34帖 行き違い
今は昔、広く異国のことを知らぬ男、異国の地を旅す
5月27日、月曜日。
早朝の北京は、風も爽やかで気持ちがええはずやった。
と言うのんは、寝不足と不安で僕は全く何も感じてへんかったから。
今朝は出発が早いんで、昨晩は二人とも早く布団に入ったが……。
僕らが寝ようとしてたら服务员(従業員)が部屋にやってきて、中国語で何かぶつぶつ言うきた。もちろん何を言うてるか分からんかったけど、たぶん今日のチェックアウトの事やと思て
「明天(明日)、早晨(早朝)」
と適当に返しといた。
その後、電気を消して早く眠ろうとしたけどやっぱりミョンファの事が頭にあって眠れんかった。
寝ながらも、結局のところ悩んでしもて頭は冴えていた。
僕の最終目的地はイラクや。その意志は固い。例え北京に残ったとしても、僕には何もできへん事は分かってる。それならすぐにイラクを目指すべきか。でもミョンファも悲しませたくないというのもある。日本に戻るという朴君の提案も今の僕には受け入れ難い。ほんならもう少し北京に居て出発を遅らせるべきやろか。果たしてそれがミョンファにも僕にもええことなんやろか。それとも逆にどんどん先に進むべきやろか……。
そんな感じで考えとったら無限ループに陥ってしもて、ほとんど眠れてなかった。
それでもウトウトしてたら起床の時間になった。
荷物を運び、宿泊の精算を済ませる。勿論、宿泊料金は前払いなんで追加料金は一切無し。一応、今日は部屋が空いてるか聞いてみたら、空いてるとの事。
僕は旅館の外に出て『玉泉路饭店』の看板を見返した。毎日見てた看板や。そう思うと愛着もあって名残惜しい気もする。
多賀先輩と地下鉄で北京駅に行き、外国人専用待合室に荷物を置きに行く。
今からパキスタン大使館に向かうんやけど、どうも9時に間に合いそうにない。仕方なくタクシーで向かうことに。
タクシーで行くと、パキスタン大使館には間に合うたけど12元もかかってしもた。
1時間ほど待たされて無事にビザをゲットできた。しかもタダやった。
朴君の店に行くにはまだ時間も早いので、大使館のインフォメーションコーナーでパキスタンの情報を仕入れる。いくつかのリーフレットが並べてあり、ペルシャ語や中国語、英語で書かれてた。取り敢えず中国語と英語で書かれてるリーフレットと地図を一つ貰ろた。
そろそろ昼飯を食べに行こかという事で、朴君の店に向う。
なんか心臓がドキドキしてきた。
僕はまだ結論が出てなかった。どうにでもなったらええとも思った。出発できる準備は整ってる。
あとはミョンファの顔を見て「その時思った方に従おう」と決めた。
ビクビクしながら朴君の店に近づいてみると、もう11時を過ぎてるし、いつもやったら開いてるはずやの店のドアはまだ閉まったままやった。
風邪でも引いたんかなと考えてみたけど、ミョンファも居るしおじさんおばさんも居るから変やと思てた。
店の前まで来たけど、やっぱりドアは閉まってた。しかも人気も何もない。
朴君やミョンファを呼んでみたが全く反応もない。
「北野、張り紙があるぞ」
「えっ」
多賀先輩が見つけてくれた店の立て看板に貼ってある紙を見る。
『临时歇业』
「なんて書いてあるんや? 読めへんぞこの字」
「一番上の字は「臨」ですわ。二番目の字は時間の『時』。次の字は分かりませんが、4番目の字は生業の「業」です。ということは……」
「これて臨時休業っていうことか?」
「そうみたいです」
なんとまあ臨時休業や。
どうしたんやろ。何で店閉めてるんやろ。朴君は? ミョンファは何処に行ったん。
横を見ると、いつも朴君がシシカバブーを焼いてた窓ガラスにも張り紙がしてあった。張り紙というよりも手紙や。
ひらがなで書いてあるところを見ると朴君が書いたやつや。
『多賀さん 憲太さん わたしタチのおじいさん、病がワルクなつたので吉林に归リます。いつもミセに来てくれて、ありがとうございました。とつてもたのしかつたです。キをつけていつてください。またミセに来てください。憲太さん、明華には、はなしました。また来てください。再见。春穆』
と書いてあった。
「朴君ら、行ってしもたんやなぁ」
「そうですね。こんな事ってありますか……」
なんてことや。おじいさんの病状が悪化したから吉林省に帰ったてか。それはしゃあないとしても、タイミングが悪い。悪すぎや。最悪やな。
僕は唖然とした。自分の情けなさに打ちのめされて全身の力が抜けていくのが分かった。
すると多賀先輩は、ミョンファの手紙があるでと言うてくれた。
窓枠の下の方に、小さい紙が貼ってあって、メッセージが書いてある。
間違いなくミョンファのものや。
『憲太 キライ デモ 我真想见你 ダイスキ 明華』
と書いてあった。
そうか。「キライ」って、やっぱりミョンファは怒ってたか。今日の事、黙ってたもんなぁ。ほんまに情けない奴やな、僕は。
こんな事に成るんやったら、ちゃんと言うとくべきやった。ミョンファがどんな反応するか怖かったし、多分ミョンファやったら泣いてしまうやろから、それにビビって言えんかった。僕はアホや。
次の中国語は何のことか分からへんけど、最後に「ダイスキ」と書いてある。「キライ」で「ダイスキ」。どういう事や?
