8帖 夜行列車
今は昔、広く異国のことを知らぬ男、異国の地を旅す
美穂を見失った僕は、諦めて電車の方へとホームの奥へ進む。
目指すは10時25分発天津行き、第124次直达快速列车(第124号直通快速列車)という18両編成の電車や。
ホームには発車標の様なもんは無く、どこへ行ったらその電車に乗れるか分らへん。それに人と荷物がめっちゃ多いさかい歩くこと自体がひと苦労や。
あっちゃこっちゃ探し回り、やっと見つけたホームに電車は既に入線してたけど、ドアは閉まっててまだ車内には入れへん。
よく見ると、中国の伝統的国鉄色である深緑に黄色の線が入った列車は、広い中国ではまだ電化されてない所があるんやろう、「電車」やのうてディーゼル機関車が牽引する「客車列車」やった。
僕らの切符には、普通車を意味する「硬座」と書いてあったんで、その車両を目指して歩く。ちなみに日本で言う「グリーン車」は「软座」(軟座)と言う。
列車は、仮に1両が25メートルとすると、機関車も入れて1編成が500メートルにも及ぶ長さや。歩くだけで疲れたんで、取り敢えず「硬座」と書いてある一番近い12号車に乗ることにする。
列に並ぼうと思たけど、誰が先頭でどういう風に並んでるかは全く分からへん。それぐらい人がごった返してる。兎に角ここが最後尾やと思う所へ並ぶ。
発車20分程前にドアが開く。
入り口に人がどっと押し寄せ、一気になだれ込む。列も順番もあったあもんやない。並んでた意味は無かったわ。
僕らも頑張って乗り込む。座席は4人掛けと6人掛けのボックス席で、既にほとんどが人民と荷物で埋まってたさかい、どこでもええし空いてる所を探して座る。
その結果、僕と多賀先輩は背中合わせのボックス席に分かれて座った。
人民は皆、たくさんの荷物を持ってたんで、車内の網棚や座席はおろか通路まで人と荷物でいっぱいになる。戦中戦後の日本の列車の写真を見てる様やった。
座席は確保出来たけど、ほんまにこの列車でええのんか心配になってくる。
そやし隣の人に切符を見せ、
「この列車はホンマに天津に行くのか?」
とジェスチャーで聞いてみる。頷いていたんで少し安心できた。
定刻を5分ほど過ぎた時、アナウンスや発車ベルなど全く無く、列車は突如静かに動き出す。
列車はゆっくり走ってる。もっと速くなるのかと思てたら、いつまで経ってもゆっくりのままやった。中国の列車ってこんなに遅いのかな?
僕は車窓から上海の街並みを眺めてみる。全体的に黄土色な町や。どの建物も結構古い物に見える。
いつも思うけどひと昔前の日本の様や。初めて来て初めて見たのに、幼少の頃を思い出して懐かしく思える。
暫くすると人民たちは各々食べ物を出して食べ始める。
すると斜め向かいに座っていたおじさんが、「これあげるわ」みたいな感じで落花生を差し出してくる。
これ食べたら、「またぼったくられるんとちゃうやろか!」と思たんで、首を振る。
そしたら次は、左隣のおじさんが干した果物を食べへんかと差し出してくる。やっぱりいらんと首を振った。
そんなんしてると、向かいに座ってるおっちゃんが、「貰っといたらええねんで」みたいな感じで、落花生と果物を僕の手に乗せてくる。
大丈夫かなぁ。またぼったくられへんやろか?
