85帖 職人街の楽器屋
今は昔、広く異国のことを知らぬ男、異国の地を旅す
店の前で立ち尽くすパリーサに声を掛けた。
「どうしたんや」
返事は無かった。僕はパリーサの手を引き、人混みを避けながらベンチのまで連れて行き座る。パリーサも俯いたまま座った。
「この布、綺麗やろ。これで作ったドレスは、きっとパリーサに似合うと思うで」
「……」
「僕はそれをパリーサに着て欲しいねん。そやしこの布を受け取ってくれへんかな」
「でも……」
パリーサは泣くのを堪えて話してきた。
「シィェンタイは……、居なくる。パキスタンへ行ってしまう」
そうや、と思てから僕はハッとした。
「それならドレスを作ってもシィェンタイに見せられない。そんなのってイヤよ……」
そうか、そういうとこを……。
パリーサにとって辛いこと言うてしもたんや僕は。そこまで考えんと僕の独り善がりでやってしもた事を後悔して、僕は何も言えんかった。
「この布は綺麗だから、ドレスを作ったら可愛いと思うわ。でも……、でもシィェンタイが居なかったら……意味がないよ」
そう言うと、パリーサは声を上げて泣いてしもた。
僕に対するパリーサの気持ちは分かってるはずやのに、僕がパキスタンに行って居なくなるのを知ってて今日までこんなに明るく楽しく過ごしてくれてたのに、全てを台無しにしてしもた。僕はまたパリーサを泣かしてしもた。
僕ってホンマにアホや。自分のアホさ加減に嫌気が差してきたわ。
周りは相変わらず賑やかで、売り買いの掛け声が響き渡ってる。ウイグルの民族音楽が流れてる事に初めて気が付いた。
僕はどうしたらパリーサが納得して受け取ってくれるか考える。簡単な事やない。今、僕に出来ることは何やと探ろうとしたけど、僕はパリーサの泣く姿をただただ眺めるしか出来んかった。
どれぐらい経ったか分からんけど、いつの間にか目の前には多賀先輩と林さんがバザールで買うたもんを入れた袋を持って立ってた。
「えらい暗いな。どないしたんや」
顔を上げると、林さんは心配そうな顔でパリーサに声を掛けてくれてる。
「お前、またパリーサちゃんを泣かしたな。俺は知ってんやぞー」
と冗談ぽく話してくる多賀先輩に突っ込む気力は無かった。パリーサは顔を上げ林さんと中国語で話してる。
「まぁ、ちょっと……」
と答えるのが精一杯やった。
「喧嘩か? 中身は聞かんけど、早よ仲直りした方がええぞ」
「……」
僕が黙ってると、林さんはパリーサの手を取って立ち上がりバザールの出口の方へ向かって行った。
「北野、行くぞ」
多賀先輩はそう言うて二人の後ろを付いて行った。仕方なしに僕も後を追う。
バザールを出て市街地の方へ向かう。バザールへ向かうロバ車やたくさんの人とすれちごた。
「北野。お前、パリーサちゃんとめっちゃ仲良かったのに、どないしたんや」
「もうすぐ別れ離れになるって事が……、それがちょっと現実味を帯びてきたちゅうか、その……」
「やっぱりそうか。面倒臭いわなぁ、それは」
「分かりますか?」
「分かる。俺も昨日そうやった」
「そうなんすか。それで多賀先輩は林さんとどうしたんですか」
「俺らは話したで。いつかは別れる日が来る。そやから今だけでも楽しもうってお互いに納得したんや」
「そうなんですね」
そやから逆に仲良くできるんやとちょっと納得した。そやけど僕は、それだけでは済まされへん様な気もしてる。
「そんな話し、よう出来ましたね」
「筆談やからな、大変やったわ。それで昨日一晩かかったんや」
そやったんか。やっぱ多賀先輩も時間かけて話ししてるんや。
「まぁ雪梅は、あっさりした性格やからな。そこがまたええねんけど……」
そう言う多賀先輩はふざけてるんかと思てたけど、顔は真剣やった。なんかちょっとだけ勇気を貰ろた様な気がした。
前を歩いてるパリーサは少し元気になったみたいで、林さんと笑顔で話してた。時々パリーサは大きな声を出して興奮してるみたいやった。
