第二章第三話(十一)ソニアの慢心
「はははは、それでジュニアに人生最初で最後のモテ期が来ているわけなのよ。
生意気でしょう?
私にはラビナに良いように利用されてポイ捨てされて、エリーに見捨てられる寂しい未来しか見えないけどねー」
「ほほう、ジュニアがねえ……」
通路の先の側面にある、巨大な二重になっている両開きの引き戸が自動で開き、ソニアとジャックが談笑しながら出てくる。
ソニアは防寒具を着て、ゴーグルを額に上げ、酸素マスクは顎の下にぶら下がっている。
分厚い手袋は嵌めずに手に持っている。
ジャックはそんなソニアの右に並び、娘を見下ろすように歩く。
ジャックも防寒着を着ているものの、そこまで重装備ではない。
二人の後ろには大きなキャノピーに巨大な蛙の足を付けたような二足歩行の重機が運転者不在のまま二人に付いて歩く。
重機には細い二本のアームが付いていて、後ろには大きな上面が透明になっている細長い箱を引摺っている。
その後ろに風の谷の祭殿で会ったサポートロボットに似たロボットが二体続く。
「あのエリーが泣いてないて、泣き顔が可哀想で可愛くてねー」
ソニアはジャックを向きながら言う。
エリーは目を剝き、エリーはソニアに向かって走る。
「ソニアー!
何をジャックに言っているのだー!」
エリーは我を忘れて走る。
ソニアがエリーに気付く。
「あれぇ?
エリー!
助けに来たよ――フゴォ!」
ソニアはエリーに向かって左手を挙げて微笑みかけたが、十メートルほど離れて駆け寄っていたエリーが突然消え失せる。
次の瞬間、ソニアの左手を左手で掴み、左手でソニアの口を押える。
「なんでジャックに言うのだ?」
エリーは顔を赤らめ、目からはほろほろと大粒の涙を流し、ソニアに言い募る。
ソニアは動けない。
ソニアは何も喋れない。
体がまるで自分のものでは無くなったように動かすことができない。
瞬きすら自分の意志では動かない。
ただ、自分の動悸が早くなっていることと呼吸が荒くなっていることだけを感じる。
「言わないで欲しかった」
エリーはポロポロと真赤な顔で涙を流す。
やばいやばい、ソニアは己の窮地を自覚する。
三千メートルフロアに居たソニアはエリーからの救助信号を受けて慌てて準備をし、六千メートルフロアへのエレベータに乗る。
六千メートルフロアでジャックと合流し、共に九千メートルテラスに向かうべくエレベータに乗る。
途中胸の『目』でエリーとアムリタが九千メートルテラスの通路に逃げ込むのを確認し、安心していた。
気が緩んでいたのだろう。
ソニアとしては父親と楽しい会話を楽しんでいただけあった。
「なんでジャックに言うのだ?」
やばい、エリーを怒らせてしまった。
エリーの力がこんなにも危険なものだとは予想以上だ。
ソニアはエリーの力には警戒しているつもりだった。
ソニアもそれなりに修羅場を潜ってきた自負がある。
剣呑な魔法を使うエリーに対しても、対峙した場合のシミュレーションがあった。
戦い難い相手ではあるが、負けはしないと。
エリーは五メートルの距離を跳ぶ。
だからその距離に詰められたら、左前方に跳躍するつもりだった。
捕まらないかぎり大丈夫。
動き続けるかぎり負けはしない。
そう考えていた。
しかし予想より遥か前からエリーは消え、対処できないまま左手を掴まれ口を塞がれている。
しかも、接触するだけで相手を行動不能にするこの魔法。
やばい、やばい。
謝罪すらできない。
エリーを揶揄うとやばい。
殺される。
エリーに怯えるラビナを笑っていたが、今やもう笑えない。
それどころか、ソニアは目に涙が浮かぶのを自覚する。
「言わないで欲しかった」
エリーは顔をグシャグシャにして泣く。
ソニアは様々な思いが走馬灯のように浮かんでは消える。
この子、こんな表情もできるんだ。
一部冷静なソニアの意識がエリーを見て思う。
私は殺されるのだろうか、ジュニアのせいだ、莫迦兄貴のせいだ……。
冗談を言っただけのつもりで殺されてしまう。
もう言わない、学習した。
だから許して!
「ねぇ、エリー。
ソニー、怖がって泣いているわ。
離してあげて」
アムリタがエリーを後ろから抱擁しながら言う。
エリーはアムリタの顔をみる。
そしてソニアの手と口を放し、その場に座り込む。
同様にソニアもペタンとその場に座り込んで宙を見て涙を流す。
怖かった、怖かった、助かった……。
エリー怖い、揶揄って遊んじゃだめだ。
危険すぎる。
ソニアは学習の結果を反芻する。
「久しぶりに泣き虫のエリーを見るね。
ソニアはもともと泣き虫だけど」
ジャックは床に座って泣くエリーとソニアを眺める。
「エリー、大丈夫だよ。
僕は揶揄ったりしないし、ジュニアに言ったりしないから。
ソニアだってジュニアに言ったりしないよ?」
ジャックは、ね? と言うようにソニアを見る。
ソニアはブンブンと首を縦に振る。
「すまない……。
ソニーは私たちを助けに来てくれたというのに……」
エリーは両手で顔を覆い、俯く。
「あ?
