3帖 拳銃と切符
今は昔、広く異国のことを知らぬ男、異国の地を旅す
上海站の駅前のバス停で降りる。料金はなんと陳が払ってくれた。
安そうやったけど、一応「謝謝」(ありがとう)と言うとく。
駅前は結構広い。ロータリーには、バスとタクシーが数台止まってる。
広場には、列を仕切るための柵が設置してあって、駅舎の左端の「车票」と書いてある切符売り場に続いてた。
老若男女、大勢の人が並んでる列もあったけど、空いてる列もいくつかある。
空いてる列の柵には暇そうな男たちが数人腰掛けているだけで、今来た人は混んでる列に並んでる。
ロータリーの向かいには、大通りを挟んで商業施設が立ち並んどった。手前の歩道はたくさんの人たちが往来してて、露店も出てる。日本の駅前風景と然程変わりはない。
そやけど、やっぱりどこか古めかしく、ほんで懐かしい感じがする。鉄筋コンクリート造りのデパートや駅舎なんかもかなりレトロな雰囲気や。「上海站」という赤い文字だけの看板が更に懐かしさを醸し出しとった。
その駅舎の右端の一角だけ現代的なガラス張りになってる所がある。
「これが噂に聞く、外国人専用入口かぁ」
ホンマに噂を聞いたんやのうて、ガイドブックにそう書いてあっただけ。
入り口の手前には警備員が立っとって、出入りをチェックしてるみたい。金髪でド派手Tシャツの欧米系バックパッカーが自動ドアを通って中に入って行った。
僕らもそこへ入るのかと思いきや、多賀さんは素通りして大勢の列の方に向かって歩いて行く。
僕らは一応外国人やと思うんやけどなぁ。ちゃうちゃう、ここでは正真正銘の外国人ですわ。
そやのに多賀先輩は、人民たちが並ぶ列の最後尾に向かった。僕と美穂もついて行くと、陳もついて来る。
中国の一般の人のことを、僕たちは「人民」と呼んでる。「人民」=「中国の国民」という解釈が正しいかどうか判らんけど、人民服を着ている人も結構おったし、街中に「人民〇〇」とか「〇〇〇〇人民」って看板がやたらと目に付いてたんで、そう呼ぶことにしてた。
「さっき、めっちゃ可愛い人民(中国人の女の子)がおったでー」とか「あそこの人民(中国人のおじさん)におごってもろたわ」などと、敬愛の意味も込めて単数形で使用する。更に複数形として「人民たち」「人民ら」と言う、訳のわからん呼び方を用いることになってる。
この辺はどうやら多賀先輩の拘りみたいで、独自の言い方を作り出して旅を楽しんでいるんやと思た。多少の違和感があったけど、空気を読んで僕も従う。
言い出しっぺは多賀先輩やのに「さっきの中国人がな、いや人民がな……」と言い直してることが何回かあった。おもろい人やと思う。
「多賀先輩、外国人の切符売り場は、あっちとちゃうんですか?」
と外国人専用入口の方を指差した。
「あほぅ、あっちは高いんやで。そやし、人民らの窓口で買うんや」
それは知ってるけど、外国人やのに人民の窓口で買えるんかなぁと疑問に思た。
中国の料金には二重構造があって、人民料金と外国人料金が存在する。外貨獲得の為やと思うけど、外国人は基本、人民より高い値段で買わされる。公的に認められた「ぼったくり」や。
金額は大体2倍とか3倍程度が多い。宿の宿泊代、電車の運賃、観光施設の入場料などが対象で、電車の切符売り場の様に外国人専用の窓口が別の所にある。日本円や米ドルで請求される事もあるらしい。
そやから多賀先輩は、お金をちょっとでも節約する為に人民窓口で購入しようとしてる訳や。
僕らが列に並ぼうとしてると、さっきまで暇そうに柵に腰掛けていた男たちが急に寄って来る。
ほら来たで、来たで!
そして、わざとらしい笑顔で話し掛けてくる。
何を言うてるか中国語は分からんかったし、そいつらには陳が対応する。
陳に聞いてみると、どうやらダフ屋らしい。
中国は電車の切符も転売するのか?
当然高値で売ってるんで「没有必要」(いらん)と言うといた。陳も中国語で何か言うてた。
そいつらは、さっきまでの笑顔は消え去り、不服そうな顔で立ち去って行く。
仕事がないのんか働くのが嫌なんか、これで生計を立ててるとは、すごい奴らやな。
ひと段落したと思たら、今度は少し離れたとこでこっちの様子を伺ってた男が近づいて来る。さっきの男たちより年は上で、少し落ち着いた雰囲気がある。
なんとこの男は英語で話し掛けてくる。トレインとかチケットがどうのこうの言うとったから、こいつもダフ屋か?
