第一章第一話(五)ラビナの悔恨
「ひぃぃ!」
ラビナは驚き止まり、クリーチャーを凝視してしまう。
クリーチャーの巨大な体躯の盛り上がった前方辺縁にある鈍く紫色に光る球のような塊の列が、ラビナとアルンのほうに動く。
二人を視る。
とともに、クリーチャーの体躯そのものはラビナ達の右手方向に動き、川方面への退路を塞ぐ形となる。
アルンはラビナの手を掴み森の中へと走り出す。
「逃げるぞ、ラビナ!
アレはやばい!」
アルンはラビナの手を曳き、引きずるようにして走る。
クリーチャーは何かを探すように森の方向に動き木々を破壊してゆく。
上空には逃げ惑う鳥たちが激しく啼き、飛び立つ。
ごく短時間で森の入り口の輪郭を変えてしまったクリーチャーは森の辺縁を沿うように動きだす。
「アルン!
手を放して。
走れるわ!」
ラビナはアルンの手を振り払う。
森は深く足場は悪い。
道を外すと木々や泥濘みで移動が困難になる。
クリーチャーは道を無視して襲ってくる。
「荷物を捨てろ、ラビナ!」
ラビナの抱える荷物はやや大きい。
それがラビナの逃げ足を重いものにしている。
もとより戦闘になった場合や敵から逃げる場合、荷物は放棄する前提である。
ラビナは、黒い棒状の布袋を脇に抱えたまま、残りの荷物を左前方、森周縁の大木の根元に狙いをつけて放り投げる。
そして、自身は森中央に向かう森の道を走る。
アルンも両手剣を残し、片肩に背負っていた荷物を同様に捨てている。
アレが伝え聞く古きものの眷属か、ラビナは全力で走りながら思い出す。
災害に例えられる人智を超えた存在、人では抗えない恐怖。
通った所を無に帰す異形の巨大なクリーチャー。
アレには認識されてはいけない。
存在に気付いたら何を差し置いても逃げなければならない畏怖の対象となる存在。
そんなものに完全に認識されてしまった。
黒い棒状の布の袋を両手に取り、中身を取り出す。
中身は銀の装飾が施された小銃だ。
ただの小銃ではなく、ラビナの力の触媒でもある。
しかし、この小銃であのクリーチャーに対抗できるとは思えない。
小銃の重量もまたラビナの逃げ足を重いものにしている。
これも捨てなければならないかもしれない。
だが、できればこれを失いたくない。
クリーチャーは二人を追ってきている。
生き延びるには森を出る必要があるだろう。
草原を走ればあるいは振り切れるかもしれない。
しかしこの先しばらくは森から出る道は無い。
森の中の道を外れれば起伏の激しい、低木が生茂る藪になり、走って逃げることは不可能となる。
周囲は暗く、月明かりがあるとはいえ森の道は走りにくい。
先行く森の道は二股に分かれている。
右は回廊に抜ける本道、左は山に至る山道に続く。
「アルン!
二手に分かれるよう!
今のままでは共倒れになるから!
私は左をゆく」
ラビナは提案する。
「それは構わないが、どちらを追いかけてくるか判らないぞ」
「追われなかったほうは私の荷物を取りに戻る。
中に炸薬と精油がある」
ラビナはそれを持ってあのクリーチャーの背後を焼けという。
「まぁ、判った。
追われたほうは?」
「化け物が反転すれば良し、反転しなければ何とかして森の外に出るよう逃げる」
ラビナは苦し紛れにそう叫ぶ。
判っている、判っているとも、私の運の悪さは筋金入りだ、ラビナは認める。
あのクリーチャーは自分を追ってくるはず、ラビナはそう確信している。
一方、クリーチャーは進行方向の一切合切を灰燼に帰しながら進んでいる。
まるで全てを飲み込んでいるようだ。
そうであれば、クリーチャーの後ろに出れば、クリーチャーが均した道ができているはず。
そこを人が通って大丈夫なのかは判らないが、活路があるとしたらそこしか無い。
「ラビナ!
幸運を!」
アルンはそう言い、右の道に入る。
ラビナは宣言したとおり、左の道を駆け抜ける。
クリーチャーはどちらを選ぶか? ラビナはしばらく駆けた後、後ろを振り返る。
何故? ラビナは逆に驚く。
クリーチャーは右のアルンを追って行ってしまったようだ。
その次の瞬間、ラビナはその理由が判ってしまう。
アルンは自らが囮になるべく歩を緩めたのだろう。
「アルン!
なんて余計なことを!」
ラビナはアルンの性格を考慮に入れていなかった自分を恥じる。
ラビナは踵を返すと、来た方向に駆け出す。
二股の道を、アルンとクリーチャーが通った道を急ぐ。
クリーチャーが通った道は、幅十メートル程度に渡り、表土が深さ数十センチ抉り取られたようになっている。
土はむき出しのまま押し固められている。
ラビナは被っていたフード付きのマントを背中に跳ね上げ回し、小銃を肩の高さに構えクリーチャーに対して弾を発射する。
――ダーン! ダーン!
二発の銃声が森に響き渡る。
「古きものの眷属よ!
