表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/296

29帖 兄と妹のぬくもり

 今は昔、広く異国(ことくに)のことを知らぬ男、異国の地を旅す


 喉が渇いて目が覚める。

 時計を見ると5月24日金曜日、7時を過ぎたところ。横では多賀が先輩が身支度をしてる。「おはようございます」と言いたかったけど声が出ん。

 体を起こしたら頭がむちゃくちゃ痛いのに気付いた。


「おお、起きたか」

「…………」


 意識は朦朧(もうろう)としている。


「北野、大丈夫か。顔赤いぞ」


 どうやら僕は風邪を引いてしもたみたい。


「ちょ……っと、しん……どいです……」

「お前、昨日ドボドボやったからな」


 そうや、濡れたまま何時間居ったんやろ。


「あかんな、今日はもうじっとしとけ。無理すんな」


 体もゾクゾクするわ。

 多賀先輩はリュックをゴソゴソして僕のベッドまでやって来る。


「これ風邪薬や。何か食べて、薬飲んで、今日は寝とけ。ほんで動物園は朴君とミョンファちゃんとで行ってくるし」


 あー、そうやった。今日は昼からみんなで動物園に行く約束をしてたんや。

 僕も行きたいー。

 そやけどこの体やったら絶対に無理そう。今拗らしたら来週からの移動に差し支えるかも知れんし……。いやいや、もう拗れとるわ。残念やけど今日は大人しく寝とこかぁ。


「多賀先輩……。みんなに、今日は行けへんし『ごめん』言うといて下さい」

「わかった任せとけ。その代わり、ちゃんと寝て治しとくんやで」

「はい。分かりました」

「ほしたらお大事に」


 と言うて多賀先輩は部屋から出て行った。


 僕はベッドから立ち上がろとしたけど、ふらついてまともに歩けそうにない。しょうがないんでベッドに腰掛けて窓から外を見た。雲ひとつないええ天気や。

 そやのに部屋の中は、むちゃ寒い。そっか、寒冷前線が通過したさかい気温が下がったんやな。


 僕はパキスタンでのトレッキング用に持ってきてたセーターをリュックから出して着込む。


 食べ物を買いに行くなんて到底無理やし、非常食のカロリービスケットを食べ、多賀先輩が置いてってくれた薬を飲んだ。そしてまた布団に入る。


 目を閉じた。頭は痛いけど、僕は昨日の事を思い出してた。



 ドボドボのままミョンファと公園に長いこと居って、そのあと足を怪我したミョンファを負ぶって朴君の店まで帰った。

 ミョンファはお風呂に入り、僕はおじさんにシャツを貸してもらって着替えた。

 熱々のチゲ鍋を食べ、高麗人参が入ったお酒を飲んで、多賀先輩と一緒に店を出た……。そやな。



 そやけどそこから記憶がない。

 頭がズキンズキンしてきてたまんらん。布団に入ってるのに寒くて震えが止まらん。

 もう1回あの暖かいチゲ鍋を食べたいと思てたら、そのまま眠ってしもた。



 夢の中でも昨日のことを回顧してた。ミョンファの屈託の無い笑顔。今にも泣きそうな悲しげな顔。そしてあの柔らいミョンファの唇の感触が……。それと背負って帰った時のミョンファの胸の柔らかさと暖かさが……、蘇ってた。


 柔らかい、そして温かい感触。うん?


 あれ、夢やない。ほんまに背中に柔らかいもんがある。しかも温かい。

 それとこの腕は……?


 僕は目を開け、反対側にゆっくり寝返える。


 びっくりした。目の前にミョンファの顔があった。


「ミ、ミョンファー!」


 なんとほんまもんのミョンファが添い寝をしてくれてた。


「あっ、おはよう。よく寝てたね。体は大丈夫」

「いや、おはようって……。なんでミョンファはここに居るん?」


 ミョンファは虚ろな目で話す。


「えへ。お昼にドゥォフゥァさんがお店に来てー、シィェンタイが熱を出して寝てるって言ってたから。だから、すぐに来たんよ。そしたらシィェンタイはずっと寝てたから……、私も一緒に寝てたの」


