276帖 砂に抗う
今は昔、広く異国のことを知らぬ男、異国の地を旅す
9月6日、金曜日。
目を開けると少し明るい空が見える。ミライを抱きかかえたまま、どうやら僕も眠ってしもたみたいや。
ゲホッ! 口の中に砂が入っとるがな。
口の中だけやない。鼻の中も耳の穴にも。頭を振ると砂が落ちてくる。体中が砂まみれや。
ミライの顔半分にも砂が積もってるし、息を吹き掛けて飛ばす。
「ミライ。目を覚まして!」
返事は無い。ミライをそっと岩にもたれさせてから立ち、砂を防ぐ様に目を顰めて辺りを見回す。
砂嵐?
空の低い所に白い丸いもんが見え隠れしてる。
あれは太陽か。
砂ではっきり見えへんけどもう陽は出てる。時計を見るともう6時半を回ってた。
この薄暗さは砂嵐のせいか……。ヤバいな。
なんとなくそう思た。もしかしたらこの砂嵐で迷ってリングワンダリングして彷徨ってしまうかも知れん。そやけどじっとしてたら増々砂嵐は酷なってくる様に思える。
「ミライ」
「……」
やっぱり返事は無い。そやし身体を揺さぶってもう一度呼ぶ。
「ミライ、起きて。大変や」
「う、うん。どうしたの……、おにちゃん」
「砂嵐や。ヤバいでこれ。眠たいやろけど、早よ出発した方がええわ」
「う、うん……」
寝ぼけ眼で身体の砂を払い、大きな布を被り直す。うまいこと巻いて隙間から目だけを出して立ってる。目は虚ろやけど、砂漠の民らしい逞しさが垣間見られた。
僕もバンダナを出して顔に掛け、リュックを担ぐ。
「ほんなら行くで」
「うん」
視界十数メートルの砂嵐の中を手を繋いで再び歩き始めた。
山頂を越えると風はより一層強く吹き付ける。風や砂から顔を背けて坂を下った。
下り始めて30分位で谷底に着くと、風は幾分ましや。谷底には車の轍がある小さな道が西から東へと伸びてる。僕らは道を横断してまた山へ入る。
尾根の上に出ると風はまたきつくなってる。風に吹き付けられると言うよりは、砂を浴びながら歩いてる感じ。喋る事も無く、ただひたすら「砂」に耐えながら稜線を歩く。
歩いても歩いても見えるんは砂だけや。
二人共喋る気力は残ってへん。そんな力があるんやったら、歩く方に力を注いで少しでも早くArbilに着きたい。
周りの景色は見えへんし、時々薄っすらと顔を出す太陽を見ては、とにかく北を目指して真っすぐ歩く。
幾つもの上り下りを繰り返しながら、この先にあるであろう山を目指す。
いつになったら2つ目の山を越えられるんや……。
疲れと叩きつけられる砂の苦痛に泣き出したい気持ちになった。
その度に、僕はミライの手をギュッと握りしめる。するとミライもしっかりと握り返してくれた。
ミライを守るんや。
一人やったら途中で萎えてたかも知れんけど、そういう気持ちが僕の足を動かし、砂に抗う。
ミライはもっと辛いはず。
そう思うとミライを引っ張る手に力が入る。ミライの存在が僕を歩かせ、そして死ぬかも知れん砂漠の砂嵐の中で、僕の生きる支えてになってた。
長い長い上りが続く。今にも気持ちが切れそうになった時、漸く峠を越した。
「よっしゃ、下りや」
振り返ってミライに声を掛けると、ミライはしゃがみ込んでしまう。
「大丈夫か?」
「……」
「休憩しよか?」
「うん」
そのまま地面に座り込んでしもたミライ。僕の身体で砂を遮り水を飲ませ、暫く休憩させたけど、ミライの顔からは歩くのは元より立つ気力さえ残って無い様な顔をしてる。
僕は悩んだ。
一刻も早ようこの砂嵐を抜けてアルビルのホテルに入り、ライを休ませたい。
そやけど、どうしたら……。
疲れ果てたミライを見ながら、この事態を乗り越える方法を必死に考える。
目を凝らして周りを見るけど、砂漠の山ん中には何も無い。
そやったらリュックを捨てミライを背負て行こか……。
と、考えた。そやけどこの先、何が待ち受けてるか分からんし装備は必要や。それにエイメンが危険をも顧みず必死に運んでくれリュックやし、ここへ捨てて行くには気が引ける。
どないしよ……。
ミライに少しづつ砂が積もってきてる。
それを見て僕は焦る。
急がな!
