77帖 夜景・星空・寝顔
今は昔、広く異国のことを知らぬ男、異国の地を旅す
同じ日本人の旅行者と食事をして仲良くなれたし、今晩は夜通し話そうと思てたのに当てが外れた。なんで今日に限ってみんな早く寝るんや。
ホテルの5階の廊下をパリーサはいつも仕事の時に奏でてた鼻歌を鳴らしながら廊下を歩いてる。
二人だけで同じ部屋、同じベッドで過ごす……。自分でそう決めた事やのに、どないしよかとまだ悩んでた。
そやけど、考えが纏まるより早く部屋に着いてしもた。20秒ほどで考えつく筈がないわな。
僕は、「もう、どうにでもナレっ!」て思い部屋に入った。
パリーサは、部屋に入るなりいきなり窓のそばへ行き外を眺める。
「シィェンタイ、見てごらん。きれいだよ」
いったんソファーに座りかけた僕は「よっこいしょ」と言うて立ち、わざとパリーサから離れた窓際へ行く。
街には夕闇が迫り、街灯や窓の明かりが目立ってきてる。遠くの天山山脉(天山山脈)の山肌には夕日が映えてる。今にも消えそうな橙色と力強い街の明かりの対比が面白い。僕はカメラを持ってきてファインダーを覗く。
「ねえ、きれいでしょう……。シィェンタイ、なんでそんなところに居るの。こっちへおいでよ」
「分った、分かった。写真撮ったらそっちへ行くわ」
シャッターを切るとカメラをテーブルに置いてパリーサの側へ行く。
「ねえーねえー、上から街を見るのって面白いね。灯りも綺麗だし、人があんなに小さく見える」
「吐鲁番宾馆(トルファンホテル)では見たこと無いのか?」
「お仕事は遅くても夕方までだし、暗くなる前に帰ってしまうから。それに吐鲁番(トルファン)はこんなに明るくなないわ」
「そうなんや」
パリーサの頭越しに窓の外を覗いてみると、さっきまで山の中腹まで夕焼け色やったんが、一番高い頂きだけがオレンジ色に光ってる。
「パリーサ、あそこ見て。山の頂上」
「わー、光が消えるわ」
あっと言う間に頂きから光が消え稜線が灰色のシルエットになり、この世界に夜がやって来たことを示している様やった。そんな瞬間がちょっと神秘的や。
それはパリーサにも伝わってるみたい。
「なんか素敵な瞬間だったね。ありがとう、シィェンタイ」
「いやいや、僕がやったんとちゃうし」
「だけど教えてくれたのはシィェンタイだから。一緒に見られて嬉しかったよ」
「まぁ、そうやね」
「夜が始まったね」
パリーサは視線を下に落とし、夜の街並みを眺めてる。決して夜景としてはそんなに凄いもんでは無いけど、オレンジ色の電球の明かりに照らされてる人々の生活はここでしか見られん貴重なもんやと思た。夜のカシュガルもやっぱりペルシャ風やった。
「明日は夜の街を歩いてみいひんか?」
「うん、行く行く。とても楽しみだわー」
めっちゃ喜んでるパリーサ。
「ありがとっ!」
「えっ、何がや?」
「だって、シィェンタイから誘ってくれるなんて今まで無かったから」
「そうやったかなぁ……」
「そうよ。それに明日は大バザールの前の夜だから、きっと賑やかよ」
「そうなんや」
「うーん、楽しみだわ」
嬉しそうにしてるパリーサを見てると、僕も明日が楽しみになってきたわ。そういえばトルファンでもバザールの前夜は街中がお祭り騒ぎしてたもんな。
「そしたら明日の夜は、食べ歩きしよか」
「それもいいわね。きっと美味しい屋台がいっぱいあるわ」
明日の夜はそれで楽しみになってきたんやけど、ふと今夜の事が頭を過ぎってしもた。さて、これからどうするかな?
「パリーサ、この後はどうする」
「そうね、えーっと……、シィェンタイは何がしたいの?」
えっ! 何がしたいて……、それは――
「そ、そうや。シャワー浴びよか」
「そうね、さっぱりしましょうか」
僕が先にシャワーを浴びた。シャワールームから出てきてもパリーサは相変わらず外を見てた。
「パリーサもシャワーしておいでや」
「うん。そうそう、私がシャワーしている間に寝ちゃだめだよ。それから、ちゃんと部屋に居てね。何処へも行かないでよ。変な人が入ってきたら困るからね」
やっぱりちょっとは不安なんかな。真剣な顔で言うてたわ。
「ちゃんと居るし。心配いらんで」
と言うとシャワールームへカバンを持って入って行く。
僕は濡れた髪を乾かす為に窓辺に座って窓を開けると、まだ夜を楽しむ人々の音が入ってきた。バザール周辺の通りは煌々として明るい。
少し冷たくなった風が気持ちええわ。
東の方の漆黒の部分は砂漠やろか、まったく明かりがない。それに比べて空には数え切れん程の星が輝いてる。空気が乾燥してるせいか天の川もはっきりと判る。砂漠で星を見ながら寝られたらええなぁと思い、どうやったらできるか考えたけど、なかなかその方法が浮かばん。
一人やったらどうにでもなるけど、何をするにもパリーサの事を考えなあかんし、そうするとやっぱり諦めるしかないわ。これから砂漠はなんぼでもあるし、カシュガルに居る間はパリーサを守ることに徹しようと思たら自分自身を納得できた。
でもいつかやってみたい。新しいミッション「砂漠で野宿をして星空を見ながら寝る」が出来た。
それにしてもパリーサのシャワーは長い。僕の髪の毛はすっかり乾いてしもた。
ちょっと寒くなったてきたし窓を閉め、ベットに横たわる。