「美穂、頼む」
「まかしといて!」
現役英語教師美穂、颯爽と登場。まだ2ヶ月やけど。
美穂は、流暢な英語で対応する。男は一瞬びっくりした様子やったけど、身振り手振りを交えて美穂と話す。
美穂の英語は結構きれいやと思う。そして早い。僕は半分くらいしか聞き取れへんかったわ。発音がいいんやろね。カナダに留学しとっただけのことはあるわ。
話が終わったとこで、美穂が翻訳してくれる。
「あなたたちの買った切符を、高値で買います。売ってください。できたら余分に買って、それを売って欲しい、って言うてはるわ」
なるほど。ダフ屋の買取部門やね、こいつは。これって分業システムなん?
当然、面倒には巻き込まれたくないし、そんな事して警察にでも捕まったら元も子もない。断るよう美穂に頼む。美穂とその男はしばらく英語で話し、そして男は立ち去った。
「どうやった?」
「あきらめたわ。それと北京に行きたいんやけどって聞いてみたんよう。やっぱり駅に切符は売ってないんやって。売り切れちゅうかぁ、あの人らが買い占めてるみたいやわ」
美穂は、向こうで腰掛けてるさっきの男を指差す。
「くそー、そう言う事か。でもなんで切符売り切れるんや。全席指定席か?」
「ええ商売しとんな、中国語勉強して俺もやろかなぁ」
「多賀先輩、そんなこと言うてる場合とちゃいまっせ。切符はどないするんですか?」
「うーん、そーやな」
「だから、駅に切符ないと言った」
誇らしげな顔で陳が会話に入ってくる。
「ほな、どないしたらええんや」
「私、知ってます。マフィアさんの所に、切符あります」
なにっ! 組織的にダフ屋をやっとるんか。そやけど上海のマフィアって、超やばいんとちゃうの。
「まぁ兎に角いっぺん切符売り場に行ってみるわ」
と言うて、多賀先輩は列を詰めた。
陳は時間の無駄やとでも言いたげな顔をしてる。
並ぶこと30分。漸く窓口に辿り着く。
とにかく遅い。僕の前のおばはん人民は窓口の人と長々と喧嘩しとった。ほんで切符も買わんと帰ってしもた。
次は僕の番。ガイドブックに載ってる中国語の例文を使こて、北京までの切符が欲しいと言うてみる。
すると窓口のおばちゃんは、
「没有(無いよ)」
と、一言だけ言うて終わりやった。
やっぱ無いんか。
隣の窓口に並んでいた多賀先輩もやっぱり、
「没有!!」
と言われとった。なんか怒られてるみたいやな。
結局、切符は買えんと美穂と陳が待ってる所へ戻る。
「あかんかったわ。無いて」
「やっぱり無かったんやぁ」
「多賀先輩、どないします?」
「そうやなぁ……」
「外国人窓口で買いますか?」
「それも癪に障るしなぁ」
「外国人の所でも、買えません。マフィアさんの所に行きましょう」
「大丈夫かいな。殺されたりせえへんかぁ」
「大丈夫、大丈夫。行きましょう」
それで切符が買えるんやったらええかなぁと思ってくる。もっと別の方法があったらええんやけど、思いつかんわ。
お昼の2時を回ったとこで気温もだいぶん上がってきて、疲れも少し出てきた。
あれ?
多賀先輩と美穂は、陳と一緒に歩き始めとる。僕はすぐに追いかける。
「えっ、行くんですか?」
「まぁ、しゃぁないわなあ」
やっぱ行くんや。また吹っ掛けられるで。
そやけど危な無いやろか? 上海マフィアって世界的に暗躍してたんとちゃうかったかな。
それやったら美穂は外で待たせておいた方がええな。でも一人やと逆に危険かな?
