286帖 ギャップ
今は昔、広く異国のことを知らぬ男、異国の地を旅す
西向きのベランダは、街の凡そ半分が見渡せる。
高いとこから見て分かったけど、どうやらこのArbilという街は、中心から放射状に道路が伸びてる様や。しかも同心円状にも道があるみたい。古の「軍事拠点」の街、日本で言うたら城下町って感じかな。
真下を見ると、Kirkuk通り沿いに、大きな建物が見える。そやけどその直ぐ裏手には、土レンガで出来た直方体の平屋か2階建て位の建物が多く見られる。一般の住居やな。
街の所々に木々の緑も見える。公園やろか、大きな緑地が幾つもある。それにモスクの高いミナレットの塔もあちこちに見えた。
キルクーク通りの先を見ると、街の中心には小高い丘があって、少し霞んで見にくいんやけど、お城みたいになってる。やっぱりここアルビルは城塞都市やったんかも知れん。時間があったら見に行ってみよ。
そやけど、さっきからずっと街に響いてるんは救急車のサイレン。姿は見えへんけど、2台か3台程走ってるみたい。やっぱり戦闘は激しいんやろか。
視線を南へ向けると、爆撃でもあったんやろか、Duhokで見た程酷くは無かったけど、街の一部が崩壊してる。
それに、どの位の距離かは想像できへんけど、郊外のかなり遠い所で黒い煙が立ち上がってる。それも何本も。あそこは今も戦闘をしてるんやろ。
ホテルの部屋の中は豪華やのに、一歩外へ出るとここは戦争中の国。そのギャップにめっちゃ違和感があった。
ボーっと眺めてたらミライの声が聞こえてくる。
「おまたせー」
部屋へ戻るとミライは、濡れてクルクルになったくせ毛を乾かしながらベッドに座ってる。
僕は、その姿を見てやっと気が付いた。
ミライが着てる服は、Sarsankを出てから毎日同じやった。肌着や下に着るシャツは何枚か持ってる様やけど、上着と言うか、黄色いKurdishのドレスと下に履いてるズボンの様なもんは着替えてない。
全体的に汚れてるって感じは無いねんけど、ミライの隣に座ってよく見ると、肩の所が少し解れてる。多分、車から投げ出された時に地面で擦ったんやろ。それに襟のとこのフリフリは、白さを失って少し汚れてる様な気がする。
当初は2泊3日の予定やったし、上着の着替えは持ってきて無かったんやと思う。
これはなんとかせなあかんと思い、
「ミライ、事務所へ行った後、服を買いに行かへんか」
「えっ、どうして?」
僕はミライが持ってた櫛を取り上げる。ほんでミライの髪をそっと梳きながら話す。ミライは嬉しそうな表情になった。
「そやかて、ずっと同じ服やから。たまには違う服も着て欲しいねん」
「あっ、そうだったわ……」
ちょっと悲しそうな顔で俯く。
「そやし後で買いに行こな」
「うん。ありがとね、おにちゃん」
髪を整えた後、ミライは鞄の中からスカーフと小さな手提げ鞄を取り出す。準備が出来たところで、僕らは急いでホテルを出た。
受付でパスポートの事務所の場所を聞いたら、歩いて30分は掛かるて言うてたし、タクシーで行く事にする。
Kirkuk通りに出る。少し北へ行った所に、一部がオレンジ色で塗られたちょっとボロいタクシーが停まってる。そこまで歩いて行き、運転手のおっちゃんに声を掛けた。
「乗れますか?」
「はい!」
窓を開けて寝てたおっちゃんは、びっくりした様に飛び起きると急いでエンジンを掛ける。昼寝中に申し訳ないと思いながらも、ドアを開けて乗り込むと、ミライが行き先を告げた。
そやけど僕は写真の事が気になって、
「まず写真屋さんに行かなあかんで」
と言うと、ミライは慌てて行き先を追加してる。
おっちゃんは、
「大丈夫だ。心配ない」
みたいな事を笑顔で言うてる。事務所の近くに写真屋さんがあるみたい。
走るタクシーの中から街並みを見てたら、ルームミラーに写った運転手のおっちゃんと目が合うてしもた。
「兄ちゃんは、中国人かい?」
陽気な感じの運転手のおっちゃんは、ニコニコしながら話し掛けてくる。
そやけど、中国人とよう間違えられるなぁ。
「いえ、ジャポンです」
「そうかい。ジャポンか。遠い所から来たんだなー。先月もジャポンを乗せて走ったよ」
「ジャポンは沢山来るんですか?」
「ああ、いっぱい来てたよ」
「そうなんや」
「みんなメディカルだったよ」
そうか。ボランティアの医師団がここにも来てたんや。
そんなんを話してるうちにタクシーは減速する。
「着いたよ」
5分も掛からんかった。窓の外を見ると、有名なアメリカのフィルムメーカーの黄色と赤の看板が目に入る。
「そこが写真屋で、ほら、向こう側がオフィスだ」
「分かりました」
ほんでお金を払おうとするとおっちゃんは、
「いいよー。ノーマネーだ」
と言うてる。営業中のタクシーに乗ったのに、それは悪いなぁと思て、
「ほんなら、次。また乗りますから、その時はちゃんと払いますわ」
「OK。それでいいよ」
タクシーから降りると、おっちゃんはクラクションを2回鳴らして去って行った。なんでタダにしてくれたか分からんけど、ええ人が居るもんやと嬉しくなったわ。
写真屋に入り、30分程で無事ミライの写真が出来る。写真を見せて貰ろて思わず吹き出した。
あは、あははっ。
「笑わないでよー」
「そやかて、めっちゃ緊張してるやん」
「だって……」
ちょっと拗ねてしもたかな?
「ごめんごめん。ほな事務所へ行こか」
「もう……」
「また僕がええ写真を撮ったげるから」
「ホントに?」
「ああ、任せてといて。可愛く撮るから」
そう言うとちょっと機嫌を直してくれる。ほんで道路を渡り、向かいの立派な建物へ行く。
建物の前には「Kurdistan Regional Government(クルディスタン自治政府)」という看板があり、その下にたくさんの事務所の名前が書いてある。その中に「Foreign Affairs Agency(外務機関)」ってのがあるし、多分ここで間違いないやろう。
「さぁ、行こか」
と言うと、ミライは少し緊張した面持ち歩き出した。
つづく
続きを読んで下さって、ありがとうございました。
ここは民族と民族が戦争をしてる国なのです。
もしよかったら、またこの続きを読んでやって下さい。
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