第二章第二話(二)魔法使いの弟子
何度目であろうか。
エリフは肉の袋の中で目覚める。
自分はまた死んだのだ。
自分を追う古きもの、巨大な蛙に似た化け物の薙ぎ払う腕により跡形もなく千切れ飛んだ。
その死に方も何度目であろうか。
数えきれないほど繰り返しているが、未だに慣れない。
エリフは顔の真上、肉の袋の内側に左手の親指の爪を突き入れ、袋を内側から破る。
そして手をそのまま下半身側に動かし、肉の袋を割いてゆく。
袋の中の羊水に似た水が、ザザーッ、と袋から流れ出す。
この袋はエリフの体を育てたものだ。
袋の一部とエリフは臍の緒で未だ繋がっている。
エリフは肺の中の羊水を苦しそうに吐き出す。
息を吸う。
空気で肺が満たされる。
エリフは咳込む。
濡れた銀色の髪が俯く顔の周りを揺れる。
暫くは動けない。
エリフは瞑想しながら深呼吸をする。
手を見る。
動く。
体を見る。
若い男の体だ。
エリフが左手を臍の緒に当てると簡単に臍の緒は切り離される。
エリフの臍に黒い瘡蓋のようなものが残る。
エリフは立ち上がる。
エリフの何も着ていない体に羊水に似た液体が滴り落ちる。
濡れた銀色の髪は腰まで届き、エリフの適度に筋肉のある体に張り付く。
エリフの顔は通った鼻梁、薄い灰色の瞳、薄い唇が全体的に女性的な印象を与える。
年齢は二十歳前後に見え、多くのものが美しいと感じるだろう。
エリフは掌で体の濡れを切り落としながら周囲を見る。
小さな洞であるようだ。
地面に人が横たわるのに十分な穴が穿たれて、そこにエリフの体を再生した肉の袋が転がっている。
確かにこの洞はエリフがかつて用意したものであるようだ。
同様なものを作りすぎていて、詳細は思い出せない。
しかし違和感はない。
洞の隅に油紙にくるまれた荷物が置いてある。
これもエリフがかつて用意したものである。
エリフは包みを破り開け、中に丁寧に畳まれていた服一式を取り出して着る。
服は簡易的なものだ。
茶色い薄いズボンにシャツ、それに薄い大きな茶色い布。
裸ではない分ましである。
エリフは洞を離れ、歩き出す。
枝ぶりの良い木を見つけ、枝を折る。
左手から黒い煙のようなものがでて触ると、枝が削られてゆく。
見る間に枝は杖に加工されてゆく。
また木の皮を編み、履物を拵える。
小川を見つけ水を飲み、魚を捉えて焼いて食う。
エリフは夜、星を見ておおよその場所を推定する。
ここからならば約束の場所からそう遠くない。
三日ほどで辿り着けるだろう。
エリフは旅に備えて木の皮で編んだハンモックの上で寝る。
二日後の夕刻、エリフはエルダノの街の門を潜る。
エルダノはあまり大きな街ではない。
しかし交通の要所であるので人の流れがあり、活気がある。
エリフが酒場の扉を開くと中の喧騒が大きく響き渡る。
「今の曲、イケてただろう?
金色の草原で少年が少女に出会って恋をする歌さ」
カウンターの席に座る金髪の陽気な青年が周囲に座る客たちに大声で話をしている。
「なんで貴方みたいな軽佻浮薄そうな人にあんな綺麗な曲が作れるのかね。
泣かされたよ。
一杯飲んでくれよ」
カウンターの客の年配の女性が金髪の男に酒を奢る。
「そうだろう?
俺の情熱が楽曲を洗練させるのさ」
金髪の男は酒を受け取りながら陽気に喋る。
そして開いた扉のほうを見る。
「おっと、待ち人が来たみたいだ。
ちょっと休憩。
みんな、また後で歌うから聴いてくれよ!」
金髪の男は皆にグラスを交わしながらカウンターを離れる。
手にはリュートと背負い袋を持って、エリフに奥の席を指さし笑う。
エリフは金髪の男の指さす席のほうに向かい、座る。
「お師匠、今回は早かったですね。
てっきり来るのは明日くらいになるかと思っていましたよ」
金髪の男は、エリフに慇懃に言う。
「テオ、君が生きていて良かったよ」
エリフは金髪の男、テオの顔を見て微笑む。
「そりゃあ、生きているでしょう?
