第三章第一話(二)地球猫たち
翌日、二人とガストはスキャイ河沿いにある林の小屋に着く。
木造一階建ての小さな小屋だ。
河沿いの道からは陰になっているので直接は見えない場所に建っている。
「ミケ!
ミケ居る?
出てきてちょうだい!」
ラビナは小屋に向かって声を張り上げる。
しかし返事は返ってこない。
中に誰も居ないようだ。
「居ないわね……。
アルタルの街かしら?
ここで待つか、アルタルの街に行くか……」
ラビナは考える素振りを見せる。
「ミケって君の知り合い?」
ジュニアは考えるラビナに問う。
「そう。
昨日話をした地球猫の一人。
私の盟友よ……。
まぁ、誰でも良いか……」
ラビナはそう言い、すぅ、と深呼吸をする。
「誰か居る?
出てきてちょうだい!」
ラビナは大きな声で叫ぶ。
――ザワッ
周りの空気が変わる。
周囲に幾つもの人影のようなものが現れる。
「ラビナにゃ!」
「本当だ、光の谷の元王女のラビナにゃ!」
「今は王女でもなんでもない乱暴者のラビナにゃ!」
喧噪と共に七人の小柄な人々が現れる。
身長は高いものでもラビナの肩程度、低いものは百二十センチ程度しかない。
いずれもふわふわとした分量の多い頭髪に猫か狐を思わせる大きな耳が付いている。
頭髪と耳は個体ごとに違う色、違う模様をしているようだ。
そしてそれぞれが頭髪と同様な色の長い尻尾を尻から生やしている。
一様に大きな眼に低い鼻、唇の端が吊り上がったアルカイックスマイルを浮かべている。
瞳は縦に割れていて、なるほど猫なのかもしれない。
しかしそんな特徴を除けば、単に可愛らしい少年少女に見える。
人間との相違を見つけることは難しい。
身長の高低、体形の細い太いの差はあるが、皆同じような顔をしている。
衣服は皆ゆったりとしたスモックのようなものを着ている。
スモッグの柄は髪の毛の色や模様に合わせているようだ。
「あら、親しい貴方たちに乱暴なんてしないわ」
ラビナは引きつった笑顔で言う。
ジュニアはラビナと七人の小柄な人々を交互に見る。
「彼らが地球猫?」
ジュニアはラビナに訊く。
ラビナは引きつった笑顔のまま軽く頷く。
「ラビナが新しい男を連れているにゃ」
「アルンが可哀想にゃ」
「いやいや、アルンは解放されて良かったにゃ」
「この男もラビナに騙されているにゃ」
「ラビナの見かけに騙されているにゃ」
「ラビナは見かけだけは良いからにゃ」
「目を覚ますにゃ、ラビナは碌なもんじゃないにゃ」
地球猫たちは口々にニャゴニャゴとラビナを貶める。
ジュニアはラビナを見る。
ラビナは見るからにイライラしているようだ。
「喧しいわよ、猫モドキども。
喧嘩売っているんなら買うわ」
ラビナは剣のある眼で言い放つ。
ラビナの表情から笑顔が剥げ落ちている。
ラビナは右手に持つ小銃を肩に担ぎ、誇示する。
「ね、猫モドキってなんにゃ!
僕らは猫モドキじゃなくて地球猫にゃ!」
明るい茶色に焦げ茶色の線の髪をした地球猫が抗議する。
「はあ?
何で猫なのに掌に肉球が無いのよ?
何で出し入れできる爪が無いのよ?
何で後ろ足に大きな踵がないのよ?
ヒゲすらないし!
貴方たちは猫じゃなくて亜人でしょ?」
ラビナは抑揚の無い声で一気に続ける。
「キ、キジシロ!
俺たちは猫じゃなくて亜人なのかにゃ?」
黒い部分が八の字のように割れ下地が白い髪をした地球猫が慌てたようにキジシロと呼ばれる地球猫に確認する。
「ハ、ハチワレ!
そんなわけないにゃ!
僕らは猫にゃ!