当然やけど今まで泊まったどのホテルのベッドより柔らかいし広い。思いっきり手足を伸ばすと少し眠たくなってきた。あかん、寝たらあかん。
そう思てたらパリーサの声が聞こえてきた。シャワールームの半開きの扉から顔だけ出してこっちを見てきた。
「シィェンタイ、何か服を貸してくれない」
「シャツでええんか?」
「何でもいいよ」
シャワーで上着を濡らしてしもたらしい。そんな貸せるような服あったかなぁと思いリュックを掘り返す。大概の服は日本を出てからいっぺん着てるし、洗濯も適当にしかしてへん。まだ着てないのは高地で寒くなった時の為の赤いトレーナぐらいや。小柄なパリーサに大きすぎるかと思たけど臭くないのはそれくらいやし、僕はそれを持ってドアの前に立つ。
「こんなんでええか」
と手を伸ばして渡した。
「何これー! 可愛いね」
と喜んでくれた。
「ちょっと大きいけど……」
「そんな事ないわ。丁度いい。ありがとう」
ほんまかいな。僕でも大きいのに。
僕はまたベッドに横たわり、パリーサが赤いトレーナをどないして着こなすか楽しみにしてた。だぶだぶやし格好わるかな? いつもは伝統的(?)なウイグルのワンピースにスラックスやし、少しは現代風に変わるんやろか……。
ちょっと前やったらパリーサの服装なんか興味無かったのに、変わったなと思た。
「ありがとう。どう? 似合ってる」
パリーサがシャワールームから出てきてベッドの前でクルッと回って見せた。僕のトレーナは余りにもデカイんで、パリーサはワンピースの様に着こなしてる。スラックスは履いてないんで、トレーナの裾からは今まで見たこと無かった白い足が露わになってる。しかも裸足やったんがなんとも魅力的やった。トレーナの中はちゃんと下着を着てるやろかと要らぬ心配をして、僕は返事をするを忘れて見とれてた。
「どうなのよ」
「ああ、似合ってるよ。かわいいよ」
「そう。よかった。じゃあー寝る時は毎日これで寝るね」
「そ、そうなん」
「しばらく貸しといてね」
「それはええけど……」
そんな格好で一緒に布団に入ったら……、寝られるやろか。
パリーサは濡れたワンピースとスラックスを干してる。どうも洗濯したみたいや。赤いトレーナに映える黒髪と白い素足。後ろ姿もなかなかええなぁ。
そしてソファーに座り、タオルで長い髪の毛を拭いて乾かしてる。その仕草は写真に撮っておきたいくらい魅力的で、僕の心臓はどんどん高鳴るばかり。
パリーサを見んとこと思て天井を見るけど、今度はいろんな事を妄想してしまう。他の事を考えて誤魔化そうとするけど頭の中はパリーサの姿しか浮かんでこんかった。「冷静になろう」と言う言葉を繰り返すのが精一杯。
昨日は「あの一件」で殆ど寝てないのに、頭は冴えまくってた。
「シィェンタイ、これからどうする?」
何、それってどういう意味……。時計を見るとまだ10時半を回ったところ。新疆時間の8時半。まだまだ夜は長いな。
「そうやな……」
と平静を装ったけど、言葉が出んわ。何か言わな、何か言わなと思てたらふと考えついた。僕って天才?
「パリーサは眠たくないの」
「大丈夫よ。少しくらいなら」
「眠たいんか?」
「少しね。だって昨日は殆ど寝られなかったから」
「ほなもう寝る……」
「いやよ。それはダメ」
と食い気味に否定してきた。
「ほしたら、明日どうするか考えようや。パリーサは何がしたい。何処へ行きたい。それと何が食べたい?」
「ちょっと待ってね」
と急いで髪の毛を乾かしてる。僕はまた天井を見て僕自身は明日何がしたいんか真面目に考えた。明日は多賀先輩は居らん。カシュガルの観光て言うても何にも浮かばんし、街をぶらつくのは日曜日でええし……、強いて言えばまたあの兄妹らと遊ぶくらいか。ビー玉持って行って……。
そんな事を考えてたら、パリーサがベッドの脇に来て布団に潜り込んできた。潜り込む時にちらっと下着が見えた。それはドキッとするとともにちゃんと着てて良かったと安心もした。そやけどその下着の色が悩ましいピンクやったからまた僕の思考は停止してもた。
パリーサはうつぶせになって僕を見つめ、
「シィェンタイも布団に入って」
と布団をめくって誘ってくる。何もせーへん何もせーへんと呪文を唱えながら僕も布団に入ると、パリーサは穏やかな顔をして目を閉じた。
なんや寝るんや。
そう思て僕は黙ってた。
「何しよっかなぁ?」
パリーサは目を瞑ったまま話しかけてきた。こんなに安らかな顔は今までみたことなかった。やっぱりずっと緊張してたんや。
そんなパリーサをギュッと抱きしめたかったけどそれは我慢して、寝顔を眺めるだけにする。
いつもは後ろで髪を括ってるのに、今は解けて顔に掛かってる。その隙間からパリーサの寝顔を見て、可愛いなーって思うようになってしもた自分を不思議に感じてた。
パリーサのことをどう思てんのか、自分自身にもう一度問いかける。
そして分かった事は……。
いつの間にかパリーサのことを僕は、可愛いを通り越して愛おしく思うようになってた。
つづく
続きを読んで下さって、ありがとうございました。
このまま静かに夜は明けるのか。
もしよかったら、またこの続きを読んでやって下さい。
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