282帖 ジャポンへ行くよ
今は昔、広く異国のことを知らぬ男、異国の地を旅す
「ミライ、ごめん。取り敢えずホテルへ行かへん。それから考えよ」
と言うてみても、口を一文字に結んだまま下を向いてる。服の端っこを抓んで引っ張ってみるけど微動だにせえへん。
困ったなぁと思てたら、店の行列に並んでたおばさんが僕の事を怪しげに見ながら近寄って来る。ちょっと怖い顔をして僕の事をジロジロと見ると、ミライに話し掛けるた。
もしかして、若い女の子を誑かす変な外国人とでも思われてるんやろか?
そのおばさん、いや、おばさんは失礼かも。まだ20代後半って感じで、目は鋭くやっぱり美人。綺羅びやかなクルディッシュの衣装を纏い頭から大きなスカーフを被ってる。よく見ると小さい男の子の手を引いてた。
おばさんがクルド語で話し掛けるとミライは振り返り、それに応えてる。おばさんの目は、まだ僕を疑ってる様やった。
まずいなぁ……。
暫くミライとおばさんの会話が続く。次第におばさんの目から僕の疑いが晴れていくのんが分かった。ほんでその目はミライへの憐れみへと変わり、おばさんは今にも泣き出しそうなミライを両手で抱きしめ、頬擦りをし始める。
何を話してたかは分からんけど、なんかええ方に動き出してる様に思える。
すると、そのおばさんの旦那さんやろか、ビジネスマン風のイケメンクルディッシュ男性もやって来ておばさんと何やら話をしてる。それが終わると今度は旦那さんが僕に近づいて来た。
「えー、あなたはジャポンですか?」
おお、英語や。
「はい」
「こんにちは」
そう言うと握手をしてくる。旦那さんからは友好的な雰囲気が感じられてホッとする。
「あっ、どうも。こんにちわ」
「えーっと、私達はこれからドイツの知り合いの所へ行きます」
「ほほう」
「戦闘から逃れる為です」
「なるほど」
やっぱり外国へ避難する人が居るんや。あの街角で見た人達も国外へ避難するんやろか?
「あなたはこの子を連れてジャポンへ行くのですね」
そんな事を話してたんか。
僕は何の躊躇いも無く返事をする。
「はい。そうです」
「そうですか。ジャポンは平和だと聞いています。だからそれは大変良い事だと私は思います」
「ありがとうございます」
「でも、それは本当ですか? あなたは本気ですか?」
さっきと違ごて少し厳しい目で見られる。勿論僕はそのつもりやし、動じること無く、
「はい。僕は彼女と一緒に日本へ行きます!」
と、きっぱり言い切る。
すると旦那さんは僕の表情をじっと見定め、
「OK! 分かりました。あなたを信じましょう」
みたいな事を言うと笑顔に戻った。
旦那さんは少し考えてから奥さんと話す。ほんで今度は奥さんがミライを諭す様にゆっくりと語り掛ける。それを、ウンウンと頷きながらミライは聞いてる。
言葉が通じて、ちゃんと意思が伝えられるってええよなぁ。
と思う。まぁそれ以前に女の子、と言うかミライの気持ちをちゃんと考えなあかんのやけど……。
気が付くと、さっきまで行列に並んでた人達やろか、おっちゃん、おばちゃんらに僕らは取り囲まれてた。ほんで成り行きを見守るかの様に僕らのやり取りを聞き入ってる。
ミライが奥さんと話してる間、僕は僕なりに状況を整理してみる。食事の時の会話を思い出してみると、何となくミライの考えてる事が判ってきた様に思う。
僕が、「先に家に帰った方がええんとちゃうか」と言うた事でパスポートの取得が後回しになる訳で、結果的に「日本に連れて行かへん」とでも取り違えたんかも知れん。ほんまはそやないんやけど、話をしっかりと伝えられへんかったんでミライの機嫌が悪なったんとちゃうやろか?