そうそう。
あれ、危なかったね。
フライホイール(弾み車)の脱輪事故。
アムリタとエリーのコンビじゃなければ人死がでていたねー」
ソニアはやや元気を取り戻し、立ち上がりながら言う。
「フライホイール?
なにそれ?」
アムリタは訊く。
「蓄電用設備さ。
ここ、超高層ピラミッドは老朽化が進んでいて危ないんだ」
ジャックは応える。
「老朽化って、ここは古代遺跡なんだから老朽化していて当たり前なんじゃないかしら?」
アムリタは不思議そうに問い返す。
「そうだね、建物自体は数千年前のものだから老朽化は当たり前だね。
でも内部の設備はそこまで古いものではないんだよ。
四百年ほど前に新調されているらしいんだ。
その後何回か補修されていて、白状すると僕も自分に必要な設備をメンテしていたりする」
ジャックは頭を掻きながら説明する。
「ただ、九千メートルテラス付近のものはあまり必要とされないので放置されていたんだ。
利用価値が無いからね。
だから危険なんだよ。
君たちが九千メートルテラスを目指すというので大慌てで危険なものを片付けていたんだが、予想外に君たちの行動が早くて間に合わなかったんだ。
君たちが九千メートルテラスの通路に入ったのでこの階層のメインの発電設備が起動して、フライホイールが回転しだしたんだよ」
「あの巨大な円盤は蓄電用のフライホイールだったのか?」
エリーはジャックに訊く。
「うん、そう。
このブロックのメイン発電設備の出力は大きいので余剰電力を回転エネルギーの形に変換して蓄えるためのものだよ。
直径十二メートル、幅五十センチ、カーボンフレームと合金でできていて重量は約五百トン。
オイルピボットベアリングと超電導浮上による非接触軸受、真空ケース入りでメンテナンスフリーのはずなんだけれど流石に四百年の長期保証は無いんだね」
ジャックは申し訳なさそうに言う。
「そんな危険なものだらけなら、ここに来るのは命懸けだな」
エリーは言う。
「まあ、外の環境からして極限状態なわけだから命懸けは命懸けだね。
尤も、三千メートルブロックと一万二千メートルブロックは僕が、というかサポートロボット達がメンテしているから一応安全だよ。
六千メートルブロックはセキュリティ監視網とエレベータ以外は止めてあるから、そこも安全といえば安全。
九千メートルブロックに来る人は普通居ないんだよ。
どこかの可愛らしい冒険者達以外は……」
ジャックはそう言って笑う。
エリーはチロリとアムリタを見る。
アムリタは、たはは、と頭を掻いて笑う。
「そっか。
ジャックは六千メートルテラスのセキュリティ監視で私たちが登るのを知ったのね。
私たちって見られていたんだ」
アムリタは、やや鋭い口調でジャックに訊く。
「監視映像を見ていたのはサポートロボット達だけどね。
僕は報告を聞いただけ。
……本当だよ?」
ジャックはやや言い訳じみた口調になる。
エリーとアムリタは視線を合わせる。
そして二人はサポートロボットを睨む。
サポートロボットは二体とも慌てたように視線をアムリタとエリーから逸らし、口笛を吹くような仕草をするが音は出ていない。
ソニアは真相に興味があったがとりあえずジャックの擁護にまわる。
「そうそう、で私が追加の荷物を届けた後、三千メートルテラスでジャックに会ったのよ。
私も九千メートルブロックのメンテを手伝っていたわ。
今日は三千メートルテラスで待機していたけれど」
ソニアはアムリタとエリーに説明する。
「それで、あのフライホイールの事故でしょう?
天候は急速に悪くなるしで、救助用の重機をつれて、慌てて九千メートルまでエレベータで登ってきたのよ。
でも、二人が自力で横穴通路に逃げ込むのを見て、一先ず安心していたわけ」
ソニアは、ね? と同意を求めるようにジャックを見る。
「うんうん、二人が無事で本当に良かった」
ジャックも言う。
「本当に心配をかけてごめんなさい。
あの天候の急変はフライホイールの件が無くても危なかったかもしれないわね。
今回の件はやはり無謀な冒険だったかもしれないわ」
アムリタはジャックとソニアに謝る。
その言葉にはいつもの元気が感じられない。
エリーは無言でアムリタを見る。
「何よりもショックなのは、エレベータでここまで登れるということね。
ひょっとして一万二千メートルまで登れてしまうのかしら?」
「私は詳しくは知らないけれど登れるはずよ。
言ったでしょう?
ここを登る方法は幾つもあるって。
内部に機材搬出入用の大型リフトもあるし、人専用のエレベータもあるよ。
三千メートル区切りだけれど。
なんなら階段もあるよー」
ソニアは、あたりまえでしょう? と言うように微笑みながら言う。
アムリタはエリーを見る。
エリーは細かく左右に首を振る。
「私達って、監視カメラとエレベータがあるところで命懸けの冒険をしていたのね……」
アムリタはしょげて俯く。
ソニアは肩を落とすアムリタにかけてやる言葉が思いつかなかった。




