61帖 朝靄のバスターミナル
今は昔、広く異国のことを知らぬ男、異国の地を旅す
ホテルの部屋に戻ってくると多賀先輩はベッドで横になり本を読んでた。
「ただいまです」
「おう、……」
多賀先輩は僕の表情を読み取ったんか、その一言だけ言うとあとは何も喋らんかった。多分僕は浮かない顔をしてたと思う。
荷物を置くとすぐに服を脱いだ。シャツやジーパンのポケットからは細かい砂が大量に出てくる。シャワーを浴びると髪の毛からはの茶色い水が流れ落ちた。体中の砂を洗い落とすと、僕はそのままベッドで横になる。
深いため息を漏らすと、さっきの事が頭に蘇ってきた。
建萍と高昌故城を出た。出口付近には人集りがあって、その中に民警(人民警察)が居った。そしてその人だかりは日本人の旅行者やった。
僕はアイツらが通報して来てたんやと直ぐに悟った。僕はそれを無視して通り過ぎようとしたら民警に呼び止められた。
中国語でいろんなことを聞かれたけど僕は分からんふりをしてた。そやけど建萍と一緒に居ったんが決め手となり、僕は暴力事件を起こした犯人になってしもた。ほんまはアイツらが先に手を出したのに……。
建萍が間に入りいろいろと交渉してくれたけど、民警は建萍の言うことは一切聞かへんかった。僕は周りにいた日本人の旅行者にも事情を話したら、僕は悪くないと民警に訴えてくれた。
しかし民警は公安派出所に連行すると言う。
それは絶対に行ったらあかんとみんなが言うてたんで僕はそれを拒否すると、民警は罰金30元で許したると言うてきた。30元で助かるなら安いなと思た。
すると旅行者の中で旅慣れた人が領収書を発行しろ言うてくれた。すると民警は困った顔をしてすぐに「もういっていいよ」と言うて帰っていった。
なんでやろと思てたら「あの30元は罰金でもなんでもなくて、後でポケットマネーにするつもりや」と旅慣れた人は言うてた。難癖つけて旅行者から金を巻き上げる所を何度も見たことがあるらしい。
無事に解放されてホッとしたけど、なんか後味の悪い出来事やった。
その後、迎えに来てくれた建萍のおじいさんにトラックに乗せて貰ろてホテルまで帰ってくる。
別れ際、座席にいた建萍に「さよなら」と言うと、建萍は「有缘再见吧」と笑顔で言うてくれた。そやけど、その目はどこか悲しそうに見えた。
その顔を思い出してるとなんか辛くなってきて、それを忘れる為に僕は目を瞑った。多賀先輩とは一言も喋らんかった。
6月4日火曜日、朝の6時半過ぎ。僕が起きると多賀先輩も起きてきた。
荷造りを早々に済ませチェックアウトをしてホテルを出る。
昨日の砂嵐は過ぎ去ってたけど、街の中はいたる所に砂が積もってた。車が通るとその砂が舞い上がり目に入ると痛い。
薄明の中、歩き慣れた街の姿を頭に刻み込みながらバスターミナルに向かう。
途中、高昌市场(高昌市場)横の食堂街を通ったけど、もちろん建萍の店は閉まってた。
7時半にバスターミナルに着く。太陽が昇り、朝靄のような砂埃が照らし出される。そこはたくさんのバスと旅行者で既に賑わってた。ほとんどがウイグルで漢族も少し居る。
数は少なかったが服装で一番目立つのが外国人旅行者。各自の目的のバスを探してうろついてた。
僕らは売店で朝食用のナンとヨーグルトを買うて喀什(カシュガル)行きのバスを探す。たくさんのバスの中から「喀什」と書かれた紙が貼ってあるバスを見つけ、傍に居ったウイグルのおっちゃんに話しかけた。
「このバスはカシュガル行きか?」
「そうだ。チケットを持ってるか?」
僕と多賀先輩はチケットを見せた。
「よし、これに乗れ。出発は8時だ」
「おおきに」
バスに乗り込むと誰一人乗っておらず、僕らが一番乗りやった。
バスは30人乗りぐらいのマイクロバスを少し大きくしたような車で、前の方は一人用の座席で、二人がけの椅子は後ろの方にある。席の指定は無いみたいやし、僕と多賀先輩は一人用の座席にそれぞれ座る。座席の横にリュックを置いてナンを食べた。
