第一章第一話(六)空賊(くうぞく)の娘
「荷物を回収してここを離れよう。
会いたくない奴らが来るぞ」
アルンは放心しているラビナに注意を促す。
ああそうだ、夜中にあんな派手な光のショーを演じてしまえば、あいつらが来ないはずがない、ラビナは気持ちを奮い立たせ、行動を開始する。
あまり時間の余裕が無い。
とにかく動かなくてはならない。
止まってしまうと震えが止まらなくなる。
動け、動け、ラビナは自分に言い聞かせる。
ラビナは二度放り投げた自分の荷物を探す。
森は重機で造成したように削り取られている。
森の中の小川の水が、削り取られた長い窪地を濡らし始めている。
ラビナの荷物はさほど苦労なく見つかる。
見るとアルンも自分の荷物を回収し終えて戻ってくる。
「急ごう」
アルンの言葉に、ラビナは無言で頷く。
川下の浅瀬方面は身を隠すのに不利だ。
まずは川まで最短距離を行き、そこから背の高い草に身を隠しながら川上の岩場を目指そう、ラビナはすばやく考えを巡らす。
二人はフード付きのマントで身を隠しながら走りだす。
二人が川近くの背の高い草々に身を隠し終えたとき、北西の空に光が現れる。
――ゴゥゥゥ!
音と光はだんだんと大きくなり、やがて空飛ぶ機体と判るまでになる。
全長十メートル程度、左右に広がる飛行翼の前後に四つの大きな筒状の推進機関をもつ飛空機である。
飛空機は森上空で速度を緩め、森の上を投光器の光で照らしながら丹念に舐りまわしているようだ。
「どうする?
ラビナ」
アルンはラビナに問う。
「このまま身を低くして隠れてやりすごす」
少し迷いながらラビナは応える。
飛空機は時には削り取られた窪み付近まで下がる。
また時には回廊付近まで飛ぶ。
そして森の上空にゆっくり上り動きを止める。
「そろそろ帰るか?」
ラビナは早く立ち去って欲しいと願いながら、フードから目だけを出して飛空機を見る。
次の瞬間、飛空機が森の上空で転回し、機首をラビナ達のほうに向け、速い速度で距離を詰めてくる。
「――!」
ラビナとアルンは動けない。
飛空機はラビナとアルンの手前十メートル付近に着陸し、操縦席の左側部分が開く。
中から現れたのは飛空機を操縦していたと思われる人物である。
暗い中判別できるシルエットではロングスカートに半袖のシャツを着た女性に見える。
女は地上に降り立つとゆっくりラビナとアルンに近づいてくる。
ラビナは細長い袋に入れた小銃を握りしめる。
いざとなればこのままの状態で小銃を撃つこともできる。
しかし今のところ小銃の入った袋はラビナの左手に銃口を上に向くように抱えられている。
飛空機の投光器の逆光に照らし出されたのは、肩までのウェーブがかかった真赤な髪をした少女であった。
「こんばんは」
ラビナから四メートル程度の距離を置いて立ち止まった少女は、ラビナにまるで街で会ったが如く挨拶をする。
「……ごきげんよう」
ラビナは辛うじて返事を返す。
「少しお聞きして良いかしら?」
空賊の少女は目を細め、笑みを浮かべながらラビナに道を尋ねるように訊く。
ラビナはなんと応えようかと思考を回転させる。
自分たちは街道を旅していたが森に光が落ちたのでここまで探索しにきたところだ。
何も知らない、そんなストーリーを組み立てる。
「なぜあなたから硝煙の匂いがするのかしら?」
予想外の質問にラビナが息を飲む。
その瞬間、予備動作なしで少女はラビナとの距離を詰める。
ラビナは反応できない。
少女は右手で小銃の入った袋の銃口付近を握り、右上に引き上げる。
そして右足を踏み出し、ラビナの両足の間に割り入れる。
ラビナは仰け反った姿勢で空賊の少女に小銃で吊り上げられている格好になる。
ラビナは辛うじて右足を後ろに下げ、両手で小銃にぶら下がる形で堪える。
しかし身動きできない状況に変わりない。
空賊の少女は左拳に何か硬いものを握りこんでいるようだ。
しかしラビナからは見えない。
ただ既にラビナが反撃できない体勢になってしまったことだけは明白である。
既に空賊の少女の顔には笑みはない。
整ってはいるが無機質な冷たい顔でラビナの横顔を見る。
「なぜあなたから揮発油の焼けた匂いがするのかしら?」
