決闘
「……」
アルフレッドの目の前に座っているテュミアとデューク。
その後ろには使用人の男が控えており、使用人らしき女性はドアの傍に控えていた。
アルフレッドは目の前の人物が、デュークが本物かどうか半信半疑であったが、そういうこともあるのだろうと勝手に納得して取り敢えず落ち着くことにした。
「信じられねぇか?」
「いや、そうでもないさ」
「へぇ」
「結局の所、俺が『神童』ではなかったように、奥義においても未熟だったってことだ」
そう、つまりそういうことだ。
いや、それ以外に考えられない。
十年前に『剣鬼』に奥義を使ったアルフレッド。
しかしその奥義が完璧ではなかった。
だから『剣鬼』の剣は、死ぬことがなかった。
きっとそうに違いない。
「そうでもねぇ、俺はついこの前このお嬢様に拾われて再び剣を握った。腕は格段に落ちてる。大したもんだぜ、奥義ってのは」
大したもの、そんな程度で済んでいるようではアルフレッドの奥義が奥義に至っていなかった証明である。
その程度の奥義であればアルフレッドはこんな生活をしていない。
十五年前に食らった奥義によって、アルフレッドの心は今も縛られ続けているのだから。
しかし今はそれらの事はどうでも良い。
アルフレッドは頭を切り替えて本題へと移る。
「……それで?俺に何の用だ?」
「『溝鼠』なんかには用はねぇ。用があるのは『神童』だ」
「……」
そんな事を言われてもアルフレッドは『溝鼠』である。
既に『神童』などと持て囃されていた頃のアルフレッドは存在せず、溝を攫うことで何とか生きている醜い鼠しかここにはいない。
しかしデュークはお構い無しに立ち上がり、アルフレッドを指差す。
「剣を取れアルフレッド、今度こそ決着を付けてやる」
「嫌だ」
アルフレッドはデュークの誘いを即座に断った。
当然である。
いくら十年近く剣を握っていなかったとしても、『剣鬼』とまで呼ばれた男が早々一般人レベルにまで弱くなっている筈がない。
何よりデュークの体付きを見れば一目瞭然、剣は握っていなくとも普段体を使った仕事などをしていたのか筋力は衰えていない様に思える。
そんな男とアルフレッドが戦って無事で済むわけがない。
だからアルフレッドは即答したのだが、アルフレッドはその男の隣にいる人物の事をスッカリ忘れていた。
その人物、テュミアはとても面白がっているような笑顔をしながらアルフレッドに問いかけた。
「あら、しないの?」
「させていただきます」
「そう、良かったわ」
こうして、アルフレッドとデュークの決闘が決まった。
「時間無制限、敗北宣言無し、どちらかが死ぬまでの真剣勝負だ」
部屋から移動し、アルフレッドたちは屋敷の庭に出ていた。
庭の中央でアルフレッドとデュークは向かい合い、テュミアは庭の隅に設置されている椅子に腰掛け、優雅に紅茶を啜っていた。
アルフレッドは決闘のルールを突き付けられ、この後自分が生きている可能性は万に一つも無いことを既に悟っていた。
「俺が死ぬのは確定ってことか」
「怖いか?」
「殺される覚悟はいつでも出来てる。俺の人生において、老衰で死ぬことが許されて良いわけがないからな」
アルフレッドの人生において、生き続ける理由はただ一つ。
奥義によって折り続けた剣への贖罪。
贖罪故に、惨めに、醜く、酷い日常を求めて過ごしてきた。
そしていつか、デュークのような奴が自分を殺してくれることを夢見ていた。
事故や病気などで、楽に死にたくはなかった。
ある意味、これは運命であった。
漸く死ぬことが許された気がして、アルフレッドは嬉しくさえ感じていた。
「武器はそれでいいのか?」
「あぁ」