じっとしていると寒くなるくらい朝のトルファンは冷える。
8時前になっても乗客は僕と多賀先輩しかおらず、誰も乗ってこんかったんで心配になった僕はウインドブレーカーを着て外に出てみた。さっきのウイグルのおっちゃんはどこにもおらん。
僕はバスの前でタバコを吸って時間をつぶしてた。8時を過ぎると一人二人と乗客がやってきた。その乗客にカシュガルに行くのかと聞くと、そうだと言うてた。とりあえずこのバスに乗ればカシュガルに行けると少し安心できた。時間通りには出発せえへんと思てたけど、それにしても遅い。のんびりし過ぎとちゃうかと思てた。
8時半前にやっと5人目の乗客がやってきた。漢族のおっちゃんで大量の荷物をバスの屋根の上に載っけてた。行商人の様や。
それにしても遅いなあと思い始めた。バスの中に戻ると多賀先輩は相変わらず本を読んでる。
「多賀先輩。出発の8時ちゅうのんは、もしかしたら現地時間とちゃいますかね」
「そやな。そしたら2時間も早よ来たってことか」
「そうなりますね。まだ1時間以上ありますし、どうします?」
「そやかてなぁ……、どっか行っててバスが出てしもても困るしなぁ」
「ですよねっ」
僕はまたバスの外に出て周りを見渡す。太陽は昇り少しずつ日差しがきつくなってきた。
バスから少し離れたとこへ移動し、なるべく目立つように立って辺りを見回す。
もしかしたら建萍が見送りに来てくれるかもしれん、と期待していた。
僕の頭の中には、建萍が砂嵐の高昌故城で言うた「日本人になりたい……」という言葉がまだ引っかかってた。それ以来そのことについては一言も話してないし、真意も分かってない。それどころか、民警との一件から建萍とは話ができてない。お互いに黙ってた。
建萍ともういっぺん話したい。それに8月25日の事もまだ返事をしてへんかったから。
そやけどそんな僕の思いは叶わんかった。
北京時間の9時45分、つまり現地時間の7時45分にウイグルのバスの運転手と助手の漢族のおっちゃんがバスに乗り込んでた。
そろそろ出発やな。やっぱり出発時間は現地時間の8時やったんや。
僕もバスに乗り込む。それでも僕は窓から建萍の姿を探す。もしかしたら僕が乗ってるバスが見つからずに困ってるかも、と心配して……。
バスの中はまだ15人ぐらいしか乗ってなかった。
出発5分くらい前になって、ウイグルの家族が乗ってきた。足の不自由なおじいさんと、多分その息子たちとその嫁さんぽい人の総勢6人。その息子たちも年老いてるから、おじいさんは結構な歳やと思う。
助手の漢族のおっちゃんは人数を確かめる。困った顔をしてるとこ見ると、まだ人数が足りひんのやろ。
出発時間ぎりぎりになって欧米系のバックパッカー男の二人組と漢族の女の子が一人乗ってきた。助手のおっちゃんはあと一人やと運転手に合図をしてる。もうすぐやな。
そやけど出発時間を過ぎたのにまだ乗ってこうへん。僕は「早よこいや」という気持ちと「まだ出発して欲しない」という気持ちが入り交ざってた。出発時間は知ってるし、もしかしたら最後に建萍が見送りに来てくれるかも、と少し期待した。
助手のおっちゃんが乗ってきて前の扉を閉める。いよいよ出発や。やっぱり建萍の姿を見ることは無かった。
そして最後の乗客が後ろのドアから乗り込むとドアは閉められ、エンジン音が高鳴る。
僕は後ろを振り返り最後に乗ってきた乗客を見た。思わず二度見してしもた。
見覚えのあるその顔は、笑顔で僕を見てた。
つづく
続きを読んで下さって、ありがとうございました。
いよいよカシュガルに向けて出発です。最後の乗客は誰でしょうか?
もしよかったら、またこの続きを読んでやって下さい。
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