 一緒に寝てたって……。

 ミョンファは僕の首に手を当てた。


「もう熱は無いみたい。よかった。心配だったのよ」


 そういえば頭痛もなくなってたし体もそんなにだるくない。それより筋肉痛の方が辛かった。これはボートを思いっきり漕いだせいや。


「そうか。ありがとう。来てくれたんや。この通り元気になったわ。そやけどミョンファは大丈夫なん」

「私は大丈夫よ。寒くなかったから。だって……シィェンタイが……、ずっと抱いてくれてたから……」


 そんなんしてたな。もうずっと前の事の様や。


「そ、それならええねんけど……。ほんで足の方はどうなん?」

「それも大丈夫。まだ少し痛いけど、ここまで独りで歩いて来れたから。シィェンタイのお陰よ」

「そっか。僕はミョンファが元気やったらそれでええわ」

「ほんまおおきに。昨日、私……、嬉しかった……」

「あ……、僕も嬉しかったで。ありがとな」


 昨日の事を思い出したのかミョンファは恥ずかしそうに俯いた。

 早く風邪を治してミョンファとまた一緒に過したいと思う。あと3日しか北京に居れへんし……。


「それで……シィェンタイは何か食べましたか?」

「そういえば、朝ちょっと食べただけで何も食べてへんわ。ところで今何時?」

「えーっと、もうすぐ5時だよ」

「そっかぁ。一日中寝てたんやなぁ」

「うん。私が来てからも3時間ぐらい経つかな」


 そんなに寝てたんや、一緒に……。


「お腹空いてるやろ、何か買ってきてあげる」

「ああ、ありがとう」

「ちょっと待っててね」


 と言うて起き上がり、少し足を引きずりながら部屋を出て行く。

 まだちょっと辛そうやった。


 暫くすると、食堂で紫米红豆(ズーミィホンドウ)山药粥(シャンイャォヂョウ)(豆入りのお粥)を買うて持ってきてくれた。買うてと言うか、特別に作って貰ったらしい。言葉が通じると、何かと便利やな。


 ミョンファはそれをベッドの脇に置き、フーフーと冷ましながら食べさせてくれた。風邪引いてしんどかったけど、看病して貰えるなんてちょっとラッキーやと思た。


 食べ終わったら食器を返しに行って、ついでにお茶っ葉を買ってきてくれた。

 部屋にあるポットのお湯でお茶を入れ、それを飲みながら一昨日からの事を思い出して楽しく喋った。


 時計は6時を回った。


「そろそろ暗くなってきたで」

「そうやね。シィェンタイはまた寝た方がいいね」

「ああ、そうするわ」

「一緒に寝てあげようか」


 冗談で言うてる? 是非お願いしたいけど、


「ミョンファに風邪が伝染ると……あかんし、やめとくわ」


 と返しておいた。するとミョンファはちょっと大人びた声を出して、


「残念ねー。また今度一緒に寝よね」


 と囁いてきた。

 そ、そんなこと言うてしもたら僕は……。ミョンファは自分で何言うてるか分かってるんやろか? ちょっと焦ってしもたがな。


「そろそろ、帰った方がええんちゃう。ごめんやけど送って行けへんし」

「うん。そしたら、いっぱい寝て元気になってね。またお店に来て」

「おお、明日までになんとか治して元気になって行くわ。あっ、それと今日はごめんやで。動物園行けへんかったし」

「うんうん、気にせんといて。シィェンタイが元気になったら一緒に行こ」

「よし分かった。楽しみにしとくわ」

「うん、私も楽しみにしとく」


 良かった、ミョンファと一緒に行けそう。今日3人だけで行ってたらむっちゃ悔しかったわ。


「そしたら帰るね。早く元気になってね」

「ありがとう。気ぃ付けて帰ってや」

「うん」

 

 部屋を出る時、とびっきりの笑顔を見せてくれた。

 ミョンファの笑顔を見られただけでなんか元気になれる様な気がした。

 一応、薬を飲んで布団にもぐる。

 さっきの温もりは無い。

 ちょっと背中が寂しかった。



 多賀先輩が部屋に入ってきて目が覚めた。


「おかえりなさい」

「おお、大分良さそうやな」

「はい」


 取り敢えず今日のことは謝った。あと、ミョンファが看病に来てくれたことも話しておいた。

 ほんで多賀先輩はどうしてたんかと聞いた。


 午前中は商店街をぶらついて、昼に朴君の店で飯を食べたそうや。その後、朴君と二人でデートをしたと言うてた。この前、僕とミョンファが行った紫禁城(ズージンチォン)に行ったらしい。


