6帖 上海夜風
今は昔、広く異国のことを知らぬ男、異国の地を旅す
待合室の外は、少し風が吹いてきて気持ち良く感じる。
そやけどちょっと歩くだけですぐに汗が出る。まだ5月やのに、上海では夕方でも蒸し暑い。
気温は20度ぐらいかな。ほんでも湿気が多いさかい、気温以上に暑く感じる。
多賀先輩は、
「大通りの向こうを探検してくるわ」
と言うて横断歩道を渡って行く。
「了解です。僕らも適当にぶらついときますわ」
「ほんならついでに何か食べてくるわ」
そう叫んで人混みに消えてった。
多賀先輩は、もしかして僕と美穂を二人だけにする為に気を使こてくれたんやろか?
それならと僕は美穂と駅舎を探検しに行く事にする。
駅舎の切符売場にはまだ人が並んでる。さきより人数が増えてる様な気がする。
駅の入り口には公衆便所と売店と、そしてちょっとした食堂がある。改札の中とかホームの様子を見ときたかったんやけど、どうやら中には入られへんみたい。出発30分前の切符を持ってへんと中には入れませんみたいな中国語の看板があった。
「憲さん。そろそろ何か食べへん」
「そうしよか」
「うん。何食べよかなー」
切符売場と同じで、入口横の食堂の前にも人が並んでるし、直ぐには入れそうにない。
そやしその横の売店を覗いて見る。売店では白い服に白い帽子を被ったおばさん人民が、揚げ物や蒸し物を売ってる。
「唐揚げみたいなやつと、肉まん食べたいなあ」
「あっ、そんなら私も食べるわ」
「よっしゃ」
僕は、給食当番みたいな白い服を着たおばちゃん人民に身振り手振りで唐揚げぽいやつと肉まんぽい形の饅頭を二つずつ頼むと、紙の袋に入れて渡してくれた。
ほんでなんぼかと聞くと、返事の中国語が聞き取れんかったさかいに取り敢えず5元札を渡す。お釣りは、3元と小銭が少々。
こんだけ買うて2元せえへんとは……。めっちゃ安い。
その分、昼飯の時に陳にぼったくられた事がめっちゃ悔しなってきた。
駅舎の表まで戻って石段に腰掛け、美穂と一個ずつ食べる。
「おいしいやん。この唐揚げ」
「唐揚げちゅうよりも素揚げに近いな。でも肉の味がしっかりしてて美味しいわ」
「うん、そやね。でも、もうちょっと胡椒が効いてたらいいのになぁ」
「そうそう。でもなんかぁ前に食べた記憶がある様な懐かしい様な……、そんな気がするわ」
以前、美穂が僕の下宿でご飯を作ってくれた時の事を思い出してた。
チキンライスを作ってくれる予定やった。そやけど鶏肉が大量にあったんで、「唐揚げも食べたいなー」って言うたら作ってくれた。しかし僕の下宿には小麦粉とか片栗粉とかは無い。ほんで素揚げにしてくれたんやけど、それはあんまり美味しくはなかった。
そんなことを思い出してた。
「もう! それ以上言うたらあかんで。あれは 失敗やから」
「同じこと考えとったな」
二人で笑ろた。そして、饅頭も食べてみる。
「何や、これ。ただの蒸しパンやん」
「どれどれ……。あっ、ほんまやなぁ。中はに何も入ってへんわ」
「そやけどこうやって鶏肉を……食べて、饅頭を……食べたらちょうどええ感じやで」
「うんうん。饅頭がご飯の代わりやね」
「肉まんを期待してたのになぁ。そやけどあっさりしてて、もちもちで丁度ええわ」
「これやったら家でも作れそう」
「そやな。美穂は何でも作るれるしな。上海でいろんなもん食べて、また作ってや」
