176帖 日本人旅行者、集結
今は昔、広く異国のことを知らぬ男、異国の地を旅す
8月3日の土曜日。
朝早く部屋へやって来た日夏っちゃんに叩き起こされた。
「まだ寝てるの。もう行くよ」
と言われたけど、僕は夜遅くまでじいさんと話してたさかいまだ眠たいし、それに朝飯を食ってお腹の調子を見てから移動したかったら、GilgitのMedina Caffで待ち合わせする事で先に行って貰ろた。
それからもう少し寝て荷物のパッキッングをして食堂に行く。朝食を食べて部屋でお腹の様子を見るも1時間経っても便意は催さなかったんで、僕はギルギットに向かうことにした。
最後に食堂へ行きじいさんに別れを告げると、僕を抱擁し何度も何度も頬を合わせた。その上Ganishまで見送りに行くと言う。坂がきついので僕は固辞したけど、じいさんは聞き入れてくれなかったんで一緒に坂を下る。
バスストップ前に荷物を置き、はっさんの店にも顔を出して別れを告げる。はっさんとも肩を抱き合い、長々と別れを惜しんだ。
「カーオーディオを楽しみにしてるよ」
「OK、必ず送るよ。その代わり、この後じいさんをホテルに送ってやってくれるか」
「お安いご用だ」
もっと話したかったのに、こんな時に限ってバスは直ぐに来る。
「では、お元気で」
やっぱり涙が出てきてしもた。じいさんも皺くちゃな顔に涙を流してくれてる。
「おお、我が息子にアッルラーの加護がありますように」
「キタノさんも元気で!」
最後の懐抱をして僕がバスに乗り込むとバスは直ぐに走り出した。丁度一番後ろの席やったんで僕は見えなくなるまで二人に手を振った。
さいなら、フンザ。
さいなら、はっさん。
さいなら、じいさん。お元気で……。
これが永遠の別れになった。
2時間程でギルギットに着き、マディーナカフェを覗くとオーナーはもちろん日夏っちゃんや高島さんの姿も無かったけど、顔見知りの店員が僕を見つけて出て来てくれた。
「日本人の旅行者は来てませんか? 女の子と男の人ですが……」
「来てましたよ。もしかして、あなたがミスターキタノですか?」
「そやけど」
「そうですか。今、オーナーと道場に行ってます。あなたにも来て欲しいと言ってました」
いきなり道場に連れて行ったんかぁ……。
しょうがないし僕も道場に向かう。
道場まで来ると中から元気な掛け声が聞こえてくる。中を覗くと、日夏っちゃんは椅子に座って見学してた。
「よう!」
「あら、着いたのね」
「うん」
「早かったじゃない」
「まぁねー」
リュックを置いて椅子に座って見学してると、カフェのオーナーが僕を見つけて寄ってきた。
「ミスターキタノ。ごきげんよう」
僕は拳法のスタイルで合掌をして挨拶をした。
「今日はまたお世話になります」
「おお、ありがとう。それよりあなたに感謝の言葉を送りたい」
「へっ?」
「いや、あなたの友人がたくさん泊まりに来てくれたよ」
ああ。みんなに宣伝しといたからなぁ。
「それはよかったです」
「さー、一緒に演武をやろう。あれから随分と練習をしたんだ」
「よし、やってみよ」
僕は身体をほぐしながら前を見たら、なんと高島さんがみんなと一緒に空手の練習をしる。高島さんのぎこちない動きからすると、多分オーナーに素人やのに無理やりやさられたみたいや。Tシャツが汗でドボドボになってる。
僕はオーナーと向かい合って演武をやる。1週間やそこらでは大して動きは変わらんかったけど、手順はしっかりと憶えてる。
なかなかやるやん。
次は僕がやられ役。最後の関節技を決めたオーナーは得意そうやった。本当は痛くないけど痛い振りをしてると、
「なんや北野くん弱いやん。オーナーすごーい!」
