9帖 租界
今は昔、広く異国のことを知らぬ男、異国の地を旅す
列車はおよそ1時間毎に途中の駅に停車する。
止まるたんびに目が覚めたけど、そこがどこの駅かも気にせずにまた寝る。目的地の天津は終点やから安心や。
5月18日、土曜日。6時35分、列車は静海に到着。
僕はぱっちりと目が覚める。あと1時間少々で天津や。
多賀先輩は既に起きてて、本を読んでる。
「おはようございます」
「おはようさん」
「いつから起きてはったんですか」
「1時間ぐらい前やったかなぁ」
「もうちょっとで天津に着きますね」
「そっか」
「雨止んだんですかね」
「俺が起きた時は降ってへんかったわ」
夜の雨は止んだみたいや。美穂はまだ寝てるやろか。元気にしてるやろうか。別れてまだ1日も経ってへんのに気になって仕方がない。寝ても覚めても美穂の事を考えてしまう。
公安のおっちゃんと隣のおじさんが座席の下から起きてくる。
「早上好」(おはようございます)
車窓からは、延々と続く畑や田んぼの風景が見える。川を渡ると急に住宅が増えだし、そして列車は街の中へ入っていく。
出勤途中やろか、人民が線路脇の道を自転車で走ってる。こっちを見たんで手を振ってみたら、振り返してくれた。
7時15分、列車は天津西に到着する。
隣のおじさんは、
「再见」(さようなら)
と言うて列車を降りていく。他にも数人、列車を降りる人民が居った。
車内が少しすいてきて列車の旅も終わりに近付いてきた事を感じさせる。なんや寂しくなってきた。
7時30分、天津北に到着。ここでは大勢の人民が降りる。公安のおっちゃんもここで降りとの事。
別れ際、おっちゃんは、
「有机会再见吧」(機会があったらまた会いしましょう)
と言うて握手をしてくる。僕も、
「再见。おっちゃん、昨日の夜はありがとう。谢谢」
と言うて両手でしっかり握り返した。
出会いがあれば別れもある。たった一晩、一緒に過ごしただけやけど、それでも別れは寂しいもんや。
ホームを歩いていくおっちゃんにいつまでも手を振って別れを惜しんだ。
席が空いたんで多賀先輩は荷物を持ってこっちへ移動してくる。張君もこっちの座席にやって来た。
「ペン、 アンド、ペーパー」
と言うてきたんでメモ帳とボールペンを渡すと、早速書き始める。
天津で降りた後はどうするんかと聞いてくるんで、僕らは北京に行きたいので切符を買うて乗り換えると伝える。
そしたら張君は、駅でお父さんに頼んでみるんでついてくるようにと言うた 。いや、書いた。
一瞬、上海のマフィアの事が頭をよぎったけど、僕らは張君に着いて行くと伝えると、張君は嬉しそうにしてる。
僕は日本語で、
「おおきに」
と言うたら、張君も日本語で、
「おーきに」
と言う。イントネーションが違うのでもう1回、
「おおきに」
と言うたら、張君はちゃんとした関西弁で言うた。
「それでいいよ」
と伝えると、張君は喜んで何回も言うてる。日本語を覚えられたんが嬉しそうやったわ。
列車は7時42分ぴったりに天津に着く。僕らは、張君に導かれて改札を出る。
改札の外には、張君のお父さんが立ってる。張君は駆け寄り、上海の報告等を話してる様子。
そして今度は僕らの方を見て、上海で起こったことや、これから北京へ行くという事を伝えてるみたい。
お父さんと張君は、こっちにやってきて挨拶をしてきた。
僕らも、
「你好」
と言う。そしたらお父さんは、
「上海では中国人が大変失礼なことをした。申し訳ない」
みたいな事を言うて頭を下げてくる。ここでもまた謝られてしもた。ほんでついて来る様にと手招きをする。
ついて行くとそこは切符売り場やった。お父さんは窓口のおばちゃんに何かを伝えて切符を買うてる。ほんでそれを僕らに渡してくれた。それは北京行きの切符。
僕は、
「多少钱?」(なんぼですか?)
