20帖 行け!紫禁城デート
今は昔、広く異国のことを知らぬ男、異国の地を旅す
僕は、地下鉄の东四十条站を出て、朴君の店に向かって歩いてる。
5月22日水曜日。
まだ8時過ぎやというのに、今日の北京は暑い。
空は雲ひとつ無い晴れやのに、空気は霞んでる。昨日から黄砂が降ってるから?
大通りは、大勢の人民たちが自転車で勤務先へと向う。自転車通勤ラッシュや。
乗用車や路線バスも埃を巻き上げながら走ってる。
幼い子の手を引いて歩いてる人民。二人もの子どもを荷台に乗せて自転車を漕いでる人民。
その人達と同じ方向に僕は進んでる。この先に幼稚園でもあるんやろか。
通勤の銀輪部隊を避けながら通りを進む。世間は平日で、これからみんな一生懸命働くんやなと思うと少し後ろめたい気持ちになる。
9時の待ち合わせにはまだ余裕があるんで、僕は通り沿いの公園で時間を潰すことにした。
ベンチに座って、汗を拭う。今日は暑なりそうや。
気温は20度を超えてるんやろか? 何よりジメッとした空気が体にまとわりつくのが鬱陶しかった。北京はもっと乾燥した所やと思てたのに。
それでも心は晴々として、めちゃウキウキや。
そう、今日はミョンファちゃんとデート。
コースは、天安门(天安門)や故宮がある紫禁城。別にどこでもよかったんやけど、咄嗟に出てきたんがそこってだけや。ミョンファちゃんと一緒に話ができたら何処でもええわ。
そやし細かい行き先は、ミョンファちゃんに選んでもらおうと思てる。
わいわいキャーキャー、賑やかな声が聞こえるんで後ろを振り向いたら、茂みの向こうに幼稚園があった。
園庭で遊んでいる子どもたちが騒いでる。男の子は幼い感じやけど、女の子は男の子よりも少しマセてるように見えた。同じ歳やろうけど大人しくて「お姉ちゃん」みたいな感じ。
僕は、ミョンファちゃんが幼稚園の頃はこんな感じやったんかなと、勝手に妄想してしもた。めっちゃ可愛い。
待ち合わせの時間には早いけど、そんなこと思てたら居ても立っても居られん様になる。僕は朴君の店に向かって歩き出してしもた。
暫く歩くと、自転車通勤の人民の隙間から白いシャツを着て立っている少女が見えた。
ミョンファちゃんや!
向かってくる銀輪部隊をすり抜け、僕は走ってた。距離は200メートルぐらいやろか。しんどいけど走らずにはおられんかった。
待ち合わせまで30分もあるのに、ミョンファちゃんは店の前に立ってる。
細い足にぴったりのジーンズに、赤色で縁取られた丸い襟のある薄ピンク色のブラウスを着ている。少し長めの髪は後ろでひとつにまとめてて、広めのブリムがある白い帽子を被ってた。
肩から茶色のバッグと赤い水筒をぶら下げて立ってる。
それが少し子供っぽく見えたけど、それはそれで可愛く思えてしまう。
よう考えたら、ミョンファちゃんはまだ15歳やった。
お店に出てる時は、黒いスラックスに白のシャツで、黒いエプロン姿。髪は降ろしてて、18か19歳ぐらいに見てた。
そやけど、今日の私服姿は年相応に見えた。
「ミョンファちゃん! 早上好(おはよう)」
「おはようございます」
200メートルダッシュをしたんで息が切れてしもた。高校生の時やったら23秒で走れたのに。1分にも2分にも思われるほど長かった。
「大丈夫、ですか?」
「大丈夫……やで」
そんなことはない。ハーハー言うて息が上がってるし。
それに、走ったこと以上に心臓がバクバクしてるのが分かる。
「ミョンファちゃん……、早よから待っててくれたんや。……ごめんな、……待たせてしもて」
こんなんやったら、さっさと歩いてきたらよかったわ。
「そんなことないです。ちょっと暇だったから。立ってただけだから」
また顔が膨れてる。恥ずかしかったか? でもこの表情、何度見てもグッとくるわ。
「そしたら……、取り敢えず、行こか」
僕は駅の方に向かって歩き出した。ミョンファちゃんも僕の一歩後ろを黙って歩いてる。
こうやってミョンファちゃんと、二人だけで歩いてると思うとやっぱり緊張する。まだ心拍数が落ち着かへん。
そやけど僕の方が年上やし、男子なんやから何か喋らなあかんと思て振り向いた。
少し斜め下を向いて歩いてた。そのミョンファちゃんを見て、僕はドキッとして言葉が出んようになってしもた。
お店に出てる時はいつもエプロンをしてたんで気付かへんかったけど、エプロン無しで見るミョンファちゃんの胸は、……結構大きい。細くて小柄な割に大きいと思う。歩いてるだけでも、少し揺れてる。