英語でもクルド語でも、やっぱりちゃんと話せる様になりたいわ。
そのうち奥さんと喋ってるミライの表情が次第に変わってきた。チラチラと僕の顔も見てくる様になる。終いにはミライの顔から笑みが溢れてた。
二人の話が終わるとミライと奥さんは抱き合い、今度はお互いに嬉しそうにしてる。それを見た旦那さんが僕に話し掛けてくる。
どうやらパスポートの取得方法を説明してくれてるみたいで、写真を持って行かなあかんとか、申請から取得まで3日掛かるとか、旅券事務所はどこそこのエリアにあるとか、旅の備えはどうたらこうたらと事細かに説明してくれるんええねんけど、僕にはその説明の英語が聞き取り難かった。否、おっちゃんの流暢な英語を僕がしっかり理解出来へんかったと言うべきか。
やっぱり言葉は大切やなぁ。
とは思たものの、直ぐに身に付けられるもんでもないし、僕は分かったフリをする。えへへ。
まぁ、何とかなるやろう……。
ほんで一通り「レクチャー」が終わり、
「ありがとうございました。大変参考になります」
とお辞儀をしてお礼を述べると、旦那さんは僕の肩をポンポンっと叩き、そして両手で僕の頭を軽く押さえてくる。
えっ! 何?
ちょっとビビってたら、旦那さんはクルド語で「おまじない」の様な言葉を言い始める。日本で言うたら「お経」みたいな感じで、それが長々と続く。まるで何かの儀式の様や。
おまじないが終わると、
「はい。OKだ」
と言うて旦那さんは再び握手をしてくる。それと同時に周りで見てた人達から拍手が湧き起こった。
なんや、なんや! 何が起こったんや?
キョトンとしてたら、ミライがニコニコしながら寄ってくる。
「おにちゃん、ありがとね」
なんや訳が分からんけど、ミライの機嫌が良うなってる。
「うん。ええよ」
と、訳の分からんまま返事をする。
「おにちゃん。これからどうするの?」
「そ、そやなぁ。ほんなら取り敢えずホテルにチェックインして、それからパスポートの事務所へ行ってみよか」
「うん。わかった!」
僕は、間を取り持ってくれたご夫婦と集まってた人達に頭を下げ、ミライと共にホテルへ向かう。
「グッドラック!」
と、旦那さんが大きな声で言うてくれたんで、僕は軽く手を振る。周りで見てた人達も手を振ってくれた。
歩きながらふとミライを見ると、ニコニコして僕を見返してくる。
そして、
「私、絶対にジャポンへ行くよ」
と、新たな決意と言うか自信に溢れた表情で呟いてる。
「おお。僕がちゃんと連れて行くからな」
「うん。1日でも早くね」
そう言うミライの顔はめっちゃ嬉しそうやった。
「そやな」
「そして、おにちゃんのお嫁さんになるんだから」
えっ! もしかして、あの夫婦と話してた事ってそういう内容やったん? さっきの儀式みたいなんは一体なんやったん?
ちょっとびっくりしてしもたけど、もうミライを不安にさせとうは無かったんで直ぐに、
「おおきにな、ミライ」
と返すと、ミライは顔をくしゃくしゃにてより一層嬉しそうな表情で喜んでる。
めっちゃええ顔してるやん。怒った顔もほんのちょっぴり良かったけど、やっぱりミライの笑顔は最高や。
ミライの顔を見てると身体から余分な力が抜けていき、なんか僕も嬉しなってきた。ここがイスラム教の国やなかったらミライに飛びついてキスをしてたかも知れん。
そんなミライの笑顔に癒やされながら歩いてると、ホテルの前に着いた。よく見ると外観はちょっと古そうで、如何にも「安宿」って感じがする。
久しぶりのホテル。ちゃんとしたベッドで休みたいし、しっかりとシャワーも浴びたい。
まぁ部屋を見て、ミライが気に入らへんかったら別のホテルを探そ。
そう思て中に入ってみる。
ところが入って直ぐに僕は、
「これはまずいかな?」
と思てしもた。
ロビーは人で埋め尽くされ、壁際には大きな荷物が積んである。どう見ても観光で来た様な感じやない。
この人らって、やっぱり戦闘から避難して来た人達やろか? もしかして、部屋はいっぱい?
僕はそのままカウンターまで行き、部屋が空いてるかどうか聞いてみると、
「申し訳ない。今日はこの通り満室です」
と言われてしもた。予想通りと言えば予想通りや。残念やけど仕方がない。
そやし外へ出て、
「部屋無いねんて。別のホテルを探そか」
とミライに言うと、
「うん。まだまだホテルはたくさんあるよ」
と明るく返事をしてくれる。そやけど僕は少し不安を憶えた。
戦闘の状況が悪化してるんやったら、多分他のホテルもいっぱいやろ。
そう思いながらも明るく振る舞い、街の中心へ向かって歩き出した。
つづく
続きを読んで下さって、ありがとうございました。
一難去ってまた一難。まぁこのくらいだったら「僕」は何とするでしょう。
もしよかったら、またこの続きを読んでやって下さい。
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