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緋色の竜の唄  作者: 樹(いつき)
第二章 緑の竜
19/37

5

 昼を少し過ぎたころ、巡回を行っていた衛兵たちの一団がアゴルニア王都へ差し掛かった。街の入り口で、小汚い服を着た男がふらふらと近寄り、ささやくように言った。


「スラシン。報告を」


 彼に答えるようにして、衛兵のひとりも呟くようにして答えた。


「スラシン。早朝にひとりの旅人と遭遇。ダンロンの街へ向かうもよう」

「不審な点は?」

「なし。だが、馬が綺麗すぎた。栗色で毛並みの揃った若牝馬だ」

「綺麗すぎる、か。少し調べよう」


 衛兵の一団はそのまま何事もなかったかのように、彼の隣を通過して行った。

 ボロ布のような服をまとった彼は、ミオゼルガ王子直轄の隠密部隊である『スラシン』の一員であった。兵長の手によって、王宮の兵から選ばれた六人で構成されたスラシンは、厳しい訓練を潜り抜け、その才能を認められた者たちである。

 彼らはスラシンとなった時に、個人の名前を捨て去った。互いをスラシンと呼び合い、ただ任務を果たすために動く人形となったのだ。

 旅人のことが気にかかったそのスラシンは、その足で馬屋へ向かった。馬屋で借りられる馬の数は知っている。待機している馬の数で、何人が街から出て行ったか把握できるよう、常に記録してあるのだ。

 今日、馬屋で借りられた馬は二頭で、そのどちらも年老いた馬であり、衛兵から聞いた情報と一致しない。

 スラシンは馬屋の扉を叩き、主人に話を聞くことにした。


「ここで若い馬を貸し出していないか?」


 乱暴な口利きであったが、主人は慣れたように返した。


「いや、うちは若い馬は扱ってないよ。昔、客にダメにされたことがあってね。引退寸前のやつばっかりさ」

「毛並みの揃った、栗色の馬だ。本当に覚えはないか」

「そんな綺麗な馬がいたら、貸し出すもんか。すぐ貴族にでも売るよ」


 主人の言葉に嘘や淀みは一切ない。スラシンも、彼の人柄はすでに調べ上げている。目の前の利益に弱い男であるため、隠し持っているということもないだろう、と判断できた。


「ところで、あなたいったい何の用で?」

「いや、若い馬がいたら借りようと思っていただけだ。邪魔をしたな」


 スラシンが馬屋をあとにしようとすると、主人が続けた。


「あ、お客さん。私ではないんですけどね、若い馬を取り扱っているやつがいますよ」

「誰だ、それは?」

「行商人の一行なんですけどね。ほら、王宮によく出入りしているでしょう。あの人たちは変わったものを売りに来ることがあって、何年か前に馬を連れていたと思います」

「行商人か。その馬が売れたという話は?」

「さあ。私もずっと見ていたわけではないのでね。二、三日待っていただけるのなら連絡をとりましょうか?」

「いや、急ぎなのでな。時間をとらせて悪かった。これは礼だ」


 スラシンが主人の手に小さな袋を乗せた。訝しんでいた主人も、その重みに気がついたのか、すぐに驚いた表情へ変わった。


「そんな、いいんですか?」

「ああ。だが、俺がここを訪ねたことは内密にしてくれ」

「それくらい、お安い御用です。どうぞ、ごひいきに!」


 金で動く者は、金を払っているうちなら何よりも信用できる。スラシンにとって、彼が誰かにこのことを話しても特別負担になることはないが、黙らせておくにこしたことはない。

 小袋の中身は、二年ほど遊んで暮らせる量の金貨が入っている。不当に大きな額は不安を抱かせられるため、彼があとでこの中身を数えて、底知れぬ恐怖を感じることは想像に難くない。

 『スラシン』としては、それで良かった。出来たばかりの組織を周知させるために、この街で何かが暗躍していると思わせていかねばならないからである。

 『スラシン』が畏怖の念そのものになるよう働け、というのがミオゼルガ王子の命令でもあった。

 スラシンは馬屋から出て歩きながら考えた。いくら考えても、考えても、答えはひとつしか出ない。

 グレン王子に古臭いものを収集する趣味があることは、宮殿内で知らない者がいないほど有名である。特に、木の幹のような色合いを好むことを、皆が知っている。

 変わり者の王子であったが、だからこそ、その美しい馬を買った可能性が出て来たのである。

 普通なら、王子ともなれば、宮殿で育てた専用の馬を持っているものであり、どこのものとも分からない馬を買い取って乗るということはない。

 しかし、それはあくまで普通の場合であり、グレン王子がその型にはまらないことなど、周知の事実である。何をしてもおかしくはない。

 彼自身が乗らずとも、部下に買い与えることだってありえる。

 そう考えて、スラシンはふと思い当たった。

 王子には数人の私兵がいる。素性のよく分からない、山賊のような連中であったが、もしかすると、何か重大な命令を受けて動いているのではないか。

 この時期に内密に部下を送り出すことと言えば、竜に関することでほぼ間違いない。ミオゼルガ王子を出し抜いて先に何か見つけ出したのでは、と推測した。

 ミオゼルガ王子の部下である自分たちが、高い地位を得るためには、何があってもミオゼルガ王子に王になってもらわなければならない。

 だから、可能性を少しでも感じたのならば、動かねばならなかった。

 スラシンはミオゼルガ王子に報告するため、足早に宮殿へと向かった。

 宮殿の傍には、別のスラシンが待機している。そのスラシンに、グレン王子の部下がダンロンの街へ向かったと情報を伝えた。スラシンは、同じ素材があれば同じ結論へ至るよう、思考レベルで訓練を積んでいる。付け焼刃であっても、それができる人間だけを選別した結果、六人しか残らなかったのだ。

 夕方へ差し掛かったころ、ミオゼルガ王子は公務を終えてひと息ついていた。第二王子と言えども、貴族や他国の者との顔合わせや食事会などの社交的な行事には顔を出さなければならない。今日は朝からどうでもいい与太話を聞き通しており、見るからに体力と精神力をすり減らして、今すぐにでも床へつきたい様子であった。

 そんなミオゼルガ王子の背後に、一筋の影が現れた。黒装束に身を包んだスラシンである。正装で現れた意味を、ミオゼルガは察したように、鋭いまなざしを見せた。


「グレン王子に動きがあった模様です」

「兄様が?」

「部下のひとりをダンロンの街へ派遣した、と巡回のスラシンから報告がありました」

「ダンロンの街だと? あんな辺鄙なところに何の用事があるのだ……。まさか、竜を見つけたのか?」

「分かりません。しかし、何か重大なことがあると思われます」

「……なるほど。早速、お前たちを使う時が来たか。ダンロンの街でその者を捉えよ。何を知っているか聞き出そう」

「では、その者を見たスラシンに追わせましょう。グレン王子の私兵と言えど、我々ほど鍛錬を積んではおりますまい」

「たしかに、そうだな。だが、お兄様の私兵は謎が多い。くれぐれも気をつけろ」

「御意にございます」


 スラシンは再び、溶けるようにして姿を消した。その鮮やかな隠密ぶりに、ミオゼルガ王子は満足気に微笑んだ。


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