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緋色の竜の唄  作者: 樹(いつき)
第一章 出会い
14/37

13

 それから二日が経ち、シンはまた王宮へ帰った。今度はまた十日か二十日後くらいの適当な時に来ると言い、その日をミリアは楽しみに待った。

 思っていたことを伝えられ、ミリアは時折そのことを思い出しては、頬を緩ませていた。

 言葉を話して、相手の反応を見て、また言葉を話す。人間というものは、なんと楽しい生き物なのだろう。その相手が、伴侶にしようと決めた相手なのだから、なおさら格別である。

 竜のころは、本音という概念すらなく、皆が目線だけで気持ちのやりとりをしていた。そこに伝えるための努力などなく、意思の伝達とは、ただの無機質なものであった。

 人になろうと決めて、シンと出会って、ミリアの周囲は色づき始めた。言葉を言葉で終わらせないために、気持ちを込めるということを知った。

 心を打ち明けたミリアにすっかり悩みはなくなり、これからのことを想像しながら、また竜の実を少しずつ食べる生活へと戻っていた。

 ここへは彼以外誰も来ない。だから、安心して暮らせるし、いつまでも待てるのだ。

 実を全て食べ終えたら、もうここへは帰らないつもりである。竜の抜け殻だけなら、見つかっても大して問題にはならないからだ。小屋のものも少しずつ処分し始め、やがては寝床と残り少ない実だけを残して、彼女は待っていた。

 ある夜、とても冷たい風が吹いた。彼女にとって、ここで感じる三百回目の冬の訪れを知らせる風であった。

 小屋へ入って、暖炉の火で手足を温めていた。ガタガタと窓が震え、不意に小屋の扉が開いた。

 ミリアは強風で開いてしまったのかと、そちらに目をやった。

 そこには、大柄の男が立っていた。顔にはいくつも傷がつき、左手を失っている。彼の眼を見ると、恐怖や憤怒、いくつもの負の感情がまるで豪雨のように振り続いている様子が見えた。

 それは、尋常なことではなかった。だから、ミリアは彼が悪意のある人物なのか、たまたま迷い込んだ人物なのか、一瞬、判断しかねた。


「やっと見つけた……」


 男は小さく震える声で呟いた。手にはナイフを握っている。


「あなた、いったい誰ですか?」


 ミリアは立ち上がり、緊張しながら言った。


「本当にすまねえ。俺は、お前を殺さねえと、殺されちまうんだ」


 一歩、彼は小屋に足を踏み入れた。


「もう、あんな目にこれ以上あいたくねえ」

「あなたの言っていることが分かりません! 用事を話してください!」


 心の見えるミリアには分かっていた。彼の耳にミリアの言葉が届いていないことも、彼が堪えられない恐怖に支配されていることも。


(あと少しなのに! こんなところで死んでたまるもんですか!)


 ミリアはここから逃げる方法を必死に考えた。今この手元には、武器になりそうなものも、ナイフを防げそうなものもない。

 なりふり構わず、飾ってあったガラスの竜を手に取った。シンからもらった大切なものだったが、今はそんなことを言ってもいられない。


「それ以上近寄らないで」


 竜の像など向けても何の脅威にもならないだろうが、警告をせずに殴りかかれるほど、ミリアは暴力的ではなかった。


「近寄らないと、刺せないだろう?」


 男は半笑いになりながら、ミリアへ近づいた。


(この人壊れてる! どうしたらいいの!?)


 生まれて初めて、ミリアは他者に恐怖を感じ、手が震えた。

 こういう時の対処法など、竜であったミリアが知っているはずもない。


「なぜ、私を殺さないといけないんですか?」

「俺は森を彷徨っているうちに洞窟を見つけた。そして、そこに出入りするお前を見つけた。竜の関係者だってことは分かっているんだ。お前を殺して、手土産にすれば俺は助かるはずなんだ」

「なによそれ! 私が死ぬ必要ないじゃない!」


 そう言いながら、ミリアは彼がシンを知らないことに安堵した。シンにそれを伝える方法がないからだ。ならば少なくとも、今は自分の身だけを考えられる。

 しかし、彼の言い分は、まるで誰かに命令されてここに来たかのようであったが、言っていることを聞いていると、彼が彼自身の妄想に取りつかれているようでもあった。

 ミリアは、彼を視界に入れておきながら、長考してしまった。彼がナイフを振り上げて、ようやく危機に気がついた。


「頼む、死んでくれ!」


 彼はナイフを逆手に持ち、ミリアに向けて振り下ろした。とっさに上手くガラスの竜に当て、身を守ったが、その反動で竜は床へ落ち、粉々に砕ける。

 ミリアは後ずさりしながら、彼から逃げようとするも、小屋の出入口は彼の背後であり、自身の後ろは壁で、これ以上逃げられない。


「もう、逃がさない。大丈夫だ。一発で殺す。痛みはない」

「嫌よ。これでも長い間我慢したのよ」

「もうその必要もない!」


 彼はナイフを真っ直ぐ構え、ミリアへ突進した。全く避けられる場所のない、部屋の角で、ミリアの腹部に深くナイフが突き刺さった。


「……やった、やったぞ」


 彼は刺さったナイフを手に握ったまま、顔を歪ませて笑った。

 顔を伏せたミリアは、ナイフを握る彼の手を掴んだ。


「あなたの、せいなんだから」

「なんだ? 離せ」


 ミリアの体を中心に、小屋の壁や、彼の手が、石へ変わっていく。


「離れないでしょう。もう、こうするのは嫌だったのよ。約束だって、守れなくなっちゃうし」

「俺の手、俺の手が石になっている?」


 彼は体が動かないことにようやく気がついたようで、どうにか体をよじって逃げ出そうとしていた。


「あなたとふたりでここにいるのは少し不愉快だけど、すぐ見つけてもらえるから、我慢するわ。もう、我慢してばかりなのだけど」

「何の話をしているんだ?」

「あなたには関係ないわ。ただの愚痴よ」


 ミリアの体が段々と灰色に変わっていく。そのミリアから染み出るようにして、液体のような灰色が、周囲のもの全てを石へ変えていく。

 男が完全に石になり、動かなくなったところで、ミリアは目を閉じて、ため息をついた。


「シン、ごめんね。鎮竜祭は、また今度連れて行ってね」


 ミリアの顔は完全に固まり、やがて、その場の時間が止まったかのように、全てが静寂に包まれた。


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