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シンは未だ何も知らないまま、ミリアの元へ訪問を行っていた。しばらく時間があいていたが、彼女はまるで昨日会ったかのように、シンへ微笑みかけた。
「今日は何のお話をしてくれるの?」
ミリアは木の実の入ったカゴを脇に置いて、そう言った。目をキラキラと輝かせて、まるで子供のようであった。
シンはいくつか前回話し損ねたことを話しているうちに、鎮竜祭の季節が迫っていることを思い出した。
「王国では冬至の時期になると、鎮竜祭っていう、昔暴れた竜を鎮めるお祭りをするんだ」
「竜を鎮めるお祭り?」
「うん。昔、王国に災害をもたらしたっていう、悪い竜がいたって話、知ってる?」
ミリアは一瞬間を置いて、言った。
「……いいえ。教えて?」
「ええと、僕も詳しく知ってるわけじゃないんだ。昔のお話で、アゴルニア王国が出来てすぐのことだったんだけど、当時の人口の半分が竜に殺されたんだって。それで、怒った王様が兵を連れてやっつけたって話。本当に知らない?」
「初めて聞いたわ。シンはどれくらい信じているの?」
シンは少し考え込んで言った。
「うーん、僕は実際にあったことだと思ってる。少し大げさに言ってるかもしれないけど、王が必死に探しているんだから、たぶん」
「王はその竜を見つけられたのかしら?」
「全然駄目みたい。みんなも見つけられないんじゃないかって言ってるよ。三百年前の竜を探すなんて、簡単じゃないだろうしね」
「じゃあ、シンがもし、その竜を見つけたら、どうする?」
「どうするって……」
彼女は金色の目を細めてシンの返答を待っていた。
「相手次第、かな。本当に悪い竜なら王子に報告する。悪いように言われてるだけの良い竜なら、誰にも言わない。またこんなこと言ってると団長に怒られるかもしれないけど」
「どう怒られるの?」
「手足が物を考えるなってさ」
「確かにそれもそうね。現場の判断で勝手に動かれたら、上の人はたまらないでしょう。あなたがあまり兵士っぽくないのは、そのせいなのかしら」
ミリアが笑ってそう言うと、シンは少し怒って言った。
「僕だって、正規の兵じゃないけど、兵士なんだぞ」
「え、ああ、ごめんなさい。別に馬鹿にしたわけじゃないのよ。私の言ってる兵士っぽさっていうのは、そうね、任務のために私情を捨てられる人、ということかしら」
「僕には出来ないって言うのか」
「出来ないでしょう?」
「確かに僕は、まだ未熟だ。でも、自分を殺すことくらい出来るさ」
「あら、私はそのままのあなたでいて欲しいのだけど」
ただただ笑う彼女から、シンは自分がからかわれていることに気がついて膨れた。その様子を見て、彼女はまた笑った。
ひとしきり笑い終え、涙を拭きながら、彼女は思い出したように言った。
「あ、そうだ。あのね、いつももらってばかりだから、私からも何かあげようと思ったの。でも、ここには見ての通り何もない。だから、お返しになるか分からないけど、歌を教えようと思って」
「歌を?」
シンはオウム返しに聞いた。
「そう。恥ずかしいんだけど、私が昔作った、歌」
彼女は目を閉じて深く息を吸った。しばしの間室内には焚き火の音だけが響き渡る。
やがて、彼女の口から、緩やかで、透明な歌声が流れ始めた。
シンの知らない言葉で紡がれるその歌は、泡沫のように宙を漂い、風に混ざって消えていく。今までに聞いたことのある、どんな楽器や歌声とも違い、どこの国のものとも分からない発音そのものが、違和感なく耳へ入ってくる。声と言うよりも、それは、純粋な音であった。
いつまでも終わらないでほしい、とすら思わせる魅力があった。
「……どうだった?」
歌い終えた彼女は、恐る恐る聞いた。
「すごい。すごいよ。こんな綺麗な歌を聞いたのは初めてだ」
「良かった。人に聞かせたの、初めてだったから」
安心したように、ミリアの表情が柔らかくなる。
シンも歌を聞きなれているわけではないのだが、それでもこの歌が素晴らしく、誰もが聞き惚れるものであることは分かった。そう確信を持てるほどに、透き通るような旋律が、心の淵に延々と残り続けていた。
「じゃあ、私が教えるから、その通りに歌ってね」
「僕に歌えるかな」
「大丈夫よ。だって、私が教えるんだもの」
ミリアは自信満々にそう言った。
「それにしてもこの歌って、どこの国の言葉なんだ? アゴルニアの言葉じゃないよね」
「ええ。エルファイン語、と呼ばれている言葉よ。今はもう使っている人もいないんじゃないかしら」
「エルファイン語……。聞いたことないな」
「そうでしょう。発音も少し難しいから、しっかり聞いてね」
ミリアに習いながら、シンは少しずつ、エルファイン語の歌を覚えていった。ただ、やはり一日で全て覚えられるほど簡単ではなかった。
特に、口の端から抜けていくような発音がシンには難しく、アゴルニアの言葉とは大きく違っていたため、まずはそこから練習しなくてはならなかった。