そこまで元気になってるパリーサの様子を見て僕は少し安心するとともに、林さんに「ありがとう、すんません」と心の中で唱えてた。
僕がパリーサに声を掛ける勇気は、まだちょっと足りんかった。
動物バザールまで戻ってきた。
「俺らは羊を買うたらまた阿图什(アルトゥシュ)に戻るけど、お前らはどうする?」
「そうっすね。いっぺんホテルに戻りますわ。なんか疲れましたわ」
「ははは。まぁ、パリーサちゃんとしっかり話しせえよ。なぁパリーサちゃん」
「はいっ」
とパリーサは元気に返事しとったけど、何の事か分かってんのかなと思た。
僕らは多賀先輩と林さんとここでお別れをした。
別れ際、林さんに「ありがとう御座います」と言うてみたら、
「パリーサを泣かしたらあかんよ」
みたいなことを中国語で言われた。更に林さんはパリーサに向かって、
「パリーサ、加油(頑張ってね)!」
と言うてた。パリーサを見ると笑顔で手を振ってた。
そして多賀先輩と林さんは仲良く動物バザールの中に消えていった。
「ほんなら行こか」
「うん!」
パリーサの涙はすっかり消えニコニコしてたけど、逆に僕の心は沈んだままやった。
ほんでも元気になったパリーサに悪いなと思て僕は、表情だけは笑顔で取り繕ってた。
なんとなく賑やかなバザールや大通りは通りたなくて、ホテルへの帰り路は静かな路地を歩く。なんか喋らなと思てたけど言葉が出てこうへんかったし、しばらく沈黙のまま歩いてた。
そのうち、どこを歩いてるか分らんようになってしもたけど僕は歩みを止めるのが怖かった。パリーサに掛ける言葉が思いつかんかったさかい、とにかく路地を右に曲がったり左に曲がったりして住宅地の中を彷徨ってた。と言うより時間を引き伸ばしたかったんかも。そやけどパリーサはしっかりと付いて来てくれてた。
十字路に近づいて来た時、「カンカンカン、トントン」と何か物を叩いている音が聞こえてきた。その通りに出ると賑やかで大きな音が響いてくる。右も左もずっと向こうまで、ウイグルの人たちが軒先で金属や木材を叩いたり切ったり削ったりして物を作ってる。ここは職人街や。
「なんだかうるさいね」
パリーサが初めに話しかけてくれた。僕は努めて明るく返す。
「僕は、こういう物を作ってる音が好きやなぁ」
と大学の工作実習室の雰囲気を思い出してた。
職人街の様子を眺めてるとすぐ手前の角に民族楽器の店があった。ウイグルのおっちゃんは店の奥で弦楽器の様なもんを作ってる。
「ちょっと見ていかへんか?」
「うん、いいよ」
と店の前に立って見てた。
「パリーサ、これ何か知ってる」
と胡弓に似た楽器を指差した。
「知ってるけど、鳴らしたことはないわ」
楽器を見てたら店の奥に居たおっちゃんが、僕に買えと勧めてきた。
「120元ですって。買う? それより、シィェンタイはラワープを弾けるの?」
とパリーサが聞いてきた。この楽器、「ラワープ」って言うんや。
「どうやろ、引けるかな。パリーサ、おっちゃんにいっぺん『弾いてくれ』て言うてや」
パリーサはおっちゃんにウイグル語で言うてれた。するとおっちゃんは奥に向かって叫ぶと、息子やろか、10歳くらいの少年が出てきた。
「ヤポンか?」
「そうや」
「わたしひく。よかったら買うね。安いよ」
と、日本語で話す商売っけたっぷりの少年の顔に少し興ざめてしもた。そやけどその演奏を聴いて僕は少し興奮してしもた。
弾き方はギターをほぼ同じやけど、その音色がなんと言えんええ感じで、どこか懐かしくそして哀愁が漂ってた。その演奏に聞き入ってると少年がまた日本語で話しかけてきた。
「これ、ヤポンの曲。知ってるか?」
ウイグルの伝統的な音楽やと思てたし、全く気がつかんかった。
「ほんまか! もう一回引いてくれ」
と言うと始めからまた弾き始めた。ちょっとわかりにくかったけど、確かに日本の曲や。観光で来た日本人が日本語やこの曲を教えていったんやろう。
少年が弾いてる曲は「ふるさと」やった。