僕は意を決してミライを抱いて進む事にした。膝を着いて屈み、ミライの左手を首に回して腰と両足を抱える。
「えっ、えっ! おにちゃん……」
目を覚ましたミライは慌てた。
「まぁ、ええから。しっかり掴まっといて」
「うん」
次にミライを持ち上げてお尻を僕の膝の上に乗せる。ほんで気合を入れて飛び跳ねる様に立ち上がる。
やった!
なんとかミライを抱きかかえたまま立てた。ミライだけならまだしも、背中のリュックの重みがプラスされ足にかなりの負担が掛かってるけど、リュックとミライとで身体の前後のバランスはなんとか保たれてる。
そやけどこれからは下りやし、一歩足を降ろせば、『(僕の体重 + ミライの体重 + リュックの重さ) × 重力』の荷重が足に掛かってるく。それにどこまで耐えられるか不安やったけど、とにかく今は進むしかない。
そう言えば……。
2年前の冬、ワンゲル部で真冬に八ヶ岳は赤岳(長野県、標高二千八百九十九メートル)へ登った時の事を思い出した。
登頂後、ジャンケンで負けた僕は先輩のリュックも担いで下山した事がある。多分重量は僕のリュックを含めて60キロは軽く超してたと思う。
それに比べたらミライは担ぎにくいだけで、軽い軽い!
そう自分に言い聞かせて一歩ずつ踏み出す。歩みは遅いけど、じっとしてるよりはましや。
「おにちゃん。ごめんね」
「そんなん言わんでええで。こんなもん、どうって事あらへんで」
「大丈夫。重くない?」
「あはは。全然軽いわ」
それより砂で滑ったりしそうで、足元の不安定さの方が気になってしょうがない。もし前のめりにコケでもしたら一大事や。抱きかかえてるミライは怪我だけでは済まへんやろう。そやから慎重に、慎重に坂を下る。
ほんでもそれが裏目に出る事もある。
ドタッ。
「キャーッ!」
「ごめんっ」
慎重に歩き過ぎて逆に足を滑らせ、尻もちを着いた。まぁ、尻もちやし怪我は無いけど、ミライを怖がらせてしまう。
「せーの!」
で、足に渾身の力を入れて立ち上がる。これは結構堪えるな。
そやけど冬山の雪道に比べたらまだましや。
と自分を納得させて歩き続ける。そんな事が何回かあって、その度に僕の体力は余計に消耗していく。
ミライは顔を僕の肩に当て、両手でしっかりとしがみ付いてる。それだけでも腕の負担が減って楽に思う……、ことにした。
歩くにつれ、また別の不安も募ってくる。
ミライを前で抱えてるさかい身体を少し反らして歩いてる。そやし背中にはかなりの負担が掛かって、足の疲れよりもDuhokで痛めた背中の方がまた悪化せえへんかと気になってた。
もし腰が立たん様になったら、この先なんとも出来へん。自分の「腰」にバレん様に祈りながら歩いた。
つづく
続きを読んで下さって、ありがとうございました。
霧の中なら身体が湿るだけですが、「砂」の中は立っていてるだけでいろんな所に溜まってきて、それがかなり煩わしいです。
もしよかったら、またこの続きを読んでやって下さい。
誤字・脱字等ありましたら、お知らせ頂けると幸いです。
また、感想や評価など頂けましたら、大変うれしく思います。
今後とも、よろしくお願いします。