と言いオーナーに向けて拍手をしてる。それに気を良くしたオーナーは日夏っちゃんとこに行って握手をしてる。
「北野くんは全然やなぁ」
「あほー。あれはわざと痛い振りをしてるんや」
と言うたけど、日夏っちゃんはオーナーをずっと褒めてた。
その後一通りやり、オーナーに幾つかアドバイスをして合掌をして稽古を終わった。ちょっとやっただけやけどめっちゃ汗が出てきた。でも久し振りの気持ちいい汗や。
しばらくすると高島さんの方の稽古も終わったみたいで、4人で道場を出てホテルに向かった。
オーナーに紹介された部屋は5人部屋で既に欧米人が2人、ベッドで横になってる。
オーナーに拠ると、今日は別の部屋に沢山の日本人が泊まってるとの事。
「おお、面白そうやん。なんかええ話が聞けるかも知れんで」
「ほんなら後で行ってみよかぁ」
「そうですね」
「よしほんなら用意して行こか」
荷物を整理した後、3人でその部屋に行ってみる事にした。
「こんちわー」
「ああ、こんちはー」
「さーどうぞ、どうぞ」
僕ら3人もベッドに座らせて貰い、お互い自己紹介をする。5人はRawalpindiのホテルで会うてここまで一緒に来たらしい。なんでもギルギットから来た4人組にこのホテルを紹介されたとか。
「その4人組って、その前はフンザに泊まってませんでした」
「ええ、何でも日本人がフンザをガイドしてくれたとか言ってましたよ」
やっぱりそうか。
「それって僕の事ですわ」
「へーそうなんですね。偶然ですねー」
「そんな事ってあるんですね」
「ええっ、北野くんってガイドしてたん」
「いや、ただフンザに長いこと居ったから案内しただけやで」
「なるほど。マディーナカフェのオーナーもキタノは友達やって言うてたよ」
「ははは。まぁこの辺をウロウロしてたからなー」
「そうなんですか。じゃぁもうベテランじゃないですか」
まぁ、そう言われて悪い気はせんし、ちょっと鼻高々になってた。
「いつからパキスタンに居るんですか?」
「えっと、パキスタンに入国したんは6月の14日やったかなぁ」
「めっちゃ長いですね。いろいろと話しを聞かせてくださいよ」
と言う事で、僕はパキスタンに入ってからの話をちょっとだけ盛りながら話す。特にアフガニスタンに入った事や、Darraで銃を撃った話は盛り上がった。
そんなこんなで話が盛り上がってる時に、ドアがノックされた。一人がドアを開けてみると、高校生位の若い男子が居った。
「さーどうぞ」
と中に入れて、座ってるとこを詰めてみんなで座る。
「こんにちは」
その少年はやっぱり高校生やった。バイトで貯めたお金で旅をしてて、この後インドまで行って日本に帰るとか。
「高校生やのにすごいねー」
とみんな感心してけど、
「でも、どこも観光してないんですよー」
と少し悲しそうやった。
よう話を聞いてみると、旅に出るために親に許しを乞うたんやけど、8月20日にある模擬試験までに帰って来ると言う条件付きで許可されたらしい。そやから殆ど観光もせずに移動だけしてるとか。でも流石に疲れてきたらしく、ギルギットでは2泊してゆっくり休養するらしい。
「いつ日本を出たの?」
「うーん。まだ日本を出て7日目かなぁ」
というのを聞いてみんなでびっくりしてた。
「私も急いで来たけど、日本を出たのが7月14日だから……、それでも3週間目よ」
と日夏っちゃんが言うてる。それでも早いと思う。
「僕なんか日本を出て3ヶ月目ですわ」
と言うと、それはそれで凄いなぁと言われてしもた。
そんなんで少年の今までの経緯をみんなで聞いてたら、またドアをノックする音が聞こえてきた。近くに居った僕がドアを開けると、そこに立ってたんは見窄らしい格好はしてるけど明らかに日本人の青年やった。
「こんにちわ……」
「ああ、どうも……。こっちへどうぞ」
