18帖 ジモティー
今は昔、広く異国のことを知らぬ男、異国の地を旅す
今朝は早く目が覚めた。まだ少し頭が痛いような気もするけど、目はバッチリと醒めてる。多賀先輩はまだ熟睡中や。
さっと着替えて、超さん姜さんの部屋に行ってみた。
そやけど部屋は既に空っぽやった。
昨日までの楽しく喋っていた時の笑顔が頭に浮かんできた。見送ることができんかって悔しかった。
部屋に戻り、もう一回寝ようとしたけど寝付けん。
それで「10時までにパキスタン大使館に来てください。先に出て、ちょっとぶらついてから行きます」とメモを置いて僕は一人で部屋を出た。
今日は5月20日、火曜日。外はまだ涼しい。
僕は地下鉄に乗り西直门(西直門)まで行く。
地上はちょうど通勤時間やって、大勢の人が行き来してた。
德胜门西大街(徳勝門西大通り)に出ると、歩道はもとより車道まで自転車に乗ってる人でいっぱいや。
信号が変わると一斉に人民たちが走り出す。乗用車やバスも走ってたけど、それもお構い無しで銀輪部隊が行進してた。人民たちは、勤務先に向かって必死になって自転車をこいでたけど、それを見て僕は楽しんでた。自転車通勤ラッシュ。これが見たかったんや。
カメラを構えてシャッターを切ってると、自転車に乗った人に当たってしもた。怪我は無かった。自転車に乗ってた人も素知らぬ顔でスイスイと行ってしもた。
ラッシュが終わりかけてきた頃を見計らって、道路脇の公園に移動する。樹木が植えてあって緑は多い。広場では大勢の人が太極拳をやってる。殆どがおじいちゃんおばあちゃんやったけど、その孫らしき子ども居った。一緒に太極拳をやってる姿が愛おしい。
公園というても道路に沿って平行に伸びてるんで、僕はのんびりと大使館街の方へ向かって歩く。
ジョギングをしている人や犬の散歩をしている人、鳥かごを持って歩いている人や朝から囲碁をしている人もちらほら見かけた。
時刻は8時半を回った。お腹がすいてきたんで通りの反対側の店で包子を三つ買うて食べながら歩く。
やっぱり北京は広い。歩けど歩けどなかなか進まへん。このまま歩いてたら10時にパキスタン大使館に間に合うか不安になったんで、バスに乗った。
おかげで10時には余裕で着いた。まだ多賀先輩は来てない。
正門で待つこと5分。向こうの方から多賀先輩が歩いてくる姿が見える。こっちに向かって走ってきた。
「遅いですわー」
「すまんすまん、寝坊してもた」
はぁはぁ言うてる先輩と二人で正門をくぐり、門衛のおじさんの案内で待合室に入る。
待合室には長机と長椅子だけで、それ以外は何もなく殺伐としてる。
人民、欧米人、それと日本人らしい人が二人、座ってた。
この人らもパキスタンへ行くんや。
僕と多賀先輩も椅子に座る。
10時になっても何も始まらんかった。少し心配になってきたけど、黙って座ってる。
10時半になって、漸く民族衣装を着た係官が入ってきた。
書類が配られ、英語で長々と説明を聞かされた。
要約すると、この大使館で発行できるビザは1ヶ月の有効期間がある。パキスタン国内に入ってから1ヶ月が有効期間である。1ヶ月以上滞在する場合は延長の手続きをする必要がある。手数料は10ドルだ。今日、手続きの書類を提出した者は、27日以降の朝9時までに来れば受け取ることができる。書類が書けたらパスポートと一緒に提出をして、確認が取れたらパスポートを返すので帰ってもいい。
と、こんな感じやった……と思う。
「えっ、ビザが貰えるのって1週間後ですよ」
「まじかぁ……。それはちょっと掛かり過ぎやなあ。まだ一週間も北京に居らなあかんのか」
「まぁしょうがないですわねー」
「やっぱり日本でビザを取っとくべきやったかな」
「そうですね、でも日本で取るよりめっちゃ安いですよ」
「せやな。まあええか。その間、北京でゆっくりしよか。北野もその方がええやろ」
「まあ……色々したいことがありますしね」
僕はふとミョンファちゃんのことが頭に浮かんだ。
