71帖 上野さんと王妃
今は昔、広く異国のことを知らぬ男、異国の地を旅す
其尼巴宾馆(其尼巴ホテル)のロビーは5階までの吹き抜けで、より一層高級感がある。それにはパリーサも目を丸くして見上げてる。
「こんなホテル、初めてだわ」
僕もこんなホテルには日本でも泊まったことがない。格安で泊まれるんかどうかなんか余計に心配になってきた。
パリーサは気合を入れてた。
「よし、行きましょう」
受付は汉族(漢族)のおっちゃんとお姉さん、ウイグルのおっちゃんの3人が対応してたけど全員が英語を話してる。「さすがは国境の街や」と思うと同時にそれだけ高級ホテルって感じがしてきた。
僕らの対応は汉族のおっちゃんが担当で、パリーサが中国語でドミトリーの料金を聞いてくれた。
ドキドキして結果を待つ。そやけど1泊一人6元やと聞いてホッとしたわ。こんな綺麗なホテルに150円ぐらいで泊まれるんや。
「トルファンより安いやん」
「そうね、私が働いてるホテルより安いわね」
それだけ辺境の地ってことかな?
「安いしめっちゃええやろ。俺の予想通りや」
多賀先輩、そんなん言うてないやん。めっちゃビビってたくせに。
「でもね……、女性専用のドミトリーは無いみたいなの」
「男女一緒って事か?」
「そうなの」
「それはやっぱまずいか」
「……」
パリーサは悩んでた。初めての旅で心配なんやと思う。
「そしたら、シングルはなんぼ何?」
パリーサが値段を聞いてたけど、おっちゃんは困った顔をしてパリーサに話してる。
「シングルは10元だけど、今日は部屋が空いてないって」
「どないしょー。ほしたらツインは?」
と言うとパリーサが聞いてくれた。
「部屋は空いてるけど、16元だって」
「そうか。それやったら、パリーサの好きなようにしてええで。お金は何とかするし。ね、多賀先輩!」
「お、お、そうやな」
今、話しを聞いてへんかったでしょう。受付の汉族のお姉さんを見てましたね。確かに綺麗やけど……。
「ほら、パリーサのええ方を選び」
「でも……」
「かまへんで」
悩んだ結果、やっぱり僕らと一緒にドミトリーに泊まることにした。僕と多賀先輩が居ったら心配無いやろと言うてたけど、多分お金の事を気にしたんとちゃうかな。僕もその方がホッとしてる。お金の事はええねんけど、もしツインにしたら当然僕とパリーサが同じ部屋に泊まることになるし、それはちょっと不味いかなと思てた。
受付を済ませて僕らは6階のドミトリーに入った。
広めの部屋にはベッドが16台あって、綺麗で風通りも良く快適な感じ。
部屋の半分ぐらいはパキスタン人のおっちゃんが座って話をしてた。日本人らしきバックパッカーも2人寝てた。
僕らは端っこの少しへこんだとこにあるベッドを確保して、一番奥ににパリーサを、その横に僕、パリーサの足元の位置に多賀先輩が寝ることにした。これでパリーサを守れる。完璧や。
リュックを置き、ベッドに横になる。フワフワやないけど、库尔勒(コルラ)や阿克苏(アクス)の旅社のベッドに比べたらめっちゃ快適や。パリーサもベッドに転がって嬉しそうにしてる。僕はその姿を見て少しホッとしてた。
僕はすぐに起き上がり窓から外を見る。カシュガルの街が一望できた。なんとええ眺めや。
街は全体的に茶色い建物が多く、土か砂で出来てる様に見える。木々もたくさんあり、今まで見てきたオアシスの眺めと違ごて上から眺める街も素敵やった。所々にモスクもある。西には高い山々が連なり、あの向こうはパキスタンかなと想像してた。その山々に今まさに太陽が沈みそうやった。
とうとう中国最果ての地に来たんやと実感してた。多賀先輩も横に来て写真を撮ってる。
「日本人の方ですか?」
寝てた人が声を掛けてきた。パリーサがはしゃぎ過ぎて起こしてしもたか?
