56帖 明日、僕はあなたと観光がしたい
今は昔、広く異国のことを知らぬ男、異国の地を旅す
コルマチョップを食べ終えた僕は、汗を拭きながらおっちゃんが戻って来るのを待ってた。
暫くして厨房からおっちゃんが出て来る。顔はニコニコしてた。ちゃんと言うてくれたか?
「大丈夫。大丈夫」
と言うて、僕の肩をポンポン叩いてきた。ちょっとわざとらしい笑顔が気になる。
建萍は厨房から出て来ると他のお客さんに料理を運び、そして僕のテーブルに寄ってくる。ドキドキしてきた。
建萍は少し下を向いてたけど、目が少し赤いのが分かった。
「建萍……」
「大丈夫。問題ない。ハハハ」
とおっちゃんは笑ってる。でも建萍は黙ったままや。僕の向かいに座ってるおっちゃんは、食べるのをやめてテレビの方を向く。気を使こてくれたみたい。
「えーと、建萍。那个人是、宾馆的服务员(あの人はホテルの従業員です)」
これぐらいしか言えへん。もっと中国語が話せたらと思うと悔しくなる。
その言葉の足りなさを補ってくれたんやろか、おっちゃんがウイグル語で何か言うてる。建萍は小さく頷いてた。まるで幼子が諭されるように。
僕もなんか言わなあかんと思て、
「建萍、重要(大切)です」
と言うと、建萍は顔を上げて僕を見てくれた。顔には涙の跡があった。
誤解とは言え、辛い思いをさせてしもたんやと胸が痛む。
「ごめん」
と言う。すると建萍は小さな声で、
「ヨウメイヨウ、ドゥイシィァンマー?」
と言うてきた。
あっ、これ。この前葡萄棚で話してた時も言うてた……。あかん、意味が分からん。どう返事したらええんや?
と思てたら、おっちゃんが「没有」と耳打ちしてくれた。
「没有!」
と言うと、今度はさっきより大きな声で、
「シィァンシェンファシーマー?」
と建萍に言われた。僕は思わずおっちゃんを見てしもた。おっちゃんは、声を出さずに口だけ動かして教えてくれた。そのまま言うたらええねんな。
「シィァンシェンファシー」
建萍の表情は少し緩んだ様に見えた。そして、
「ウソは、ダメよ」
と言うてきた。
更におっちゃんは耳元で囁く。僕はその通りに言う。
「……」
「ルーグゥォウォ……」
「……」
「サーフゥァンデェァファンラン……」
「……」
「ウォスードウハアン」
そう言い終わると、建萍はクスクスと笑った。
何を言わされたんやろうと僕はちょっと不安になる。なんかの呪文やろか。
それでもやっと機嫌を直してくれたんが僕にとっては嬉しかった。
ホッとしてたら、向かいに座ってたおっちゃんがテーブルをポンポンと叩き、テレビを指差してた。
僕はテレビを覗き込む。建萍もおっちゃんもテレビの方を向いた。
そのテレビにはなんと、僕と多賀先輩が映ってた。先日の列車に乗ってた時の映像や。僕は「中日友好」と書いた紙を持ってフザけた事をしてる。
今日が放送日やったんや。日曜日の夕方って教授が言うてたな。もう夜やけど。
それを建萍は見入ってた。時々笑いながら。
おっちゃんにはめっちゃウケてた。ちょっとわざとらしい笑いやったけど、雰囲気を盛り上げてくれてるんやと思た。店の客もみんなテレビを見て笑ろてた。
ナレーションで何を言うてたか分からんけど、その度にみんな僕を見て中国語で何か言うて笑ろてる。何を言われたか分からんし僕は照れ笑いをするだけやった。
建萍にも「面白いー」みたいなことを言われた。
僕らの映像が終わり、別の映像が流れ始める。建萍は別のお客さんの対応にいった。
僕は汗をかいてたんと、この一連の騒動でめっちゃ緊張したんで外の空気を吸いたくなった。店も混んできたし、「9時にまた来るわ」と言うていっぺん店を出ることに。
建萍は何も言わんかったけど、笑顔で頷いてくれた。いろいろあったけど、建萍の笑顔を見るとそれだけで何故か落ち着いた。
外に出ると、空はすっかり暗くなってる。風が気持ちよく、汗がすっと引いていく。
僕は誰もいなくなった高昌市场(高昌市場)の隅に座り、食堂街の明かりをなんとなく眺めてた。
そう言えば……。あのおっちゃんに何を言わされたんか気になってきた。とんでもない事を言わされたんとちゃうやろかと、ちょっと不安になってしもた。また会うたら確認せんとあかんな。
それに明日はどこに行こかなと考えた。行きたいとこは柏孜克里克千佛洞(ベゼクリク千仏洞)と高昌故城ぐらいしかないけど、建萍はそれでええんやろか。他に行きたいと所とかあるんやろか……。
って考えてたら、ホテルに向かって歩いてる古沢さんを見つけた。まだトルファンに居たんや。
僕が立ち上がると、それに気付いて寄ってきてくれた。
「こんばんわ」
「おお、こんばんわ。今何処に泊まっているの」
「トルファン賓館です」
「へー。そこは高くない?」
「いえ、旧館のドミで1泊12元でしたわ」
「いいじゃん。僕もそっちに移ろうかなぁ」
「結構きれいですよ。是非来てくださいよ」
「そうだねー。ところで今日のバザールは行ったかい?」
「ええ、行きました」
「すごかっただろ。今日は月に一度の大バザールだからね」
「はい。けど、ちょっといろいろあって……大変でした。でも面白かったですわ」
「そうなんだ。因みにカシュガルのバザールはもっとすごいぞ。えーっと来週の日曜日だったかな」
「ほんまですか。楽しみにしておきます」
ホテルやイベントの情報を一通り交流する。これは旅行者の一種の挨拶みたいなもんかな。
それと、僕は建萍に言いたい事があって、旅慣れた古沢さんなら分かるかと思て聞いてみることに。
「ところで古沢さんは中国語って分かります?」
「ああ、日常会話くらいならねー」
「すごいっすね。そしたら一つ教えてもらってもいいですか?」
「いいよ」
「ありがとうございます。えーっと、『私は観光したい』って『我想去观光』ですよね」
「そうだね」
「そしたら……」
実は『私はあなたと観光したい』ってどう言うんか聞きたかったんやけど、なんか恥ずかしなってしもた。
「……やっぱええですわ」
そんな僕を見て古沢さんは急に笑いだした。あれ、なんで?
