぞ」
「この木の根元、見てください。穴が空いているでしょう?」
言われてみれば、確かに根の下に真っ暗な穴が空いている。先が見えず、深さも分からない。
トラッシュは何も言わずその穴に入って行ったため、シンも後を追った。
中は真っ直ぐ下に降りるようになっており、底まで行くと街の下へ向かうようにして横穴が続いている。壁に等間隔でぶら下がった小瓶が淡い光を放っていた。
シンは、そのような道具を初めて見た。中身は火ではなく、小さな細長いものが光を放っている。何かの骨のようにも見えたが、光る骨など、シンの知識の中にはない。
「すごいな……」
シンは思わずそう呟いた。
洞窟のようになっているが、岩肌ではなく土壁で、それを補強し固めたあとがあるため、人工的な空間であることが分かる。
「どうやって作ったんだ?」
「それは、秘密です。コツがあるんですよ。家は少し先なんで、足元に注意して歩いてくださいね」
彼の背中を追いながら、シンは次に思い浮かんだことを口に出した。
「なぜこんなところに住んでいるんだ? 崩れたら生き埋めになるぞ」
「鋭いですね。まったくその通りです。誰か入ってきた時に崩すためですよ。僕もあなたと同じで他人のよく分からない争いに巻き込まれるタチですから」
「追われているのか?」
「さて。姿を見せたら追って来る人もいる、と言ったところでしょうか。需要は果てしなくありますからね。特に今の時期は」
洞窟をある程度進むと、木の扉がはめられている場所にでた。そこがトラッシュの家であり、彼は扉を開いてシンに中へ入るよう促した。
全ての家具が土を固めたもので出来ており、まるで地面や壁や天井からその形のものが生えているようであった。
「本当に、どうやって……」
「シンさん、ここで寝てください。夕方になったら起こしましょう。それとも先に食事にしますか?」
「なんでそこまでしてくれるんだ?」
「素敵な歌を教えてくれたお礼です」
彼はそう言って、ミリアの子守唄を口ずさみ出した。たった二回聞いただけで、彼はすっかり歌を覚えてしまっていた。
そして、その歌を聞いていると、シンの意識はすとん、と闇の中へ落ちた。気絶にも近い形で、シンは深く眠っていた。




