第二章最終話(八)キメラの如き
何度目であろうか。
エリフは袋の中で目覚める。
自分はまた死んだのだ。
自分を追う古きもの、巨大な蛙に似た化け物の長く伸びる左腕に跡形もなく粉砕された。
しかも、嗚呼! そうだ……。
しかもエリナまで巻き添えにしてしまったのだ。
私の大事な娘、エリナ。
私の大事な弟子、エリナ。
死なせてしまった。
そして自分はこうしてのうのうと転生している。
エリフは我が身を呪う。
エリフは顔の真上、肉の袋の内側に左手の親指の爪を突き入れる。
肉の袋は裂け、エリフは裂け目を自分の下半身のほうに広げ、割いてゆく。
袋の中の羊水に似た液体が袋から溢れ、流れ出す。
この袋は転生したエリフの体を育んだものだ。
袋の一部とエリフは臍の緒で未だ繋がっている。
エリフは違和感を持って、肺の中の水を苦しそうに吐き出す。
色々おかしい。
妙だ。
息を吸う。
空気で肺が満たされる。
エリフはしばらく咳き込む。
女の胸が、二つの乳房が、視界に映し出される。
濡れた黒灰色の髪が俯く顔の周りを揺れる。
なんだ?
これは?
エリフは目を開けたまま深呼吸をする。
手を見る。
華奢ではないが細い腕に細い手指が動く。
体を見る。
若い女の体だ。
確かな存在感のある二つの乳房がエリフの眼下で自己主張する。
腰は贅肉がなく縊れていて丸みを帯びている。
股間には黒灰色の陰毛が生えていて、男性器は無い。
足は白く長く細い。
なんだ?
これは?
エリフは傍らにもう一人居ることに既に気が付いている。
未だ羊水に似た液体の中に横たわるその姿は、年齢こそやや幼くなっているが、エリフの知る、黒灰色の魔女、エリーそのものであった。
少女は上半身を起こし、羊水に似た液体から上半身を出す。
少女は俯きながら肺の中の水を苦しそうに吐き出す。
そして涙を流しながら咳きこみ、顔をあげる。
少女は灰色がかった水色の目でエリフを見上げる。
少女は彫の深い、鼻筋の通った美しい容貌を驚きの表情に変える。
見る間に両の瞳に涙が溢れだす。
「おかあさん。
良かった、転生できたのだな?」
少女はエリフに抱き着く。
抱きつきながら嗚咽する。
エリフは裸の少女を裸のまま抱きしめる。
「エリー……」
エリフは少女に問いかける。
少女は大きな眼を更に見開いてエリフを見上げる。
「そうだよ、エリナだ。
おかあさん。
記憶が戻ったのだな?」
――エリフ、敬愛する白銀の魔法使いよ。
――どうか私をエリーと呼んで下さい。
――親しいものは皆、私をエリーと呼びます
エリフは黒灰色の魔女、エリーの言葉を思い出す。
エリフは黒灰色の髪の少女、エリナに微笑みかける。
優しげなしかし何かを超越したかのような微笑みを。
「エリー、残念だが記憶は相変わらず無い。
でも君は私の娘だ」
エリフはエリナを胸に抱き、エリナの黒灰色の頭を撫でる。
ああ、こういうことか。
欠けていたピースが埋まってゆく。
エリナは黒灰色の魔女エリーの姿そのままに転生した。
そして自分もまた、恐らくは黒灰色の魔女エリーの姿そのままに転生したのだろう。
エリフはエリナの魔法構成を見る。
半分が空間魔法、半分が死霊系魔法、そして幾つかの雑多な他の構成の混成となっている。
しかし単にヘテロジーニアスという概念を超え、複雑緻密でかつ合理的に絡み合っている。
キメラ構成とエリフが名付けた、かつて見た黒灰色の魔女の魔法構成が目の前に露出している。
そして自分にもまた、同じ魔法構成がその身に刻まれている。
この構成では一度で強力な魔法は使えないだろう。
制約だらけでもある。
しかし組み合わせが面白い。
工夫次第で今までできなかったことを実現できるだろう。
そして何が良いかと言えば、禁呪の構成でありながら、強すぎる空間魔法、強すぎる死霊系魔法が使えないことだ。
それぞれの構成で合成した魔法はそれなりに強力ではある。
しかし上限が低い。
つまりは彼の者たちを、古きものの眷属たちを呼んでしまうことは無くなる。
