表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒灰色(こっかいしょく)の魔女と時の魔女  作者: 九曜双葉
第二章 第三話 超高層ピラミッド ~The Sky-Scraped Artificial Mountain~
73/268

第二章第三話(七)アムリタの提言

 ――崩壊歴六百三十四年の五月三十日十六時


 アムリタとエリーは七千五百メートルの踊り場に最終キャンプを設置し終わった。

 最終キャンプに使っているテントは小さく、それほど多くの物資を持ち込んでいない。

 食料、バーナーと燃料、コッヘル、ケトル、酸素ボンベ、防寒具がメインだ。


 それでも狭いテント一杯に物資がある。

 八千メートルの踊り場にも酸素ボンベとツェルト(小型軽量テント)、バーナーとコンロ台をくくり付けてある。

 八千メートルの踊り場は行きの交換用酸素ボンベ置き場であるが、万が一ビバークに追い込まれた場合のための備えでもある。

 ここまでの準備完了は予定より早い。


「やっぱり八千メートルになると別世界ね。

 あ、これは無理だ、と思ったわ。

 酸素ボンベが必須ね」


 アムリタは湯煎ゆせんにかけ溶かしたスープを飲みながら言う。

 外は強風が吹き荒れている。

 二人とも下半身はシェラフに入っている。

 気軽にテントの外に出ることはできない。


「ここから先に順応するには肺の容積そのものを増やしたりヘモグロビン密度を増やしたりする必要があるが、副作用を抑えきれない。

 体形も変わるしな」


 エリーもスープを飲みながら応える。


「うん、ここから先は全部有酸素で問題ないわ。

 お腹減るし。

 明日の天気はどうかしら?」


 八千メートルを超えると無酸素ではほとんど消化器官は働かない。


「午前十時までは持ちそうだ。

 その後は大きく崩れる」


 エリーは空中に文章をつづりながら応える。


「十分よ。

 三時にここをたつわ。

 酸素ボンベ担いで八千メートルの踊り場に行き、酸素ボンベを交換してそのまま九千メートルを目指す」


 アムリタは雪焼けした顔で微笑む。

 エリーはコクリとうなずく。


「では、投光器でソニアに知らせるね」


 アムリタは換気口から携帯用の投光器を挿し出し、換気用の天窓から天空に向ける。

 そしてソニアに習った信号を送る。


『アスゼロサンマルマル、トウチョウカイシ、ゼロナナマルマル、キュウセンメートルテラスモクヒョウ』


 これを何回か繰り返す。


 ――シュパパパパパ


 空を切るような音がし、テントの外が明るくなる。

 ソニアが照明弾を打ち上げたのだ。

 これは了解を意味する。

 アムリタは、連絡完了、と微笑みながら言う。


「靴や手袋の手入れも終わったし、食事も済んだし。

 エリー、体調は大丈夫?」


「ああ、私は問題ない。

 アムリタ、君は?」


「疲れも無いし、上々よ。

 我ながら十全な計画ね」


 アムリタは胸を張る。

 エリーは同意する。

 確かにエリーの計画は今のところ無駄はあるものの無理もむらもない。

 エリーが魔法で体調を整えるべく体をいじり回しているが、それも計画のうちである。

 アムリタは、登山は素人であったはずだが、恐るべき計画能力、想像力だ。

 今のところ判断ミスと思われるものはない。

 アムリタは尋常じんじょうではない。

 エリーはその原因が時の魔法に関係しているのではないかと予想する。


「そうだな。

 アムリタ、君は凄い。

 私は最初、六千メートルで引き返すことを予想していた。

 今では九千メートルの踏破を信じられる」


 エリーは素直にアムリタを褒める。

 アムリタは、そうでしょ? そうでしょう? とうれしそうに応じる。


「やはり未来が見えるのか?」


 エリーは訊いてみる


「うーん、見えるのはぼんやりとしたものだけ。

 何に困っているかとかそういったものは単なる想像なのか未来が見えているのか私には判らないのよ。

 何時だって肝心なものは何も見えない。

 でもこれが必要だと思うものは大抵必要になるの」


 エリーは、えへへへ、と笑いながら応える。


「今回の旅で、何か変化は?」


 エリーは重ねて問う。


「残念ながら変わらないわ。

 無酸素で九千メートルまで踏破すると変われるかもしれないけれど、それじゃ自殺だしね。

 今日八千メートルまで酸素ボンベ無しで登ったけど、七千七百メートルからの一歩一歩が全力疾走のように感じたわ。

 これを九千メートルまで続けるのは時間的にも体力的にも今の私では無理ね」


 アムリタは少し寂しそうにそう言う。

 アムリタが無理と言うからには、本当に無理なのだろうなとエリーは考える。


「エリーのほうは、なにか得るものがあった?

 おかあさんの痕跡とか……」


「ん?

