30帖 昼餐会
今は昔、広く異国のことを知らぬ男、異国の地を旅す
5月25日土曜日。
昨日、一日中寝てたんで今朝は早くに目が覚める。多賀先輩はまだ熟睡中や。体が軽かったので少し外を歩いてみることにした。
二日ぶりに旅館の外に出てみると空気は乾燥して澄んでる。寒いぐらいひんやりしてたけど、太陽は眩しく今日は暑くなりそうな感じがした。
なんとなく旅館の敷地を一周して部屋に戻る。体調は大分回復したみたいや。
お腹は減ってるけど、多賀先輩はまだ熟睡中やし僕はもう一度寝ることにした。
多賀先輩のゴソゴソする音で目を覚ました。時計は10時を回ってる。
「おはよう」
「おはようございます。よう寝てはりましたね」
「そやなー、やっぱちょっと疲れが溜まってきてたんかなぁ。それで北野の調子はどうや?」
「僕は一日寝てたんでほぼ完璧ですわ」
「ほんなら、行くけ?」
「行きましょか」
と言うて僕もベッドから出て、身支度をする。
旅館を出て、いつも通り玉泉路の駅まで歩き、いつも通りに地铁(地下鉄)に乗って北京站(北京駅)に着いた。
今日の最初のミッションは、人民窓口でトルファン行きの切符の購入を試みることや。
北京站前售票处(北京駅前切符売場)に行ってみると、既に大勢の人民が並んでる。先日下見してた乌鲁木齐(ウルムチ)行きの窓口の列に並ぶ。
ここの切符売場は人民専用なんでほんまは外国人は切符が買えない。外国人と見なされると、容赦なく拒否されると聞く。
なので人民に成りすまして買うことになる。その為には、列車名と行き先を中国語で言うことが必須や。
セリフを紙に書いて練習することにした。
『五月二七号、69次特快列车、给我二张去吐鲁番的硬座』(5月27日、69号特急列車、トルファンまでの普通座席の切符を2枚下さい)
言えるかな?
「ウーユェアールシー……チーリー、リィゥシージゥツー……テェァスーリィェ……チゥー、ゲイヲーリャンヂャンチュリ……トゥールーファンダーインヅォ」
なかなか難しい。とにかく噛みまくる。並んでいる間何回も練習したけど大体発音がよう分からんので、間違ってるんかどうかも判らん。
それに中国語は「四声」という声調もある。隣にいる人民に読んで貰ろたけど、なかなか真似はできん。
そこで考えついたんはこれを紙に書いて渡し、後は適当に発音するという方法や。
待つこと1時間。やっと順番が回ってきた。
『五月二七号、69次特快列车、二张、去吐鲁番、硬座』
と書いた紙と260元を出し、待ってる間に練習した中国語で窓口に頼んだ。
一言二言、中国語で何か言われたけど笑顔で誤魔化した。すると、すんなり硬券切符2枚を渡してくれた。
僕らは「谢谢」と言うて急いで窓口を去った。
任務完了である。
「やった! 買えましたね」
「うまいこといったなあ」
あれ、多賀先輩は何かしましたっけ? まぁええけど。
「硬臥(二等寝台)予約の5元が無駄になりましたけど、買えましたね」
なんかめっちゃ嬉しいわ。
「これで大分お金が節約できたんと違うけ?」
「はい。415元が127元と5元になったんやから差し引き……283元、約七千円のお得ですよ」
「よっしゃ。これで月曜日に出発できるな」
「です、よね……」
一瞬、戸惑った。透かさず多賀先輩は言う。
「そや北野、わかってるやろな」
「はい……、大丈夫です」
多賀先輩は何の事か具体的に言わんかったけど、僕はミョンファの事やと悟った。
ちゃんと話しせなあかんとは思うねんけど、何時話すんかはまだ決心がついてへんかった。
今日のもう一つのイベントは、朴君たちと一緒に朝鮮料理のレストランに行くことや。
僕は何となくやけど、今日の食事会は朴君が仕組んだ「お別れ会」の様な気がしてならん。朴君はひょっとしたら何か期待してるんやろか。
それとも……。
いやいや、あんまり勘ぐってもあかんし失礼や。素直に楽しませて貰おうと考える様にした。
集合時間は2時なんで、時間的にはまだ余裕がある。
時間を潰す為に北京駅前の商店街をうろうろしたり、闇両替屋を探してレートはなんぼやと聞いたりしてた。
