59帖 異邦人
今は昔、広く異国のことを知らぬ男、異国の地を旅す
入場門を入ったところにロバ車が待機してて、高昌故城を案内すると誘ってくる。勿論、有料で。
「建萍。どうする、ロバ車乗る?」
「歩く、行きましょう。私、大丈夫」
「そしたらのんびり行こか。時間もたっぷりあるしね」
「はい」
建萍はロバ車のおっちゃんに断りを入れてくれた。
朽ちかけた城壁に沿って二人で歩いていく。朽ちかけたというのは誤りで、ほぼ朽ちてる状態の城壁や。レンガに土が盛ってある塊で、日本の城や万里の長城の様な立派なもんではない。「故城」と言われなければただの廃墟にしか見えへん。
道はでこぼこで、所々に草が生えている。ここはかつての王城だったらしい。高昌国がいかに栄えていたは、その様子を想像することは僕にとっては難しかった。それくらい荒廃が進んでいて簡単に言えば何もないところや。
遠く彼方1キロほど先に大きな構造物が見えるんでそこに向かって歩く。漢族の観光客が乗ったロバ車が追い越していく。僕らの前を団体さんが歩いてるんで、その後をついて行くことにした。
とにかく暑い。日差しをさえぎるものは何もなく、時折砂混じりの温風が吹いてくる。僕は目をこすりながら建萍の方を見ると、ニコニコしながらついてくる。手を繋いでも大丈夫なんかなと思いながら僕はすっと手を伸ばすと、建萍は一瞬悩んだような顔をしたけど、すぐに笑い僕の手を握ってくれた。
僕らは手をつなぎながら廃墟を歩いた。手をつなぐことによって暑いことをから気が逸れたけど、逆にちょっと緊張してしもて何も喋れずに歩いてる。横目でちらっと建萍を見ると、建萍もこっちを見て微笑んでくれた。
ここが高昌故城であろうとどこであろうとどうでもよくなった。まだまだ言葉は通じへんけど、二人でここを歩いているだけで充実したものがあった。
その充実感がまた違った感情を呼び起こしてきた。
お互い異国で生まれ育った二人が偶然出会い、悠久の時間を超えて存在するこの故城で今同じ時を過ごしていると思うだけで、何とも言えない人生の面白さを感じた。
こんな事も考えてた。僕が男で、建萍が女であることも偶然やったんやと思う。もし僕が男でなかったら、こうして建萍とここを歩いてることは無かったやろなと。
確かに建萍は美しくて可愛いし、できれば二人で身も心も溶けるような甘い時間も過ごしてみたいとも思う。建萍も僕に興味を持ってくれた。でも今はそんなことはどうでもよくて、こうやって偶然出会った二人が同じ時間を共有してることが絶対やと思た。
高昌国の麴文泰王と玄奘の出会いもそうであったに違いないと思う。
それはここがかつてシルクロードの中継地として栄え、そして幻と消え去った場所やからそう思たかも知れん。
因みに、玄奘がインドから帰国する際には、麴王の高昌国は自分の祖国である唐に滅ばされた後やったらしい。
それを考えると、僕と建萍の出会いもいつか終わりが来るんやと思い始めた。
僕は、急に建萍の写真が撮りたくなる。
「建萍、写真撮らせて」
「はい」
僕は土塀の側に建萍を連れてってファインダーを覗く。建萍はレンズを見てる。やっぱりなんか違うと思て、向こうの廃墟を見てくれと指示をだす。そうすると建萍の視線が遠くなり、横顔が見えていい感じになった。
建萍は横顔が素敵や。被写界深度を浅くすると、土塀の黄土色と空の青を背景に建萍の白い肌が浮かび上がる。僕はシャッターを切った。
影も欲しい。建萍を連れて廃墟の方へ。
ここは昔、宮城があったとこで、風化せずに残ってる建物も幾つかある。玄奘がここに滞在していた時に講義をしたと言われる建物の遺構もあった。そこでは思わず合掌をしてた。
太陽の光と建物で出来る影を利用して建萍の魅力を引き出す。レフ板と三脚があったらもっとええ写真が撮れるのにと思たけど、無いもんはしゃあない。
建萍は特に指示はしてへんのにいろんな表情を作ってくれた。笑顔やったり、物思いにふける顔やったり、ちょっとムッとした表情とか驚いた顔やったり。
モデルの経験があるわけでもないさかい、その表情は演技をして作ってる訳でなく自然に出たもんやと思う。
とすると建萍はいったい何を考え、何を思て写真に映ってるんやろうと疑問に感じた。そやけどその訳を聞くの野暮やし、ファインダーの中からその答えを想像することにしてた。
どんどん場所を替えて撮影する。建萍は文句も言わず相手をしてくれる。ただ一つだけ質問をしてきた。
「シィェンタイ、なぜ、わたし、写真とる?」
僕は建萍が理解できんやろと踏んで、わざと日本語で答えた。
「それは建萍が綺麗で愛らしい。そやから別れるのが辛い。今のこの時間が永遠には続かんから……」
建萍は黙って聞いてた。
「そやし今、僕と建萍がここで一緒に生きてた証拠、記録の為に撮ってるんかな」
建萍は少し考えた。
「しょうこ? きろく? ねー」
分かってないと思うけど、妙に納得した様な顔をして喜んでた。
更に移動しながら、ええロケーションを探す。移動の時は手を繋いで。
この手を繋いだ感触とか温もりとかもカメラで記憶出来たらええのにと思たけど撮れるはずはないし、それは「記憶」に留めるもんやと自分自身を納得させた。そやから余計にしっかりと建萍の手を握りしめる。
移動してる時に建萍は僕に、どんな処で生まれ何をしてきたかを聞いてきた。僕は琵琶湖の側で生まれた時から大学を卒業するまでの生い立ちを、それもまた分からんやろうけど、わざと全部日本語で話した。それでも建萍は頷きながらずっと聞き入ってた。
分からんかったと思うけど、それでええと思たし、逆に僕は建萍の生い立ちは聞かんとこうと思た。余計に辛くなりそうやから。
とうとう一番南まで来てしもた。この辺までは観光客も来うへんし誰もおらん。
風が幾分強く吹いてきてる。
城壁跡の向こうには広大な砂漠があり、所々に砂煙が巻き上がってる。最後の一枚にもってこいのロケーションやった。
建萍に立って貰い、僕はファインダーを覗いた。
風が横から吹き、髪の毛が顔に掛かる。建萍は目線をレンズに合わせてくる。レンズを通して僕の心を覗いてるような気がした。
自然と写真のタイトルが頭に浮かんできた。
『異邦人』
その表情は何となく悲しそうな感じがした。
つづく
続きを読んで下さって、ありがとうございました。
微妙な距離を取る「僕」ですが、進展はあるんでしょうか。
もしよかったら、またこの続きを読んでやって下さい。
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