空賊の少女の顔はラビナの顔に殆どくっ付くくらいにまでに近づけられる。
ラビナは体勢の悪さゆえに顔を動かすことができず、目だけを空賊の少女の顔に向ける。
至近距離で目と目が合うが、空賊の少女の目は冷たく、ラビナを観察しているようだ。
「なぜジャックはあなた達を助けたのかしら?」
この少女はやばい、ラビナは体が震えてくるのを止められない。
意味もなく空賊とことを構えるつもりは毛頭ない。
しかし、この少女の身のこなしは尋常ではない。
やり合って勝てることが想像できない。
ラビナはガタガタと震えだす。
「……質問に応えるから、あまり虐めないでやってくれないか」
アルンがラビナの右手側から仲裁に入る。
空賊の少女は黙ってラビナの左横顔越しにアルンを見る。
黙っていることを是と捉え、アルンは語りだす。
「俺たちは日没前に回廊に渡るべく森の入り口付近に近づいた。
そこに背の高い片メガネの男と、金髪の少女が森の入り口から駆け出してきた。
次の瞬間大きな化け物が俺たちの前に現れ、俺たちの逃げ道を塞いだ。
俺たちは森の中に追い込まれ逃げ惑いながら一応この娘の銃などで応戦した。
もうだめだと諦めかけたとき、空から光の筋が三回降ってきて化け物に当たり、化け物は消えた」
アルンは言葉を終える。
空賊の少女はラビナを見ながら訊く。
「金髪の少女ってどんな感じだったの?」
「泣いているようだった。
十七、八くらいの結構派手な美人だった」
アルンは『美人』と付け加える。
アルンの説明に空賊の少女は不機嫌そうに顔をしかめる。
「どっちに行ったの?」
「森の出口からは丁度ここらへんに走っていったと思う。
その先は、俺たちは見ていない」
「どっちに行ったと思う?」
「……多分川上だ。
川下の浅瀬方面は化け物に近づく方向だから女連れでは選び難い。
川上の岩場を目指し、街道に抜けると思う」
ふーん、と言いながら少女は少し考えているようだ。
空賊の少女はゆっくりと小銃を握っている手を下ろす。
それに従い、ラビナの体も沈み、ラビナは地面に尻を着けて座り込む。
「教えてくれてありがとう。
お姐さん、お礼に一つ教えてあげる」
空賊の娘はラビナを見ながら語りかける。
「な、なに?」
ラビナは怯えながらも辛うじて反応する。
「可愛い顔が酷いことになっているわ、顔を洗ったほうがいいわよ」
空賊の娘は再び笑みを浮かべながらそう言う。
「――!」
空賊の少女は胸ポケットから白いハンカチをとり出すとラビナの手に握らせる。
ラビナの顔は化粧が崩れ、煤と砂で激しく汚れている。
ラビナはあわてて袖で顔を拭うが汚れは塗り広がるだけだ。
空賊の少女はトーンと後ろに跳ねると、踵を返し振り向かずに飛空機に戻る。
飛空機に乗り込み、軽くラビナ達に手を振る。
飛空機は垂直に離陸し、機首を川上に向け、発進する。
「なにあれ!
怖い!」
ラビナはその場に座り込む。
ラビナには空賊の少女の動作が全く読めなかった。
距離を詰められたとき、空賊の少女はラビナの呼吸を完全に読んでいた。
ラビナを殺そうとしたら完全に殺せていただろう。
「空賊の女首領の娘だな」
アルンは川上方面に去る機影を見ながらそう言う。
「空賊の女首領には弟と夫の二人の幹部が居たんだが、最近どちらも姿を見せないという。
失脚したとも死亡したとも言われている。
その代わりに台頭してきたのが女首領の息子と娘だとか。
多分アレがその娘のほうだろう」
ラビナはアルンの言葉を黙って聞いている。
空賊自体が剣呑な組織なので関わりたくないのに、その中でも最も剣呑な奴と面識を持ってしまった。
いや、そんなことはどうでも良い、今はここを一刻も早く離れたい。
そしてあの娘には二度と会いませんように、ラビナは真剣にそう考えている。
「浅瀬に戻って街道に出ましょう。
水も飲みたいし顔も洗いたい……」
ジャックは空賊に追われているようだ。
ジャックが空賊に捕らわれた場合、ラビナ達にとって困ったことになる。
ラビナは川上を見る。
今から飛空機が去った川上方面に行くのは気が引ける。
しかしジャックを見失うわけにもいかない。
顔を洗ってから考えることにしよう、ラビナは重い足取りで川下方面に歩き出す。
アルンもラビナの後に続く。