闇の両替屋はどうやったら見つけられるか。そのパターンは2つ。
外国人が居そうな所に行って、ぼーっと立ってると大概向こうから寄ってくる。
もう一つは怪しそうなやつを見つけてそいつの顔をじっと見る。目が合うて、もしそいつが闇両替屋やったら向こうからこっそり寄ってくるから面白い。
そんなことをしてたら、目の前で事件が起こる。
半袖半ズボンの欧米人バックパッカーと闇両替屋がレートの交渉をしてた。なんか途中揉める様なことがあったけど、闇両替屋の人民が妥協したのか話がまとまったようや。
そしてこっそりとお金をやりとりしていると、そこへ別の人民が割り込んできた。私服の公安やった。
その瞬間、闇両替屋はダッシュで逃げようとしたが制服の公安が走ってきて取り囲んだ。闇両替屋は暴れたけど取り押さえられて欧米人と一緒に連行される。と言う一幕があった。
さっきまでうろついていた闇両替屋たちはいつの間にか姿を消してた。一つ間違えれば、僕らもやばかったなーと思う。
僕らもその場からずらかる。そろそろええ時間にもなってきたんで朴君の店に向う事にした。
朴君の店まで来ると、ミョンファと朴君は既に店の前で待っててくれた。昼のお客は早くに捌けたらしい。
今日のミョンファのファッションは、白いブラウスに紺のタイトスカートで髪は下ろしてる。
薄くお化粧もしてて、薄紅色の唇が輝いてた。
肩から掛けた紺のバックが、大人らしさをさり気なく演出してる。
昨日まで少女っぽさとは違って少し色気が滲み出てる様な気がする。それはそれで何とも言えんええ感じや。
汽车(バス)に乗って、建国门大街(建国門大通り)まで行く。
通りに面した立派なビルディングにある一階の朝鮮料理のレストランに入った。
比べたら申し訳け無いけど、朴君の店「朝鲜风味餐厅(朝鮮風味食堂)」とは桁違いの雰囲気や。まぁ、朴君の店は大衆食堂やからね。
その分、料理の値段も結構しそうやった。
中に入ると朝鮮風の音楽が流れてて内装も綺麗で高級感がある。
すでに昼食の客はおらず、店に居るのは僕らだけやった。
4人で中央の丸いテーブルに座る。僕の隣にミョンファ。そして朴君、多賀先輩の順。
メニューについては朴君に任せた。朝鮮語でどんどん注文してくれてる。時々、ミョンファも口出ししてた。何を言うてるかは全く分からんかったけど、安心して任せられた。
注文が終わると、みんな沈黙してしもた。こうやって改まって向き合うと、畏まった感じがして緊張する。
僕は昨日、朴君が多賀先輩に言うてた事が頭を巡り、大切な事をまだミョンファに伝えられてへんという負い目を感じ言葉が出えへんかった。
そんな空気に耐えきれず、初めに口火を切ったのは多賀先輩やった。
「何みんな緊張してんのー。喋ろうや」
「ですよね。ミョンファ、なんか喋ってよ」
「えっ、別に、何も無いよ。こんな所で何喋ったらいいの?」
「ほんなら朴君、何んか喋ってや」
「えっ、何を、何を言おうかな」
噛んでもてるやん!
そうしてるうちに、ビールとコーラが運ばれてきた。
「取り敢えず乾杯しましょか」
と僕が言うと、「どうぞどうぞ!」「いえ、どうぞどうぞ!」と日本語で言うて、互いにビールを注ぎ合った。おっさんの飲み会かぁ!
ミョンファにはコーラを入れてあげた。
「はい! そしたら、朴君に挨拶してもらおか」
「そんなん言うたら雰囲気が余計に固くなりますよ」
「そやかて、一応言いだしっぺやしな。この昼餐会の主催者やで朴君は」
「そうですかぁ。そしたら、まあ、適当に干杯(乾杯)しましょう」
と言うて、朴君は立ち上がる。
頑張れ朴君、お兄ちゃん!
「では、えー。えーっと……」
「長いぞ朴君」
「早よしてー」
「はい。……この四人の우정(友情)に、건배(乾杯)!」
ええぞ、朴君!
つづく
続きを読んで下さって、ありがとうございました。
いよいよ宴会が始まりました。「僕は」どうするんでしょうか?
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