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緋色の竜の唄  作者: 樹(いつき)
第二章 緑の竜
20/37

6

 草原は、薄茶色の大海原と見紛うほどに、広大であった。

 地平線まで、建物どころか、シンよりも背の高いものが一切ないのだ。膝くらいの高さの細い草が、その色あせた体を風に揺らしながら、延々と続いているのである。

 馬に乗っているシンは、あまりにも大きすぎる枯草の絨毯を眺め、物思いにふける気も起きず、ただ安穏と進んでいた。


 もとより、悩みが多い方ではない。ただ長い時間何もせず過ごすということがあまりないため、こうしてひとりで話し相手もいない旅は、ただただ退屈であった。

 風と馬に揺られ、すれ違う人もなく、休憩を挟みつつも一日黙々と進み、ダンロンの街に着くころには、すっかり辺りは夜闇に覆われていた。

 ダンロンの街は周囲をぐるりと石壁に覆われている。戦争を行っていたころは重要な拠点であったが、ここしばらくはその役目を終えて、せいぜい野生動物の侵入を阻む壁として機能するくらいになっていた。

 街へ入るための門は東西に二か所あるが、そのどちらも扉は取り払われており、検問もなく、自由に出入りが出来る。入り口脇に衛兵が立っているが、明らかに怪しい人間でなければ声をかけることもなかった。

 大通りに面した宿屋に馬をつなぎ、シンは受付を済ませた。充分な路銀をもらっているため、躊躇なく大きな宿屋を選べたことは、シンにとって幸運であった。

 部屋に旅の荷物を置いて、食事をとるために夜もやっている屋台を見つけようと、シンは外に出た。

 街中は夜でも灯りがあり、出歩いている人もいる。ダンロンの街は他の街と比べても治安が良い方であり、それは衛兵がきちんと仕事をしていることの表れでもあった。

 大通りでひと際賑わっている屋台を見つけ、シンは立ち寄った。空腹をくすぐる香ばしい匂いが漂い、通りがかる人を惹きつけていた。

 シンが屋台を覗きこむと、炭火で焼かれ、一口サイズに切られた鳥の肉が、串に刺さって並べられていた。そのとなりでも、ヒゲの似合う荒々しい男の手で次々に新たな肉が焼かれていく。


「すみません、これ何の肉ですか?」

「いらっしゃい! 旅の人かい? これはダンロン名物コイドリの串焼きだ。ひとつどうだい?」

「ええ、ください」


 香辛料の粉を擦り込まれたコイドリの串焼きは、食欲を誘うように濃厚な香りのする湯気をあげており、油が滴り落ちていた。


「お、そうだ。兄さん、ついでに包み焼きはどうだい? ランリュって魚を練り粉で包んで蒸したやつだ」

「いいですね! それもください」

「おう、まいどあり!」


 シンは両手に食べ物を持ち、夜の街を歩きながら、どこか座れるところはないかと探した。

 大通りから少し路地に入って階段を上がり、住宅街の中の高台に、街を見下ろせる広場があった。時間帯も遅いため、周囲に人はおらず、シンは石垣に腰をおろして先程買ったコイドリの串焼きとランリュの包み焼きに手をつけた。

 暖かい食べ物というだけでありがたいことであったが、そのうえ味も良く、疲れが一気に吹き飛ぶような心地がした。

 シンの目の前に広がるダンロンの夜景は、大変美しかった。ゆくゆくは王都を出て、ここで暮らしていくことも、悪くないのではないかと思えるほどであった。

 しかし、あまりゆっくりもしていられない。まだ任務はこれからである。竜博士の弟子を探して、情報を得なければならない。

 先が思いやられるが、まだ始まったばかりだ。何せ、目的の弟子の容姿も知らないのだ。これから手探りでこの広い街を探して回らなければならないことを思うと、いったい何日かかるのか分からない。

 ミリアを助けるため、意欲は充分にあったが、方法を考えなければならなかった。

 夜の街を見下ろしながら、シンは、気がついたら歌を口ずさんでいた。ミリアから教えてもらった、竜の歌である。

 言葉の意味はさっぱり分からない。しかし、優しい響きの歌であり、シンはそこがいたく気に入っていた。


「――――良い歌ですね」


 シンのとなりに、眼鏡をかけた背の低い少年が立っていた。こんな夜中でも子供が出歩いているのか、とシンは少し不思議がったが、彼はまるで大人のような振る舞いであったため、特別大きな疑問を抱くことはなかった。

 しかし、歌を聞かれたことで少し気恥ずかしくなった。あまりにも心地よく歌っていたためか、すぐ傍に人が立っていることに気がつかなかったのだ。


「ああ、ごめん。人がいるとは思わなくて」

「いえ、僕も声をかけずに盗み聞いていたのが悪かったんです。どこでその歌をお知りになったんですか?」


 興味津々な少年に、シンは言葉を選びながら答えた。


「友人に教えてもらったんだ。この歌がどうかした?」

「まさかエルファイン語の歌を聞くことがあるなんて思わなかったものですから。それ、子守唄ですよね?」


 少年には歌の意味が分かったのだろう。確認するつもりで言ったようだったが、シンにもそれは分からない。しかし、子守唄と言われたら、たしかに落ち着く雰囲気の歌であったため、納得するほかなかった。


「子守唄、だったのか」

「知らないで歌っていたんですか?」


 彼は驚いて言った。

 この機会を逃すまい、とシンは正直に聞いた。


「僕はこの歌の意味を知らない。教えてくれないか? どういう歌なんだ?」

「そうなんですか。すみません、もう一度歌ってもらえますか? 精度はあまり高くありませんけど、せっかくですから、訳してみましょう」


 彼はそう言って、目を閉じた。集中して聞こうとしているのだろう。

 シンは、彼に聞かせるためにもう一度歌い始めた。子守唄だと知って歌うと、以前よりももっと魅力的に感じた。

 歌い終わると、少年はゆっくり目を開いて言った。


「ありがとうございます。ええと、直訳になる部分が多いので、分かりづらかったら、すみません。


愛しき竜の子よ

我が腕に抱かれ

安らかに眠れ


愛しき竜の子よ

我が眼を見つめ

楽園の夢を見よ


愛しき竜の子よ

我が胸の中で

永遠に生きてゆけ


――――と、たぶん、これであっていると思います」


 少年は自信が無さそうであったが、シンはこの訳に納得していた。それは、この歌がミリアのイメージと重なったからである。


「でも、不思議ですね。これは明らかに竜の歌です。なぜあなたが知っているのか、すごく気になります。でも、教えてはもらえないのでしょう? だって、たぶん、その友人は、普通の人ではないのでしょうから」


 シンはまるで心中を言い当てられたように、心臓が大きく跳ねた。


「なぜそう思うんだ?」

「簡単でしょう。古語となって久しいこの時代に、エルファイン語の歌を、発音を違えることなく、その言語を知らない人間に教えられるなど、並大抵のことではありませんから」


 彼曰く、発声が完璧で、だからこそすぐに訳せたらしい。

 そんな話をしていると、冷たい風がふたりの間を吹き抜け、少年は身を震わせた。


「おっと、寒くなってきましたね。そろそろ僕は帰ります。素敵な歌を、ありがとうございました」

「いや、こちらこそ。歌の意味を教えてくれてありがとう」


 シンは礼をして、帰って行く彼を見送った。そして、しばらくまた夜景を眺めて、空が白み始めるころ、宿屋へと帰り始めた。


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