 特に今のところは……」 


 エリーは思い出す。

 そうだ、この旅はおかあさんの痕跡を探すことと素敵になることが目的であった。

 エリーの探索魔法の範囲はたかが知れている。

 この山は広すぎるので全体を見渡すことができない。

 だからおかあさんの痕跡があったとしてもこの極限状態で見つけるには時間がかかる。

 頂上まで登れば別の方法もあるのだが……。


 ただ見たことがない風景、来たことがない環境に来たことは確かに得難い経験だ。


「おかあさんの痕跡は見つけられていないが、多少素敵になれたかも知れないな」


 エリーは薄く微笑んで応える。


「エリーは今のままでも十分素敵だと思うわ」


 アムリタも微笑みながら言う。


「そうねぇ、エリーは判りやすい笑顔と柔らかいしゃべりかたをすれば完璧になると思うのに……。

 エリーの口調はおかあさまの影響?」


 アムリタは続けて問う。


「……私の口調は変かな?」


 エリーはやや上目遣いにアムリタに訊く。


「変じゃないわ。

 特にお医者様として患者を治療しているときは、むしろ堂々としていて信用を勝ち取りやすいと思うの。

 ただ、好きな男の子に想いを伝えるのならもう少しジェンダーに即した口調のほうが良いかもしれないわね」


「ジェンダー……。

 私にとっておかあさんは母であり父であり教師であり友人でありすべてであったのだ。

 自然おかあさんの口調をまねてしまう。


「おかあさんしかいなかったので特に気にもしていなかったが、今にして思えばおかあさんはかなり特殊な人なのかも知れないな……。


「社会的性別。

 気にしたことが無かったが、はたから見ると私も特殊なのかもしれない……。

 アムリタ、ひょっとして私の口調は可愛くないと思われてしまうのかな?」


 エリーは更に上目遣いで訊く。

 エリーはおかあさんを思い出す。

 おかあさんほどジェンダーという言葉の枠に囚われない人はいない。

 服装や身嗜みだしなみ、食事のマナーに関してはキチンとすることをエリーに求め、自分自身にも律していたが、その他で社会的な女性らしさを感じたことは皆無だ。


「別に問題があるわけではないのよ。

 エリーの容姿や話の内容、雰囲気には凄くあっていると思うの。

 でも最近、別にポリシーが有ってその口調にしているのではないのかな? と思ったのよ。

 もしそうなら、女の子の年齢相応の話しかたをしたほうが周囲は理解しやすいし、より自然だわ」


 エリーは、年齢相応……、とつぶやく。

 エリーにはアムリタが相当に気を遣う性格であることが判っている。

 アムリタは人を傷つけるようなことをまず言わない。

 その気遣いがエリーには心地よい。

 そのアムリタが踏み込んできている。

 言葉は相当に選択されたもののようだ。

 アムリタの踏み込みにエリーは姿勢を正す。

 アムリタの問いはたぶん今のエリーの問題を解決するのに必要なのだろうから。


「そうだな、特にポリシーがあるわけではない。

 この口調以外を知らないだけだ……。

 でも、最近ではアムリタができるだけ柔らかく相手に気持ちを伝えようと気を遣っていることを理解している。

 ソニアやラビナが相手との距離を測りながら口調を変えていることにも気が付いている。

 それが社会的なたしなみ、節度というものなのだな……」


「……エリーほど格好良ければ、今の口調は全然アリよ。

 むしろハマっているわ。

 エリーが不都合を感じていないのならば何の問題もないわ」


 アムリタは微笑む。

 エリーは考える。

 自分がこの口調で不都合を感じているのかを。

 口調に限らず今の自分の在りかたは、エリーは弱い自分をうまくカムフラージュできていて気に入っていた。

 口調についてあまり考えたことは無いが、全体として周囲からどのように見えるのかを考えたことはもちろんある。


 おかあさんの印象への憧れ、追随、そして模倣。

 おかあさんは強く、気高けだかく、孤高で美しかった。

 エリーはおかあさんのようになりたかった。

 おかあさんはよそおいに関してはエリーに対して厳しかった。

 常に誰に見られても恥ずかしく無いようにと。

 しかしおかあさんは口調において周囲からどのように見えるかなど些末さまつなことは考えたこともなかっただろう。


 エリーは考える。

 自分が今の在りかたに不都合を感じているのかを。

 自分は人との距離をとり隠者として生きたいのか? おかあさんが居てくれれば、いやジュニアが居てくれるのならば隠遁いんとんの暮らしも捨てがたい。

 ……そう、語るに落ちている。


 おかあさんなりジュニアを求めている時点で自分は強くも気高くもなく、孤高でも美しくもない。

 欲しいものが手に入らないと言って癇癪かんしゃくを起している我儘わがままな子供だ。


 ああ、アムリタは正しい。

 エリーは結論を出す。

 自分は感情表現において不都合を抱えている。

 自分のこの口調は多くの問題の一つに過ぎないが、自分の想いを相手に伝えるのに不都合となっている。


「アムリタ、君の言うことは判った……。

 でも話しかたというものはぐには変えられるものではない」


「ええ、そうね。

 でも大切なのは『気付き』よ。

 どう変えるか、変えないかは、後で考えて決めればいいわ」


「ああ、確かにそうだな。

 アムリタ、君は大人だ。

 うらやましいよ」


 エリーは薄く微笑みながら言う。

 アムリタは、そうでしょ? そうでしょう? とうれしそうに言う。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろう 勝手にランキング
作者の方へ
執筆環境を題材にしたエッセイです
お楽しみいただけるかと存じます
ツールの話をしよう
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