私を見よ!
私はここだ!」
――ダーン!
ラビナは大声で叫び、もう一発の弾丸を発射する。
クリーチャーの動きが止まる。
進行方向にあるクリーチャーの体躯前方にある盛り上がった側縁に並ぶ紫色に光る球状の光が怪しくラビナの方向に向けられる。
ラビナは反転し、クリーチャーによって広く均された道をかつて森の出口であった付近に向けて駆け出す。
私の荷物は無事であろうか? ラビナは荷物を捨てた森の外周付近の巨木を探す。
前方は既に森ではなく、空は開け、満天にいくつかの星が輝いている。
星々の光を遮る巨木の影が見える。
良かった、あの木は食われていない。
ラビナは巨木の根元に走り寄り、彼女の荷物を拾い上げる。
走りながら荷物の口を開き、三十センチ程度の筒を取り出す。
筒には揮発性の油が入っている。
ラビナは筒の口を開け、布を筒の口に突っ込み火をつける。
ラビナは振り返ると迫ってくるクリーチャーに筒を投げつける。
クリーチャーの体躯に触れ、筒は激しく壊れ中の油が飛散する。
――ゴウッ!
油は燃え上がり、クリーチャーの前面を燃やす。
しかしクリーチャーは一向に速度を緩めず、ラビナのほうに向かってくる。
ラビナは再び逃げるべく駆け出し荷物の中を漁る。
薬莢を取り出し、走りながら詰め替える。
続いて炸薬の入った布袋を探り当て、取り出し、残りの荷物を右前方に投げ捨てる。
ラビナは振り返りもせず、布袋の口を縛っている紐を解き、頭上後方に放り投げる。
炸薬は空中で撒き散らされ、クリーチャーに降り注ぐ。
――バチ、バチ、バチ、バチッ!
激しく燃え爆ぜる音が響く。
クリーチャーの蠢く音は止まるどころか、ラビナの背後直ぐのところに迫ってきている。
もうだめか! ラビナは天頂にある一際眩しく不自然な光りを放つ、動く星を見る。
知っている、私はあれが何なのか知っている。
そう、あれはジャックの『眼』だ。
「お前のせいだ!
許さない!」
ラビナは咆哮し、走りながら小銃を天空の動く星に向け、一発の弾丸を発射する。
――ダーン!
銃声は森に響き渡る。
その次の瞬間、天空の星は強烈な光を放ち、白く発光するプラズマとともにラビナの後方に降り注がれる。
――バシーン!
――シュダダダダッ!
激しい打撃音にも似た衝撃の後、クリーチャーの声にならない咆哮が聞こえ、クリーチャーは体の前半分を高く持ち上げる。
――ヴオァァァー!
クリーチャーの体躯の前半分は高くたかく、森のどの木よりも高く持ち上がり、天空に向かって体中の昆虫の足に似た触手を振り上げている。
ラビナは右に進路を変え、クリーチャーに削られて薄くなっている藪を乗り越え、森の外に逃れる。
見ればクリーチャーの後方からはアルンも森の外に出てくる。
ラビナは前方の空の浅い位置に怪しく光る星を見る。
来る! ラビナの前方の空が激しく光り、同様の光の筋が再びクリーチャーに直撃する。
――バシーン!
――シュダダダダッ!
「ジャックか?」
アルンはラビナの傍らに駆け寄りながら言う。
ラビナは無言のまま、クリーチャーの高く持ち上がった体躯の後ろに光を見る。
ラビナはアルンの腕を引っ張り、森を右手にクリーチャーの後部方向に走る。
アルンもラビナに腕を引かれながら続く。
クリーチャーは激しく咆哮しながら、黒い煙の中で天空に触手を伸ばし動かしている。
そのさまは、どのように星を捕らえようか足掻いているように見える。
クリーチャーの高く持ち上がった体躯に隠れていた低い位置にある三番目の動く星の光が激しさを増す。
そして激しい打撃音とともに太い光の筋となり、クリーチャーの持ち上がった体躯に降り注がれる。
眩しい光の筋は、クリーチャーを貫通して先ほどまでラビナとアルンが居た場所の地面をも焦がす。
――ウオァァ……
三度の光の筋を受け、クリーチャーは諦めるかのように輪郭が薄くなり、そして炎だけを残し消える。
「やったのか?」
アルンは自分自身に問うように呟く。
「消えただけよ」
ラビナは震える声で応える。
二人はしばらく揺らめき燃える炎を見る。
炎は黒煙を吐き、勢いが弱くなり、やがて消える。
「ジャックの『眼』は覗き見専用じゃなかったんだな。
あんな火力があるとは……」
アルンは感嘆する。
「ジャックに借りを作ってしまったな……」
アルンは脱力するように呟く。
ラビナはその言葉に素直に同意できないでいる。
何を言っているの? そもそもあの男が余計なことをしなければ私たちがこんな目にあうことも無かったのだ。
ラビナはそう考えたが、口に出す元気が出なかったので黙っている。
色々失ってしまったが、先ずは助かったのだからよしとしよう、ラビナは無理やりそう考えることにする。