68帖 砂丘滑りとドロボウ
今は昔、広く異国のことを知らぬ男、異国の地を旅す
パリーサは砂に足を取られながも懸命に砂丘を登ってきた。
「どうしたんや?」
「ふーー。ここまで来るの大変だったんだからね」
遠くを見つめながら息を整えている。
「シィェンタイ。お願いがあるの」
パリーサから声を掛けてくれたんが久しぶりやって、嬉しく思ってしもた。
「いいよ。なんでも言うてや」
「じゃーね、バスの方を見てて」
へっ? と思いながらも僕はバスの方を向いて座り直した。
「いいって言うまで絶対にこっちを見たらダメだよ。わかった?」
「うん、わかった」
パリーサに向かって返事をすると怒り出す。
「ダメって言ったじゃない。こっち見ないでね。絶対だよ」
「おー、わかった」
僕はバスを見ながら返事だけした。パリーサは急な砂丘を南の方へ降りていく。下の方から「絶対見たらダメだからね」っと小さな声が聞こえてきた。
そうか。敢えて言わんけど……そういうことやね。
バスが駐車してる横をトラックが通過してく。その車が遥か西の彼方に消えゆくまで見つめてた。そして暫くすると今度は西から来た大型バスが東へと走り去って行き、米粒くらいになって陽炎の中に吸い込まれていく。
それくらいしか変化がない光景やった。
それにしても遅いな。もうだいぶんたってるし少し心配になってきた。振り返っても怒られへんやろか? どうしようかと思てたら砂丘の下の方からパリーサの呻き声が聞こえてきた。
「シィェンタイ、助けて……」
登りの途中で立ち往生してるパリーサが手を振ってた。
砂丘は風の影響を受けて、北側は緩やかな坂やけど南側はねずみ返しみたいに急になってる。それをパリーサは登って来ようとしてる。どんどんずり落ちていく光景を見て僕は笑ってしもた。
「何笑っててるのよー。早く助けてよ。きゃーー」
「めっちゃおもろいやん。加油(がんばれ)!」
1歩登れば、3歩分ずり落ちて苦戦してる。
「もうー、何してるのよ。早く助けなさいよ、あなたは私の老公でしょ」
ラオゴン? なんじゃそりゃ。ドラゴンでもないし、年寄りってことか? まぁ僕の方が年上やしな。
「わかった、今から行くで」
カメラを手ぬぐいの上に置き、砂丘を下る。
やばい、結構急や。パリーサはようこんなとこ降りてったな。
勢い余ってパリーサよりも下に行ってしもた。スキーの要領で横向きに止まり、足を逆ハの字にしてパリーサのところまで登ろとしてたのに、パリーサはわざわざ僕のとこまで降りてきた。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃないわよ。もうー」
「なんでここまで降りてきたんよ」
「なんでって、シィェンタイを助けに来たのよ」
「あっそうか、ありがとう」
どっちが助けて欲しいねん?
ちょっと膨れてたけどすぐに笑顔に変わっって、僕もなんとなく嬉しくなった。上で待っててくれた方が良かったけど。
「引っ張って行こか」
「うん、お願い」
えらい素直やん。僕が右手を出すと、パリーサは手を繋いできた。
横歩きで一歩ずつ登り始める。パリーサの靴はよく人民が履いてる底の薄い靴で、靴底はほぼ平らな状態やと思う。まだ僕の軽登山靴の方がグリップ力はありそうやし、これならパリーサを支えることはできそうやった。
しかし問題は靴底ではなく、パリーサよりはるかに重い僕の体重やった。僕の足場の砂が除々に流れ出し、それと共に僕もジリジリと滑り出した。
僕は「手を離して!」と言いたかったんやけど咄嗟に出てきた英語は、
「hold hands(手を握って)!」
やった。パリーサは必死に僕の手を掴んでくれてるけど、僕がずり落ちていくのを止められるはずがない。
「きゃー」
今度はパリーサが一気に滑りだした。これはヤバイと思てパリーサの手を引っ張ったけど、滑り台のように僕も一緒に滑り落ちていく。
パリーサは僕にしがみついてきた。僕もパリーサの背中に手を回して掴まえた。
落差でいうと20メートルぐらい滑って転がった。パリーサを抱えたまま止まったけど上からどんどん砂が落ちてきて身体が埋まってしまいそうやった。僕はパリーサを頭から抱えて砂を防ぐ。それでも身体の三分の二は埋まってきた。まじで怖かった。そやけど、どうしようもなかった。
やっと砂の「雪崩」が止まり、立ち上がってパリーサを起こす。ほぼ下まで落ちてた。
「大丈夫」
と言いたかったげど、口の中まで砂だらけでジャリジャリして喋りづらい。耳や鼻の中まで砂が入ってる。