「うんいいよ。また作ってあげるし食べてな」
「おおきに」
食べ終わってミネラルウォーターを飲む。お腹は少し膨れた。
美穂も食べ終わったんで、駅の対面に向かって二人で歩き始める。
街灯が点いてきて夜の雰囲気になってる。でも風はまだぬるい。
美穂と二人で散歩がてら、目的地もなくぶらぶらと夜の上海を歩く。
美穂に最近の仕事の調子はどうか聞いてみる。高校の英語の授業はつまらんとか、放課後の部活動の指導は楽しいとか色々と話してくれる。
部活動では陸上競技部の副顧問をしる。走るんは苦手やけど、ええ運動やと思て生徒と一緒に走ってるらしい。それが結構きつうて大変やとも。ほんでも、そんなに体を動かすのんは高校以来やし、楽しんでるて言うてる。
「大会の引率に行った時になぁ、事件が起こってん」
「なんやそれ?」
「疲れたからベンチで休んどったらな、他の高校の男子生徒が隣に座ってきてん」
「……?」
「そしたら、『どこの高校なん?』とか、『専門はなんなん?』とかタメ口で話してきてん。ほんで変やなーと思てたんよ」
「ほんでっ」
「ほんならなんと、『今度一緒に遊びに行かへん?』って誘ってきてんよ」
「何やそれ、ナンパとちゃうの」
「そうそう、生徒と間違えられてナンパされてん。うふふ」
美穂は笑っとった。
「わ、笑いごとちゃうで、なんちゅうやっちゃそいつ。しばいたろか!」
「そやろー。そやけどむっちゃ笑ろたわ。ほんで一応、『それは無理』って断ってん」
「ほほー」
「そしたら、『そう言わんと一回だけでいいし遊ぼうや!』ってしつこう言うてきてんな。それも、『無理無理』って言うてたら、『何で無理なん』って聞いてきたし、『私は引率の顧問やで』って言うたら、びっくりしてたわ。めっちゃ笑うやろ」
「びっくりしたやろなぁ」
「ほんでな、『すませんでした』って言うて逃げて行ったわ」
「ははは、めっちゃおもろいなあ。そやけど、それって美穂が高校生と見間違えられたって事やんなぁ」
「そやで。そりゃまだ若いし、女子高生で通用するよ」
「ははは。それとやっぱり……、か、わ、い、い、からかな……」
ちょっと照れてしもた。
「えー、なんてー。聞こえへんかったわー。もっかい言うてー」
「かわいいからや!」
照れ隠しで怒鳴ってしもたわ。
「ありがとう。ほんでなぁ、まだその続きがあってな……」
「なんや、まだあんのんかい?」
「そう。大会が終わって、うち高校の生徒らと駅に向かって歩いとったらな、さっきの男子とまた会うてん」
「な、な……」
「ほんで、『さっきはすいませんでした』って言うてくるんかなぁて思てたら、『やっぱり、いっぺんでいいから遊びに行きませんか?』ってまた言うてきたんよう」
「なんやてー」
「そやし、『私、彼氏いるのよ』て言い返してあげた!」
なんちゅう奴や。やっぱしばかな分らん奴やな。
「ほ、ほんで、どうなったん?」
「諦めるかと思たらな、『また会うたら話しに来ます』って言うて去っていってんよ」
なにー、この場におったらどつき回したる!
「しつこいなーそいつ。どんな奴なんや」
「身長は憲さんくらいで、まあまあカッコ良かったよ」
「なに!」
かっこええやと。自分でも分かってるけど僕はそんなにかっこようない。これはやばいかも知れんぞ。
「そうやけど憲さんの方が、ずっとかっこええよ」
「そ、そっかー」
ほんまにそうなんか?
