62帖 砂漠の旅
今は昔、広く異国のことを知らぬ男、異国の地を旅す
最後に乗り込んできた乗客に僕は声を掛ける。
「なんでここに居るんや?」
「私、喀什噶爾(カシュガル)に行くのよ」
頭にはピンクのスカーフを被り、薄黄色いワンピースに紺のスラックスを履いてる。
肩から白いカバンを下ろして僕の前の席に座ったんは、パリーサやった。後ろを向いて僕の顔をじっと見てる。
バスは既に動き出してる。なんでここにパリーサがいるんやと僕は少し混乱してた。
「し、仕事はどうしたんよ」
「お休みを取ってきたのよ」
「何しに行くん?」
「喀什噶爾に行きたいのよ。ただそれだけよ」
と言うと前を向く。確かに、今日のバスに乗ると言うてしもた事があったなぁと少し後悔してたら、後ろから多賀先輩が僕の肩を叩いてきた。
「その子ってホテルにおった子とちゃうの?」
「そうですよ。パリーサって子です」
「お前が誘ったんか?」
「いえいえ、何言うてるんですか。ちゃいますよ。勝手に来ただけですよ」
「ほんまか?」
「そんなん誘うわけないですやん」
何で来たんやろと疑問に思たけど、聞いたらまた喧しなると思たし聞かんとそっとしといた。
そやけど少し気になることもある。カシュガルへ行くのに、親は許可をしたんやろかとか、旅費はどうしたんやろかとか、女の子の一人旅って危なくないんやろかと身の上を心配してしもた。まさか僕らについてきたんと違うやろなというのが一番の心配事やったけどね。それを聞くのが恐ろしくて、やっぱり聞くのをやめといた。
そんなことを考えてたらバスは市街地の並木道を抜け視界が開けてきた。遠くに見えるんは交河故城やろか。高昌故城より城壁や遺跡がしっかりと残ってそうやし、ここも見に来といたらたらよかったわ。窓を開け望遠レンズで写真だけ撮った。もし、また来ることがあったら是非行ってみたい。
それを通り過ぎると砂と石混じりの大地が広がってきた。所々に背の低い草が生えてて、その草のところには羊が群れが居って羊飼いが見張りをしてる。郊外は放牧地になってるみたいや。
そう言えば今まで羊をいっぱい食べてきたなーと思ってたら、今年は未年やちゅうことを思い出した。羊の年に、未年生まれの僕が羊ばっかり食べてる。なんか変な係わりを感じてしもた。
朝早く起きたし、バスに揺られると眠気が襲ってきた。そやけど道が荒れてるせいでバスが激しく揺れるんで眠ることはできへん。僕は、ぼーっとしながら外の景色を眺めていた。30分おきぐらいにオアシスが現れ、そのオアシスとオアシスの間ではやはり羊が放牧されてた。
多賀先輩を見ると激しい揺れの中でもしっかり眠ってた。パリーサはどうしてるかと言うと、後ろを向いて僕と話したそうにしてるけど、バスが揺れるし座席に捕まってるんが精一杯という感じやった。
ひたすら同じような景色の中を走り、そして小さなオアシスの町に着いた。
ドライブインみたいなところで休憩になったけど、誰も降りへん。多賀先輩は寝てるし、パリーサもぐっすり眠ってた。
しばらく停車してると、漢族の夫婦が乗り込んできた。どうやらここはバス停のようや。夫婦二人が乗り込んだことでこのバスの座席はほぼ満席になった。しばらくするとバスはまた走り出す。
オアシスを抜け、バスは坂道を登り始める。前方には遠くまで山が続いている。天山山脉(天山山脈)や。
上り坂はそんなにきつくないけどバスはゆっくりしか走らへん。途中、大型バスやトラックにも抜かれてった。
高度を増すと、少しずつ空気は冷たくなってくる。エンジン音はうるさいけどスピードは全然出てない。それでも漸く峠を越して降りに差し掛かると、急にスピードが出た。
峠を越えたということは、このルートがいわゆる「天山南路」ということや。バスに乗ってるとはいえ、シルクロードを順調に進んでると思うと少し嬉しくなってきたわ。
坂を下り終わると小さなオアシスの村があって、バスはそこのドライブインに入りエンジンを止めた。ここで昼飯休憩をとるらしい。
僕は多賀先輩を起こして飯を食べに行こうと誘た。パリーサは既に起きてて、カバンをゴソゴソしてる。
僕がバスを降りようとしたらパリーサが声をかけてきた。
「シィェンタイ、お願いがあるの」
「おお、一緒に食べに行くか?」
「そうじゃなくて……」
いつもは図々しく遠慮のかけらも見せへんのに今のパリーサはなんかしおらしく見えた。
「どうしたんや」
