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緋色の竜の唄  作者: 樹(いつき)
第一章 出会い
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 アゴルニア王国は、長らく隣国のデトルトと冷戦状態にあった。先代の王の時代には激しい戦争があったものの、次第にその熱も冷め、そろそろ矛を収めてもいいだろう、と両国の王が話し合った。その結果、後継ぎがおらず、小さな港の国であったデトルトは吸収合併されて都市の一部となった。

 デトルトは海に面していたが、隣国との貿易なしに国民を養えるほど豊かではない。王としてもアゴルニアに吸収されることは不服であったが、民のことを思えば、娘を政略結婚のために嫁がせるしかなかった。

 デトルトの姫、ゼタは当時のアゴルニアの王子であったガリアと婚姻を結び、やがて男の子を身ごもった。それが、グレン王子であった。

 王の代が代わると、ガリア王は、もうひとりの妃をめとった。ミルコという名の美女をどこからか連れてきて、第二王女としたのだ。

 時を待たずして、ミルコ第二王女も子を身ごもり、ミオゼルガという男の子を産んだ。そのころから、ミルコは段々とゼタ王女を目障りに思うようになっていた。彼女さえいなければ、自分の子が次代の王なのだから、そう思うことは至極当然であった。

 そういった背景があり、グレン王子とミオゼルガ第二王子の間には確かな溝があった。王女たちが病気で亡くなってからも、それは埋まることなく、現在に至る。

 そんなグレン王子の私兵団である、『蒼翠の槍』は王宮の隣に二階建ての宿舎を持っている。あくまで私兵である以上、正規の兵と同じ扱いはされず、主である王子と寝食を共にすることも出来ない。

 『蒼翠の槍』の団長のゲルドは、暖炉の前に座って蜂蜜酒を喉へ流し込み、ご機嫌に笑った。口元の伸びきった髭は濡れて、てらてらと光っている。筋肉質で大きな身体の前では、酒樽すらも小さく見える。


「おう、シンよ! 明日、王子と出かけるんだって!?」


 シンは耳を塞いで心底迷惑そうな顔をして、言った。


「王子が、竜博士の元を訪ねたいそうで。僕だけじゃなくて、ジルベルトも一緒ですから」

「居場所が分かったのか! 今年はもうこの国には戻ってこないと思っていたが……」

「ええ。しかし、王には秘密にしておきたいので、明日こっそり出かけることになりました」

「王は血眼になって探していたからな。見つかればただじゃすむまいよ」


 普段は冗談でものを言うことのあるゲルドだったが、その時ばかりは真面目な調子で言った。

 王は、とある竜を探していた。約三百年前に、アゴルニア王国の初代の王、モーゼスの退治した『赤竜』と呼ばれる竜である。

 アゴルニア王国に伝わる話によると、赤竜はモーゼスにより、三百年の封印をかけられ、どこかで眠っているという。その物語が真実であるのならば、近いうちに封印が解かれるということになる。

 ガリア王は、気が気ではなかった。自分の代の時にそのような化け物に蘇られ、災厄を招かれてはたまらないと家臣へ告げていた。まだ封印されているうちに見つけ出し、息の根を止めておかなければならない、と数年前から捜索を開始していた。