「はい、そうです。すんません、寝てはったのに」
「いえいえ、いいんですよ。僕は上野って言います」
「僕は北野です」
「俺は多賀っす」
「私、パリーサよ!」
上野さんは、パリーサを見て「えっ!」て顔をしてた。僕らと一緒やったけど、顔付きは日本人離れしてるし不思議に思てたそうや。それで僕からここまでの経緯を話すと変に納得して、いろんな事を含めて同情してくれてるみたいやった。
ほんなら一緒に晩御飯を食べに行こうって事になった。もう一人の寝てる人も誘ってみたけど、しんどいから行かへんと言うことやった。なんかホンマにしんどそうで口数も少なかった。お大事に。
みんなで部屋を出ようって時になって、パリーサが食べに行くのを躊躇ってた。
「食べへんかったら死んでまうで」
と言うたけど、パリーサは下を向いてモジモジしてる。
「街の店に行くのもあかんのか?」
「それはいいんだけど、お金が……」
やっぱり金の事が気になってたんやな。
ほんでも多賀先輩や上野さんも誘ってくれたら、なんとか行く気になったみたい。変なとこで気を使う子やな。ほんまに気にせんでええのに。
ここまで来たら、
『旅は道連れや!』
と言おうとしたけど、英語でなんて言うんか分からん。
「なんも気にせんとー、パリーサの事は僕に任せてや。一緒に旅してるんやし」
そう言うとパリーサの表情が少しだけ緩んだ。
ホテルを出て、通りの向かいにある飯屋を目指した。途中、両替屋のおっちゃんがまた寄ってきたけど、
「このおっちゃんはレートが悪いから、やめといた方がいいよ」
と上野さんが追い払ってくれた。
「若いヤツも居るから、そいつの方がレートがいいですよ」
「因みにレートはなんぼくらいなんですか」
「1ドル15ルピーが最安でしたね」
「ほー、なるほど。ルピーね」
「人民币(中国の紙幣)だと、少し悪くなるよ」
なるほどと思たけど安いんか高いんかよう分からん。取り敢えず「ルピー」って単位と、1ルピー7円弱って憶えとこ。
上野さんオススメの汉族の店に入る。4人でテーブルに着き注文はパリーサに任せた。メニューが中国語で書いてあるのと、パリーサが遠慮せんようにと思たから。
注文が終わるとお決まりの身の上の話しから会話が始まる。
上野さんは関東出身の25歳で、会社を辞めて去年からアジアを回ってる。今回はインドからパキスタンを経て中国にやって来たそうや。中国はもう3回めやけど、またチベットだけ行けてないと言うてた。
「今、チベットはあの「騒動」のせいで外国人は入れないそうです」
「やっぱりそうか」
「僕らもチャンスがあれば行きたいと思てるんですわ」
「何も無かったら鉄道で蘭州からゴルムド経由で入るのが普通なのですが、今は外国人は乗れないらしいです。それでも何とかして乗った人の話によると、途中で見つかると警察に捕まったり帰されたりするらしいですよ」
「なんと」
「でも和田(ホータン)経由なら警備が緩いと聞いていたので、今週の頭からバスで行ってきたのですが、見事に追い返されました。ははは」
「そうなんですか」
「やっぱり無理っすかぁ……」
「はい。賄賂を渡そうとしたけど、それすら無理でしたね。一ヶ月前にインドで会った人は和田から入れたと言ってたのですが……、かなり厳重になってますね」
僕らが話してるのをパリーサは楽しそうに聞いて頷いてた。日本語が解かるんやろか?
