第二章最終話(十一)来訪者
――崩壊歴六百三十三年の九月九日
そろそろ来るはずだ――。
エリフは古いほうの、『エリナのおかあさん』が作ったログハウスで軽食を用意して待つ。
一人ではゲートは開かない。
旅支度もここにある。
だから必ずここに現れるはずだ。
エリフはそう予想している。
テオは既に身辺整理を終え、旅立っている。
新しいログハウスのほうは片づけ終わっている。
エリナには今日の夜、ジャックからおかあさんが失踪したことが伝えられるだろう。
――トントン
ログハウスのドアがノックされる。
どうぞ、とエリフは応える。
ドアが開き、黒灰色の見る角度により色を変える不思議な髪をした女性が現れる。
その姿は今のエリフと酷似しているが、年齢は十ほど上に感じられる。
それでもその美しさは変わらない。
女は簡単な白衣を着ている。
「君は、何年後の私だ?」
エリフは問う。
問うほうも問われるほうも、何の表情も浮かべてはいない。
「石化している時間を除けば、十四年後の君だ。
食事を頂戴するよ」
白衣の女性、年長のほうのエリフ、二人目のエリフは即答し、テーブルに座る。
そして用意されている軽食を食べる。
若いほうのエリフ、一人目のエリフは、お茶を淹れて、テーブルに二つ置く。
「いつ旅立つ?」
一人目のエリフは二つ目の質問をする。
「身を清め、着替えたらすぐ」
二人目のエリフは再び即答する。
「三人目は現れるのか?」
一人目のエリフは三つ目の質問をする。
「ここには現れない」
二人目のエリフはあらかじめ用意してあるように即答する。
一人目のエリフは訊きたい三つの質問を終えた。
得られた回答は簡潔ながらも十分で、後の質問は自動的に答えが判ってしまう。
また、判らないことは訊く必要がないことばかりだ。
二人のエリフは、これから直交空間へのゲートを二つ開く。
一人ではゲートを開くことはできないが、二人でなら可能だ。
エリフの空間魔法は古きものを呼んでしまうほど強力にはなりえない。
一人目のエリフの旅立は確定事項だが、二人目のエリフもまた旅立つという。
二人のエリフはそれぞれ別の目的のために、別のゲートを潜る。
『エリナのおかあさん』とは誰なのか?
これの答えは簡単だ。
テオも既に推測し、言い当てている。
十四年後のエリフ、二人目のエリフである。
一人目のエリフはこれから直交空間へのゲートを潜る。
そして二年目以降に恐らくエリナの育成に関わっていくことになる。
一人目のエリフがエリナのおかあさんになることが確定事項なのかは判らない。
しかし、恐らくはエリナの実の母親に危機が訪れるはずだ。
それを回避することが当面の目的となる。
これからのことが予定調和であるのならば、一人目のエリフの時間軸で五年後に今の時間のほぼ十年前の時間に戻ってくる計算になる。
エリナを連れて。
『エリナのおかあさん』として。
なぜ『エリナのおかあさん』は、二人目のエリフは、犠牲魔法を行使しながら石化魔法で身を保存したのか?
