42帖 雨の砂漠
今は昔、広く異国のことを知らぬ男、異国の地を旅す
吐鲁番(トルファン)の駅では結構な数の乗客が降りた。雨の中、僕らはバスターミナルに向かって歩く。
「なんで砂漠やのに雨が降ってんねん」
「そうですね、砂漠のイメージが崩れますよね」
「これは西今先輩の祟りとちゃうか」
西今先輩とは、我がワンゲル部の大先輩OBです。厳冬期の山行でも、西今先輩が参加すると雪ではなく必ず雨が降ると言われてた。因みに、ヒマラヤのトレッキングで50年ぶりに雨を降らせた伝説の雨男である。
「もしかしたら西今先輩、この辺に来てはったりして」
「あの人の力は侮れへん。1千キロぐらい離れてても効果あるからな」
「恐ろしい人ですね」
「そやけどむっちゃ寒いな。今の気温は何度や?」
「えーっと、気温は……11度ですわ」
「そら寒いわ」
雨に濡れて体の体温がどんどん奪われていく。風が吹くと、更に体感温度が下がる。冬山に居るみたいや。
また、4日ぶりに背負ったリュックは非常に重く感じて肩が痛い。緩い上り坂やったけど、たった数十メートルの距離が遠く感じられた。
バスターミナルでバスのチケットを買うて列に並ぶ。
今降りた列車の駅は、トルファンの市街地から遙か離れた山の中腹にある。だから周りには何にも無い。
チケット売り場のおっちゃんに街までどれぐらいあるんか聞いたら、60キロぐらいあると言うてた。バスやったら1時間ぐらいで着くらしい。
予想外の砂漠の雨。為す術もなく立ち竦んでる。僕はウインドブレーカーを着てるからまだましやけど、多賀先輩は綿のシャツだけや。
「カッパ着たらよろしいやん」
「面倒くさい」
そしたらしゃーないわな。濡れてもらおう。
20分も経つと、雨の跳ね返りで足元がドロドロになってる。僕は軽登山靴やから気にならんけど、多賀先輩は靴までグジョグジョや。寒いんやろな、多賀先輩は震えてた。けど、どうしようもない。
他の人も我慢してじっと並んでる。
待つこと40分、漸くバスがやって来た。
乗り込もうとしてると、何処からともなくアメリカ人女性の四人組がやって来る。バスを2時間も待ってたんやから先に乗せろと乘务员のおっちゃんと喧嘩をしだした。
確かに、このバスには全員は乗れへんから次のバスになるかも知れん。それやったら雨宿りしてんと並んどけやと思う。早く乗りたい気持ちもわからんでもないが、ここでゴネてもしゃーないやろ。で僕は、
「Take it easy」
と言うてやった。どうも諦めたみたいで列の後ろに並んだ。まぁ結局は全員乗れたけどね。
バスは猛スピードで坂を下って行く。
このトルファンという街は、海抜で言うと海より低い土地にある。近くにある艾丁湖(アイディン湖)の水面は、なんと海抜マイナス154メートルというからすごい。また、「トルファン」とはウイグル語で「くぼんだ土地」と言うらしい。つまりここは砂漠であり、海面よりはるかに低い土地と言う何とも奇妙な場所や。砂漠も来たこと無かったけど、海抜マイナス154メートルの土地で過ごすのは人生で初めての体験や。
雨が上がり、砂漠の中にオアシスが見えてきた。トルファンの街や。
砂漠を走ってる車はほとんど無かったんで運転手はかなり飛ばしたんやろ。まだ40分しか経ってない。結構早よ着いた。
バスは街の中心部、高昌地区のバスターミナルに到着。
バスを降りると何とも言えん雰囲気やった。雨のお陰で空気は澄んでる。
今まで過ごしてきた中国とはまた違った異国の空気が漂ってた。
トルファンの人口の70%は维吾尔族(ウイグル族)らしい。中央アジア系遊牧民族の末裔であるウイグル族はウイグル語を話すイスラム教徒。男の人は綺麗な刺繍をされた四角い帽子を頭に載せ、女の人は色鮮やかな模様の布を髪の毛に被せてる。
周りのお店の看板などを見ても中国語の繁体字もあるけど、ほとんどがウイグル語のアラビア文字で書かれてる。それだけでも、いよいよ来たなぁって感じや。
辺りを見渡しながら異国情緒を感じてたら、高校生ぐらいの少年が話しかけてきた。
「タクシーに乗りませんか」
なんと日本語やった。上海の記憶が甦ったわ。
乗れ乗れのれとしつこく言うてくる。見た目は怪しく無いし、気の弱そうな少年やったんでええかと思い、そいつと交渉した。
「お前、安いホテルを知ってるか?」
「知ってる知ってる。そこまで案内するから乗ってください」
えらい日本語が上手や。
「いくらや」
「うーん、5元で」
「高いは!」
「そしたら2元でいいです」
「よっしゃ。そしたら乗せてくれ」
交渉は成立したけど、どこにタクシーがあるんやろ? こんな若い奴が車を持ってるんやろかと少し心配になったが、次の瞬間にそれは全て解決した。
彼の言う「タクシー」はロバに荷車をひかせたロバ車やった。初めて見るロバ車やけど、なんか砂漠に来たんやなぁという実感が湧いてきた。面白いからそれに乗る。