心配もあったけど、折角やし食べる事にする。
落花生は塩味も何もせえへん。果物は杏を干したもんで甘酸っぱくて美味しい。全部食べたけど、結局お金を取られることは無かってちょっと安心した。
多賀先輩の方を見ると、やっぱり何か貰って食べてる。
「多賀先輩、またぼったくられるんちゃいますか」
冗談で言うてみる。
「多分大丈夫なんちゃう。こんな列車の中で悪い事はでけへんで」
僕もそう思ったけど、まだ信用はしてへん。
列車が進むにつれ、斜め向かいのおっちゃんは更にいろんな食べ物を出してくる。ほんで、これ食べあれ食べとどんどん勧める。
要りませんみたいな感じで手を振ったら、「なんでそんなに遠慮するんや」と言う口振り。多分ね。中国語やしよう分からん。
それでも何とか説明しようと思て英語で話し始めたら、「英語は分らん」みたいな事を言われる。
困ったなーと思て多賀先輩の方を見たら、そっちのボックス席の人民らとノートに漢字を書いて筆談をしてやないか。なるほど、それはええ方法やと思て僕もメモ帳を出し、漢字で単語を書いて説明をする。
上海で陳にぼったくられた事書く。おじさんは、「そいつは『悪人』や」って書いた後、「ここにはそんな奴はおらへんから遠慮せんと食べたらええで」みたいな事を言うてた。
なんでそんなことが言えるんやと不思議に思てたら、そのおじさんはノートに、
「我是公安」
と書く。このおっちゃんは、日本で言うたら警察の人やったんや。なるほどと思た。それでやっと安心できた。
緊張が解れてきたんし、筆談でどんどん話しをする。
すると隣向かいのボックス席からその様子を見てた中学生ぐらいの丸刈り少年が、僕ら外国人が珍しいのか、席を立ってこっちを覗いてる。
僕は、「陳たちにこの40元の切符を100元で買わされた」という話をしてみる。正確には話をしたんでは無く、漢字で単語を書いてジェスチャーで説明をしたんやけどね。
それが通じたんか公安のおっちゃんは、「それは悪いことをした。中国人と日本人は友達やのに、大変な迷惑を掛けた」みたいな事を書き、そして「そいつの代わりに謝ります」と、頭を下げてくれる。
つまり公安のおっちゃんは、全人民を代表して日本人の僕に謝ってくれた感じ。何でか知らんけど、こっちへ覗きに来てた中学生も「人民代表」で謝ってくれた。
中国に来てからというもの、悪い奴らとばっかり関わってしもたから、
「中国人はみんな悪い人や」
とか、
「絶対になんか企んでる」
と思込んでいたんかも知れん。そやけど、こんなええ人も居るんやと分かって嬉しくなった。
すると傍に来てた中学生が、「あなたは『泰人』ですか」と筆談で聞いてくる。
泰人?
どう読むかも、なんの人もか分らん。高校の時の連れに「立花泰人」と言う変な輩が居って、そいつが頭に浮かんできて余計に混乱してくる。
周りの人民がいろいろ説明してくれるけど、さっぱり分からん。
そしたら公安のおっちゃんがノートにアジアの地図を書き、ほんで「ここや!」と指差す。おっちゃんが指し示した国は「タイ」やった。
泰人はタイ人のことか。
そこで僕は、
「我是日本人」
とちょっと得意げに憶えた中国語で言うてみる。
そやけど発音が悪かったんか、おっちゃん達には伝わらへん。何べん言うても無理やったし、諦めてノートに「我是日本人」と書く。
そしたら向かいのおっちゃんは笑いながら、
「それはないやろう、お前はタイ人やろ」
と言うてくる。
「いやいや。私は日本人だと」
と改めて言うとおっちゃんは、僕がタイ人にそっくりで日本人には見えへんとびっくりしてた。
まさかタイ人と間違えられるやなんて思てへんかったから僕もびっくりしたわ。
またそのおっちゃんは、日本人と喋ったんは生まれて初めてやと言うてる。
そんな話をしてたら、苏州(蘇州)に11時31分に着く。
ここが有名な蘇州か。
残念ながら車窓からはただの街の景色しか見えんかったし、10分ぐらいで発車してしまう。それでも日本と違ごてのんびりしてるなぁと思う。
