第二章第二話(三)遥(はる)か未来の弟子
エリフとテオは基本隠遁生活をしているが、全く世俗と断絶しているわけではない。
エリフの友人知人弟子たちでエリフの力を、主に医者としての力を必要とする場合が多く、連絡が取れるようにしている。
エリフが隠遁生活をしている理由は古きものから隠れるためで、人々から隠遁しようとしてはいない。
ただし、大きな怪我や病を治す場合大きな力が必要となり、その実行は古きものを呼び寄せる結果になる。
そしてエリフは古きものに殺害され、転生を行うという周期ができあがる。
「この季節の北方は綺麗ですね」
テオは色とりどりに紅葉で染まる木々を見上げ、伸びをする。
まだ雪が降りだすには早い。
エリフとテオは山間の大きな湖、レイズン湖を左手にみて歩いている。
対岸の山が青空を背景に湖面に映る。
「ところで何で北方なんですか?
前々回は沿岸で前回は中原だったのでそのまま南方に上がってゆくものとばかりと思っていましたよ」
テオは爽やかな笑顔で訊く。
エリフとテオは場所を決め、数年間定住し、また別の場所に移り住むのが習癖となっている。
選ぶ土地にあてがあるわけではないが概ね前回の旅の延長線を選ぶことが多い。
今回は方向が逆で、しかもかなりの距離があるのでテオの質問となる。
しかしテオはさほど気にしているわけでもないようだ。
「最近、有能な医者が北方にいるらしい。
できれば会っておきたい」
「へぇ、お師匠が人に会いたいというのは珍しいですね。
お知り合いですか?」
「判らない。
でも伝え聞くに昔の知人の術に似ている」
「お師匠の言う昔って、尋常じゃない大昔の事ですよね?」
エリフの人となりを知るテオはエリフの話が通常のスケールに収まらないことを知っている。
「ああ、遥か昔。
数百年前に一度会ったきりだ」
テオは、数百年前! と呟く。
「お師匠と同じで転生を繰り返しているんですか?」
「さあ?
同一人物かどうかも不明だ」
エリフは過去のことを、過去の情景を、あまり克明には覚えていない。
別にエリフの物忘れが特別に激しいというわけではない。
エリフという存在は数百年以上に渡って存在し続けている。
人が数十年前のことをあまり覚えていないように、エリフもまた忘れることにより新しい事象へ相対する。
しかし印象深い出来事は、数百年を経て鮮明に思い出せるものもある。
エリフは黒灰色の魔女との邂逅を思い出す。
――黒灰色の魔女よ、貴女は奇跡の存在だ。
エリフは目の前に立つ黒灰色の不思議な髪を持つ、薄い灰色がかった水色の目をした美貌の少女を称える。
――エリフ、敬愛する白銀の魔法使い。
――どうか私をエリーと呼んで下さい。
――親しいものは皆私をエリーと呼びます。
黒灰色の魔女、エリーはエリフに柔らかな笑顔で語りかける。
エリーはエリフのことを親しいものと言う。
――貴女が望むのならばそうしよう、エリーよ。
――貴女は奇跡の存在だ。
――どのようにして貴女はその力を得たのだろう?
――教えてくれないだろうか。
エリフは目の前の存在が文字通り奇跡としか思えなかった。
複数の禁呪の魔法構成。
人為的なものであるはずなのだが、この複雑緻密でかつ合理的な構成。
ヘテロジーニアスという概念を超えて、これは既にキメラ構成と言って良い。
この魔法構成が人の手により成しうるものなのか?
しかしそれ以上に古きものの眷属をこともなげに退けてみせたその圧倒的な破壊力もエリフの理解の外にある。
――エリフ、私は貴方の遥か未来での弟子。
――私は貴方に育まれ導かれました。
――私の力は貴方と共に在ります。
――貴女が私の未来の弟子だと?
エリーの言葉にエリフは驚愕する。
驢馬が麒麟を育てるというのか?
エリフはその内心の言葉を飲み込む。
エリフには古きものを無傷で退ける力はない。
せいぜい、犠牲魔法により自分の命と引き換えにお引き取り願うことができるだけだ。
どうやったらあの魔法構成を構築できるのか?
どうやったらあのような破壊力を得ることができるのか?
そもそもあの力は魔法なのか?
核融合であるとか、そういった物理現象のようにも思える。
彼女の全てがエリフにとって神秘であった。
将来、私もそのような力を持つのだろうか?
遥か未来での弟子がなぜ今ここにいるのか?
――私は貴方ともっと話がしたい。
――私の事をもっともっと知ってもらいたい。
――しかし私には時間がありません。
――お会いできて良かった。
――お元気で。
エリーはそう言って銀色に光る空間の中に消えてゆく。
エリフはエリーに再会する機会が直ぐに来ると思っていた。
しかし数百年を経て機会は未だない。
エリフがエリーのような奇跡の力を取得することもなかった。
弟子たちの中にエリーに似た子供を見ることもなかった。
死と転生を繰り返すうちにだんだんと思い出すことも少なくなっていった。
何百年を重ねようともエリフの力は古きものに対抗するものには依然ならない。
エリフは数年前に噂を聞いた。
面妖な左手を翳すことにより難病や大怪我を治す魔術医が北方にいる。
エリフの使う術と同じである。
術者は長身の女性であるらしい。
エリフと同じ術を使う女性、エリフは黒灰色の魔女を思い出す。
そのうち行ってみるかと考えていた。
それが転生し、住処を変えるにあたり北方を選んだ理由である。