アルフレッドが決闘前に用意してもらった武器は両剣、『剣王』の流派にて用いられる剣だ。
一般的な剣は柄に刀身が一つであるが、両剣はその常識を覆すかのように柄の両端に刀身が付いており、主に中央の柄で剣全体を回転させながら二つの刀身で相手を切り刻む。
しかしアルフレッドがこの両剣を選んだ理由はそれ故ではない。
両剣は攻撃よりもその大きさから防御面に優れる性質を持つ。
アルフレッドとて簡単に死ぬつもりはない。
ましてや相手があの『剣鬼』であるのならば『剣聖』、『剣帝』のような細身の剣でまともに攻撃を受ければそのまま剣ごと体を持っていかれる可能性がある。
『三剣』に対抗するかのように現れた新たな三つの流派、あれらはそれぞれ『三剣』に似た性質を持つ。
『剣豪』は刀と呼ばれる東方由来の特殊な剣を用い、攻防バランスの良い戦い方をすると言う。
『剣客』はレイピアと呼ばれる刀身がとても細い針のような剣を用い、片手とは思えぬ剣戟の速さだと言う。
そして今アルフレッドの目の前にいる『剣鬼』、その用いる武器は両手剣。
デュークは十年前と変わらぬ、身の丈ほどもある大きさの剣を苦もなく持ち上げている。
その巨大な剣から繰り出される一撃は岩をも砕く。
そこら辺の鈍では触れた瞬間に折れてしまう。
そういった意味ではテュミアが用意した両剣の質は上々であった。
「じゃあ、始めようぜ」
「あぁ……」
特に開始の合図はない。
テュミアも何も言うつもりがないのか、そのまま優雅に紅茶を啜っている。
つまり、油断した隙にやられる。
「もらった!」
「っ!?」
一瞬視線を逸らしただけだと言うのに、デュークの剣先は既にアルフレッドの眼前にあった。
間に合わないと感じたアルフレッドは即座に左へ転がったが、当然遅過ぎた。
デュークの剣先はアルフレッドの横っ腹の肉を抉るようにして切り裂いた。
その際、アルフレッドの肋骨も根刮ぎ持っていかれる事となった。
「あ……がっ……あぁあああああ!!!」
「おい、早く立て」
「はっ……ふぐっ……!?」
上手く呼吸が出来ない。
肋骨を通り過ぎて肺にまで到達していたのか。
もしくは横隔膜が破れたか。
何にせよ、アルフレッドは水没したかのように息苦しさを感じていた。
腹の痛みも尋常ではない。
たった一瞬の油断で致命傷となる。
これが、本気の戦い……。
いつもであれば意識を失っていてもおかしくない傷。
だが、ここ最近のアルフレッドは怪我を負い過ぎた。
アルフレッドの体が、ほんの少しだけ痛みに慣れてしまっていた。
故に、落ちて欲しいのに落ちてくれない。
アルフレッドは痛みを堪えるのに必死で、既に決闘などどうでも良かった。
しかし、それをデュークは許さない。
「立てよ」
「がっ!」
「立てよっ!!!」
「こふっ!」
デュークは苛立ちを隠さず、倒れるアルフレッドに対して強烈な蹴りを放つ。
その光景は既に、決闘と呼べるようなものではなかった。
それを傍観していたテュミアは薄く笑い、独り言のように呟いた。
「ふふっ、これで満足かしら?」
「私は……別にここまでして欲しいとは……」
テュミアの言葉に答えたのは傍に控えていた使用人の男バロックではなく、それよりも少し離れた位置で決闘の様子を見ていた使用人らしき女、先程アルフレッドを睨み付けていた女だった。
「殺したいほど憎いのではなくて?教会から追放されて路頭に迷う羽目になったのは『溝鼠』のせいなのでしょう?」
「そうですが……あれはあまりにも……それに私はまだ『溝鼠』が『剣神』の奥義の継承者だなんて信じられません……」
テュミアの言葉通り、彼女は元々は教会の関係者、もっと言えばシスターであった。