彼の者たちに付きまとわれることもないのだ。
エリフの左手が禍々しい黒い霧に包まれる。
エリフは肉の袋とエリナを繋ぐ臍の緒を左手で断ち切る。
そしてエリナの臍に手を当てる。
黒い塊がエリナの臍のあたりに成長する。
それは瞬く間に収縮し黒い瘡蓋のようになり固まる。
続いて自分を繋いでいる臍の緒も同様に処置する。
エリフは立ち上がる。
そしてエリナの手を引き、エリナを立たせる。
エリナは素直に立ち上がる。
エリフのほうがエリナより少し身長が高いようだ。
エリナは自分の体を見る。
「随分身長が伸びたようだが?」
エリナは自分の体を見て言う。
「二人で転生するにあたり、二人のDNAは混ざり、一つの卵になったようだ。
表現形は一般にフィメールのほうが強い。
だから性別は女性となったのだろう。
卵は二つの魂魄を収めるべく、二分割卵で二つに分かれた。
だから今の君と私は遺伝学的には一卵性双生児だ」
エリフはエリナに説明する。
エリフは洞の隅に置かれていた油紙を破く。
中には拭き布と衣類が二人分ある。
エリフはエリナに拭き布を渡す。
そして自分も拭き布で濡れた体を拭く。
濡れた黒灰色の長い髪を拭く。
エリナは自分の体を眺める。
「おかあさんと一緒になったのか……」
エリナは呟く。
「早く体を拭いて服を着なさい。
風邪をひくよ」
エリフは、一向に動こうとせず、自分の体を眺めるエリナを咎める。
「ああ……。
判った。
おかあさん」
エリナはそう言いながら緩慢に体を拭く。
体の動きを一つ一つ確かめているようだ。
「体は違和感があるかもしれないが動かしている内に馴染む。
ただ顔面の筋肉は意図して動かさないといつまでも馴染まないから気を付けて。
意識して笑うと良い」
エリフはお手本を示すように、笑みを浮かべる。
「ああ……。
判った。
おかあさん」
エリナは服を着ながら応える。
服は、スモッグにズボンが二着用意されている。
サイズは二人に合わせられているようだ。
下着は無いが急場は凌げる。
二人は同じ格好で向き合う。
エリフのほうがやや背が高く、歳もやや上に見える。
エリフは優しい微笑みを浮かべてエリナを見つめる。
エリナのほうがやや背が低く、やや幼い顔立ちをしている。
その顔には感情が全く見えない。
エリナはジッとエリフを見つめ返す。
「魔法構成が変わっている。
空間魔法の構成が半分に減った分、死霊系魔法の構成が融合している。
しかし、君にはもともと死霊系魔法の構成がささやかながら刻んであった。
だから各魔法構成の比率が変わっただけとも言える」
エリナのおかあさんの意図を、エリフはエリナに説明する。
予定されていたエリナの転生と魔法構成の変性。
それらに備えるために、エリナのおかあさんは、ささやかな死霊系の魔法構成をエリナの体に刻み、死霊系魔法の鍛錬を行わせた。
そうだ、エリフとエリナの転生と変性は予定されていたのだ。
「私はおかあさんと一緒の魔法構成になれた。
私はおかあさんのような偉大な魔法使いになれるだろうか?」
エリナはエリフに訊く。
「エリー、君は私を超える存在になる。
これは決まっていることだ」
エリフはどこまでも優しい笑みを浮かべて、エリナに断言する。
「しかし、その為に君は旅をしなければならない。
私が経験しなかった旅へと」
エリフは続ける。
エリナが何かを問おうとして息を吸い込むのに合わせて言葉を続ける。
「――ヨシュアを残して来ている。
レイズン湖に戻ろう」
「――!
ああ、判った、おかあさん」
二人は連れ添って洞の外に出る。
曇り空ではあるが雨の気配はない。
比較的高い山中にある洞であるようだ。
エリフは高台に上がり、遠方に湖を見つける。
レイズン湖であろう。
湖畔に戻ろう。
既にテオが湖畔のヨシュアに気付いているだろう。
それにジャックも来ている筈だ。
イリアも到着しているかもしれない。
イリアは怒るだろうか?
崩壊歴六百三十二年の十月二十七日のことであった。