295帖 いつの間にやら完全包囲
今は昔、広く異国のことを知らぬ男、異国の地を旅す
昼食を食べ終わった僕らは、バザールを見て回る。いろんな店にちょっかいを掛けては店主と話しをした。
どの店でも、
「ジャポンから来たんや」
と言うとめっちゃ歓迎される。これも先にやって来てた日本の医療団のお陰やんな。チャイを飲ませて貰ろたり、食品を売ってる店では試食をさせて貰ろたりして、2時までミライとバザールを楽しんだ。
2時をちょっと過ぎたけど、タクシーを降りた公園へ戻り、ベンチに座る。
さっき、南に向かって飛んで行った飛行機は、轟音を残して次々と北へ戻って行く。果たして戦況はどうなってるのか、めっちゃ気になってた。
ほんまに、ここに居て大丈夫なんやろか?
実際にここArbilからも避難をしようとしてる人が居る訳やから、そのへんが気が気でなかった。
ほんでも隣に座ってるミライは、なんの心配もなさそうにバザールで貰ろた葡萄を頬張り、美味しそうに食べてる。それを見てると、そんな心配も忘れてホッコリするわ。
「フムっ。おにちゃんも食べる?」
「ああ、僕はもうええよ。さっき沢山食べさせて貰ろたし」
さっき、バザールの店先で一房貰ろて食べてた。
「それにしても、タクシーは遅いわね」
「そうやなぁ。あのおっちゃん、2時に来るて言うてたのに」
もしかして……、後部座席に忘れたカメラ3台とレンズ2本、売り捌いてトンズラしたか? 日本製やし高こう売れたんちゃうやろか……。
今度はそれに不安になりながら、葡萄を食べるミライの姿をボーっと眺めてた。
房から一粒ちぎり、口へ運ぶと中身だけを吸い込み、ほっぺたを膨らませて種だけ取り出す。そして徐ろに果肉を味わう顔は嬉しそうやった。それがまた可愛くて、見てて飽きへんかったわ。
ファーッ、ファーッ!
急に近くの道路でクラクションが鳴る。
そっちを見てみると、あのタクシーのおっちゃんが、窓から身体を乗り出し、後ろへ乗れって仕草をしてる。それを見てホッとしたわ。
疑って堪忍やでー。
二人で後ろに乗り込む。カメラはちゃんとあったし、おっちゃんは申し訳なさそうな顔で謝ってた。
「済まない。少し寝過ごしてしまったんだ」
「いえいえ。構いませんよ」
「次は、何処へ行こうか……」
「それより、今の戦況ってどうなってるか分かりますか?」
「ああ、大丈夫だ。問題ない」
問題ないって、ほんまかなぁ。
「そうなんですか……」
「よし。それならベースへ行ってみよう」
「行けるんですか?」
「おお、任せておけ」
そう言うとおっちゃんはタクシーを動かし始めた。
Halabja通りを走り、環状道路を2ブロック程進むと、3分程で市街地の直ぐ隣の軍事基地っぽい所へ着いた。
めっちゃ近くにあるやん!
建物の奥は荒れた土地が広がり、軍用車両が数台留まってる。まぁ見た目はタダの空き地やけど、既に出撃した後か、人は疎らやった。
「ここは元々、政府軍の基地だったんだ」
「そうなんですね」
「今は、Pêşmergeが使っている」
「へー、なるほど」
僕がタクシーを降りると、続いてミライとおっちゃんも降りてくる。
基地の隅っこには戦車が置いてあった。近寄ってよく見てみると、既に壊れた残骸みたい。履帯も切れてる。
ミリタリー知識を引き出して、どこ製の戦車か考えてみる。
すると、その横からおっちゃんが、
「これはソ連製だ。あっちのは中国製だな」
と先に言われてしもた。
「これは、ペシュメルガが使ってたヤツですか?」
「いや、これは政府軍が使ってたやつだな。ペシュメルガがやっつけたんだぞ」
そうなんやぁ。
その戦車の残骸の写真を撮ってるとサイレンが鳴り響き、救急車が基地から飛び出して行った。勿論マークは赤新月社。赤十字ではない。
前線で負傷した兵士やろか?
それを見ると、ここに居ったらあかん様に思えてくる。ほんで、タクシーに戻ろうとしてたら、兵舎の方から近寄ってきた兵士に声を掛けられた。
まずい。怒られるんやろか。もしかして、スパイ容疑でまた捕まるかな?
それには、タクシーのおっちゃんがクルド語で対応してくれた。その後、その少し年配の兵士は僕に話し掛けてくる。
「お前は、ジャポンか」
「はい、そうです」
「おお、良く来たな」
と、笑顔になって握手をしてくれる。
それで僕は、軍事秘密で教えて貰えへんかも知れんけど、Sarsankへ帰る為にも、今の戦況について訪ねてみる事にした。
質問をしてみると、そんな心配を他所に老兵さんはペラペラと話してくれる。勿論英語で。
老兵さんに拠ると、今、アルビルの南20kmの地点で戦闘が起こってるらしい。
昨日見た、砂煙がそうなんやろう。
更に、Kirkukからやってきた政府軍が徐々にこのアルビルの南東から迫って来てて、応戦中やとか。僕は、とっさに山で出会った村人の事が頭を過ぎった。
もしかして、あの砂漠の山の村で遭遇した政府軍はその先遣隊やったんかな。あの村の人達は、まだ洞窟に避難してるんやろか。ほんで、みんな無事なんやろか心配になってしもた。
それに、もう少し僕らの移動が遅かったら……、戦闘に巻き込まれてたかも知れんと思うとゾッとして、背筋が冷たく感じた。
更に老兵さんは語る。
今、北部のDuhokでは、Mosūlから侵攻して来た政府軍が間近に迫ってるとか。その隙きを突いて、ここからモスルを攻撃すれば何とか制圧できるらしいけど、ところが南東部の対応でそっちまで手を回せへん状態やと言うてる。と、思う。多分……。
敵も、なかなかやるな。うん! あれ?
老兵さんの話しをまとめると、つまりこの街は、いつの間にやら政府軍に完全に包囲されてるって事やん!
そんな話をしてると、ミライが僕の袖を引っ張ってくる。
「ねえねえ。サルサンクへは帰れるのかしら……」
心配そうな顔で聞いてくる。
そやし僕は老兵さんに、
「ここから、サルサンクやRaniaへは行けますか?」
と尋ねてみる。
「ダメだ! それは危険だ! 今はアルビルを出ない方がいいぞ」
「そうなんですか」
「そうだ。今、アルビルの郊外は大変危険だ!」
「では、アルビルは安全ですか?」
「ああ、アルビルは安全だ。我々が守っているからな」
そう言うと、老兵さんは自慢げに笑ろてる。
と言う事は、当分このアルビルからは出られそうに無いって事かぁ。
僕らは、お礼を言うてその場を去った。その間にも救急車が1台、基地からサイレンを鳴らして出て行く。
タクシーに乗り込むと、おっちゃんは、
「次は、何処へ行きたい?」
と聞いてくる。
僕はミライの顔を見てみる。そやけどミライの表情は、しんどいと言うか、不安そうな顔やった。
そやし僕は、
「そろそろホテルへ帰りたいですね」
とお願いした。
つづく
続きを読んで下さって、ありがとうございました。
戦況はますます悪くなってる様ですね。
もしよかったら、またこの続きを読んでやって下さい。
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今後とも、よろしくお願いします。