二人でペッペッと吐き出してたら可笑しくなって、二人で笑ろた。
なんか久しぶりにパリーサの笑顔を見れた様な気がして嬉しかった。
服の中の砂を出しながら砂丘を冷静に見上げると、なんて無謀な事をしよとしてたかがよう判った。直登ルートを登るのは絶対に無理や。ちょっと遠回りになるけど、西の尾根から上がった方がまだ傾斜は緩そう。
「パリーサ、あっちの方から登ろうか。ちょっと遠いけど」
「うん。シィェンタイの言う通りにするから連れてってね」
とパリーサは笑顔で手を出してきた。僕はその手を握り、ゆっくりと歩き出す。
それでも足は取られるし息は上がるしで、頂上に着く頃には疲れ果そうやった。
「ちょっと休憩」
と言うてカメラが置いてある横に座り砂漠を眺めた。パリーサも横に座ってくる。
息が整ってきたらパリーサに聞いた。
「さっき言うてた『ラオゴン』ってなんや? どういう字を書くんや」
「知らないの?」
「分からんわ」
「それなら……、それは秘密ね」
「なんやねんそれ」
パリーサは微笑んで誤魔化してた。なんかまたパリーサが罠を仕掛けてそうなんは予想できたけど、明るくなってくれたしまぁええかと思た。暫くボーッと眺めてるとパリーサが話しだす。
「何も無いね」
「何も無いて?」
「この砂漠よ」
「砂があるやん」
「そうじゃなくて……」
「なくて?」
「街も無いし、人もいないし。仕事も生活も何もなくて……。何にもないのって素敵じゃない。そしてこのまま時間が止まって欲しい」
「そやな。それって何となく僕も分かる気がするで」
ずっとこのままやったらええのにと、英語でどう表現したらええか考えてた。
そしたら後ろの方でクラクションが鳴り響き、大型のトラックが止まって助手席から社長が降りてきた。
「この時間も終わりみたいやで」
「そうね。そろそろ戻りましょうか」
「そやね、行こうか」
僕らは立ち上がり、砂丘を降りてバスに向う。その時はもう手を繋ぐことはなかった。
部品交換が終わり、バスは生きを吹き返した。2時間のロスタイムで、もう昼飯の時間はとっくに過ぎてた。
バスはスピードを上げ、大丈夫かいなと思うぐらいの速さで走る。その分、小さなギャップを拾うだけで座席に座ってる乗客は一瞬宙に舞う。僕は頭上の網棚で頭を打ってた。これは堪らんとリュックに固定してある登山用のヘルメットを外し頭に載せる。これで痛みは幾分マシになった。
反対側の座席のおっちゃんがそれを売ってくれを言うてきたけど、もちろん丁重にお断りした。中国人は外国製品やったら何でも買いたがるね。しかも格安で。無理無理!
20分ほどで小さなオアシスのドライブインに着き、短めの昼飯になった。そこでもバスを降り家路に就く乗客が何人かいた。多賀先輩と林さんは二人でさっさと食堂に行ってしまう。
僕は毎度の様にパリーサに何を食べるか聞いてたら、一緒に乗ってた欧米系の男がバスの入口から叫んできた。
「あの男がお前たちのバッグを持っていったぞ!」
バスを降りた乗客のうちの一人が多賀先輩のリュックを持ち去っていく。僕は窓から、
「多賀先輩! 荷物が、ドロボウや!」
と言うと、すぐにそいつを追っかけた。大きなリュックを持ってるしそう簡単には逃げられへんのですぐに捕まえられた。そのおっさんをよく見ると、さっき僕のヘルメットを買うと言うてたヤツやった。
僕が「返せ」と言うと「これはワシのだ」と言うような事を言い返してきた。ウソつけー!
そこへ多賀先輩とパリーサがやってくる。
「おっさん、これは俺のやけど返してくれるか」
と多賀先輩は冷静に話してたけど鬼の様な形相やった。パリーサも中国語でなんやかんや言うてくれた。
そのおっさんは「ああ、間違えたわ」みたいな表情でリュックを下ろすと、さっさと道路を渡っていった。
危ないとこやった。ここまで上海を除いてみんなええ人ばっかりやったしちょっと油断してたわ。
一応チェーンロックでリュックと座席を繋ぎ、パリーサに見張りを頼んで僕らは食堂に行く。
まぁ無事で何よりやったけど、やっぱりちゃんと用心せんとあかんわ。
つづく
続きを読んで下さって、ありがとうございました。
広大な砂漠に一人で居ると、自分も砂粒に思えてきます。ドローンがあったらいい映像が撮れたことでしょう。
もしよかったら、またこの続きを読んでやって下さい。
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