理由は幾つか考えられるが、一つはこの先、一人目のエリフだけでは直交空間へのゲートを開けないからであろう。
以前のエリナならば一人で直交空間へのゲートを開くこともできただろう。
一人目のエリフと今のエリナが協力してでも開くことができるかもしれない。
しかし、二人目のエリフはそれを望まなかった。
今の体のままで転生ができるかが判らない以上、簡単に死ぬわけにはいかない。
だから石化してでも体を保存した。
――最近の先生はおかあさんでしたから。
一人目のエリフは、ジャックの言葉を思い出す。
今のエリフは、この体で転生できるか興味がある。
ひょっとしてこの地獄のような転生の繰り返しが終わるのではないかとの予想もある。
しかし、二人目のエリフにはその興味以上に、そしてエリナを置いてでもやらなければならないことがあるようだ。
しかしそれが何なのかは一人目のエリフは訊かない。
十四年後には判ることだから。
二人目のエリフは恐らくもっと過去へと遡る方法を模索するのだろう。
その目的と方法は一人目のエリフには判らない。
判らないが、今は知る必要がない。
二人目のエリフが過去に戻ったとして、生きてこの時間を通過しているのならば、三人目のエリフとして、この場に現れてもよさそうに感じる。
『エリナのおかあさん』として、以降を引き継ぐために。
しかし三人目のエリフは現れないと、二人目のエリフは言う。
身動きがとれないのか、死んだのか、ここに来る必要がないと判断しているのか。
それともより未来へ跳んだのか――。
理由は判らないが、それも運命なのだろう。
真相は何れ判る。
身をもって知ることになる。
この繰り返しが予定調和であるのならば。
だから今は知る必要がない。
知らないからこそ先を歩んでいける。
エリフがかつて出会った黒灰色の魔女エリーとは何者なのか?
エリフがここ数百年知りたかった謎の答えが既に出ている。
未来のエリナだ。
成長し、経験を積んだエリナだ。
多くの場数を踏み、黒灰色の魔女の伝説、その一部となるエリフの娘のエリナだ。
三人目のエリフが居なくても、エリナの成長は確定していることになる。
この繰り返しが予定調和であるのならば。
疑問は残る。
例えば、どうやってエリナは過去に跳ぶのか?
しかしこれの答えは二人目のエリフも持っていないだろう。
だから訊かない。
エリナ単独で直交空間へのゲートを開くのか、三人目のエリフと協調するのか。
それとも直交空間を経ずに過去に跳ぶ方法を見つけるのか……。
「身を清めてくる。
この本の二十五ページから直交空間のゲートの開きかたが載っている。
見ておいてくれ」
二人目のエリフは空間に歪みを作り、中から、古い分厚い一枚の動物の革で表紙と背表紙を構成した本を取り出す。
その本は背表紙から表に本の開きが革のベルトで閉じられている。
なにか禍々しい雰囲気を醸しだす古書のようだ。
二人目のエリフは一人目のエリフにその本を手渡す。
そして『エリナのおかあさん』の部屋のクローゼットに向かい、着替えを取る。
そして水浴びをするべく外に出る。
一人目のエリフは本を開き、該当ページを見る。
確かに直交空間へのゲートの開きかたが記載されている。
エリフは熟読する。
魔法の作動機序に関して理解する。
ゲートを開き、そして閉じる方法を確認する。
実際、本には直交空間に関しての記述はその二つしか載っていない。
直交空間に関しての残りの記載は、どのような場所であるのかといった見聞録が少しあるのみである。
何処と何処を繋ぐのかの記載は一切無い。
これではどこに繋がるかは全く分からない。
元の時間に戻るためには、直交空間へのゲートは開いたまま維持する必要がある。
ただ、それがいかに危険であるかは記載されていない。
エリフにはこの本が無責任極まりない焚書にするべき魔導書に見える。
誰しもが直交空間へのゲートを開けるわけではないが、考えなしにこの本を鵜呑みにして真似をすると、人類は滅びかねない。
一人目のエリフは直交空間に入った場合、中からゲートを閉じる必要性を痛感する。
エリフは魔導書の他の部分も読み進める。
冒頭の部分は酷い。
才能あふれる、しかし経験の乏しい若者が思慮なく自分の知識をひけらかしているようだ。
これらは貴重な知識ではあるが有害である。
冒頭以降は急速に思慮深く慎重な記述に変わってゆく。
間違いが起こらぬよう、悪用されぬようにするために。
恐らく著者の年齢が進み、経験深く慎重になっていったためであろう。
それゆえ後半は正確ではあるが、応用するには読み手に高い前提知識を要求する難解な知識群となる。
エリフは魔導書から天才と言って良い著者の成長を読み取る。