そやけどちょっとメロディが違うんで、「僕に弾かせてくれ」と手を出すとラワープを渡してくれた。
フレットを押さえ、弦を弾いて音階を確認する。よし、行けそうや。
パリーサを見ると、期待した顔で僕を見つめてる。ここはええとこを見せようと思て、気合を入れて弾き始める。
そやけどちょっと緊張してたさかい始めから間違えてしもた。パリーサも少年も笑ろてた。
「ちょっと待て! 今のは試しや。次はちゃんと弾く」
と言うて肩の力を抜いて弾き始めた。
「うーさーぎーおーいし、かーのーやーまー……」
パリーサは笑うのを辞めて真剣に聞き始めた。少年も「上手いやん」みたいな顔になってきてた。
なんとか最後まで弾き語りできた。パリーサも少年も、その後ろで見てた通りすがりのおじいさん、おばさんまでもが拍手をしてくれた。
調子に乗った僕は2曲目に入る。このラワープに合う曲はなんやろうと思て考え、「蛍の光」に決めた。理由は、このラワープの少し寂しい感じの音色に合うてるし、「蛍の光」やったら中国の人も知ってるかなと思たから。
もっかい音階を確認してから弾き始める。いつの間にか店の前には数人の人集りが出来てた。小さい子たちも目の前で座って注目してる。
僕は調子こいてビブラートも効かせながら弾いてみた。すると少年は別のラワープを持ち出し、僕に合わせて弾いてきた。思わぬセッションに加えて、後ろで見てた汉族(漢族)のおっちゃんも中国語で歌い始めた。その声は、歌い方をちゃんと習ったみたいに綺麗やった。
店に差し込む少し傾いた太陽の日差しを浴びて、僕は「蛍の光」を弾き続けた。汉族のおっちゃんの中国語の意味は分からんけど、別れを惜しむかの様な寂しい響きがあった。僕はいずれ訪れるであろうパリーサとの別れの日を思い浮かべてた。自分で弾いてるのに涙が出そうになってきた。
演奏を終えると、盛大な拍手が沸き起こった。パリーサも喜んで拍手をしてくれてた。
汉族のおっちゃんに握手を求められた。僕はしっかりと握り返し、「谢谢」と言うと、「お前もよかったぞ」みたいな事を言われた。ええ気分になってラワープを少年に返すと、
「これ買うね。150元ね」
と言うてきた。「こいつ、30元上乗せしとる!」と思うとちょっとムカついてきて、ええ気分が消え去ってしもた。
そやけど奥で見てたおっちゃんは慌てて訂正するように、
「いやいや、100元でええし買わんか」
と言うてきた。100元やったら買おかなと思た。ちょっとかさばるし、これからの旅に差し支えたらどうしよか考えて、僕はパリーサに「考えて、また明日くるわ」とおっちゃんに伝えて貰う。
「じゃー、明日来い」
みたいな事を言われ、お辞儀をして店を出た。少年は「さいなら。また来い」と言うて手を振ってた。
僕はパリーサと再び路地の方へ入っていく。なんとなく、こっちに行ったら一昨日に遊んだ広場に行けそうな気がしてた。
気がつけば、僕はパリーサと手を繋いで歩いてた。
「あの歌は、日本の歌なの?」
「どれが?」
「あの……『うーはーじほーひし』ってやつよ」
「ああ。そうや、日本の歌や。望郷の歌やねん」
「そうなのね。私に教えてくれない」
「ええで」
僕は「ふるさと」を歌い始めた。僕の後についてパリーサが唄う。少し発音が違うけど、それがなんとなく切なくてええ感じに思えた。
一通り歌い終えると、今度はパリーサが一人で歌い始めた。メロディは直ぐに憶えたパリーサやけど、日本語の歌詞は所々間違ってた。と言うより適当にも思えた。
それでもパリーサは、いつもの鼻歌の様に楽しげに歌いながら、僕と手を繋いで一緒に歩いていた。
つづく
続きを読んで下さって、ありがとうございました。
また泣かせてます。二人の関係は改善したのでしょうか。
もしよかったら、またこの続きを読んでやって下さい。
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今後とも、よろしくお願いします。