「結構混んでませんでした?」

「そんな言う程でもなかったと思うで」

「ほな空いててよかったですやん。僕らん時は何も見れへんかったし」

「建物は映画で見たヤツと一緒やったなぁ」

「そりゃそうですわ。あそこでロケしてたんやから」


 多賀先輩は声のトーンを少し落として話を続けた。


「ほんでな。あの事、朴君に言うたで」

「あの事って何ですのん?」

「ほら、月曜日からトルファンに向かうってことや」

「あっ!」


 僕はちょっと焦った。まだミョンファには何も言うてなかったし。


「大丈夫や心配すんな。ミョンファちゃんにはまだ言わんといてくれて言うてあるし」

「そっか。ありがとうございます。ほんまどうしよかなぁ」

「そやけど、いつかは言わなあかんやろな」

「ですね。後はそのタイミングですわ」


 ミョンファに、いつ話そう?


「それか、お前は北京に残るか」

「うーん、実はそれも考えたんですけどね」


 そうなんよなー。残りたいねんけどなぁ。

 そやけど残ってもどうしようも無い、と言うことも分かってる。

 多賀先輩は話を続けた。


「その話しとったら、朴君はめっちゃ残念がってたわ」

「えっ?」

「どうもなぁ、北野とミョンファちゃんをくっ付けようと思てたみたいやで、あのお兄ちゃんは。まあまだ先の話やとは言うてたけど」

「ええ!」


 ど、どういうことやろ?


「もっと言うたら、中国の女子は二十歳にならんと結婚できひんから……」


 結婚!


「……とりあえず5年間、お前が日本に帰ってたらちゃんと仕事をする。それからミョンファちゃんを迎えに来る。ほんで日本に連れて行って欲しい、とまで考えてたみたいやわ」

「なんでまた、そんなことを……」


 そやけど理に適ってる。すごい、朴君。


「なんかなぁ、店が終わってみんなで晩飯食べてる時にミョンファちゃんは北野の事ばっかり話してて、めっちゃ気に入ってるみたいやって。ほんで、それやったらって朴君は色々考えたみたいやで」

「そうかぁ。朴君はそこまで考えてたやなんて……。朴君はホンマにミョンファの事を大切に思てはりますからねぇ」


 朴君は妹が大好きなんや。いやちゃう! ミョンファの事をめっちゃ大切にしてるんや。


「まぁそういうことや。ほんで明日やけどな、北野が元気になってたら昼飯にええとこ連れてってくれるって言うてたわ」

「ええとこ、ってどこですか?」

「本格的な朝鮮料理のレストランらしいわ。ほんで今日行けへんかった動物園は日曜日に行こって言うてたで。まぁそうなると最後の思い出作りやな」

「日曜日ですか。最後の日、ですよね……」


 先が見えてきた様な、そうで無いような。やっぱ僕の気持ち次第やろ。


 僕にとっては旅の目的を果たすことは重要や。その為にここへ来たんや。

 でもミョンファを悲しませる事もしたくない。

 そやけど朴君がそこまで考えてくれてるんやったら……、それでもええかとも思う。うーん……。


 それにしても朴君は偉いよな。そんな事まで考えてたやなんて。

 そんでなかったら、どこの誰ともわからんような外国人に妹とのデートを勧めへんわな。


 とにかくなんとかしよ。

 動物園では、ミョンファにちゃんと話する。辛いけど。


 僕の気持ちはちゃんと固まってるから。



 つづく


 続きを読んで下さって、ありがとうございました。


 これで「僕」は考えがまとまったみたいです。どうやって「ミョンファ」伝えるのでしょうか。


 もしよかったら、またこの続きを読んでやって下さい。


 誤字・脱字等ありましたら、お知らせ頂けると幸いです。

 また、感想など頂けましたら、大変うれしく思います。

 今後とも、よろしくお願いします。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