「えーと……、お昼ご飯を買ってきて欲しいの。私はバスの中で食べるのよ」
「なんでや、一緒に食べに行ったらええやん」
「そういう訳にはいかないのよ。女性は食堂では食べられないの」
「なんやそれ」
「そういうルールだから……」
「またあのルールかぁ」
これってムスリムの決まりなんかな。そういえば漢族の女の子やおばちゃんは降りて行ったけど、ウイグルのおばちゃん達はバスの中に座ったままや。
パリーサは困った顔をしてるし、しょうがないなぁと思た。
「わかった。ほしたら買うてきたるたる。何食べるんや?」
「シィェンタイと一緒でいいわ」
と言うて僕に5元を渡してきた。それを受け取って多賀先輩の後を追っかけた。
僕らのバス以外にも3台ほどバスが止まってて、そこから降りて来たお客で食堂はごった返してた。カウンターで注文をしようとしたけどみんなが我先にと争ってたんでなかなか注文ができへん。メニューは無いけどみんなそれぞれ注文をしてる。注文をなかなか聞いてもらえへんかったけど、厨房のおっちゃんと目が合った時に「ラグメン、三つ」と大きな声を出すと、おっちゃんは頷いてお金を受け取り、お釣りを渡してくれた。一つ3元やった。
出来上がったラグメンとお箸を持ってバスへ行き、パリーサに渡すと「ありがとう」と言うて喜んで食べた。
僕は多賀先輩と店の外のテーブルで食べる。トマトとピーマンが入った太麺の焼うどんみたいな料理で、もちもちとした食感はよかったけど唐辛子の味付けがめっちゃ辛くてなかなか食べられへん。
安い値段で食事ができるのはええけど一つだけ気になったんが「お箸」や。お箸は洗ってあったけど、なぜかベトベトしてた。脂っこいラグメンを何回もこの箸で食べたんやろなーって分かるほどべたついてた。自分の箸を持ってくるべきやったと思たけど、面倒くさいんで我慢して食べる。
食べ終わってパリーサのとこへ行ってみた。パリーサはすでに食べ終わってて、満足そうな顔をしてた。
助手のおっちゃんが全員が戻ってきたことを確認すると運転手に合図をし、バスは再び走り出した。オアシスを抜けるとまた急な上り坂になる。さっきよりもバスはゆっくりと坂を登っていく。やっぱり後ろから来た大型バスにも抜かれていった。
峠を越えて下り坂に差し掛かるとバスのスピードは速くなる。カシュガルまでのおよそ1500キロを無事に走るんかどうか心配になってきたわ。
坂を下り終わった何にも無い平坦なとこで急にバスは止まる。やっぱり壊れたかと思ってたら、ウイグルの男の人達はみんなバスを降りた。もちろん運転手も一緒に。
僕は窓から外の様子を見てた。ウイグルの男たちはみんな西の方を向いて跪き、お祈りを始めた。1日に5回あるイスラム教のお祈りの時間になったんやと理解した。移動中でもお祈りの時間は止まるんや。
そやけどやっぱり女の人はその時も外に出へんと車内でお祈りをしてた。パリーサはと言うと、お祈りもせんとぐっすり寝てた。
多賀先輩は何で止まるねんみたいな感じで文句を言うてたけど、僕はこれってしょうがない事やんなと思って黙ってた。人それぞれ信じるもんがあって、その決まりに則ってるんやからそれはそれで尊重せなあかんと思てる。まぁ、結構面倒くさいなあと思うことはあるけどね。
ウイグルの男達が戻ってくるとバスは再び走り出す。
右手には5000メートルぐらいの山が見える。やっぱり頂きには雪渓がある。
左を見ると延々と続く砂漠や。砂漠と言うても童謡「月の沙漠」みたいなイメージではなく、岩がむき出しになってるところが殆どや。作詞をした加藤まさをが千葉県御宿町の御宿海岸をモデルにした言われてるんで、その違いはなんとなく理解できる。でもやっぱり砂だらけの「砂漠」は見てみたいもんや。
因みに、夕刻前にもう一度お祈りのためにバスは停車した。
幾つかの峠を越え、太陽が地平線に沈みかけた頃、バスは大きなオアシスに入る。
そこは今日の宿泊地、库尔勒(コルラ)の街やった。
つづく
続きを読んで下さって、ありがとうございました。
砂漠とそこで暮らす人々の雰囲気をちょっとでも味わって貰えたでしょうか。
もしよかったら、またこの続きを読んでやって下さい。
誤字・脱字等ありましたら、お知らせ頂けると幸いです。
また、感想や評価など頂けましたら、大変うれしく思います。
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