「王子も赤竜を探して殺すつもりなんですかね」


 シンは蜂蜜酒を口に運びながら言った。ゲルドは酒を床に置いて、少し考えた。


「団長、どうしたんですか?」

「いや、だったら王と協力した方が見つけやすいだろうよ。まあ、俺たちが考えることじゃねえ。王子がやりたいように出来るよう、手足になるのが俺たちだ。そうだろ?」

「ええ。たしかに、それはそうです。手足に物を考える必要はない。それは分かっています。でも、気になるじゃないですか」

「そんなに知りたきゃ直接聞けばいい。教えてくれねえだろうけどな」


 そう言って、ゲルドはまた酒を飲み始めた。しばらくすると、物音がして、二人の男が宿舎へ入ってきた。副団長のシュウと大柄なジルベルトが任務を終えて帰ってきたのだ。

 彼らは王の竜探しを手伝いつつ、その進度をグレン王子へ報告する役目を担っていた。


「竜は見つかりそうだったか?」


 ゲルドの問いに、シュウはかぶりを振り、ジルベルトが答えた。


「あれじゃ、百年経っても見つからないだろうな。浜辺の中から砂粒ほどの宝石を探すようなもんだ」


 ジルベルトは疲れ切っているようで、椅子に座ると、すぐにあくびをした。


「……手がかりが何もないのだ」


 シュウも低い声で呟く。ゲルドはそれを聞いて頭をかいた。


「まったく、無茶を言いなさるお方だ。竜博士が見つかったら、竜を見つけるまで離さんだろうよ」

「うむ。なんとか、王には気取られないよう、明日は気をつけねばなるまい。シンよ、明日の手筈は整っておるか?」


 ジルベルトが聞くと、シンは頷いた。


「ああ。全部準備は終わっている。これから朝まで番につくから、細工もされないさ」

「それはよかった。明日の馬車の運転は任せておけ。では、俺は寝るぞ」

「頼んだよ、ジルベルト」


 寝室へ向かうジルベルトを見送って、シンは酒の入っていた木製のジョッキを置いた。馬車のところへ向かおうとしたところ、シュウが言った。


「俺も手伝おう。馬車の点検だったな」


 宿舎の裏に、グレン王子の幌馬車が止めてある。これはグレン王子の趣味で作られた幌馬車であり、外見は庶民的なものに統一されている。王子は派手な塗装や装飾よりも、木目と年季の入った色使いが好みであった。

 中にも椅子などはなく、樽や木箱と一緒に乗り込むようになっていた。人が乗るための荷台ではなく、商人が荷物を運ぶために使うもの、そのままであった。機能性を捨て去り、好みと趣味だけを追及した結果、そうなったのだ。

 しかし、そうは言っても、材料は遠方より取り寄せた一級品のコルテトの木であり、製作者は国一番の大工であったため、千年乗り続けても壊れないと言われていた。

点検というのも、不逞の輩による細工のあとがないかを調べるためのものであり、造りに対しては絶対の信頼があった。

 シンが点検を初めてすぐに、シュウは口を開いた。


「お前は、竜を見たことがあるか?」

「いえ、ありません。急にどうしたんですか?」

「これから先、いつか会うことになるだろう。竜には、人の心を見透かす力があるという。利用されないように気をつけろよ」


 シュウはそう言って、その後は黙々と点検を続けた。シンには彼の言っている意味がよく分からなかったが、忠告として、肝に銘じておくことにした。

人の心を見透かす力というものは分からないが、人の心を掴んで離さない魔力というものは存在しているのかもしれない、とシンは思った。ガリア王の竜に対する執念や、竜博士のような、人生を丸ごと竜の研究に捧げた人の存在を知っているからだ。

 グレン王子とて、例外ではない。理由に関係なく、少しずつだが確実に、竜と関わろうとする人間が、シンの身の回りに増えてきていた。

 その是非を問うつもりは、シンにはなかった。しかし、誰もが夢中になるのならば、自分だけはせめて踏み込み過ぎないよう、注意しておくべきだ、と決意した。

 馬車の点検が終わると、シュウが改めて口を開いた。


「今から少しでも寝ておけ。夜明けごろに起こしてやる」


 シュウが代わりに番をすると言っているのであった。シンはとんでもない、とその心遣いを突き返した。


「副団長だって、今日はもう働いてきたのでしょう? 僕なら大丈夫ですから、副団長が寝てください」

「駄目だ。お前はもう少し王子の警護につくことの責任を考えろ。ジルベルトは御者をするが、実際に王子の一番近くにつくのはお前だ。そのお前が眠たくては、話にならない」


 シンはそれ以上何も言い返すことが出来ず、馬車の横に置いていたランプを持って、すごすごと宿舎の二階にある自分の部屋へと帰った。

 シンの部屋の中には粗末な木で出来たベッドと、本棚と、小さな机があるだけである。本棚にいくつかの本が入っているものの、最後に手をつけたのは、もう何年も前の話であった。

壁のフックに吊るされた鎖帷子と青銅の剣はランプの光を反射してきらきらと光っていた。騎士でもなく、防具を着て歩くことの多い歩兵であるため、重い甲冑や大きな剣などは持っていなかった。これを使う機会は今のところ訪れておらず、新品同様に、傷ひとつない。

 シンは、剣を皮の鞘から取り出して、刀身を眺めた。刺突に特化した細い剣の刀身には血を流すための溝が彫ってある。鎧の隙間から、敵を突き刺すための剣だ。

 八歳のころ、孤児院から拾われたシンは、まず最初に、ゲルドからこの剣を手渡された。お前は非力だから力で振る武器は使えない、と言われたことを、シンは今でもはっきりと覚えている。