「そやけど、また会うたら声かけてきよるんやろ」
「たぶん」
「ほな美穂はどうするの?」
なんかドキドキしてきた。
「さー、どうしよーかなー」
「どうしよかなて、お、お前ぇ……」
「うふっ。そんなん、断るに決まってるやん」
「絶対に断ってや」
「わかってるって」
「絶対にやで」
「しつこいなぁもう。断る言うてるやん」
「そやかて、僕は暫くいいひんし、心配やねん」
「大丈夫、私は憲さんだけやから」
そんなん言われたら、ちょっと恥ずかしいなぁ。
またドキドキして美穂の顔を見れんようになってしもた。
しばらく黙って歩いてたら、麺類の屋台があった。日本で言うたらラーメン屋台やな。
「美穂、ラーメン食べへん」
美穂を誘ってみる。もちろん顔は見んと。
「なんか美味しそうな匂いがするやん。食べよか」
椅子に座って、隣の人が食べてるラーメンみたいなやつを指差して、
「これを二つちょうだい」
って、おじさんに頼む。もちろん日本語やけど、それでも通じたみたい。
ラーメンが出てくるのを待ってる時、隣に座ってる美穂の顔をチラッと見る。
えっ、こっち見とるがな。
「どないしたん」
「いや、 なんか嬉しい」
素直な気持ち。
「帰ってくるまで待っててや」
「……?」
「もし、しつこく言うてきたら僕がしばきに行くぞって脅しといて」
「うん分かった。言うとくわ」
「おう、言うといて。ほんで僕が日本に帰ってくるまで待っといてな」
「うん、待ってる」
僕は何を待ってて欲しいと思て言うたんやろ? 返事をした美穂は僕の何を待っとくんや?
まあええは、とにかく待っててくれるんや。少し安心したわ。
ラーメンが白いお椀に入って出てくる。二人で3元やった。
見た目は日本のラーメンによう似てるけど、スープの色はなんか薄い。
早速、食べてみる。
鶏ガラのスープで、麺は日本のより柔らかい。あっさりしてて、すぐに完食できた。
「ごっつぉさん」
「ごちそうさま」
「そろそろ戻ろか。多賀先輩、帰ってきてるかも」
「そうやね。待ってはったら悪いし帰ろか」
僕らは駅に向かって戻り始める。
辺りは、すっかり暗くなってた。
思ったより遠くまで歩いてたわ。駅舎に近づくと、メガネをかけた黒い人が駅舎の前で座ってるんが見える。多賀先輩やとすぐに分かった。
「おお帰ってきたか」
「お待たせしました」
「何食べてきたんや」
「唐揚げとぉ、饅頭とぉ、ラーメンです」
「俺も向こうの方で屋台のラーメン食ったぞ」
「ほんなら同じとこで食べたかもしれませんね」
「うまかったけぇ」
「まあそこそこでしたね」
「ほんなら同じとこで食べたな」
多賀先輩は立ち上がる。
「ほないっぺん待合室に戻ろか」
「そうですね。でもまだ暑いですやん」
「そやな、待合室にエアコンあったかなぁ? あったら最高やな」
外国人専用入口から入って待合室に戻る。やっぱりエアコンは無い。
さっき居った外国人らは見当たらへんかったけど、新たに10人位が座ってる。荷物は無事やった。
ベンチに腰掛けたら、三人同時に「はー」と息を漏らす。
三人で笑ろた。
待合室の中の気温は外と然程変わりはなかったけど、幾分湿度が低くて涼しく感じる。
暫くガラス越しに上海駅前の夜景を眺めてた。
よう見ると駅前は、さっきより人通りが減って少し閑散としてきてる。
時計を見ると、8時を回ったとこや。この時間にしては人気が少ない。上海の人は、早目に家に帰るんやろうか。
隣では、多賀先輩が本を出して読み始める。
反対側の美穂は、足をぶらぶらさせながら外を眺めてたし、僕もまた外を眺める事にする。
今日一日あったことを思い出てた。
上海港に着いて、陳に出会って、昼飯をぼったくられて、上海駅に切符を買いに来たら売ってなくて、怖い思いをしてマフィアから切符を買うて……。
そしたら眠とうなってきて、ウトウトする。
ほんでも直ぐに暑くて目が覚める。
いや、そやない。強烈な視線を……、殺気を感じて目が覚める。
横を見ると、美穂の顔が僕の顔のすぐ傍にあった。
わぁっ!
