58帖 灼熱
今は昔、広く異国のことを知らぬ男、異国の地を旅す
トラックは再びゆっくりと走り出す。非常にゆったりとした登り坂にもかかわらず全然加速せーへん。
赤い火焔山と青空のコントラストは綺麗や。よく見ると陽炎がゆらゆらと立ち上がり山が燃えている様にも見える。昔の人が見れば妖怪が住んでると思うのも分かるような気がした。
トラックは徐々に火焔山に近づく。それとともに気温も上がり、日差しで荷台の鉄板も熱くなってきた。
大きな道を外れ、川沿に谷間を進む。トラックが路面のギャップを拾うと、荷台に乗ってる僕と建萍は一瞬宙に浮く。初めはワーワー言いながら楽しんでたけど、だんだんお尻が痛となってきた。
建萍とお互の肩を抱き、ちょっとでも転がらん様に工夫する。ほんまやったらええ雰囲気になるんやろうけどこの道ではそんな余裕はない。見つめ合ってたら顔面と頭はぶつかるやろし、喋ってたら舌を噛むところやったからひたすら耐えるのみ。
そのうち座ってることもできんようになり二人とも転がってしもた。止まれるなら止まって欲しかったけど合図すら出せへん。しょうがないんで頭を打つのを防ぐ為に僕は建萍の頭をしっかり抱えた。すると建萍は僕の腰に手を回してきて、二人の身体がしっかりと触れ合う。
ドキドキしたのも束の間、二人の身体が宙に浮いたかと思うと思いっきり荷台に叩きつけられた。僕は背中を打ち暫く呼吸ができんかった。建萍はなぜかケラケラと笑ろてた。
そして漸くトラックが止まる。柏孜克里克千佛洞(ベゼクリク千仏洞)に着いた。
先に建萍を降ろし、僕は二人分の荷物を持って降りる。カメラが壊れてへんか心配やった。
建萍も僕も服が砂で汚れてたけど、乾燥してるんで払えばすぐに落ちる。
じいちゃんとおじさんは入り口近くの食堂でお茶を飲んで待ってるからと言うて店に入って行った。
僕と建萍は入場料1元5角を払ろて中に入る。平日にも関わらず結構な数の観光客やと思う。殆どが漢族やけど、中には日本人っぽい人もおる。
もちろんお決まりの団体様もいらっしゃいます。北京に居った団体客は農村部から来た感じの人たちが多かったけど、ここにいる団体客は逆に北京や上海などの都会から来たような人たちや。サングラスを掛けてたり綺羅びやかな服を着てたりと中国人民の中でも少しお金を持ってそうやった。
その人たちの間をすり抜けて奥へ進んで行く。
谷の絶壁に穴を掘ったりレンガを積んだりして、いくつもの祠が並んでる。こんな構造物が砂漠の谷間に作られたんはなかなかすごいと思た。
ところがその中を覗いてみると、何かあるわけでもなく削り取られた仏像のようなものがあるだけ。壁には絵が書かれてたんやろと思われる跡が微かに残ってるだけやった。敦煌の莫高窟をイメージしてただけに、思ったほど感動は無い。ただの洞窟と言えばそれまでやった。
建萍に言わせると、ここは「私たちの先祖がこれを作って、私たちの先祖がこれを潰した」らしい。
外に出てみると、さっきまで吹いていた風は止んでた。無風状態で強烈な太陽の日差しを浴びるとめっちゃ暑かった。それでも時々風は吹いてくるけど、その風というのは火焔山で熱せられた温風であって涼しくはない。全身をドライヤーで炙られてるような感じでとにかく暑い。熱い……。
頭の中は「灼熱」の「灼」てどういう漢字やったなかと考えるくらいしか出来んかった。
そやから不用意に手すりにもたれ掛かかったら鉄の部分は熱々で火傷しそうになって慌てた。そんな僕を見て建萍はクスクスとまた笑ろてた。
その笑顔を見て思い出す。建萍の写真を撮ろう! 熱いけど。
建萍は少し慣れてきたんか色々なポーズを取ってくれる。でもその写真はあんまり気に入らんかった。何かが足りんような気がしてた。
いくつか洞窟を見て回ったけど何もなく、どれを見ても同じような気がしたんでもうここを出ることに。それとやっぱり熱いとこから逃げたかった。
食堂まで戻って来た。
「シィェンタイ。千佛洞、よかったか?」
お茶を飲んでたじいさんに聞かれた。僕は、
「特に何もなかったわ」
と言うと、じいちゃんとおじさんは「そやろう」みたいな顔をして笑ろてた。
僕らはまたトラックに乗って移動する。ここへ来る時、荷台が跳ねて大変やったんで建萍は運転席の方に乗せた。トラック自体がものすごい高温になってて、荷台に登るのも座る大変やったわ。
トラックはまた黒煙を上げながらゆっくりと走り出す。千佛洞には30分ほどしか居てなかった事になる。
次の目的地である高昌故城には20分ほどで着いた。トラックは入り口の遥か手前にある食堂前で止まった。
じいちゃんは窓から頭を出して何か言うてきた。
「ここで、食べろ。わたし、鄯善行く」
と言われここで降ろされた。建萍がトラックから降りるときに、じいちゃんに何か言われていた。建萍は笑顔で頷いていた。何を言われてたんやろと思ってたら、
「シィェンタイ。帰る、傍晚四点(夕方の四時)。よろしく」
と僕に言うてきた。
え! 4時に帰る? 迎えに来るってこと? ええっ、何時間ここに居らなあかんのや……と思て時計を見る。13時半や。じいちゃんが言うてた「4時」は北京時間やないから「18時」と言うことやろ。そしたら……4時間半もここに居れてか?