「いやいや、笑ってごめんね。女の子でも誘いたいのかなって思ってね」
「ええ、まぁ」
その通りや! やっぱむっちゃ恥ずかしいわ。
「そうなんだ。あるよねーそういう時。僕も昔よくあったよ。がんばってね」
「はぃ」
「えーっとそういう時はね、手っ取り早く言うと……」
とまぁ、簡単にレクチャーしてもらいましたわ。
その後、古沢さんの若い頃の旅のお話、特に女性関係の武勇伝を有難く聞かせてもらう。
一通り話を聞いて、それじゃって事で別れた。「武勇伝」の話が長すぎて、初めの中国語講座の内容は殆ど忘れてしもたけど。結構勉強になる内容やったんやけどね。
古沢さんと別れた後も食堂街を座って見てた。お客はどんどん減っていき、ひとつふたつと店の明かりも消えだした。
北京時間で言うところの11時前、建萍の店からお客が出ると明かりが少し暗くなる。もうすぐ閉店かなと思て店に行き、戸を少し開けて中を覗いてみる。
中には片付けをしてる建萍と、なんでか知らんけど短剣屋のおっちゃんがおって座ってテレビを見てる。
「おお、来たな」
「シィェンタイ……」
「えーっと……ただいま」
建萍は入り口まで来てくれた。もうすっかり笑顔になって。
「えー、明天(明日)、我想、和你、去观光(僕はあなたと観光がしたい)」
と古沢さんに教えて貰ろた様に言うてみる。建萍は何故かおっちゃんの方を見た。するとおっちゃんは「うんうん」と頷く。ほんで建萍はまた僕の方を見て、
「明天、わたしと、いきましょう」
と笑顔で言うてくれた。嬉しかった。
「ありがとう。一緒に行きましょう」
「はい、いきましょう」
「行きましょう」
なんか二人で盛り上がる。誤解も完全に解けたみたいでほんまに良かった。
と思てたらおっちゃんが口を挟んできた。
「明天、どこいく?」
へっ? ちょっと待って。さっきからちょくちょく関わってくるけど、
「おっちゃんは、誰? 何なん?」
と聞いてみる。おっちゃんは席を立ち、建萍の横に並んでニコニコしながら言うた。
「わたし、外祖父(お爺さん)」
なんと!
「ええっ、建萍のおじいさん!」
まじかーと僕がびっくりしてると、「外祖父です」と言いながら建萍は笑ろてた。
「わたし、おじいさん。建萍の、おじいさん。アハハハ」
二人で笑ろてる。建萍は「あなたは知らなかったのね」みたいな事を言うて、お腹を抱えて笑ろてた。なんとなく僕も一緒に笑ろた。
つまり僕のトルファンでの行動は、建萍のおじいさんにほとんど見られてたって事やね。なんとねー。そうーやってんやなー。ははは……。
僕は苦笑いしかできんかったわ。
まぁその後は真面目に明日の予定を相談する。柏孜克里克千佛洞と高昌故城に行きたいと伝えると建萍も快諾してくれた。ほんで明日の朝9時に、つまり北京時間の11時に建萍の家の近くでもある葡萄棚で待ち合わせることにした。
「そしたら、また明天」
「はい」
「おじいさん、さいなら」
「おお、さよなら」
「さよならー」
「ほな建萍、さいならねー。おやすみー」
と言うて店を後にした。
いろいろあったけど、なんかスッキリできて良かったわ。明日も楽しみになってきたし……。そやけど、今日は疲れたなぁ。
僕はグーと背伸びをして再びホテルに向かって歩きだす。
まだお客でいっぱいの店からは笑い声が聞こえてくる。今日のバザールの打ち上げでもしてるんやろか。
歩いて行くとその賑やかな声もだんだん小さくなっていく。
店を出た時は涼しかった風も、今は寒く感じる。突風が吹くと結構寒い。
そやけど建萍のあの笑顔を思い出すと、なんか心が暖かくなった様な気がする。
一人でニヤニヤしながら、ホテルへ帰った。
つづく
続きを読んで下さって、ありがとうございました。
いよいよ明日は「建萍」と遺跡巡りデートです。
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