もっと自分を強く持つにゃ!」
キジシロはハチワレを説き伏せるように言う。
「ニャーニャー煩いのよ。
猫でもないのに下手な猫の振りをするのは止めてくれる?
単に語尾にニャーニャー付けているだけじゃない。
何で猫が人間の言葉を喋っているのよ?」
ラビナは左手を腰に当て、高圧的に地球猫たちに言う。
「ゆ、夢の世界の猫は人間の言葉を喋るのにゃ!
おかしなことではないのにゃ!」
「そうにゃ、キジシロ!
君の言うとおりにゃ!」
「そうにゃそうにゃ!
僕たちには長い尻尾と猫耳と縦に割れた瞳があるにゃ!
これは猫の特徴にゃ!」
地球猫たちは口々に、ニャゴニャゴ、と抗議する。
「その猫耳って、付け耳じゃないの?
下には立派な人間の耳も付いているじゃない?
耳が四つもあるなんて怪しすぎるんだけれど」
ラビナは意地の悪い笑みを浮かべて追及する。
「な、なんで耳が四つあることを知っているにゃ?
僕らのトップシークレットにゃ!」
「チヤ、チャトラ、誘導尋問にゃ、余計なこと言っちゃだめにゃ!」
キジシロはチャトラの口を慌てながら塞ぐ。
「猫耳付けてニャーニャー言えば良いなら少し待ちなさい!」
そう言ってラビナはポシェットのようなカバンから白いハンカチを取り出す。
そして手早く折り曲げて開き、猫耳のようなものを作って頭にのせる。
「これで私も猫にゃ。
地球猫として認めるにゃ」
ラビナは両手を開き、猫たちにアピールするように言う。
ジュニアは右手をこめかみにあてて眉間に皺をよせる。
「あ、あれ?
変にゃ、ラビナが猫になったにゃ。
ラビナは猫だったのかにゃ?」
「だ、騙されるにゃ、チャトラ。
ラビナは擬態しているにゃ。
巧妙な擬態にゃ」
猫たちは、ニャゴニャゴ、と議論を始める。
「どう?
鬱陶しいでしょう?」
ラビナはジュニアのほうに振り返り、両手を広げ、肩をすくめてみせる。
「確かに頭が痛くなってくるね」
ジュニアは眉間に皺を寄せて、こめかみを右手で押さえる。
「どこまでが本気でどこまでが冗談なのかサッパリ判らないわ。
アルタルにはこの手合いがわんさかと居るのよ。
信じられる?」
「そうは言うが、ラビナ。
君だって同じ次元まで落ちているじゃないか。
そもそも付け耳して語尾にニャーニャー付けるなんて二十歳超えた人間がして良いものじゃないだろう?」
ジュニアはラビナの頭上のハンカチを見ながら呟く。
その瞬間静寂が訪れる。
ラビナも地球猫たちも一斉にジュニアを凝視する。
ラビナのジュニアを見る眼は冷たく、地球猫たちは泣きそうな眼でジュニアを見つめる。
「ジュニア、貴方は今、大きな勢力を敵に回そうとしているわ。
謝罪して前言を撤回するなら今のうちよ?」
ラビナは冷たい口調でジュニアに言う。
「え?
なに?」
ジュニアは気圧されて一歩下がる。
「貴方は大きな過ちを三つ犯しているわ。
一つめは夢の国では、猫の付け耳をしようが鼠の付け耳をしようが全然構わないの。
二十代だろうが四十代だろうが六十代だろうが、女性だろうが男性だろうが」
「え?
そうなの?
夢幻郷では皆付け耳を着けているの?」
「夢の国の一般的な話よ。
夢の国にも色々あるのよ。
その国に入ると、多くの人は老若男女問わず鼠の付け耳を着けたくなるのよ。
皆それを楽しみにしているの。
それを否定すると後々大変なことになるわよ」
ラビナは愚か者に道理を説くような口調でジュニアに優しく語りかける。
ジュニアは、そ、そうなんだ、知らなかったよ、と怯みながら応える。
「そして二つめは、私は未だ十九歳。
二十歳前よ」
「え?