などと考えてる間に、駅向かいの喫茶店に着く。
なんや近いがな。
陳は中に入る様に手招きしてる。
「多賀先輩、入ります?」
「よっしゃ、入ろか」
ちょっと真剣な顔になってる。もとい、真剣な黒い顔や。
「暑いけど、美穂は外で待っとくか?」
「うーん、どうしよかなぁ……。そや、そこのデパートでも見てくるわ」
「そやな、それやったら心配ないわ。切符が手に入ったらそっち行くわ」
「うん、そしたら頑張ってね。危ないことしたらあかんで」
「わかってる。そや、もし1時間しても出てけえへんかったら警察行ってくれるか」
冗談のつもりで言う。
「うん、わかった。1時間後に警察やね。ほな後でね」
「おう、美穂も気ぃ付けてな」
大丈夫かな。ちゃんと伝わったやろか。
美穂は、デパートへ向かって歩きだす。後ろ姿もかわいいなぁと思って見惚れとった。身長160センチくらいのスラっとした容姿で、長い黒髪とヒップをゆらゆらさせてゆっくりと歩いてる。
美穂がデパートと言うてた「百货商场」と言う建物に入って行くのを見届ける。
入り際にこっちを振り返り、にこっと笑って手を振ってくれた。
萌えー。
僕は親指を立ててOKサインを出しといた。
喫茶店に入ると急な階段を登らされて2階へと案内される。階段を登るときに、1階をチラっと覗いたけど普通の喫茶店やった。お客は4、5人ってとこかな。
2階は客席やのうて、倉庫兼店員の休憩室みたいな感じで、机と椅子が5つ置いてある。
陳以外に2人おって、一人は喫茶店の店員風の若い男。もう一人は黒いシャツを着たちょっとやばめのおっさん。椅子に座ってこっちをじっと見とる。喋りはせえへん。
壁には服やエプロンが掛けてある。
その下にソファーがあって、横には飲み物が入ったケースや段ボール箱、銀色の一斗缶が積んである。
部屋の隅には大きな冷蔵庫が置いあって、その奥にドアが見える。もうひとつ部屋がありそうや。そこにマフィアのボスがおるんやろうか?
今のところナイフや剣、銃などは見つからへんかったんで、ちょっとだけ安心する。
陳に椅子に座れと言われたけど、いつでも逃げられるように階段に近い方の椅子に座る。
「今から、マフィアさんにお願いしてきます。少し待ってください」
そう言うて陳は、奥の部屋に入って行く。
初めから居った2人は何も喋ってこんかったんで、多賀先輩と話す。
「どうなるんですかねえ」
「うーん、大丈夫やろ」
「あっそうや。さっきの昼飯代、半分払ろて下さいね」
「あれ、払ろてへんかったけ?」
「何とぼけてるんですか、まだですわ」
「おかしいな、払ろたと思てたんやけど……」
「まだですわ」
食い気味に言い返す。言わんかったら払わんつもりやったんとちゃうやろか。この人、陳よりたち悪いで。
「わかったわかった、後で払うわ」
「絶対でっせ。忘れたらあきませんよ」
「大丈夫や。こう見えてもなぁ、貸した金は忘れんが、借りた金は忘れる性格や」
「あかんやんそれ」
まぁ冗談やと思うけど、一応メモ帳に書いとこ。
旅の出来事などを書き留める為のメモ帳を出して「多賀5千円貸し」と書いた。
それから10分くらいかな、多賀先輩としょうもない事を話してた。そしたら陳が奥の部屋から出てきてそのまま階段を下りて行く。ほんで直ぐに戻って来る。
「暑いから、これ飲んで下さい。そして、もうすぐ切符が来ます」
と言うてコーラの350ml缶を手渡し、また急いで階段を下りて行く。どうやら今度は外に出て行った感じや。
あいつ、逃げたんとちゃうやろな。
昼飯の時以来、何も飲んでへんかったし、喉がカラカラや。ちょっとぬるいけどコーラを飲む。
缶は日本と同じ赤いデザイン。漢字で「可口可乐」って書いてある。なるほどなーって感心しながら飲んだ。
ええっ!?
ぬるいコーラって飲んだことあります? 冷たいコーラは飲んだら爽やかやけど、ぬるいとやたらと甘く感じる。それに、日本のとは味が少し違って、ちょっと苦い様な気がする。
薬やでこれは!