 訓練を積み重ねながら、ひたすらに剣の修行に励んだ。しかし、あまり成果は芳しくなかった。剣の才能がない、と言えばそれまでなのだが、シンは『蒼翠の槍』の中でも最も若く、最も弱い男であった。

 その男が、十九歳にして、ようやくグレン王子の警護を任されたのだ。これがはりきらずにいられようか。

 何事も起こらないことが一番なのだが、もし、何か起こっても速やかに王子の身の安全を保証できる自信があった。そのために鍛錬をしてきたのだ。

 剣を鞘に戻し、ベッドの上に寝転がっても、寝つくまでにはしばらくかかった。興奮が眠気に勝るその姿は、まるで子供であった。

 翌日の早朝、約束通りにシュウがシンを起こしに現れた。飛び起きて準備をし、ジルベルトが起きてくるまでの間に、いつでも出発できるよう、すっかり身なりを整えていた。

 起きて来たジルベルトは、そんなシンの姿を見て言った。


「シンよ、気合が入っているな」

「まあね。もう少ししたら食料を発注した商人が来る手筈になっている。そしたら、王子を迎えに行こう」

「承知した。手際が良いな」


 ジルベルトは感心してそう言い、懐から新しい蹄鉄を取り出した。


「新しいものを買っておいた。遠出ではないが、一応換えておいた方がいいと思ってな。商人が来るまで時間があるだろう。俺が付け替えておこう」

「ごめん、そこまで気がつかなかった。ありがとう」

「なに、憂いは少ない方がよかろう」


 ジルベルトは笑って、蹄鉄を付け替えに行った。

 それから、しばらくした後に、王宮ご用達の商人から食料や水を受け取り、シンは王子を迎えるため、王宮へ向かった。

 王宮の中は、いつも通り、物音ひとつしない様子であり、石造りの宮殿内に、シンの足音だけが響いた。

見張りの兵士が、シンを見て顔をしかめる。私兵が王宮の中を歩いていることが気に食わないのだ。しかし、そんなことは今に始まったことではなく、シンも気に留めないようにしていた。

 そのままグレン王子の部屋へ向かう途中で、肌着に青いマントを羽織っただけの軽装で歩いてくる、王子本人と鉢合わせた。


「おはようございます。王子、部屋で待っているのではなかったのですか」

「おう、おれから出向いてやったぞ。準備は終わっているのか?」


 グレン王子は意地悪く笑った。少し早めに部屋から出て、まだ終わっていないのか、とからかいに行くつもりだったのだろう。


「はい。いつでも出られます」

「結構。ならばさっそく出よう。ジルベルトはどうした?」

「馬の蹄鉄を付け替えております」


 蹄鉄を、と王子は小さく繰り返し、少し考え、踵を返した。


「王子?」

「忘れ物をした。先に馬車のところへ戻っておけ。すぐに行く」


 シンは訝しみながらも、幌馬車の元へと戻り、ジルベルトと二人で王子を待った。戻ってきた王子は背中に大きな荷物を背負っていた。

何が入っているのか、シンには知る由もない。荷台にその荷物を積み込み、昼前になって、ようやく三人は王宮を出発した。

 アゴルニア王国の宮殿や街のある地域を抜け、東に広がる大森林地帯を迂回するようにして、街道が通っていた。その街道に沿って行くと、緩やかな坂道を上って切り立った崖の続く山道へと出る。

 道幅は広く、そうそう落ちるような構造をしておらず、商人や見回りの兵士が絶えず巡回しているため、野盗もここでは馬車を襲うような真似はしなかった。

 山道を抜けると草原が続き、その先に緑川と呼ばれる、幅の広い川がある。その川は名前の通り緑色の水が流れており、街道に沿って行くならば、その川を越えるように大きく立派な橋がかかっているところを進むのだが、一行は街道から逸れ、緑川の上流へ向かって馬車を進めた。


「ところで、シン。緑川の水がなぜ緑なのか知ってるかい?」


 王子が、馬車の窓から並走する川を見ながら、おもむろに口を開いた。


「いえ。考えたこともありません」

「大昔に、上流には緑色の人間が住んでいたんだ。蛙人、なんて呼ばれてて、その名の通り、蛙が人になったような姿をしていたらしい。彼らを気味悪がった当時の王が、事もあろうに集落ごと皆殺しにしちまったんだと。そんで、彼らの血が水を汚して、緑色にしたんだとさ」