それからも筆談でいろんなことを話してると、列車は次の駅无锡(無錫)に到着する。
よくカラオケで歌った「無錫旅情」と言う曲が頭の中に流れてきた。
太湖や三山はどこにあるんやろ。
まったく見えへん。
列車は10分後の12時28分に発車し、暫くすると車内販売のおばちゃんがワゴンを押しながら近付いて来る。お弁当を3元で売ってたんで、僕も多賀先輩も買うて食べた。
白いご飯とおかずが発泡スチロールの器に入ってて、おかずは鶏肉と野菜の炒め物と焼き魚。味は美味しいとは言えんけど、まずくはない。ご飯は日本と違ごて少しパサついた感じや。
それを食べ終わり、車内の雰囲気にも慣れ緊張感もすっかり解れてきた頃、満腹感と共に睡魔が襲ってくる。ついウトウトと寝てしもてた。
僕は安心しきってたと思う。
列車が止まって目が覚める。15時08分。南京に着いてた。
ああ、ここが南京かぁ。
僕は少しいたたまれない気持ちになる。それは昔ここで旧日本軍による虐殺があったという話を思い出したからや。ほんで、日本人の僕は、周りの人民からどう思われるんか考えてしもた。僕が悪いことをしたんではないけど少し辛い気になってしもて、しばらく下を向いてた。
おっちゃんみたいに、逆に日本国民を代表して謝ったほうがええんかな……。
そやけど誰もそのことで僕に話し掛けてくる人民は居らん。
列車は15時20分に南京を発車する。なんかものすごく長く感じる停車時間やった。
暫くすると公安のおっちゃんは、窓の外を指差して大きな声で何か言うてる。なんやろうと思て窓の外を見ると、列車は高架の上を走ってる。
そやけど高架やと思てたんは違ごて、実は南京长江大桥(南京長江大橋)やった。
公安のおっちゃんが言うには、长江の川幅は1千5百メートルで、それに架かってるこの橋の長さは7キロもあるらしい。おっちゃんが作ったみたいに、自慢げに話してくれた。
ほんまにめっちゃ長い橋で、すごいもんを人民は作ったんやなぁと感心させられる。橋もそうやけど长江もめっちゃでかい。湖かと思うくらいでかく感じた。
僕が小学校の時に聞いた話を思い出した。中国の人が日本に来て琵琶湖を見ると、「日本にもこんな大きな川があるんですね」と言うたらしい。なるほど、长江は川やて言われへんかったら湖と間違えるぐらい大きい。そやけどそれは中国では普通なんやと思う。幼い頃、琵琶湖の畔で育った僕が信州の「白樺湖」を見て「池」と言うたんと同じ感覚なんかな?
更におっちゃんは、橋ができるまでは船で列車を運んでたんやとも言うてる。
ほんまに長い橋で、いつまで経っても列車は橋の上を走っている。写真を撮る時間がたっぷりあったんで、思う存分撮りまくる。中国の雄大さを感じさせられる光景やった。
写真を撮り終えて席に戻ると、さっきの中学生が座席の横に立ってて、「満を持して」って筆談に加わってくる。
彼の名前は張君。年齢は14歳。お父さんのお遣いで上海に行った帰りやという。天津に着いたらお父さんが駅に迎えに来るらしい。
張君は「あなたの名前は何ですか」と英語で聞いてきたんで、僕はノートに「北野憲太」と書く。
「ベイイェ シィェンタイ」
と読んでくれる。
中国語ではそう言うんや。
日本語では「きたの のりた」って言うんやでと教えて上げる。
ちなみに多賀浩二先輩は、
「ドゥォフゥァ ハオアール」
と言うらしい。多賀先輩は、発音が難しくてなかなか言えへんかったみたい。
張君は日本人と話すのは初めてらしく、僕のことを色々と聞いてくる。日本のこともあれこれ質問してきた。
周りのボックス席に座ってた人民たちも、僕ら日本人の事が気になってたんか、時々立ってこっちを見てる。
筆談で書いた事を公安のおっちゃんが中国語に訳してみんなに説明してる。そやし少し離れたとこからも質問がいっぱい飛んできた。
質問だけでなく、お菓子や飲み物、饅頭なども差し入れとして届けらる。
「おおきに!」
僕はお返しに、日本から持ってきた「泡あわ」というあめちゃんを配る。シュワシュワして好評みたい。