そ、そうなんだ。
それは悪かったよ」
ジュニアはラビナを宥めるように言う。
しかしあれだけ酒をかっくらって十九歳って、いいのか? とジュニアは納得いかなさそうに首を傾げる。
「まあ、それは良いわ。
そして三つめは、実際に目の前で付け耳を着けている人たちに失礼じゃない。
ね?」
ラビナはにっこり笑いながら地球猫たちに同意を取るように言う。
「お、俺らは付け耳じゃないにゃ!」
「そうにゃ、そうにゃ!
何を根拠に付け耳って言うにゃ!」
ラビナの言葉に地球猫たちは一斉に抗議する。
「何よ!
煩いわね!
そんなに言うなら、耳、引っ張らせなさいよ!」
ラビナは地球猫たちに向かって一歩踏み込む。
地球猫たちは、わ、と言いながら慌てふためいてラビナとの距離をとる。
「ラビナに耳を引き千切られるにゃ!」
「俺らの耳を引き千切る気にゃ!」
「危険にゃ!」
「逃げるにゃ!」
ラビナは、ふん! と鼻息荒く腕組をする。
「俺らの耳はとってもデリケートにゃ、ラビナが引っ張ったら千切れてしまうにゃ!
ラビナだって耳を千切られるのは嫌なはずにゃ!」
キジシロがいいわけがましく言う。
皆口々に、そうにゃそうにゃ、と合わせる。
「何よ、付け耳のくせに!
本物の耳が引っ張っただけでそう簡単に千切れるわけないわ!
だいたいそこの青いのは付け耳すら付けていないじゃないの!」
ラビナは青い髪をした猫耳の無いややふっくらした顔の地球猫を指さす。
青い髪の地球猫は、え? え? と慌てふためく。
「僕の耳は地下鼠との戦いで食い千切られてしまったにゃ!
名誉の負傷にゃ!」
青い髪の地球猫は涙目になりながら言う。
地下鼠とは魔の荒野に隠れ住む鼠に似た生物であるらしい。
「地下鼠がそんな綺麗に耳だけを食い千切るわけないじゃない!
不自然極まりないわ!
おおかた今日の朝、付け耳を着けてくるのを忘れただけでしょう?
だいたいそんな鮮やかな青の毛並みの猫なんているわけないじゃないの!」
「酷いにゃ!
酷いにゃ!
青い猫はいるのにゃ!」
青い髪の地球猫は泣きだす。
「たしかにそうにゃ、アオは本当に地球猫なのかにゃ?」
ハチワレが口を挟む。
地球猫たちは、にゃごにゃご、とアオと呼ばれる地球猫が本当に地球猫なのかを議論しだす。
アオはいつから猫耳が無いんだったかにゃ?
そもそも猫耳が在ったことあったけにゃ?
あの青い色は猫としていかがなものかにゃ?
「みんな酷いにゃ!
酷いにゃ!
酷すぎるにゃー!」
アオはそう叫び、号泣しながら駆け去っていく。
「あらら、貴方たち本当に酷いわね。
青い子、泣かせてしまって……」
ラビナは他人事のように言う。
「あのさぁ、ラビナ。
長いよ。
これ何時まで続けるの?
目的見失っていない?」
ジュニアは眉間の皺を更に深く刻みながら口を挟む。
ラビナは、え? ええ、そうね、と姿勢を正す。
「ねぇ?
ミケは?
ミケはどこにいるの?」
ラビナは地球猫たちに訊く。
ジュニアは、最初にそれを訊けよな、と呟く。
「ミケ?
ミケは追っかけをしているにゃ」
チャトラが応える。
「追っかけ?
何の?」
ラビナは、意味が分からない、というように訊き返す。
「ミケは病気にゃ」
黒地に鮮やかなオレンジ色がモザイク状の模様となった髪の小柄な地球猫の少女が笑いながら応える。
「ミケの所に連れていってあげるにゃ」
地球猫の少女は言う。
「サビ!」
チャトラは地球猫の少女の言動に慌てたように言う。
ラビナとジュニアは顔を見合わせる。




