第一章第一話(四)追跡者達たち
「どう?
何か動きがある?」
話は少し遡る。
フォルデンの森から離れた川向こう、川と並走する街道の脇、大きな街路樹の下で女、ラビナは樹上の男を見上げている。
ラビナのふわふわとした飴色の肩までの髪は丸く頬を隠す。
茶褐色の足首を絞ったゆるめのズボン、黒い襟付きの上着に黒いマントを小柄で細身の体に羽織っている。
このいでたちは草原の旅人のありふれたものだ。
ラビナは少しきつめに見えるメイクをしていて、年齢が判り難くなっているが成人女性に見える。
メイクで作った顔は冷たい印象を与えるものの造作は整っている。
ラビナは布の背負い袋を尻に敷き、樹の幹を背に一メートル程度の棒状の布袋を抱えながら座っている。
「なにも無い。
平穏そのものだ。
だがジャックはあの森から未だ離れていないはず」
樹上の男、アルンは応える。
アルンは長身で筋肉質な体躯に、茶色の布のズボン、黒い襟なしのシャツ、黒いマントを羽織っている。
アルンの両手剣と小さな布袋はラビナの座る横に置いている。
飴色の髪はラビナよりやや濃く、茶色の目は精悍な面立ちを作っている。
「フォルデンの森って居心地の良い所なの?」
ラビナは訊く。
「さあな?
昨夜通ったばかりだが野宿しようとは思わなかったな。
普通は朝入って日のあるうちに抜ける」
ラビナは訊いてみたもののあまり興味はないようだ。
「アルン、ジャックは本当にこっちに来るかしら?」
「判らない。
だけど確率が一番高いのはこっちだろうよ」
アルンは応える。
アルンはフォルデンの森の北西側、大きな谷の回廊の更に先、古代遺跡にジャックが居ることを突き止める。
そしてジャックがフォルデンの森を超えるのを先回りしてグレースの森側に抜けた。
ラビナに連絡をつけて呼び出し、今に至る。
ジャックは夜を待ち、森に入るだろう。
日中は恐らく森から出ずに、夜を待ってから出発するはずだ。
行先はどこか。
山脈と川に挟まれた草原だから普通に考えれば選択肢は二つ。
森を出て草原を川上に行き、谷伝いに山を越えるか、川の浅瀬を渡り、街道に来るか、そのどちらかになる。
ジャックは古代遺跡を出た時点でそれほどの重装備を持っていなかった。
いったんどこかの街に入り、補給する可能性が高い。
ここから一番近い街はダッカだ。
そしてダッカに行くためにはこの浅瀬を通るのが近道だ。
であるからここで待ち伏せをすれば捕まえられる可能性が高い。
「あの慎重なジャックが街道を使うかしら?」
ラビナの疑問は確かにアルンの懸念でもある。
ジャックが川をここではなく、例えばどこかで泳いで渡って、街道を使わずに別の街に行ってしまえば見失うことになるだろう。
「そうだな……。
だから日没と同時に浅瀬を渡り、グリース草原に入る。
そして川上側から森に近付く。
俺たちのマントは熱を通し難い。
ジャックの『眼』にはもっと小さな動物に見えるはずだ」
アルンの計画を聞き、ラビナは考える。
ジャックは生きて捕らえる必要がある。
アルンと自分がジャックと対峙したとき、ジャックが素直に自分たちに従うとは思えない。
現在ジャックの装備は薄い。
うまくいけば捕らえられるかもしれないが、ジャックが本気で自分たちを排除しようとしてきた場合、抗えるのだろうか?
「最終的にはジャックにお願いするしかないかもしれないね。
ジャックも私たちを殺してまで排除しようとはしないよ。
私たちもジャックに死なれたら困るし」
でも難易度高いね、とラビナはきついメイクに似合わず弱気に南南西の空を見上げながら言う。
この時間帯は、ジャックの『眼』は夕日を反射し、動く光点として天頂に見える。
「ジャックの『眼』が過ぎ去って、次の『眼』がくるまでの狭間ね。
行こう」
ラビナは空を見上げながらアルンに言う。
アルンは、応、という掛け声とともに地上に降り立ち、両手剣と荷物を背負う。
二人は黒いマントのフードを頭から深めに被り、街道から川岸まで下りてゆく。
二人は動物の革で作られたサンダルのまま浅瀬を通り、川を渡って対岸に着く。
そして川上に歩を進める。
川岸は湿地となっていてラビナの肩ほどの草々が生い茂っている。
アルンは前方の草を鉈で切り拓きながら川上に進む。
ラビナはアルンに続いて歩を進めながら双眼鏡でフォルデンの森の方向を窺う。
「――!
森の出口付近に誰かいるわ!
女の子!」
「女の子?
ジャックじゃないのか?」
「うん、さっきまでは居なかったのだけれど。
金髪、色白の女の子。
周りを見渡しているようね」
ラビナは歩を止め、アルンに見た内容を話す。
アルンは川上方向へ進むのを止め、森の方向に転進する。
そして背を屈めながら背の高い草を手前に倒して道を作る。
「んー?
泣いているように見える。
訳有りのようね」
二人は草を掻き分け、グリース草原を進む。
草の丈はラビナの腰の高さに達し、歩くのに障害となっている。
しかし未だ、森までは五百メートル程度の距離がある。
アルンの目も森の外れに佇む少女の姿を捕らえる。
二人は腰を屈め、森の入り口付近を窺う。
「女の子は誰かと話しをしているようよ。
森側に誰かいるみたい」
ラビナは双眼鏡を除きながらアルンに告げる。
「相手はジャックか?」
アルンは大きな体を屈めながら肉眼で少女が立っている付近を見るが、相手は見えない。
「わからない。
会話しているように見えるだけ」
ラビナ達の位置からは森の出口は森の外周に阻まれて直接見ることができない。
「どうする?」
アルンはラビナに問う。
しかしその質問に応える前にラビナはもう一人の人物を見る。
「あ、ジャックが出てきた。
捕まえるわよ、走ろう」
ラビナは森の入り口に向かって駆け出す。
ラビナとアルンは森の入り口を目指し、森を左手に沿う方向に回り込む。
「まずい!
森の反対側に二人で走り出したわ!
気付かれたのかも知れない!」
既に双眼鏡ではなく肉眼で十分見える距離になっている。
追うわよ! と駆け出した瞬間森が喧噪に包まれる。
「何事?」
ラビナは鳥や動物が一斉に騒ぎ出す。
空には鳥たちが無秩序に飛び立つ。
動物たちは森から跳び出し、ラビナ達の足元を走り抜け、駆け出してゆく。
ラビナとアルンは鳥や動物たちの慌ただしい姿に驚くが、ジャックを追うべく走り続ける。
二人が森の入り口を目前にしたとき、一瞬オレンジ色の眩しい光が輝く。
しかしその輝きも、バチン! という音とともに一瞬で掻き消え、目の前に黒い煙のようなものが沸き立つ。
さらに紫色の光が数多く空中に光り、明滅する。
黒い煙の中にあったのは、巨大な芋虫の体躯に、無数の昆虫の足を生やしたような形状をしているクリーチャーであった。