筆談してて、たまに話が食い違ってるなーって思うことがある。日本の漢字の意味と中国の漢字の意味が異なってるからやと思う。
どうしても意味が伝わらなくて困っていると、張君が頑張って英語で通訳してくれる。しかし彼の知ってる英単語はあまり多くない。そうなるとそのお話は打ち切りになってしまう。
お互いにお互いのことを理解しようと頑張ってはみたものの、そんな訳でなかなかスムーズに会話が進んだことはない。
それでも話は尽きへんし、だんだんと列車の旅が楽しくなってきた。
17時56分、上海からおよそ500キロ離れた蚌埠に到着。そして駅を出発したら、車内販売のおばちゃんがまたお弁当を売りに来る。そろそろ晩御飯の時間や。
お弁当を買うて食べると、中身はそんなに変わらんのに今度はまあまあ美味しかったわ。
弁当を食べ終わった頃、 ふと車窓を見ると外はすっかり暗くなってる。
晩飯と一緒にお酒を飲んで気持ちよくなったんやろか、どっからか歌声が聞こえてくる。それには周りの人民も手拍子で応えてる。車内で宴会が始まった。
歌い終わったら今度はまた別の人民が歌い始める。その後も歌は続き、車内はいい雰囲気で一体感が感じられた。
暫くして僕よりも少し年上の青年人民が立ち上がって歌い始める。もちろん中国語やったし歌詞の意味はわからんかったけど、メロディーや声の抑揚から恋愛の刹那さを語った歌なんやろうと想像して聞く。みんなも静かに聞き入ってる。
歌ってる人も徐々に感情が入ってきて抑揚が激しくなる。僕は物悲しい気分になって、思わず美穂の事を思い出してしもた。
今朝駅で見た、悲しそうにしてた美穂の顔が浮かんでくる。歌を聴きながら僕は涙を流してしもた。
次に公安のおっちゃんがシートの上に立ち、そして歌う。
おっちゃんの歌はコミックソングなんか、ちょっとおちゃらけた感じの曲や。更におっちゃんは、面白い顔をしながら歌い続ける。
笑い声が聞こえてきた。日本語やったら「ええぞー、もっとやれー」みたいな掛け声も上がってる。
歌詞の意味は分からんかったけど、僕も笑ってしもた。
歌い終わって車内から大きな拍手が起こった。公安のおっちゃんは、頭を掻きながらペコペコしてる。宴会は大いに盛り上がった。
たぶんおっちゃんは、悲しい顔をしていた僕を励まそうとしてあんな歌ってくれたんやと思う。
もう大丈夫、元気になったで。
おっちゃん、おおきにやで。谢谢!
宴会は、次の駅に着くまで続いた。
23時04分に列車は、上海から800キロほど離れた 兗州を発車する。夜も更けて、車内はそろそろ寝ようかという雰囲気になって、みんな寝る支度を始める。
隣の席に座ってたおじさんが、
「私は座席の下の床で寝るから、君は座席で寝てええよ」
と言うてくれる。感謝して座席の上で身体を横にする。
あちこちで座席の上下を分担して、寝始める。
宴会の余韻に浸りながらも、横になるとまた美穂の事を思い出してしまう。
無事に帰りの船に乗れたやろか。
寂しい思いをしてへんやろか。
ホンマに辛い思いをさせてしもてごめん。
待っててな。
しっかり旅をして、必ず美穂の元へ帰るから。
そんな事を考え、僕は寝ながら窓の外を眺めてた。
すると雨が振り出し、雨粒が窓に当たると涙の様に後ろへ流れていく。
それを見て、僕はこんな漢詩を思い出す。
君問歸期未有期 巴山夜雨漲秋池
何當共剪西窗燭 卻話巴山夜雨時
天井の電灯が少し暗くなると列車の揺れが眠気を誘い、僕はすぐに寝てしもた。
つづく
続きを読んで下さって、ありがとうございました。
漸く上海を出ました。
最後に漢詩を入れてみました。唐の時代の李商隱という詩人のものです。
こんなラノベっていいんでしょうか?
さて次回は、天津、そして北京に入る予定です。
もしよかったら、またこの続きを読んでやって下さい。
誤字・脱字等ありましたら、お知らせ頂けると幸いです。
また、感想など頂けましたら、大変うれしく思います。
今後とも、よろしくお願いします。