最初に行ったホテルでは、彼が値段交渉をしてくれた。
「一泊30元だそうです」
「どうしますか、多賀先輩」
「あかん、高いわ。もっと安いとこ行ってくれ」
「わかりました、遠いですけどいいですか?」
「安かったらええよ」
と言うことで、またロバ車を走らせた。自転車に追い越される事もあるが、街の風景をのんびり見ながら行くのは楽しい。
5分ぐらい行った所に高昌市场(高昌市場)と言う小さな市場があって、その横の「吐鲁番饭店」(トルファン旅館)で交渉してくれた。
「ここは一泊16元だそうです」
「多賀先輩、ここやったらどうですか?」
「まあ、ええんちゃう」
「じゃーここに泊まるわ」
「この後、すぐに観光に行きませんか。私がロバ車で案内します」
「すぐ行きますか?」
「しんどいなー。ちょっと寝たいから、4時にしよ。また4時にまた来てくれるか」
「わかりました。4時ですね」
2元を払って別れた。
旅館はそれほど綺麗というわけでもないけど、安かったんでええとしよ。
10人部屋のドミトリーで、既に2人がベッドで寝てた。
僕らも荷物を整理して、ベッドに横になる。
「あれ、多賀先輩。今まで気付かんかったけど、ギターはどないしはったんですか?」
「あれなー、列車の中に王ってやつ居ったやろ。あいつのハーモニカと交換してん」
「マジすか」
「ギターは大きいからな。邪魔でしゃーなかってん」
「やっぱり邪魔やったんや。そやけど北京で買うた3元のハーモニカはどないしたんですか」
「あれなー、王と一緒に吹いてたら壊れてしもてん」
「やっぱり安もんやったんですね」
そんな事を喋ってたらうとうとして寝てしもた。
「おい! 飯食いに行こけ」
と多賀先輩に起こされた。2時を回ったとこや。
外へ出てまず目の前の高昌市场を見ることにする。
トルファンに着いた時は雨で寒かったのに、いつのまにか太陽はギンギンに照ってて、めっちゃ暑くなってる。僕のウエストバッグについてる温度計の目盛りが30度を越えてた。さすが砂漠やなあと思た。
市場は旅館を出てすぐにある。果物や野菜、肉や日用雑貨までいろんなもんが売ってる。北京のお店と違ごて売ってるもんもウイグル風や。
そんな中で僕の目に付いたんは「干し葡萄」。僕は干し葡萄が大嫌い。ラム酒づけの干し葡萄が嫌いなだけで、葡萄そのものは好き。ところがここで売ってる干し葡萄は、ほんまに干しただけの葡萄やった。3、4粒試食させてもらったけど結構美味しかった。「後で買に来るわ」と言うて市場を出た。
市場の隣にある食堂街に行く。数ある店の中で、ウイグル人がやってる店に入る。
メニューは分からんかったんで、他の人が食べてるやつを僕らも頼んだ。
ビールも頼むと、新疆啤酒(新疆ビール)というのが出てきた。これがなかなか美味しくて日本のビールの味に似てると思た。そもそも既に日本のビールの味を忘れ掛けて中国製のビールに慣れてしもてる……。
出てきた料理は、トマトやピーマン、羊の肉が入った焼きうどんの様なもんで、ピリ辛で美味かった。いや、結構辛いぞ!
「ヒィー、この後どうします?」
「ヒィー、そうやなあ。とりあえず今日はゆっくりしよか」
「ヒィー、そやけどあのロバ車の少年は4時に来るでしょう」
「ほんまに来たらヒィー、あいつに乗してもらってゆっくりと観光でもしよか」
汗がダラダラ出てくる。
「ですねヒィー。そやけどめっちゃ辛いですね」
「後から来るなー」
「僕は、社会の時間に習った『カレーズ』を見てみたいですわ」
「何やカレーズって。美味しいんか?」
「アホなこと言わんとって下さい。カレーズは地下水路のことです。カナートとも言いますが、砂漠には川が無いっていうか……川が干上がってしまうんで地下にトンネルを掘って、そこに山から水を引いて流してるんですよ」
「そうなんや」
「授業で習ったと思うんですけど……」
「そんなん知らんなー。そやけど面白そやな」
「オアシスごとにある言うてましたね」
「なるほど。そしたらそれ見に行こうかヒィー」
食べ終わって店を出る。隣の店をちらっと覗いたら、めっちゃ美人の女の人が居った。日本の女優に似てる! 名前は、確か……。あかん思い出せん。
晩御飯はこっちの店で食べよと思た。
市場でおやつ代わりに干しぶどうを1元分だけ買うてホテルに戻る。
まだ4時前やったのにロバ車タクシーの少年はちゃんと旅館の前で待っててくれた。
つづく
続きを読んで下さって、ありがとうございました。
これから砂漠の旅が本格的に始まります。次回はそれまでの「束の間の休息」を書く予定です。
もしよかったら、またこの続きを読んでやって下さい。
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また、感想や評価など頂けましたら、大変うれしく思います。
今後とも、よろしくお願いします。