284帖 with my wife
今は昔、広く異国のことを知らぬ男、異国の地を旅す
エントランスのドアは自動で開いた。自動ドアなんてめっちゃ久しぶりやったし、はっきり言うてビビった。
やっぱりこのホテルは高そうやな。
床は大理石で白く光り、長い絨毯が歩く所に敷いてある。冷房が少し効いてて涼しい。
ロビーのソファーにはKurdish(クルド人)とは明らかに違う顔と服装の欧米人らしき男達が屯してる。
教授の言うた通り、外国人がおるなぁ。
へんな言い方かも知れんけど、久しぶりに見た外国人。僕からしたら、ミライは勿論、ここに住んでる見慣れたクルディッシュの人達も外国人やけど、ここでは欧米人を敢えて外国人として認識してしまう。Kurdistanに来て初めて御目に掛かるからな。
その外国人、と言うか欧米人の周りにはいろんな機材が置いてあって、その一つにテレビカメラや三脚があった。
ははーん。こいつらは欧米のテレビ局の人間やな。
どこの国のテレビ局か判らんけど、たぶんこの戦争の取材に来てるんやろ。大きな地図を広げて打ち合わせをしてるみたや。
あの地図。僕も欲しいなぁ。
そう思いながらカウンターまで辿り着くと、
「こんにちは。何処から来ましたか」
と、スタッフの兄ちゃんに声を掛けられる。ちょっと緊張してきたぞ。
「えーっと、Sulaymaniyahからです」
そう答えると、兄ちゃんは手を顔に当て天を仰ぐ。
「申し訳ない。あなたの出身国は何処ですか?」
そうか、そういう事か。Kurdish(クルド人)の服を着てたから不思議に思たんかな。
「ジャポンです」
「おお、ジャポンですか。ようこそクルディスタンへ。予約はありますか?」
「いえ。予約はしてませんが、部屋はありますか?」
「ええ、ありますよ」
やった。高そうやけど泊まれる。
「部屋はなんぼですか」
「一人ですか?」
「いいえ、二人です。妻といっしょです」
そう言うのは少し恥ずかしかったけど、ミライを連れてきた時に怪しまれん様にそういう事にしておく。でもそう言うてから、なんや恥ずかしい様な、嬉しいの様な、全身がこそばゆい感じに包まれた。
『妻といっしょです』
その言葉を思い出して一人でニヤニヤしてると、兄ちゃんと目が合う。めっちゃ恥ずかしかったわ。
そやけど兄ちゃんは淡々と、
「OK。どういったお部屋をお望みですか?」
と聞いてくる。
どういったお部屋? そりゃ決まってるやろ。
「えーっと……、一番、安い、部屋でお願いします」
足元を見られるかなぁと思たけど、兄ちゃんは快く引き受けてくれる。
電卓を出し、それで計算して出てきた金額は、
「1泊32USドルです」
えっ、32ドル! しかもディナール(イラクの通貨単位)と違ごてドル建てかいな……。
軽く混乱した僕。まず米ドルで請求された事で慌てる。直ぐに日本円に換算して考えてみる。32ドルやったら日本円で3200円位。さて、これが高いんか安いんか。
このホテル、星は幾つなんやろ?
そう言えば、イランでは15ドルとか50ドル位の部屋に泊まったな。そやけどイランは戦争をしてなかったしなぁ。いろいろ考えたけど……。
もう、よう判らん!
それよりミライは早よホテルに入りたいて言うてるし、ここでええわと思た。
「因みに、ディナールでも払えますか?」
「ええ、問題ありません。130ディナールです」
130ディナール? 昼飯代が11ディナールやったし、その約10倍かぁ。
ちょっと待てよ。1ドルを6ディナールで両替した事があったなぁ。という事は、ドルで払ろた方がお得やん。それに確かまだ1500ドル以上は残ってたと思うし。
「ほしたらドルで払います」
「承知しました。では何泊に致しましょう?」
「ちょっと待ってくださいね」
そう言うて僕はリュックを下ろし、外で待ってるミライを呼びに行く。
「ミライ。部屋あったよ」
「ほんとう。良かったー」
ミライを連れてカウンターへ向かう。相談して3日後にパスポートが貰えるやろし、ホテルの兄ちゃんには2泊でお願いし、64ドルを払らう。
パスポートを提示して宿泊表を書いてると、ホテルの兄ちゃんとミライが会話をしてる。時々兄ちゃんの驚いた声が聞こえてくる。ミライの顔を見ると微笑んでるし、僕の事を言うてたみたい。
僕の分を書き終え、宿泊表をミライへ渡すと、名前と住所をスラスラと書いてる。勿論、僕には読めへん。
それが書き終わると、303号室の鍵を受け取りエレベータで3階へ上がる。ミライはエレベータにはもう慣れたみたいで落ち着いてるわ。でも顔はニヤけてた。
「どんなお部屋かなぁ」
「まぁ、一番安い部屋やから、余り期待せんとってな」
そう言うても目は輝いてる。
それやったらもっとええ部屋にしたら良かったかな?
ハディヤ氏から預かったお金もある事やし、これにはちょっと後悔してしもた。
ほんでも部屋に入ると、
「わぁー、綺麗ねー」
とミライは喜んでくれてる。白が基調の部屋で、明るく清潔感はある。小さなソファーとテーブルがあり、その奥にベッド。向かいにはテレビがある。その横には鏡台が置いてあって、Sulaymaniyahで泊まったスイートルームに比べたらあかんけど……、至ってシンプルな部屋や。
一番安い部屋やし、こんなもんかな。
そやけど予想以上にミライは喜んで燥いでる。ここんとこ野宿ばっかりやったからな。
ところがシャワールームを見に行ったミライは少しがっかりして出てくる。
「おにちゃん。シャワールームは小さいよ」
「そっか。ごめんな。ここ、一番安い部屋やねん」
「そうなのね。でも、おにちゃんと一緒だから……」
と、笑顔を見せてくれる。そやけど、ちょっと期待を外したみたいで申し訳ない。
「そや。ミライ、シャワー浴びといでや。それからパスポートの事務所へ行こ」
「いいよ、このままで。直ぐに行きましょう」
「そやかて写真を撮るんやで。髪の毛もボサボサやし綺麗にしてから行ったら」
ミライの頭のくせ毛が砂でコテコテになってるんが気になってた。
「そうね。じゃぁ、急いで浴びるわ」
ミライが僕のリュックから自分の鞄を取り出してたら、ドアがノックされる音が聞こえてくる。
うん? 誰やろう。
僕はドアに近付いた。
つづく
続きを読んで下さって、ありがとうございました。
勇気を出して「with my wife」と言った「僕」。漸くホテルの部屋に入れましたが、ドアの外には誰が待っているのか?
もしよかったら、またこの続きを読んでやって下さい。
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