と聞くと、お父さんは、
「中国人が迷惑を掛けたので、これはお詫びです。持っていって行ってください。お金は要りません」
という様な事を言うてる。それでもお金を渡そうとしたら、いらないという素振りをされる。
しかたがないんで、
「谢谢」
と言うて切符をありがたく頂く。二人とも嬉しそうな顔をしてた。
その後、張君は、
「そろそろ僕らは家に帰ります。再见」
と言うてお父さんと歩き出す。
僕らも、
「再见」
と言うて手を振った。
そしたら今度は、
「おおきに」
と言うてくる。
僕らも、
「おおきに」
と大きな声で言う。張君は嬉しそうやった。
更に僕は、
「さいなら」
と日本語で言うと、張君も、
「さいなら」
と言うて手を振ってくれた。
上海のマフィアとは全く関係ないのに、見も知らずの日本人に切符を買うてくれるなんてホンマにいい人達やと思た。
感謝の気持ちを込めて、見えん様になるまで後ろ姿を見送った。
張君とお父さんを見送った後、僕らは一旦駅に戻って時刻表を見る。
北京行きの普通旅客列车(普通列車)を探したら、一番早いやつで13時25分発の北京南行きがあったんでそれに乗る事にする。
そやけど今はまだ8時半を少し回ったところや。
「これから5時間もどないします?」
「そうやなあ、1時に戻ってくるとして……取り敢えず歩こか」
「はい」
僕らはリュックを背負って歩き始める。
駅を出ると、目の前には海河という川が流れてる。その向こうにはオフィスビルやろうか、企業名が書いた看板のある建物がいくつも建ってる。ビルと言うても高層ビルではなく、高くても7、8階程度で結構古そうな佇まいがほとんどで、デザインから見てもヨーロッパ風で歴史のある建物に感じる。
またその手前には小さな建物もあって店舗や住居になってたけど、やっぱり歴史的な古さや。
線路の反対側を見ると、川向こうとは対照的に超高層ビルなどがあって、「現代的な街」に見える。建設中のビルも幾つかあって、これからどんどん発展していく勢いを感じた。
線路と並行した海河沿いにしばらく歩くと橋があり、橋を渡った向こう岸には公園らしき緑地帯があったんでそこへ行く事にする。
そこは海河公园という公園で、屋根がある休憩所で荷物を降ろして座る。
朝の太陽は眩しく、昨夜の雨で洗われた木々の緑が鮮やか。近くには公共厠所(公衆便所)もあったんでここで暫く休憩をする事に。ほんで、これからどうするかという会議を開く。
地図を見てみると、歴史博物館や記念館、動物園なんかがあったけど、どれもあまり行く気はせん。
結局何も決まらず会議は終り。
「俺、寝るわ」
と言うて多賀先輩はベンチの上で寝てしもた。僕は眠たくなかったんで公園を少し歩いてみる。
体操をしている人やジョギングをしている人、太極拳をしているおじいさんが数人居る。公園の端まで行ったけど、他に何かあるわけではなかったんで折り返して戻ると、多賀先輩はまだ睡眠中やった。
そやし今度は街の方へ行ってみる。銀行や企業の建物があったけど、どれもデザインは古く、そして西洋っぽい建物やった。なんとなく、神戸の旧居留地で見た風景に似てる。
もしかして、この建物って天津に「租界」が出来た時に建てられたやつかな?
と、高校の世界史の授業を思い出す。もし、そうやとしたら相当古いもんや。
それらを過ぎて西の方へ行くと、グランドが見えてくる。
そこは中学校らしく、グランドでは体操服を着た生徒が並んで集団行動みたいなことをやってる。先生の大きな声が響いてた。
誰かが間違えたんか、同じ動きを何回もやり直しさせられてる。何度も何度も同じ動きの繰り返しやったんで飽きてしもて、僕はまた歩き出す。
人通りの多い通りに出たら移動式の屋台があった。店主のおっちゃんがこっちを向いて何か言うてるみたい。目が合うたんでそっちへ行って屋台を覗く。
その屋台では揚げパンの様なもんを売ってる。朝ごはんもまだ食べてへんかったんでそれを買う事にする。
「多少钱(なんぼですか?)?」
「5毛钱(5角です)」
「2个頂だい(2つ頂だい)」
中国語と日本語混じりで話してしもた。
揚げパンは1個5角やから、2つで1元。1元札をおっちゃんに渡すと、揚げパンを2つと、なぜか小銭のお釣りを渡される。
2つ買うと1元せえへんのや。なんかお得やね。
そやけどお釣りで貰ろたこの小銭、一体なんぼの価値があるんかまだよく分って無い。ポケットにしもたけど、全然使こてへんし小銭がたくさん溜まってきてた。
揚げパンを持ってさっきの公園に戻ると、多賀先輩はやっぱりまだ寝てる。
起こすんは悪かったんで横に座り、静かに揚げパンを食べてみる。その揚げパンは、ただ油っぽいだけで味もなく、あんまり美味しいとは言えん。と言うか、正直なところ不味くて食えたもんやない。そやしミネラルウォーターで胃に流し込んだ。
その後、カメラを取り出し公園や川、租界の建物の写真を撮って時間を潰す。ほんで公園に戻ると、多賀先輩が起きてたんで、さっき屋台で買うた揚げパンを多賀先輩にあげた。
「多賀先輩、このパンめっちゃ美味いですよ。食べてみてください」
「ほんまか。おおきに」
多賀先輩は寝ぼけた顔で一口食べる。
「ん?」
不思議そうな顔をしてたけど、もう一口食べる。
すると多賀先輩は、口の中にパンが残ったまま、
「北野。これ、不味いんとちゃうか?」
と真顔で言うてきたんで僕は思わず笑い出してしまう。
「そうですか、僕はめっちゃ美味しかったんですけどぉ」
笑いが止まらんかった。
「嘘つけ、めっちゃ不味いやないかぁー」
「ばれました」
「なんぼ寝ぼけてても分かるわっ!」
「美味しそうに見えたんですけどね」
「めっちゃ油っぽいやないかこれ。朝からこんなもん食えるか!」
そう言うて多賀先輩は飲み物を探す。
そやけどミネラルウォーターはもう無かった様で、
「飲みもん買うてくるわ」
と言うて租界の方へ消えていった。
僕はベンチに座り、何を思たか多賀先輩が食い残した揚げパンをまた一口食べてみる。
おぇ!
やっぱりまずかった。
気分まで悪なってきたんでミネラルウォーターを飲んでボーッとしてけど、
「そうや! 列車の北京到着時間を確認しとこ」
と思い、リュックから時刻表を出す。
調べてみると到着時刻は16時48分と書いたる。
どうやら夕方には間に合いそうやなぁ。
時刻表を見てたら今度は僕が眠たくなってきたんで横になり、サングラスをかけて寝る事にした。
つづく
続きを読んで下さって、ありがとうございました。
本当は北京まで行く予定でしたが、天津だけのお話になってしまいました。
北京のお話は、まだ先の事になりそうです。
もしよかったら、またこの続きを読んでやって下さい。
誤字・脱字等ありましたら、お知らせ頂けると幸いです。
また、感想など頂けましたら、大変うれしく思います。
今後とも、よろしくお願いします。