「俺もいっぱい見たいとこあるし、楽しもか」
「そしたら列車の切符ってどうします?」
「27日にビザがもらえるんやったら、その日に合わせて切符を買うとかなあかんな」
「なんか高度なテクニックが必要ですね」
「そやね。日本みたいにパッと買えへんし、タイミングが難しそうあやな。――まあ、その辺は北野に任しとくわ」
「ええ、そんなん……」
「せやかてお前、鉄道詳しいやろ」
「詳しい言うてもなぁ……ほんなら、今日も切符売場の偵察に行ってきますわ」
「よっしゃ頼むで!」
英語で書類を書き上げてパスポートと一緒に提出。30分ぐらい経って、パスポートを返してもろた。で、大使館を出る。
僕は、天安門広場の近くにある前门售票处(前門切符売場)へ偵察に行くことにした。多賀先輩はいろんなとこ回ってくるとだけ言うてた。気楽でええなぁ。
ただ昼飯は一緒に食べよってことになって、1時に朴君の店で待ち合わせる。
僕と多賀先輩は、そこで別れた。
朝はあんなに涼しかったけど、今は少し歩いただけで汗が出る。
太陽が高くなるにつれ、日差しがきつなってきた。
僕は、汽车(バス)に乗って前门|までやってきた。
汽车を降りると目の前に大きな建物がある。これが天安门(天安門)か。そやけど、よく見ると「正阳门」(正陽門)と書いてあるわ。紛らわしい。
それもなかなか立派な建物やったんで、ぐるっと一回りすることにした。
門を北側に抜けるとそこに広場がある。その向こうにホンマの天安门があった。ということは目の前の広場が天安门广场(天安門広場)か。
天安门まで1キロぐらいやろか? 横は500メートルぐらい。スケールがでかすぎる。こんな広い場所ってそう無いわなぁ……。
2年前、民主化を願い多くの学生や人民が国家権力とここで戦ってたんやなと、その当時のニュース映像を思い出してた。
その影響か分からんけど、100メートル毎に公安が警備をしてる。物々しさが伝わってくる。
遠くから見てもわかるが天安门はかなり大きい。その向こうにある故宮も見てみたいな。四年前に見た「最後の皇帝」という映画を思い出し、愛新覚羅溥儀の人生やその暮らしぶりに思いを馳せてた。
広場越しに天安门の写真を撮ってたら、夫婦の人民が僕の方に寄ってきて、中国語で話掛けてきた。むっちゃ早口やったんもあるけど、多分中国語でも方言なんやろう、聞いたことない言葉で何を言うてるんか分からん。
黙ってたら段々おばちゃんの語気が荒くなってくる。とうとう僕が持っている地図を指差して、怒りながら話してる。
どうも道を聞いてるみたいで「ここへ行くにはどうしたらええんや」と言う事やと思う。
僕は全くわからんし「我是日本人」と言うてみた。そしたらおばちゃんは一瞬びっくりしたような表情をしたけど、突然笑い出して、
「何を言うてるんや、そんなことないでしょ。あんたみたいな日本人はおらへんよ。私ら地方から出てきたからと思って、冗談を言うてるんでしょ」
みたいな事を言うてる。
「もうええから。ここへの行き方、ちゃんと教えて」
と、しつこく言うてきたんで、もう1回「僕は日本人や」て言うてみた。
「あら本当に? あなた日本人だったのね。てっきり北京の人だと思って道を聞いてしまったわ。ごめんなさいね。それじゃあバイバイ」
てな感じで去っていく。その後ろ姿は、田舎から夫婦で旅行に来てますよ感が滲み出てた。嵐のようなおばちゃんやった。まぁ日本でもおばちゃんはあんな感じか。
余計な時間を喰ってしもた。僕がやらなあかんことは、前门售票处(前門切符売場)の偵察やったわ。
ほんで正阳门に戻ってたら、今度は日本で言う「修学旅行」風の学生達が寄ってきて、地図を見せて道を聞いてくる。
なんやねん、またか! 僕は「日本人やで」と言うたら、さっきの夫婦みたいにびっくりしてた。「そうなんですか、すいませんでした」みたいな感じで去っていった。
地方から来た人にしたら、僕はジモティーに見えるんやろか?