お師匠が人身御供となって逃がしてくれたのだから」
「まあ、私を追う古きものから逃げるのだから私がなんとかするさ」
エリフはテオに言う。
テオは背負い袋から一回り小さい袋を出す。
「はいこれ。
お師匠のフルートと財布、それに道具一式」
エリフは袋を受け取り、中のフルートを確かめる。
「ありがとう。
私としてはそのリュートも返してもらいたいのだがね」
エリフはテオが持つリュートを指さす。
リュートといってもフレッドの無いギターのような形状をしている。
エリフが百数十年前に作ったものであるが、テオに請われてリュートを教えているうちにテオが自分のものにしてしまった。
エリフは何度か同じリュートを作ろうとしたがこのリュートを超えるものは未だ作れていない。
「駄目ですよ。
これはもう俺のものです。
俺が弾いたほうが断然リュートが喜びますよ。
お師匠はそのフルートを吹いて下さい。
そのフルートだって会心の一品じゃないですか。
久しぶりに一緒にやりましょうよ」
テオは爽やかに笑う。
この弟子にリュートの演奏技能を抜かれて久しい。
確かに自分が弾くよりはテオが弾いたほうがリュートは良い音で鳴るだろう。
元よりこの弟子からリュートを取り上げるつもりは無い。
無いのだが未練の残る一品であるのも事実である。
「まぁ、自分の命ですら執着しないお師匠がご執心のこのリュート、価値は判っていますって。
せいぜい大切にさせてもらいますよ」
そう言ってテオはリュートをかき鳴らす。
速く陽気な旋律が奏でられる。
エリフはフルートを左に構え、リュートのメロディを装飾してゆく。
わ! と店の中が華やかになる。
店の客はテオとエリフのほうを見て、皆笑顔で二人の演奏を聴きいっている。
テオが歌い、伴奏を弾き、エリフはテオの歌に被せてメロディを奏でる。
メロディはテオの高音の歌声と絡み、美しく響く。
エリフは弟子のテオとのアンサンブルが好きであった。
この曲はリュートとフルートのためにエリフが書き、テオが歌詞をのせたものだ。
エリフとテオの数多い合作の中で、テオが好んで演奏する一曲である。
演奏が終わると店の中は拍手で包まれる。
テオがひっくり返して置いている帽子にお金を入れにくる客が絶えない。
「リュートも凄いが、笛の音の響きも良いね。
君らコンビの吟遊詩人かい?」
「もう一曲頼むよ、今度はゆっくりとしたラブソングがいいな」
客たちは口々に次の曲をねだる。
「ありがとう、でも次の曲で最後な。
静かに飲みたい客もいるだろうし、俺たちは旅にでなければならないんだ」
テオはそう言いながらリュートを弾き始める。
単調なリュートが奏でるリズムにフルートの音が悲しげに美しく被さる。
テオの歌声とフルートの音が会話するように、時には甘く時には悲しく切なく恋の物語を歌い上げる。
弾き終わり、テオとエリフは起立し、右手を胸に当て、深々と頭を下げる。
テオとの演奏は楽しい。
エリフは一番若いこの弟子を好ましく思う。
拍手は続き、帽子の金は量を増してゆく。
「みんなありがとう、今日はこれで終わりなんだ。
またどこかで会ったら俺たちの演奏を聴いておくれ!」
拍手の続く中、テオとエリフは連れ添い街を出る。
「楽しかったですね、お師匠。
お師匠とのアンサンブルは私の心の栄養です」
テオはにこやかに笑いながら言う。
エリフも頷く。
「それはそうと、次当たり俺のほうが見かけ上年上になってしまいますね。
段々と周期も短くなっているし」
テオが言うのはエリフの再生の話だ。
エリフの弟子たちはエリフのように早死にはしない。
早死にするものも居ないではないが少ない。
よってエリフが転生を繰り返すと徐々に弟子たちのほうが見かけの年齢が上になってゆく。
老境に差し掛かった弟子が転生したてのエリフと並ぶとどちらが弟子であるのか見た目では判らない。
テオがエリフの弟子となったのは八歳程度であったのだが、それからもう十年近くたっている。
なるほど数年先にエリフが転生を行えばテオのほうが年上に見えることになるだろう。
「まぁ、それは宿命。
受け入れよ」
エリフはこの話題になったときに弟子に言ってきた言葉を繰り返す。
「ええ、まあ。
では隠遁生活に戻りましょうか。
今度はどこに行きますか?」
テオはさして気にするでもなく笑いながら師匠に気安く応える。
「そうだな、北方に行くとしよう」
二人は街の外に消えてゆく。




