第二章第三話(十二)高速リフト
「まあ、でもそれなりに得るものはあったんじゃないかな?
九千メートルの高みへの踏破はかなりに非日常だからね」
皆の沈黙の後、ジャックはとりなすように言う。
アムリタは上目遣いでジャックを見る。
エリーはジャックの言葉に内心で同意する。
いや、大収穫か、エリーは思い起こす。
極限状況でも防御魔法で人を護れる。
自分以外を護ることができる。
単に自分ではできないと思い込んでいたおかあさんの魔法が、自分に使える魔法の組み合わせにより可能になる。
私は私の大切な人たちを完全に護ることができる。
今は未だどこまでできるか判らないが、近い将来必ずできるようになってみせる。
それに今回の冒険でエリーはアムリタの凄みが実感できた。
アムリタにしても、魔法の抑制、封印の一部を削り落とすのに成功している。
旅の目的の一つは達成できていると言えよう。
アムリタはこのことを自覚しているのだろうか?
エリーはアムリタを見る。
「ええ、確かにそうね。
何か軽くなった気がするわ」
アムリタは頷き、ジャックに向かい微笑みを作る。
うんうん、とジャックもアムリタに笑いかける。
「それはそうと、ジャック、ここはジャックのものなの?」
アムリタはジャックに訊く。
「マリアのカンパニーが実効支配している場所だね。
うん、僕の管理下にあると言って良いのかな?」
ジャックは穏やかな表情で応える。
「折角だから、私頂上に行きたいなあ。
良いでしょう?
一万二千メートルブロックは安全なんでしょう?」
アムリタはジャックに両手を合わせながらおねだりするように笑う。
ジャックはあからさまに嫌そうな顔をする。
「そう言えば、私も登ったこと無いな。
私も行くわ」
ソニアが同調する。
「僕としたことが、考えなしに言ってしまったね……。
上が安全なのは君たちみたいな危険人物が居ない前提でだよ。
君たちが居れば危険極まりないから連れて行けないなぁ」
ジャックは心底嫌そうに呟く。
ソニアはそんなジャックを無視して円を描く周回通路を奥に向かって歩き始める。
その後に大きな重機が従って付いてゆく。
アムリタもソニアを追う。
「ああ、もう嫌な予感しかしないよ」
ジャックは渋々と言った感じで二人を追う。
ジャックに二体のサポートロボットとエリーが続く。
通路は右に弧を描き、右に折れる三叉路に辿り着く。
ソニアは右の通路を進む。
右の道はかなり長い直線になっている。
一行は千五百メートルほど歩いたところにある大きな扉の前に止まる。
「ここはほぼ中央なのか?」
エリーはジャックに訊く。
「うん、そう。
最上階への直通リフトだよ」
ジャックは応える。
ソニアがリフトの前のコンソールを操作すると大きな扉が左右にスライドする。
そこは十メートル四方ほどの部屋になっている。
一行は中に入る。
ソニアが部屋の中のコンソールを操作すると扉は締まり、やがて部屋全体が持ち上がる感覚がする。
それは重力の増加、自分の体重の増加により足への負担を増やす。
「九千メートルから一万二千メートルへの直通リフトだよ。
三千メートルをたった百秒で持ち上げる超高速リフトなんだ。
これは凄いことなんだよ?
空力的な問題ももちろんあるんだけれど、垂直に登るエレベータは高速になればなるほど地球の自転の影響を受けるんだ。
西側に流されるうえに、緯度がある場合、それは回転運動を伴うから、北半球の場合、反時計回りに回転するんだよ。
台風と同じだね。
なので、それを打ち消す方向にリフトを誘導・回転させることにより初めて安定する。
最高速度時速二百キロを優に超えてなお、この静粛性、安定性。
凄い技術だろう?」
ジャックは、判っている? というように皆に言う。
ソニアは無視してコンソールの画面を眺める。
エリーは無言でジャックの顔を見ている。
アムリタは、まあ、凄いのね、と応じる。
なるほどジャックの言うとおり、重力は普通になり安定している。
その後もジャックの蘊蓄は続く。
「このリフトが、リニアモーターとかではなく、カウンターウエイトを六千メートルちょっとの長さのロープでバランスさせる古典的なエレベータだっていうから驚きなんだよ。
これを造ったエンジニアたちのドヤ顔が目に浮かぶね。
そのロープの細さを見ると、君たち二度とこのリフトに乗ろうという気が失せること請け合うよ」
ふははは、と笑いながらジャックが嬉しそうに言ったとき、宙に浮く感覚、足にかかる負担が減る感覚となる。
「おっと、そろそろ到着だ」
重力は次第に正常に戻り、安定する。
チーン、という音がし、扉が開く。
扉の向こうは廊下となっている。
ソニアは扉から出る。
二足歩行の重機がそれに続き、他のものも更に続く。
廊下は十字路になっていて、そのいずれも突き当りが扉になっている。
十字路は比較的大きな円形になっていて、その中央に一回り大きな円が床にある。
天井を見ると、丁度同じ大きさの円形の穴となっていて階上に空間があることが判る。
「気温マイナス五度、零点七気圧にコントロールされている」
エリーは呟く。
ジャックは、うんさすがエリー、計測器みたいだね、と笑う。
「このリフトで上の階にいける」
ジャックは円形の床の中に入る。
