第一章第一話(八)アムリタの羞恥
「ええ?
なぜ?」
「地上に居ると必ず見つかってしまうからだよ」
アムリタは一瞬うろたえる。
何故そこまでして隠れなくてはならないのか理解できないからだ。
「アムリタ、もしかして、君は泳げないの?」
ジャックは心配そうにアムリタに訊く。
泳げるし潜れる。
しかし今何故この五月のまだ肌寒い季節の、しかも真夜中に潜らなければならないのか、アムリタにはその必要性が全く判らない。
「君も急いだほうがいいよ」
ジャックはやさしく、しかし淡々と言う。
大丈夫、暗いから何も見えないし、僕は見ないよ、と付け加える。
アムリタは恐るおそる、サンダルを脱ぎマントを脱ぎ、上着を脱ぎ、上半身を肌着だけとなる。
ズボンを脱ぐのは躊躇われたので履いたままである。
脱いだものは岩の下に押し込み、上から落ち葉を詰め込み見た目に判らないようにする。
見れば飛空機は森から離れ、川岸に下りている。
「本当に水の中でなければ見つかってしまうの?」
「確実にね。
彼らには熱が見えるんだ」
ジャックは涼しい顔でそう応える。
「ほら来るよ。
準備して」
ジャックは水の中に飛び込む。
アムリタは恐る恐る川面に足をつける。
水面は流れに揺られ、闇の中に墨のように黒く、水は泳ぐにしては冷たすぎる。
アムリタは草原のほうを見る。
そのとき停止していた飛空機が浮かび上がる。
機首を回頭させ、進路をこちらに向けたかと思うと猛スピードで近づいてくる。
「来たー!」
アムリタは再度、真暗な川面を見る。
この中に飛び込むのね、アムリタの顔は嬉しそうに笑っている。
アムリタは足から飛び込み、潜る。
水中ではジャックが待っていて、アムリタの右手を掴む。
川の流れはゆっくりではあるが圧倒的な圧力でアムリタを流そうとする。
ジャックはアムリタを岩の上流に導き、川下にある岩場に抱き着くようにして流されないように踏ん張る。
水上が激しく光り、やがて暗くなる。
飛空機は上空を探索している。
ジャックはアムリタの手を曳き、岩の反対側に誘導しアムリタの顔を水面上に出させる。
アムリタはそこで深呼吸をする。
そのとき、上空から激しいエンジンの音を引き裂くように女の叫ぶ声が聞こえてくる。
「ジャックーッ!
居るんでしょう!
出てきなさい!
ジャックゥーッ!」
ジャックはアムリタに向かって下を指さすジェスチャを行い、再び潜る。
アムリタは訝しがりながらもジャックに倣い潜ることとする。
しばらく光は上空を探索するように揺れ続ける。
ジャックは上空の探索者から影になる位置でアムリタに息継ぎをさせる。
「ジャックー!
話があるの!
聞いて!
お願いだから!」
エンジン音に交じり、遠くで女の、少女の、悲痛な叫びが聞こえる。
やがて、音は遠くを旋回するように聞こえてくるようになる。
そしてついに音が消え、あたりは暗く静かになる。
ジャックは岩に手をかけて登り、アムリタを引き上げる。
アムリタの肌着は水に濡れ体に張り付き、形の良い二つの胸のシルエットが暗闇に浮かぶ。
この格好、どうしてくれよう、アムリタは負けるものかと真暗闇の中、ジャックの目を見て胸を張る。
「協力してくれて助かったよ。
ありがとう」
ジャックは暗闇の中、アムリタの目をまっすぐ見つめ礼を言う。
素直な感謝の意を示されてアムリタは、どういたしまして、と応えてしまい、抗議の機会を逸してしまう。
ジャックは踵を返すと、隠した荷物を回収するべく岩々を跳ぶ。
真暗闇の中、アムリタもそれに続く。
「これで体を拭くといい」
自分のマントと白いハンカチーフをアムリタに手渡す。
アムリタは有難う、と言って受け取る。
「あの岩の下で火を焚こう」
ジャックは街道側の川岸にある一番大きな岩を指差しそう言う。
大岩の下には人が数人雨宿りできる程度の空間がある。
「大丈夫なの?
見つからない?」
「もうかなり離れたから大丈夫だよ。
それにこのままでは風邪をひいてしまうしね」
ジャックは大きな岩の影に移動し、落ち葉や枯れ枝を集める。
そしてカバンの中から燃油を取り出し、布に含ませて火を付ける。
最初小さかった火は適度に燃え広がる。
ジャックは周囲の枝や落ち葉を集め火にくべる。
「何か燃えるものを拾ってこよう」
ジャックはそう言って、大岩の裏側に消える。
アムリタは濡れた衣服を脱ぎ、ジャックのハンカチで体を拭く。
そして一糸纏わぬ姿の上にジャックのマントを纏う。
ジャックのマントはアムリタの肩から膝下までを隠す。
アムリタはジャックのマントの前を左右に重ねて巻き付け、マントの紐を帯とする。
そして、濡れた肌着とズボン、下着を絞り、焚火の周りの岩に広げ置き、自分もその横の岩に腰かける。
「もういいよ、ジャック!」
アムリタは焚火に手を翳しながら大岩の後ろに声をかける。
なにが? というような顔をしながらジャックは木の枝を抱えて戻ってくる。
既に着衣を整えている。
ジャックは木の枝を、ドサリと下すと、アムリタと火を挟んで向き合うように岩に座る。
焚火に枝をくべ、炎の加減を器用に調節する。
「空賊の女の人、ジャックが好きなんだね」
アムリタはジャックをからかうように断言する。
ジャックは無言でアムリタを見る。
「必死でジャックを探していた」
見つかれば余計なコミュニケーションをしなければならない、とジャックは言った。
たしかにそのとおりだ。
場合によっては、拘束されてしばらく自由に動けなくなる、これは場合によってなんかではなく確実にそのとおりになっただろう。
嘘は言っていない、しかしニュアンスの乖離に笑ってしまう。
ジャックは見つかっても拘束されるだけだろう。
しかしあの格好で自分が捕まったら果たして無事で済んだだろうか。
アムリタはクスクスと笑う。
そんなアムリタをよそ目に、ジャックは大きなカバンから干し肉と乾パンを取り出し、アムリタに手渡す。
「ありがとう」
アムリタは受け取り、干し肉を口にする。
「うん、美味しい。
そう言えば久しぶりに食事をしたような気がする」
アムリタは干し肉をペロリと平らげる。
「巻き込んで申し訳ない」
ジャックは空を見ながら呟く。
アムリタは何に対してこの人は謝っているのだろうと考える。
ジャックはアムリタが呼び寄せてしまったクリーチャーからアムリタを逃がしてくれた。
クリーチャーはジャックの知人たちを襲った。
ジャックは巻き込まれた知人を救う為に彼の切り札を使うはめになってしまった。
その切り札は、恐らくは今、ジャックが会いたくない人を呼び寄せた。
だからジャックは川に潜って隠れなければならなかった。
ずぶ濡れになってしまったのは不本意だが、ジャックが謝る筋合いではないだろう、そうアムリタは考える。
「ほんと、初めて会って一時間ほどで裸に剥かれるとは思わなかったわ」
アムリタはカラカラと笑いながらジャックをからかう。
「さすがにそれは人聞きが悪いな」
ジャックも笑う。