アルフレッドが以前過ごしていた街の教会に勤めていたが、その教会の神父に追放され、街を出て路頭に迷っていた所をテュミアに拾われたのだ。
その時、彼女はテュミアから『溝鼠』の経歴を聞き、耳を疑った。
そしてテュミアは言った。
『剣鬼』を見付けたら『溝鼠』と戦わせるわ、と。
もし『剣鬼』が圧勝するのであればそれまで。
もし『溝鼠』が勝つようなことがあれば……そんな事、万に一つもないわね。
テュミアの予想は的中していた。
『剣鬼』が『溝鼠』を切り伏せた瞬間、胸がすく様な思いで興奮していた。
しかしその後の『溝鼠』が苦しみもがく姿を見ていると、自分が一体何をしたかったのかが分からなくなっていた。
憎しみは何も生み出さない。憎しみは全てを無くしてしまう要因となる。
まさかこんな時になって、教会での教えを思い出すだなんて思いもしなかった。
もうこれ以上、悲惨な光景を見続けることは出来なかった。
元シスターはその場から立ち去り、残されたテュミアは話し相手を変えた。
未だ、アルフレッドは起き上がらないままだった。
「ねぇバロック」
「何でしょうかお嬢様」
使用人のバロックはいつもと変わらぬ調子で応える。
「私は、鼠の尻尾を引っ張ってしまったと思う?」
「既に尻尾は切り落とされていたようですね」
「つまらないわ」
「ですがこれで、『三剣』の復興が進みます」
「そうね」
現在『三剣』の力は昔と比べ低迷している。
その事がこの国ではとても懸念されていた。
暫くは優れた才能の持ち主が現れなかっただけだろうとこの問題を軽く扱っていた。
しかしその問題は放置すると共に大きくなり、国は本腰を入れて調査を始めた。
原因を調べていった末に、国はある噂話を耳にした。
『三剣』に伝えられなかった『剣神』の奥義があると。
その伝承者により、有力な剣士が悉く倒されていると。
そんな事を漸く把握したのが百年も前の話。
剣士であれば知っていて当たり前の知識を、国は全く知らずにのうのうと『剣神』の恩恵に胡坐をかいていたのだ。
『三剣』の実力の低迷はある意味国が原因であったとも今現在では言われている。
結局、伝承者の噂は聞けども見付けることの出来なかった国の頭の固い輩はとても愚かな方法を思いついた。
『三剣』がダメなら他の流派を作ってみてはどうかと。
新しい物好きの貴族たちは忽ち議論に花咲かせ、『剣鬼』、『剣客』、『剣豪』を構想し、それに見合う剣士を探し始めた。
貴族たちによって集められた剣士たちの研鑽により、新たな流派はそれなりの形となった。
それが三十年前。
そして同時に、貴族たちは欲を出した。
貴族たちはあろうことか、新たな三つの流派において『剣神』を作ろうとしたのだ。
三つの流派全てを幼少の頃より遊ぶ暇もなく、寝る暇もなく、ただ貴族たちがそれら流派の完成形が見たいがために剣を振り続けた少年がいた。
後に少年は『神童』と呼ばれるようになり、青年となる頃に姿を眩ませた。
「それが、アルフレッド……過去、最も『剣神』に迫ったと言われる者。どうせ、貴族のほら話だろうと思っていたけれど、実物があれじゃ何とも言えないわね」
「十五年という年月による風化……とは考えにくいですからね」
「『三剣』の復興には新たな流派は邪魔なだけ。故にその集大成である『神童』があの程度であれば貴族たちへの説得も容易ね」
「『剣鬼』はどうなさるおつもりで?」
「頃合いを見て捨てるわ」
「畏まりました」
バロックとの会話を終わらせたテュミアは再び庭へと視線を向けた。
「……え?」
するとそこには、倒れた『剣鬼』と座り込む『溝鼠』の姿があった。