一行もそれに続く。
皆が円の中に入ると、円形の床がせりあがり、階上に到着する。
階上は半径三十メートルほどの円形の広間となっていて、周囲には下に降りる階段が十六方位にある。
下からはブーンという音が聞こえる。
円形の動く床の横には天井に続く梯子がある。
「周囲の階段は、フライホイール蓄電器のある部屋に続いていて、全部で十六機ある。
見ていく?」
ジャックはアムリタに訊く。
「そうね、興味はあるけれど、それより上はなんなのかしら?」
アムリタは空間の上にある巨大な金属球を指さす。
「この超高層ピラミッドの頂上に据えられた天文台とレールガンさ。
この球状の天井は最上階にある球状の部屋のケースだね」
ジャックは誇らしげに言う。
ジャックは梯子に上り、金属球の最も低い部分にあるボタンを押す。
しばらく、グーン、という音が続きガシャンと響く。
そして金属球の天井の最下部に入口穴が開き、中は幾重の層になっていることが判る。
上から梯子が降りてきて下からの梯子に連結する。
ジャックは梯子を更に上り、入口穴の中に消える。
ソニアがその後に続き、アムリタ、エリー、二体のサポートロボットが更に続く。
上は球の底になっていて、球の内周の通路に続く階段がある。
皆はその階段を上り内周の通路に辿り着く。
「みんな、来たね?」
ジャックはそういうと、下へと続く階段が折りたたまれ、最下層に開いていた穴が閉まる。
球の中心には台座があり、そこから四角い筒と丸い筒が重なって球の一方の外壁へと延びている。
「丸いほうが反射式望遠鏡で四角いほうがレールガンさ。
このピラミッド全体が電波望遠鏡になってもいるんだよ」
ジャックは説明する。
「一万二千メートルの高さは上層雲のほぼ上限なんだ。
だからここは一年で八割がた晴天なんだよ。
天文観測にはうってつけさ。
少し寒くて息苦しいのが玉に瑕だけれどね。
地上じゃ砂漠の砂が舞って、六等星以下を見ることが困難だけど、ここなら凄い星空を見ることができるよ。
銀河なんて本当に銀の河だよ。
少し動かすから、みんな動かないでね」
ジャックは嬉しげに説明する。
ジャックはアムリタを誘い、中心の台座に立ってコンソールを操作する。
すると内周の通路だけを残し、球全体が回転する。
アムリタはジャックに勧められ、望遠鏡を覗き込む。
そこには月のクレーターが写っている。
「あらー、素敵ね」
アムリタは感嘆の声をあげる。
「夜、星を眺めるとロマンチックだよう。
彼氏と星を見ると時間を忘れるよう」
ジャックは煽る。
アムリタは、そうね、ロマンチックよね、と頷く。
「で、ジャック。
レールガンってなにかしら?」
アムリタは突然話題を変える。
「え?
武器だよ。
マスドライバーにもなるけど。
五十キロの弾丸やペイロートを電磁誘導によって音速の約八倍弱まで加速して打ち出すことができるんだ。
この高さから打ち出すので有効射程距離は四百キロを軽く超えるんだよ。
ほら、僕の人工衛星、ソニアに取られてしまっただろう?
だから僕の今の切り札だね」
ジャックは説明しながら、球状の部屋を元の位置まで戻す。
「あら、ジャック。
独り占めは良くないわ。
私とシェアしましょうよ」
ソニアが笑顔で言う。
「そう言うと思ったんだよねぇ、ソニア。
だから君を連れて来たくなかったんだよ」
ジャックは嫌そうに顔を顰める。
「もう遅いわ。
私の『眼』とリンク張ってしまうから」
ソニアはコンソールを軽いタッチで操作する。
「ソニア、ソニア、ちゃんとルールを作ろう。
これは危険なものだから……」
「分かっているわ。
私としてもいざという時に使いたいだけで。
ところでサポートロボットの権限も分けてもらいたいんだけれど……」
「ソニア、それは困る……」
「いいじゃない、ジャックだってもともとおじいさまのものを引き継いだのでしょう?」
ジャックとソニアは揉めながら打ち合わせを開始する。
二体のサポートロボットは怯えるように互いに抱き合いながらソニアとジャックを見上げる。
「ねぇ、ジャック。
この上には行けるのかしら?」
アムリタは内周の通路に戻りながらジャックに訊く。
「え?
ああ、そう訊いてくると思ったんだよねぇ、アムリタ。
だから君を連れて来たくなかったんだよ。
行けないよ。
って言うか、エリー、連れて行ったらダメだからね」
ジャックは、更に嫌そうに顔をしかめながら言う。
「あ、そうか。
エリー!
ちょっと上に連れて行ってもらえないかしら?」
アムリタはエリーの両手を握りねだるように訊く。
エリーは先ほどから空中に文章を綴り続けている。
文章は銀色に輝きながら天井に消えてゆく。
「ああ、最悪だ……。
エリー、ダメだからね」
ジャックは止める。
エリーは、フム、と少し考えるそぶりを見せる。
「一人で行くつもりだったが、君も行くか?
手を離さないで。
少し呼吸を止めて」
エリーはアムリタを見て言う。
アムリタは頷き、大きく息を吸い、頬を膨らませて左手で鼻をつまむ。
右手はエリーの左手を握ったまま離さない。
「エリー、だから君を連れて来たくなかったんだよ」
ジャックがそう言い終らないうちに二人は大きく歩を踏み出し、消える。