「パリーサ、僕らが話して事は分かるか?」
「ぜーんぜん分からないわ」
みんなで笑ろてしもた。上野さんは英語が上手で、今話したことをパリーサに英語で説明してくれた。
「パリーサ、英語やったら分かるの?」
「半分は分かったわ」
そうなんや。英語も完璧ではないんやね。そりゃそうやわな。中学で習っただけで、後はお客と話して憶えたって言うてたからね。
そんな事を話てたら料理が運ばれてくる。肉の炒めもんに八宝菜みたいの、それにとうもろこしのスープ。肉は牛肉を期待したけど、やっぱり羊やった。
あとは僕がリクエストした水餃子。パリーサは豚肉が入ってたら食べられへんから水餃子の代わりに馒头(饅頭)を頼んでた。いろいろ大変やね。
食べながら僕らは上野さんからいろいろな情報を聞き出した。パキスタンの最新情報はタメになった。格安ホテルの名前や場所に、バス代や食べ物の相場、治安状況など。
バスに乗ってた時に隣の人にジュース貰って飲んだら、それは睡眠薬入りやったそうで、目が覚めたら荷物が無くなってた人の話とかはちょっと怖かった。用心せなあかんな。
料理を食べ尽くし、なんか久しぶりにお腹一杯食べた気がする。ずっとウイグル料理ばっかりやったから中華料理は久々でめっちゃ美味しく感じた。
たっぷり話しを聞かせて貰った上に店を出る時には、上野さんは僕の事情を察してか3人での割り勘にしてくれた。ええ人はやっぱ居るわ。その事をパリーサに伝えると、上野さんにも丁寧にお礼を言うてた。
上野さんは明日の早朝のバスで乌鲁木齐(ウルムチ)に向かうさかい早々にホテルへ戻り寝ると言うてた。僕らは少し周辺を散歩してからホテルに帰ることにした。
散歩て言うても3人共疲れてたから大した事もせんと30分ほど歩いただけでホテルへ帰る。
部屋に戻ると、上野さんがシャワーに入ってた。その後シャワーを使わせて貰う。パリーサが入る時はシャワールームの前で僕に立ってて欲しいと言うてきたんで、しゃぁないなと思い立番をする。
パリーサの鼻歌とシャワーの水音を聞くと、トルファンのホテルに居た時の事を思い出してしもた。たまたま掃除に来たパリーサとこんな旅をするなんて……、不思議な出会いですわ。
その後、多賀先輩、僕の順番でシャワーを浴びる。僕が出てきた時はこちらだけ電気を消して多賀先輩は既に熟睡してたし、パリーサもベッドに入ってた。
僕がベッドで横になるとパリーサは、
「今日はありがとう。おやすみなさい」
と小声で言うて目を閉じた。
今日も色んな事があったなぁと一日を振り返ってると眠たくなってきた。
そやけど向こうだけ明かりを付けてパキスタ人たちが話してるんが気になってなかなか寝付けへん。
今まで聞いたこと無い言葉が聞こえてきたけど、これがウルドゥー語なんやろか。
晩飯の時、上野さんにはパキスタンはええ国やでと聞いてたけど、なんかの呪文みたいなウルドゥー語を聞いてたら、これから彼らの国に行くのかと思うと正直なところ少し怖いような感じに見舞われてしもた。
時々笑い声も聞こえてたけど、怒鳴ったりする感じもあった。何の話しをしてるんやろう。もしかして如何にして僕らを騙して金を巻き上げようかと相談でもしてるんちゃうやろかなと、変な想像をしてたらいつの間にか寝てしもてた。
僕は夢を見てた。
オアシスのアラビヤ風の王宮に居て、僕は国王やった。僕は謁見の間で豪華な椅子に座ってる。前ではシャルワール・カミーズを着て何故かインド風のターバンを巻いたパキスタン人の男たちがひれ伏し、ウルドゥー語で懇願してる様子やった。何を言うてるか判らんなーと思てたら、隣に座ってる王妃が軽やかな声でそれに対応してた。
華やかな衣装に頭から半透明の布を被ってる王妃の顔を覗き込むと、王妃は僕を見てニコッと微笑んだ。
「全て私に任せて。大丈夫よ」
と言うたんはパリーサやった。「ああ、パリーサが王妃になったんやー」などとのんきな事を考えながらパリーサ王妃の対応を眺めてた。ウルドゥー語を使いこなして指示するその姿を頼もしく感じてた。
しかし、夢はそこで終わり……、目が醒めた。
気が付くと僕は身体を揺さぶられてた。目を開けるて横を向く。
微かな明かりの中、ベッドの横でしゃがみ、僕を起こしてるパリーサ王妃、いや普通のパリーサが居った。
身体を起こしてパリーサをよく見ると、夢の中の堂々とした態度とは違ごて、怯えた顔で小さく震えてた。
つづく
続きを読んで下さって、ありがとうございました。
旅人同士の情報交換は有用ですね。
それと深夜のパリーサの身に何が起こったんでしょうか。
もしよかったら、またこの続きを読んでやって下さい。
誤字・脱字等ありましたら、お知らせ頂けると幸いです。
また、感想や評価など頂けましたら、大変うれしく思います。
今後とも、よろしくお願いします。