余計に喉渇いてきたわ。
「多賀先輩、このコーラっていくらするんでしょうね」
「そやな、日本で100円やから、2元か。ほんで、ぼったくられて10元くらいとちゃうか」
「そうですよね。めっちゃ高いんやけど、まずうて飲めへんは」
「そうかぁ。俺はおいしいぞ」
やっぱ多賀先輩、あんたはすごい。こんなまずいもん、よう飲むわ。
それから、会話が無くなって時間だけが過ぎていく。
暑なってきて、喉が渇く。コーラを一口飲む。まずくて甘苦い。更に喉が渇く。またコーラを一口飲む。より一層、喉が苦しくなる。
これの繰り返しで、30分くらい時間が過ぎた。
僕は、
『あいつ、逃げたんとちゃうやろか。それか、ダフ屋から切符買うて、そんでもって更に自分らの利益を加算して僕らに売ろうとしてるんちゃうか。ところがそのダフ屋も切符持ってへん。持ってる奴を探し回って、ほんでこんなに時間かかるんとちゃうやろか』
などと妄想しとった。更に緊張と喉の渇きで、体はいよいよ限界に感じてくる。
陳、早よ帰って来んかい。
と思てたら、陳が別の男を連れて帰って来た。
「マフィアさんのボスです」
その男は中年の小太りで、日本のその筋の組織で言うと幹部くらいの風格や。男は僕らの向かいの椅子に座り、なんも言わんと切符を机の上に置く。なんと硬券切符や。
「これが切符です」
「ほんで、なんぼなん」
しんどくなってきたんで、早々にお金を払ろて外に出たい。
陳は立ったままで、机の切符を指差す。
「えーっと、100元です」
「100元? 切符には40元って書いてあるやん」
「ちょっと高過ぎるんとちゃう」
「いえいえ、マフィアさんの値段です。100元は安いです」
「100元はぼったくり過ぎやろ!」
多賀さんは怒鳴った。
そしたら幹部の男は、懐から紫色の袋を取り出し、それを切符の横にそれを置く。
ゴトッ!
その音から、袋の中身は何か容易に想像がつく。
これはやばい。ほんまにやばいんちゃうの。死ぬのは嫌やで。
今までにない緊張感が走る。
もうお金払って、さっさと出ようや。これ以上ゴネたら、お金払うだけでは済まへんようになるわ。
そう思って多賀先輩の顔を見ると、「しゃあないし払おか」って顔やってホットした。
「わ、わかったわ。100元払ろたらええな」
「はい、100元です」
「中国のお金でええんか」
「はい、人民幣でいいです」
上海港で両替した50元札1枚と10元札5枚を、そっくりそのまま机の上に置く。そして恐る恐る紫色の袋の横の切符を掴んだ。
「毎度ありがとうございます」
「毎度おおきにって言うんや! それから、このコーラはなんぼやねん」
陳は、幹部の男とこそこそ話す。
「コーラは、サービスです。マフィアさんのサービスですから、お金はいりません」
「高いコーラやのう」
そう言うて荷物を持ち、さっさと階段を下りた。
ああ怖かった。でもこれで切符ゲットや。命もあるし、これからも旅を続けられるわ。
多賀先輩と喫茶店の外へ出た。外の空気は涼しくて気持ちええ。解放されたからそう感じたのかも知れん。
外では、美穂が一人で待っててくれた。。
「おかえりー。切符買えた?」
「おお、買えたで。ちょっとぼったくられたけどな」
「でもよかったやん。結構遅いなぁって思ててん。もう少しで警察行くとこやったわ」
「そうか、ごめんな遅なって。それで美穂の方はどうやったん。何かええもんあった?」
美穂が心配するとあかんと思て、あぶなかったことには触れんように話を切り替える。
「ジャーン! これ買うてん」
なんと、紙袋から出てきたのは赤いチャイナドレス。光沢があって、金糸で花の刺繍がしてある。
「なぁ、ええやろ。試着したら、めっちゃ気に入ってん。安かったし買うてしもてん」
チャイナドレスを体に這わせて、見せてくれる。
「ええやん、かわいいやん。似合てるわ」
「うわー、美穂ちゃんええの買うたなぁ。後で着てみてや。写真撮ろうや」
「ああ多賀先輩! 僕が撮りますさかい」
なんか美穂をいやらしい目で見てたし慌てたわ。あ・か・ん・で、多賀先輩。
「僕の彼女やで」
って心の中で叫んだ。
そやけど早よ見てみたいなぁ、美穂のチャイナドレス姿。絶対セクシーやぞ。楽しみやなぁ。
どっか着替えられるとこないかなぁ。そや、駅行こ。トイレで着替えたらええわ。
「ほんなら切符も手に入ったし、駅へ行きましょか」
「よっしゃ、取り敢えず駅行って落ち着こか」
切符を手に入れられた事と、美穂のチャイナドレスのおかげで、さっきまでの不安と緊張が一気に消し去った。なんか楽しなって来たわ。
僕らは駅に向かって歩いて行った。
つづく
※中国語で、バスのことは「公共汽车」、列車のことは「火车」と言うらしい。
※その当時、携帯電話はあることはあったけど、平野ノラって芸人がネタにしてた様なでっかいヤツしかありませんでした。また、それを持てるのは一部の金持ちか一流のビジネスマンだけでした。したがって、喫茶店に入った僕とデパートに行った美穂とは連絡が取れないと言う状況でした。
続きを読んで下さって、ありがとうございました。
誤字・脱字等ありましたら、お知らせ頂けると幸いです。
また、感想など頂けましたら、大変うれしく思います。
今後とも、よろしくお願いします。