第二章第一話(二)あなたの帰りを待ちわびて
ジュニアは家路を急いでいる。
いや帰りたくない気持ちもある。
大きな問題を残して出張旅行に出てしまったのだ。
ジュニアは家を空けている間に問題が無くなっていることを強く願っている。
無くなっている可能性もある。
常識的に考えて無くなっているだろう。
そういう希望的観測がある。
ジュニアの住処は共同住宅の二階の一室である。
二階への外階段を上り、自分の部屋のドアの鍵を開ける。
開けて良いのか?
ジュニアは躊躇う。
ドアを開けると不確定な部屋の中が確定してしまう。
自分は丁半博打に勝つことができるだろうか?
ジュニアは意を決してドアを開ける。
頼む、居なくなっていてくれ、と念じながら。
「あら、お帰りなさい。
早かったのね。
食事は未だ?
すぐ作るわよ?」
ダイニングテーブルに座るラビナが笑顔で出迎える。
ダイニングテーブルには一メートル程度の布の袋に入った棒状のものが立てかけてある。
ラビナは綿のゆったりとした室内着と思われるワンピースで化粧をしていない。
十代前半にも見えるあどけない表情で、ジュニアの帰宅を待っていた、と言うように笑う。
「おい!
何で未だ居るんだ?」
ジュニアの語調は強い。
「何でって、貴方が帰るまで居て良いと言ってくれたんじゃないの?」
ラビナは心外そうに問い返す。
「違う、帰るまでに仕事を探して出ていってくれと言ったんだ」
「え?
私は直接聞いていないし、アルンは暫く居ても良いってジュニアが言っていたって……」
ラビナは上目遣いでジュニアを見上げながら胸の前で両の人差し指を合わせる仕草をする。
二日前の晩、ラビナはジュニアの行きつけの定食屋で飲み続け、ベロンベロンになったところを閉店で追い出される。
ジュニアにはサマサの嘲笑うかの視線が痛かった。
完全に酔っぱらい、足取りもおぼつかないラビナを連れてアルンの働く酒場に行き、アルンを呼んでもらう。
ラビナはそこでまた酒を注文してしまう。
現れたアルンに、どうするつもりなんだ? と逆に問われ、言葉に詰まった顛末がある。
アルンに自分の住所を教え、ラビナを自分の住処に運び寝かせる。
再度アルンの職場に戻り、合鍵を託し、住処に戻り出張旅行の準備を終えたときには約束の時間が来ていた。
商品の準備や積み込みを終え、アルンには合わずに鍵を閉め、徹夜で出発したわけだ。
「あの、これ、アルンが少ないけれど家賃と食費にって……」
ラビナはおずおずとした態度でテーブルにいくばくかのお金を置く。
「未だ日が高いのになんで職探しをしていないんだ?」
ジュニアはラビナにテーブルの金をつき返し、語気を強めてラビナに詰め寄る。
「だって、鍵は一つしかないのよ?
それに貴方が帰ってきて鍵を付け替えられたら困るじゃない。
どちらかが残ってジュニアが帰ってきたときに話をしなければってそう相談したのよ。
未だアルンは働いているわ。
貴方、いつ帰ってくるか判らないし」
「判ったよ、鍵は付け替えないから早く職探しに行ってきなよ。
そして職が決まったら今度は住むところを探すんだ」
ジュニアがそう言い募ったとき、玄関からノックする音がしてドアが開く。
「何か、末期同棲カップルの痴話喧嘩のようだな。
外まで丸聞こえだぞ」
入ってきたのはアルンだ。
アルンは疲れ果てた顔をし、フラフラしているように見える。
「お帰りなさい、アルン」
ラビナはアルンを出迎える。
「俺としては、駆け落ち夫婦に居座られた可哀想な独身男性そのものなんだけれどね」
ジュニアは低いトーンで言い返す。
「だから夫婦ではないと言っているだろう?