正阳门に戻り、大通りを横断して繁華街の方へ向かう。この辺は前门の商店街で、たくさんの人民で賑わってる。
售票处を探してウロウロしたけど、どこにあるんか分からん。とにかく人が多くて歩くのが大変や。
大通り沿いに少し東へ行くと、大勢の人民が集まってるのが見えた。售票处はここかな、と思て覗いてみた。やっぱり前门售票处や。
西直门(西直門)售票处と雰囲気は似てたけど、ちょっとシステムが違う。ここは行き先が書いてある窓口ごとに人民は並んでる。
僕らが目指しているのは西域の乌鲁木齐(ウルムチ)方面やから、その字が書いてある窓口を探す。
人を掻き分けて窓口を見て回る。よく分からん地名もある。もしかしたらこれかなあという怪しいのもあった。でも多分違うかな。
一通り全部見たんやけど、ウルムチ行きの窓口を見つけることはできんかった。もしかしたら、ここではウルムチ行きの切符を売ってないんかな?
僕は持ってきた時刻表を改めて見てみる。
そしたら近くに居ったおっちゃん人民に声を掛けられた。なんや列車の時刻を聞いてるみたいや。それにまた現地の人と間違えられてる感じがする。
すかさず僕は「日本人ですよ」と言うた。言葉が通じんかったんか、その後も執拗に聞いてくる。煩いのでおじさんの行きたいところを聞いて時間を調べてあげた。おじさんはありがとうと言うて列に並んでいった。
あーしんどと思てたら、もう既に次の人が目の前に立ってる。ほんで、またどっかの駅名を言うてくる。僕は日本人ですと言うたら納得はしてくれたけど、「まあええやん時間調べてや」みたいな感じで押し切られた。
面倒臭いけどおじさんの言う駅名のページを探す。
そしたら僕の周りに人集りができて、みんな覗き込んできた。
地方から出てきた人かな? 「次は俺の番やぞ」みたいな雰囲気になってる。
僕みたいな外国人も切符をどうやって買うたらええんか困ってるけど、中国の人でも地方から出てきた人は分からへんねんなーと思う。
それに時刻表ぐらい買うたらええのにと思う。たった3元やぞ。
ふと時計を見たら1時になってた。やばい多賀先輩との待ち合わせの時間や。
みんなも困ってるから手助けしてあげたかったけど、もう行かなあかん。そやし「ごめんなさい」と日本語で言うて、その場を立ち去った。時間があったらもっと教えてあげたいという鉄っちゃんの血は騒いでたけどね。
とりあえず朴君の店に向かう。今日もミョンファちゃんに会えると思たら足取りが速くなってきた。
待ち合わせの時間が過ぎてたし、高いけど地下鉄に乗って东四十条站(東四十条駅)まで行く。そこから急いで店へ。
店に着いた時は、もう2時になりそうやった。
入り口でシシカバブーを焼いている朴君が僕に気付く。
「こんにちは、いらっしゃい」
「こんにちは。多賀先輩は来てますか?」
「来ています。ここにいますよ」
僕は店に入る。
奥を見るとテーブルに多賀先輩が座ってる。しかもその向かいには、こちらに背を向けて女の子が座ってて、楽しそうに喋ってる雰囲気やった。
「すんません、遅なりました」
「もう先に食べたで」
そう多賀先輩が言うと、向かいに座ってた女の子が振り返った。
ミョンファちゃんや!
えっ何で、と思た。不意打ちされた感じで頭が真っ白になってしまう。
振り向いた時は笑ってたのに、僕と目が合うと急に膨れて、
「シィェンタイ、来るの遅い! ドゥォフゥァさんと話してただけだからね!」
と言うて、隣の店に行ってしもた。
もしかして怒られたん?
何の事か訳が分からん。僕はそこで立ち尽くしてた。
つづく
続きを読んで下さって、ありがとうございました。
何時になったら「僕」と「ミョンファちゃん」の距離は縮むのでしょうか?
もしよかったら、またこの続きを読んでやって下さい。
誤字・脱字等ありましたら、お知らせ頂けると幸いです。
また、感想など頂けましたら、大変うれしく思います。
今後とも、よろしくお願いします。