目は虚ろで生気が無い。手にはコンビニの袋を一つもってるだけやった。
「どうしたんですか? しんどいんですか」
みんな口々に彼の事を心配した。
「大丈夫ですが、ちょっといろいろ有りまして……」
ベッドに座って貰ろて、詳しく話を聞いてみる。
彼が言うには、南部のKarachiからラワールピンディ行きのバスに乗ってて、もうすぐラワールピンディに着くって時に隣の席のパキスタン人にパックのジューズを貰ろて飲んだらしい。その後、記憶が無くなってしもてラワールピンディに着いて目を覚ましたら荷物が無くなってたそうや。
お金はパスポートと一緒に懐に入れてたトラベラーズチェックが幾らか残ってたそうやけど、現金は荷物と一緒に全部取られたらしい。
「そんな事があるて聞いたことあるけど、ほんまに遭うた人は初めてみたわ」
「そうなんだぁ、かわいそうに」
「何か要るものがあったら分けて上げようよ」
日夏っちゃんの提案で各自余ってるもんを持ってきて彼に渡す事にした。
僕は余分のTシャツと荷物を入れる為の防水の袋を彼に差し出した。靴下やタオル、新品の歯ブラシにビニール製のレインコート等、一通り旅が出来る物が集まった。この青年はこの後中国に抜けると言う事なんで、高校生が中国のガイドブックを渡してた。
「ほんとうにみなさん、ありがとうございます。やっぱり日本人っていいなぁ」
「困ってる時はお互い様やで」
「もし良かったら一緒に中国まで行きましょう」
「助かります……」
しみじみと同胞のありがたみを感じてる青年。
「こんだけ沢山の日本人が集まってるのも何かの偶然。よかったやん」
「ええ、さっきバスターミナルで会った人に、このホテルは日本人が沢山居るからと紹介されたんですよ」
「あっ。それって多分、三雲さんや」
「ええっ! 三雲さん居ったん?」
「ええ。今朝、ここを出て行ったんです」
そうなんや。今朝まで居ったんやぁ。
「わぁ、会いたかったなぁ」
「三雲さんを知ってるんですか?」
「うん、Pasuで一緒に山を登ってな、ほんでここのホテルも紹介してん。しかもやで、なんと北京でも会うてたんよー」
「わぁー、何と言う偶然!」
「本当に人の縁ってのは何処で繋がってるのか分かりませんねー」
「ほんまやね」
何かの縁で偶然集まったんやし、晩飯はみんなで食べに行こうということになった。
晩飯にカフェまでみんなで行くと、オーナーが沢山の日本人を連れてきてくれたとえらい喜んでくれた。そのお礼やとみんなにクビデをサービスで付けてくれた。
晩飯を食べ終わった後、日が暮れて真っ暗になった道をホテルに向かって歩き始めると、何故かみんなは僕にお礼を言うんで、なんとなくええ気分になってしもた。みんなにここを紹介して良かったと思た。
ホテルに戻って来てからも5人の部屋に集まって、みんなの旅の苦労話やびっくりする様な出来事で盛り上がってると、本日3度目のドアをノックする音が聞こえた。もう時間は8時を回ってるのに何事やと思てドアを開けると、2人の中年のおじさんとおばさんが立ってる。見てくれは日本人っぽい。
「こんばんわー」
「あっ、こんばんんわ」
やっぱり日本人やった。これで12人もの日本人がこのホテルに集結した事になった。
つづく
続きを読んで下さって、ありがとうございました。
偶然に12人も日本人が集まってしまいました。この後、更に会話は盛り上がるんですがそれは次のお話で。
もしよかったら、またこの続きを読んでやって下さい。
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また、感想や評価など頂けましたら、大変うれしく思います。
今後とも、よろしくお願いします。