 そう笑って言う王子の話の真偽は不明だが、シンは眉をひそめて言った。


「酷い話ですね。その人たちが何をしたってわけでもないのでしょう?」

「本当にそう思うかい?」

「ええ。だって、酷いじゃないですか。なぜ殺されなければならなかったのですか?」

「そこにいられることが、大半の人間にとって不快だったからさ。そうなると、王は殺すだろうね。後の世でどう言われようと、その時の国民からは指示を得られるからね」


 グレン王子がそう言うと、シンは思いついたことを口に出した。


「では、王子だったらどうしていましたか?」

「面白いことを聞くね。蛙人、か。そうだね、おれなら逆に全員を抱きかかえるね。迫害に対する恐怖は利用できる」

「部下にする、ということですか?」

「まあ、そんな感じだ。彼らにしか出来ないことをやってもらうだけの話だよ」


 話はそこで止まり、再び馬車の中は車輪の転がる音だけが響いた。

 日が落ち始め、赤く燃えるような景色の中をしばらく進むと、川の畔に水車のある粗末な小屋が見えて来た。周囲には大きな畑があるが、そこで作業をしている人間はいない。

ジルベルトの運転する馬車はその前で止まり、王子は荷台から軽やかに飛び降りた。

 そして、王子はつかつかとひとりで水車小屋に近づき、その扉を開けた。


「グレン・エルドだ。竜博士はいるか?」


 薄暗い室内へ向かって、王子は言った。しかし、返る言葉はなく、誰の気配もない。


「王子、室内を調べましょうか?」


 シンが聞くと、王子はかぶりを振った。


「いや、おれがやる。二人は外に人影がないか見ておいてくれ」


 そう言って王子は埃っぽい小屋の奥へ入っていった。中は薄暗く、誰かが直近まで暮らしていたとは思えない部屋であった。

 やがて、王子が一枚の紙を手にして、外へ出てきた。


「何かありましたか?」

「ああ。まったく、一杯食わされたよ。ここには居ないみたいだ」


 王子がシンに手渡した紙には、『噂に惑わされし愚か者よ』とだけ書かれていた。馬鹿にされているのではないか、と思ったシンは声を荒げて言った。


「こんなふざけた置手紙を寄越すなんて!」


 ジルベルトも同様に怪訝な顔をしていたが、王子はただ笑っていた。何も得られなかったことを受け入れ、次にどうするか考えているのだ。


「とりあえず、今日はここに泊まろう。日が落ちてしまう前に、室内を使えるよう掃除してくれ。くれぐれも家具を壊さないようにな」


 王子の命令に従い、シンとジルベルトは室内の清掃を始めた。埃の被った机や椅子を運びだし、床に布を敷くと野宿よりはまともに見える。

 星明りが出始めたころ、小屋の中ではランプの灯りに照らされた王子が一冊の青い本を読んでいた。それはこの小屋に残されていた唯一の書物であった。

 シンやジルベルトには、文字どころか、ただの落書きにしか見えなかったそれを、グレン王子は少しずつ読み進めていた。

 とにかく何の役にも立てない二人は、外で火を焚きながら、じっと夜が明ける時を待っていた。


「あの本、いったい何だったんだ?」

「さてな。王子にしか分からんさ。それに、あの手紙が言っているのは、俺たちみたいな、あの本を読めないやつのことなんだろ」

「たしかに、あれが重要なものだとは思いもしなかった」


 『噂に惑わされし愚か者』というものはつまり、竜博士に直接会って、簡単に答えを得ようとする者のことなのだろう。自分から調べる努力を怠り、知識も持っていない者に与えるものはないのだ。

 青い本に書かれていたものは、見たことのない文字であった。線の絡まりが意味を表しているため、文字でも絵でもないそれを解読出来る者はそういない。

 王子はその言葉を学んでいたため、本に書いてある内容を読み解くことができたようだ。一晩をかけてその本を読み終えた王子が、小屋から出てきた。

 朝日に目を細める王子に、シンは話しかけた。


「どうでした?」

「あの博士、やっぱり食わせ者だ。この本は竜のことなんか書いていない。全く無駄でもないけど、欲しかったものではなかったよ」

「何が書いてあったんですか?」

「竜博士の日記みたいなものだ。それも二、三年前のね。竜の話も出てきていないし、竜博士の居場所も書いていない。すぐには役に立たないものだ」


 残念だった、と王子は言いながら、本を懐にしまった。


「ジルベルト、帰るぞ。もうここに用はない」


 荷台で寝ていたジルベルトは、いそいそと先頭の方へと移り、手綱を握った。そして、王子とシンを乗せ、馬車は来た道をゆっくりと帰り始めた。


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