「ふふふん」
「な、何してんの?」
「憲さんの顔を見ててん」
「ずっと見てたんか」
「うん」
もしかして、もうちょっと寝てたらキスでもしてくれたんかな。
そんな妄想をしてたら、めっちゃ恥ずかしくなって顔が熱くなる。
「暑いなぁ。外へ行かへんか?」
別にバレてへんやろけど妄想を誤魔化す為にそう言う。
「うん、行こ行こ」
「多賀先輩、外行ってきますわ」
「おう、気ぃつけてな」
カメラを持って美穂と外へ出る。
ほんの少しやけど気温が下がった様に感じる。湿気は相変わらずや。
風のせいかな?
カメラで上海の夜の様子を撮影する。美穂の写真も何枚か撮った。チャイナドレスやないけど、美穂は普通の服でもかわいいと思た。
撮影が終わると、何もすることがなかったし築山の縁に二人で座る。
暫くボーッとしてから話し出した。
「不思議やなあ」
「何が?」
「何がて、中国の上海に美穂と一緒に居るんやで」
「そうやね、私もびっくりやわ」
「びっくりは僕やで。美穂がこっそり船に乗ってたとはなぁ」
「えへへ」
「そのお陰でこうやって美穂とここに居れるんやけどな。嬉しいわ」
「私も嬉しいよ」
めっちゃリア充やん。ほんまに嬉しい。このまま時間が止まって欲しいと思う。
そやけど、ふと明日の事を考えてしもた。
「でも明日はホンマにお別れやな」
うわ、なんでこんな事を言うてしもたんやろ。「ごめん美穂」って言おうとして美穂の方を見ると、美穂は黙って夜空を見上げてる。
「星が全然見えへんなぁ」
「そやな、街中やからな。街灯とかネオンとかで見えへんのとちゃう」
「冬山に行った時のこと覚えてる?」
「ああ、武奈ヶ岳に行った時か?」
「うん。あの時夜中にテントから出て、空見とったやん。星がめっちゃ綺麗やったなー」
「そうやったなあ。でもな、もっと高い山へ登ったら手で星が掴めるんちゃうやろかっていうぐらい間近で綺麗に見えるで」
「ほんまぁ、それやったらまた山行ってみたいわ」
「日本に帰ったら一緒に山行こか」
「うん、行こ行こ。絶対、また一緒に行こな」
「よっしゃ、行こ」
「絶対の絶対に行こな」
「うん、絶対や」
暫く黙ってたら美穂が話し出す。
「ほんなら……無事に帰ってきてや」
「おう、大丈夫や。無事に帰ってくるわ」
「危ない事したらあかんで」
「分かってる」
「ほんまに分かってる?」
「分かってるって。約束するがな」
「約束やで。絶対に約束やで。ちゃんと帰ってくるって……」
美穂がもたれかかってきて、頭が僕の肩にくっついてる。
見えへん星を二人で黙って見上げてた。言葉は交わしてへんけど心は通じてると思た。
美穂の顔は見られんかったけど、泣いてたと思う。
僕は美穂の元へ絶対に帰る。
そう心の中で誓った。
夜風が気持ちよく感じてきた。
つづく
続きを読んで下さって、ありがとうございました。
漸く中国での第1日目が終わりです。長くなってすいません。
次回は、列車に乗って移動します。スピードが上がるはずです。
もしよかったら、またこの続きを読んでやって下さい。
誤字・脱字等ありましたら、お知らせ頂けると幸いです。
また、感想など頂けましたら、大変うれしく思います。
今後とも、よろしくお願いします。