なんか余計にドキドキしてきた。僕は頑張って声を絞り出した。
「ミョ、ミョンファちゃん。紫禁城までちゅうか、前门まで地铁(地下鉄)に乗って行こか?」
「はい」
顔を上げてくれた。
「紫禁城には行ったことある?」
「はい、あります。お父さんとお兄ちゃんとお姉ちゃんと、小学校の頃に行ったことがあります」
「ふーん、そうなんや」
「たぶん人がいっぱい居ると思いますよ」
昨日、天安門広場にも人民がいっぱい居ったなぁ。
「そうなんや。あの……、ミョンファちゃん。別に敬語で喋らんでもええで」
なんか違和感があったんよなぁ。
「敬語って何ですか?」
「えーと、年上の人に喋る時の言葉や」
「でもシィェンタイさんは、私より年上です。お兄ちゃんに聞きました」
「まあ、そうなんやけど……。折角、二人で遊びに行くんやし、敬語でなくてええで」
その方が絶対に仲良くなれると僕は思う。歳なんて関係ない。
「でも私は、この日本語しか知りません」
「そうなんや。ほんなら僕が教えてあげるわ」
「ありがとうございます」
「そうそう。そういう時は『おおきに』って言うんやで。『おおきに』は『ありがとう』と同じ日本語や」
「おおきに……ですか」
「そそ。そしたら今日は、日本語でもとっておきの関西弁というやつを教えてあげるわ」
「関西弁って何ですか?」
「友達同士が仲良くなれる魔法のような日本語やねん」
「私、関西弁が話せるようになりたいです」
「よっしゃ分かった。今日は厳しく培训(訓練)するで」
「はい、頑張ります」
「ちなみに『はい』は、『うん』ででええよ」
「うん、ですか」
「そそ。『うん』の方が、かわいいよ」
「う、ん……」
さりげなく可愛いと言うてしもたわ。
ミョンファちゃんは、また下を向いてしもた。
よう照れる子や。
ミョンファちゃんの性格というか反応の仕方がだいぶん分かって、しかも慣れてきたけど、まぁ何をやっても可愛く思えてしまう。
そやけど、こんなに可愛いのに今まで付き合ったヤツとかおらへんかったんやろか? めっちゃモテるやろー。彼氏とか居ったんやろか?
まあ、流石にそれは聞かれへんわな。
自転車通勤の人民たちが、僕らの横をどんどんすり抜けていく。
たまに振り返って何か言うてる若い人民が居ったけど、中国語やし当然意味はわからへん。でも顔がニヤニヤしてたんで、多分冷やかされてるんやろなと思う。
平日の朝から若い男女が二人で歩いてるんやから。
「そや、ミョンファちゃんって名前はどんな字を書くん?」
「名前ですか」
カバンから身分証を出して見せてくれた。
「これです」
それには『朴 明華』と書いてある。
明華かぁ。ミョンファと言う音の響きも可愛いけど、字もなんか可愛いらしさが滲み出てくるわ。
「シィェンタイさんの名前は、どういう字ですか?」
僕はメモ帳を出して表紙に書いてある名前を見せた。
「こんな字やで」
『北野 憲太』
「ベイイェ シィェンタイ。日本語では何と読むのですか?」
「日本語で『きたの のりた』って読むんよ」
「きたの、のりた、ですか?」
「そうそう」
「のりたさん」
「うーん、なんか変やなぁ。やっぱりシィェンタイでええよ」
「シィェンタイさん、ですね」
「うん、それがええわ。あっ、『さん』はつけなくてええで」
「シィェンタイ、でいいのですか」
「日本では、その方が仲良しって感じやねん」
「そ、そしたら、私のこと『ミョンファ』と言ってください。『ちゃん』は小さい子につける日本語。おじいさんに教えてもらいました」
「そうやなあ。そしたら『ちゃん』無しにするわ」
呼び捨てで呼ぶってむっちゃええ感じやん。
ちょっと恥ずかしかったけど、試しに言うてみた。
「ミョンファ!」
ミョンファは、僕の方をパッと見たけど、照れたんか、また膨れて下を向いてしもた。
「シィェンタイ……」
と小声で言うてるのが、微かに聞こえた。
なんかいい感じやと思う。
僕とミョンファの距離が、少し縮まった様に思えた。
駅に着く。
僕は切符を2枚買うて、ミョンファに1枚渡した。
嬉しそうな顔をして、受け取ってくれた。
ええ顔や。
つづく
続きを読んで下さって、ありがとうございました。
いよいよ始まりました。「僕」と「ミョンファ」の初デート。
二人のデートは、この後どういう展開になるんでしょうか。
もしよかったら、またこの続きを読んでやって下さい。
誤字・脱字等ありましたら、お知らせ頂けると幸いです。
また、感想など頂けましたら、大変うれしく思います。
今後とも、よろしくお願いします。