そんなことを考えてたらトラックはUターンして、砂埃を巻き上げて走って行く。そしてその砂の中にに消えていってしもた。
まじか……。どないすんねんって思てたら、建萍が腕を引っ張ってきた。
「シィェンタイ。ごはん、たべます、か?」
「そうやな。取り敢えずそうしよかぁ」
僕らはウイグル料理の店に入った。比較的新しい感じのお店で、まだ時間が早いのかお客は3人だけ。もちろんみんなウイグルや。
この店はなんとクーラーが効いてた。トルファンでクーラーがある飯屋は初めてやったし、めっちゃ涼しくて生き返る様やった。
メニューは建萍に任せた。「うーん」と悩んでる横顔も素敵やった。
カラチャイという甘いお茶を飲んでると料理が運ばれてくる。
トマトベースのスープで、中に羊肉のワンタンが入っる。ピリ辛で美味しい。チュチュレと言うらしい。食べ終わると、建萍は更に料理を追加する。僕ももう少し食べたいと思てたとこや。
暫くして涼皮という「きしめん」の冷麺みたなものが出てきた。胡麻の風味とお酢が効いてて、つるんとした食感がたまらんかったけど後味は辛い。だんだん辛くなってきて、僕はチャイをおかわりする。クーラーは効いてたけど、汗が止まらんかった。建萍は平気な顔で食べてたわ。
「シィェンタイ、辛い、だめ」
「大丈夫やけど、汗が止まらんわ」
「あせ?」
「これこれ」
と頬を流れる汗を指差した。
「おー、汗ねー」
と言うて、バッグがらメモを出して書き加える。
そしたらついでにと、僕はいろんな日本語を教えた。建萍が中国語で書いた事を僕が日本語で言う。それをどんどんメモに書いていく。ただし僕の分からん中国語は身振り手振りで説明してたさかい、一つ追加するのに時間がかかる。僕らはチャイを追加して更に語句を増やしていった。
その一生懸命な建萍の表情は可愛かったし、美しくもあった。建萍がメモを書いてる間、その表情を眺めてたらいつの間にか見とれてしもてた。お腹もいっぱいになったし、ぼーっとしてたんやろか。なんとなく「幸せ」と思える時間が過ぎていた。
「シィェンタイ、これ、なに」
と言われて我に返る。そんなんが何回も続くし、建萍はその度に少しふくれてた。またその表情がたまらなく可愛く映った。写真を撮っといたらよかったわ。メモは4枚目が埋め尽くされそうになってた。
「建萍。日本人のお客、たくさん来るんか?」
「日本人、たくさん来る。夏、お客、たくさん来るね」
そうなんや。結構くるんや。今でもたまに日本人旅行客を見るしな。全てバックパッカーやけど。夏休みになったら、ツアー客でも来るんやろか。
「これ、お客の、違う」
「へっ?」
「これ、シィェンタイ、もっと、たくさん話す、したい」
そうやったんや。仮にウソでも嬉しかった。でもそれはウソやないと、建萍の表情を見て確信した。それほど真剣な目やった。それを見てたら僕は関西弁を教えたくなってしもた。
そろそろ店も混んできた。地元のウイグル以外にも観光客の漢族もぞろぞろ入ってくる。僕らは店を出ることにした。
快適なクーラーに慣れてたせいもあるけど、千佛洞ほどでは無いにしろやっぱり外は暑かった。ここは地獄では無いけど「灼熱」と言う言葉がそのまま当てはまると思た。
そんな中を入り口まで歩く。弱いけど風も吹いてきた。朝とは風向きも変わり涼しい風でも無かった。風はムッとするほど暖かく、しかも砂が少し混じってるんが分かる。
入り口で二人分の入場料2元を払い中へ入る。お金と引き換えに貰ったチケット片には、なんと日本語でも簡単に説明が書かれてた。ちょっと怪しい日本語で漢字は簡体字やった。
今から1400年ほど昔「唐」の時代に、仏教の真理を探ることを志し国禁を犯して旅立った玄奘(三蔵法師)はこの地を訪れ、ここに1ヶ月ほど滞在してる。バックパッカーの大先輩て言うたら怒られるかも知れんけど僕は玄奘を尊敬してる。目的は違うけど僕はこの旅を「玄奘が真の仏教を求めた行動」に准えてる。
その玄奘が立ち寄ったところに今自分が居るのかと思うと、とても感慨深いものがあった。
今、高昌故城に一歩ずつ入っている。なんや玄奘に会えるような気がして、僕は心も熱くなってきた。
つづく
続きを読んで下さって、ありがとうございました。
やっと高昌故城に来れた「僕」。玄奘に会えたんでしょうか。
もしよかったら、またこの続きを読んでやって下さい。
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