でもどっちにせよ、ちゃんと自分の口から言わなあかんかった。
それがせめてものミョンファに対する誠意やと、今頃気付くか。
僕は今からでもミョンファにちゃんと話したい。会って話したら分かってくれるんやないかと思た。
その可能性は……ちょっと待てよ。もしかして?
僕は背負っているサブザックの中から「全国铁路列车时刻表」を取り出した。もしかしたらまだ列車に乗ってなくて、今から北京駅に行けば会えるかも知れんと少し期待した。
僕は慌てて時刻表をめくる。朴君は吉林省の蛟河市に実家があると言うてた。蛟河市は长春市(長春市)の先にある。京哈线(京哈線)の列車の時刻を調べる。长春行きがあったけど、それは夜に出るしたぶん違う。次に朝から順番に列車の時刻を見る。长春方面の列車は出てない。北に向かう列車で一番早いのは……11時35分の沈阳北(瀋陽北)行き。時計を見たら、11時18分。今からタクシーをぶっ飛ばしたら間に合うかも知れん。上海駅でも列車の発車時刻が遅れたし、この列車もなんかの理由で遅れてたら間に合うかも……。
そう思って僕は多賀先輩に提案する。
「今すぐ北京駅に行きましょう。もしかしたら会えるかも知れません」
「うーん……」
多賀先輩は黙り込んで、いつもと違う真剣な顔をしてた。
そして、いつも通りニヤっとした笑顔で言うた。
「北野、諦めろ。駅に行ってもたぶん会えへんと思うで」
「でももしかしたらこの列車に乗るような気がします」
「前に北京駅に行った時に中も覗いてみたけど、めっちゃ人多いし、見つからへんで」
「そやけど……」
「それに、あの貼り紙見てみ。ちょっとしわしわになってるやろ」
僕は『临时歇业』と書いてある張り紙を見た。露で湿ったような後がある。
「あれはさっき貼ったんとち違ごて、たぶん昨日の夜やで」
「……」
「そやし今から行っても居らへんって」
僕はもう一度、時刻表を見た。
22時07分発、吉林行きの列車があった。
僕は肩落とし天を仰いだ。
……そうや、昨日服务员が部屋に来たんも、何かの知らせやったんや。
もう行ってしもたんかぁ。
そやけど、今日北京を出発するって事を朴君から聞いたミョンファはどうも思たんやろ? 悲しんでたかな。どんな顔をしてたやろ。どんな気持ちやったんやろ。
と考えていたら、なんで昨日言わんかったんやと言う思いが再び湧き上がり、更に落ち込んでしもた。ちゃんと顔を見て言うたら良かったと悔やんだ。悔やんでも悔やみきれんかった。くそー!
「北野、取り敢えず駅に向かって行こか。俺らの列車の時間もあるしな」
「そうですね……」
僕らは地下鉄の駅に向かって歩き出した。
歩きながら僕は思った。
絶対に帰ってきたるぞ。そしてミョンファに必ず会いに来ると。
僕は振り返り、朴君の店を目に焼き付けた。
つづく
※ 我真想见你 = とってもあなたに会いたい。
続きを読んで下さって、ありがとうございました。
次回はついに北京を出ます。スピードを上げますね。多分……。
もしよかったら、またこの続きを読んでやって下さい。
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