ジュニア、君がラビナを引き受けてくれるなら、俺は安心して郷に帰るよ」
アルンは笑いもせず言う。
ジュニアはアルンの本音なんだろうと理解する。
「そうか、だが断る!」
ジュニアは強く断言する。
「ふーん、まぁ後はラビナと決着を付けな。
俺は長時間労働でフラフラなうえに、今日もまた夕方から仕事だ。
寝かせてもらう。
過労死した俺の葬儀に出たくなければ、安眠の邪魔をしないでくれ」
アルンは荷物を玄関に置くと、壁側を向いて床に寝転がる。
本当に辛そうだ。
アルンは体を捻り、ああ、そうそう、と言って顔をジュニアに向ける。
「昨日定食屋に行ったとき、店のお姐さんからジュニアとラビナのことを訊かれたんだが、俺が帰ったときにはジュニアは居なくなっていてラビナが一人ジュニアのダブルベッドで寝ていたと伝えておいた」
「アルン!
なんて余計なことを!」
ジュニアは怒気を込めて言い放つ。
アルンはヒラヒラと手を振り、壁のほうに向き直る。
「まあ、うちの姫さんも、君が思っているほど役立たずというわけじゃない。
特に夢幻郷に関することだったらそれなりのエキスパートだ。
協力してもらいたいことがあるんじゃないのか?
よく話し合って落としどころを決めな……。
お休み……」
アルンは語尾になるにつれ緩やかな口調になり、言い終わると、スースーと寝息をたてる。
ジュニアとラビナは暫くダイニングテーブルを挟んで無言となる。
寝ているアルンに気を使ったからだ。
ジュニアは不機嫌そうな顔で眉間に皺を寄せ、空中を凝視する。
ラビナはそんなジュニアの顔を心配そうに上目遣いで見る。
「場所を移して話をしよう」
ジュニアは収納から毛布を取り出し、ラビナに投げ渡しながら言う。
「いいけど、どこに行くの?」
ラビナはアルンに毛布を掛けながら応じる。
「隣に」
ジュニアは立ち上がり、玄関を出る。
ラビナは怪訝そうな顔をしつつもジュニアに付いてゆく。
玄関を出てジュニアはドアに鍵をかけ、隣の部屋に移動しドアの鍵を開ける。
鍵は開き、ドアが開かれる。
「まぁ、入って。
実を言うとこの建物の部屋はすべて俺が借りているんだ」
部屋の中は工房のようになっていて、切削工具や治具らしきものが外周に置かれている。
部屋の中央には作業台のようなテーブルと椅子がある。
「座んなよ」
ジュニアは椅子を指さし、ラビナはそこに座る。
ジュニアはテーブルの反対側に座る。
ジュニアは、どうしようか、と言うように眼を瞑り、考える。
そして眼を開け、ラビナを見る。
ラビナは居心地悪そうに椅子を引く。
「ジャックはマリア・カンパニーに戻った。
暫くは君たちの手が届かないことになるね」
話が跳んだのでラビナはやや面食らう。
しかし、話の本筋は確かにジャックだ。
ことの重大さはラビナにも伝わる。
「ジャックって何者なの?」
「マリア・カンパニーの頭領であるマリアの夫だよ」
ラビナは一瞬驚く顔を見せるがすぐに表情を消す。
薄く開かれた眼からは幼さが消え、年齢不詳なものになる。
「それで貴方はジャックとマリアの息子というわけね?」
「――うん、そう」
今度はジュニアが内心で驚く。
ただし表情には現れてはいない。
「ジャックの血縁であるのは確実だと思っていたけれど、まさか空賊の中枢だとは思わなかったわ。
あの赤毛の飛空機乗りの女は貴方の妹?」
「ご明察。
なんか迷惑かけた?」
ラビナはジュニアの問いに無言となる。
暫く二人は無言で向き合う。
「ジャックとはどういう因縁なの?」
ジュニアは無言に耐えかねて口を開く。
「……夢幻郷で野垂れ死にそうになっていたジャックを助けたことがあるのよ。
その後、現実世界での私たちを特定して訪ねてきた。
なぜそんなことができるのか吃驚したけれど、訊けば右目に色々便利な機能があるそうね」
ラビナはジャックとの因縁を訥々(とつとつ)と語り始める。
「そう、ジュニア、貴方が言うように夢幻郷にも祭殿がある。
場所は私達の版図にある夢見の山脈の中。
夢見の山脈、光の谷の祭殿で私たちの女王が数百年間眠り続けている――」
「ちょっと待って、夢幻郷って夢の世界だろう?
夢の世界で眠るって概念が良く判らないのだけど……」
「夢幻郷についてレクチャーすれば、私たちをここに置いてくれる?」
ラビナはニヤリと笑いながら問う。
ジュニアは声を詰まらせる。




