第一章最終話(九)無動力慣性飛行
「ジャック、貴方が一人で外からのものに対抗できる訳ないじゃない。
こんな眼があるから一人でなんとかしようと思ってしまうのよ。
あの時何を見たのか、あの時何を見たのか見させてもらうわ」
ソニアはジャックの眼がどこかの外部記憶装置に繋がっていることを知っている。
ジャックが残している映像。
ジャックが実際に見た映像もある。
ジャックの記憶によって再構築された映像もある。
ソニアはそれらの画像ライブラリがあることを、ジャックから眼を奪った短時間で探り当てている。
相当な量があると予想していたが、想像よりも少ない。
ストレージの容量が少ないせいか、ジャックが残すべきと思っている基準が厳しいせいか。
恐らくその両方であろうとソニアは思い至る。
三年前、ソニアはジャックと共に連環山脈の奥に封印されている外からのものの探索にでかけた。
兄のジュニアは危険だからと言って反対し、ジャックはこっそりソニアを飛空機の操縦士に誘ったのだ。
いつもならば兄がジャックとコンビを組み、出かける。
ソニアは自分が誘われないことに不満を感じていた。
だから、ジュニアが断った探索で自分が誘われたことが嬉しかった。
六千メートル級の連環山脈外、高度一万六千メートルの高度からの無動力慣性飛行。
砂漠を超え高度二千メートル、距離十六キロメートルまで封印されている外なるものまで近づくように航路をとる。
そのまま慣性飛行を続け、外なるものが地平線に隠れる位置まで遠ざかる。
その後低高度で加速し、連環山脈をギリギリの高度で再離脱する飛行計画。
問題はなにも無いはずだった。
ジャックが外からのものを観察すると言って左ハッチを開け、望遠鏡で覗く。
ソニアは目標が左手になるように無動力のまま旋回する。
何がおきたのか判らない。
恐らくエアポケットに落ちたのだろう、飛空機は大きく姿勢を崩す。
ソニアは思わずエンジンを点火してしまう。
その時、左方向が激しく光り、ジャックの望遠鏡で覗く右目を焼いた。
飛空機も激しく揺れ、左側に損傷を負う。
ソニアは左側の動力が不調なまま全力で離脱する。
壊れた機体では連環山脈は超えられず、山中に不時着する。
そこで壊れた通信機から高周波ノイズを出せるようにし、電気コードを電鍵代わりにしてジュニアを呼ぶ。
JJ・タスケテ、JJ、タスケテと。
倒れるジャックを膝に抱えながら電鍵を打つ。
数時間後ジュニアは飛空機でやってきた。
ソニアは安堵する。
そして自己嫌悪に陥る。
また兄を頼ってしまった。
ソニアは自分を責める。
兄が危険だと言って断った仕事を受けて、そしてジャックを窮地に立たせて、なお兄を頼る。
ジュニアはジャックを気遣い、ソニアを気遣い、飛空機を連環山脈の外に飛ばす。
そこから先はあまり覚えていない。
ジュニアはジャックをジャックの恩師の元に運んだようだ。
ソニアはその後駆け付けたマリアに連れ帰らされた。
ジャックとジュニアを残して。
その後ジャックの視神経は再建され、ジャックとジュニアが作った眼球がジャックの右目に埋め込まれる。
ソニアはその設計資料を兄の部屋から盗み出し、研究を重ねる。
ジャックが右目を失ったのは自分のせいだ。
ソニアは強い自責の念で苛まれる。
ジャックの右目は、色々なギミックに溢れている便利なものではある。
しかし本来の視力という意味では殆ど機能していない。
見えていないのだ。
激しい光を望遠鏡で見たことにより眼球内の網膜は焼き切られた。
ジャックの右目は、房水を、硝子体を、煮たたせて自ら右目を穿り出さなければならない惨状となる。
――ジャックの右目は決してソニアのせいではないよ。
――ジャックもマリアも君のせいだとは思っていない。
――あれはジャックの自己責任さ。
かつて、ジュニアはソニアにそう言った。
しかしソニアはそうは思わない。
ジャックが右目を失ったのは自分のせいだ。
ソニアがジャックの右目を穿り出し、ソニアが作った眼を嵌め込んでも、ジュニアは、兄は悲しげな眼をソニアに向けるだけで特に止めようとしなかった。
それは自分を信じているからなのか、ソニアの愚行がソニアにとって必要なことと諦めているのか、ソニアには判らない。
「ジャック、貴方の記憶を見せてもらうわね」
ソニアはジャックの記憶の画像ストレージを再生する決心をする。
「ソニア!
止めるんだ!
それは本当に危険だから!」
ソニアは珍しいと思う。
ジャックが声を荒げることがだ。
だが、ソニアが覚悟していたジャックからの激しい叱責はない。
あくまでもソニアを気遣うジャックの思いが声を荒げさせているようにソニアには思える。
ああ、ごめんなさい、ソニアは心のなかで謝罪する。
自分はこの記憶を見る必要があるんだ。
ジャックが何を見て、何により眼を焼かれ、そして何をしようとしているのかを。
これが外からのもの。
人工衛星の監視軌道上にある外からのものの俯瞰画像、幾多にも遭遇する外からのものの眷属たち。
ジャックの母、おばあちゃん。
探索の日、蒸発する土地、大きな眼、激しい光そして焼ける視界。
ソニアは思わず右目を押さえる。
「ジャック……。
これを実際に見てきていながら、尚も貴方は正気を保てているのね」
ソニアは右目を掌で押さえながら呟く。
ドアの傍らにはマリアが腕組みをして立っている。
「見てしまったの?
うん、あんまり時間が無いようだよ」
ジャックは優しくソニアに囁く。
「この眼、一生懸命に作ってくれたんだね」
ジャックは右目の下を触る。
「残っている視神経を視界中央付近に集め、周りは大胆に粗くする視界設計、うん、凄く工夫されていると思うよ。
良く見えるし違和感も無い」
ジャックは周囲を眺めた後、自分の掌を見る。
ソニアは力なく頷く。
ジュニアはジャックの傍らに近寄り、上半身の枷紐を解く。
「悪いんだけれど、画像はすべて消してくれるかな?」
ジャックは項垂れるソニアに頼みごとをするように言う。
「でも、おばあちゃんの記憶も消えてしまうよ?」
ソニアは涙を浮かべながら言う。
「いいんだよ。
おばあちゃんの記憶は、僕が再構築したものだから。
オリジナルは僕の心の中にある」
ジャックは胸を右の拳でドンとたたき、だから消してね、と続ける。
ソニアは頷き、そしてストレージの動画をすべて消去する。
「消してくれた?
ありがとう、いい子だね」
ジャックは小さい子に言うように語りかけ、ソニアの頭を撫でる。
「そんな所に穴を開けて眼球を埋め込むなんて感心しないな」
「できるだけ高い位置で眼窩を掘るのに適した場所、ここしか思いつかなかったのよ」
「将来君が好きになった男が、君の胸を見たとき、その眼と視線を合わせて吃驚すると思うよ」
「こんなことで驚くような男を好きになったりしないわよ!
ジャックだってジュニアだってこんなことでつべこべ言うような小さな男ではないでしょう?」
ソニアは涙を浮かべながら反論する。
ジャックは微笑みながら、どう? と傍らに立つジュニアに訊く。
ジュニアは、問題は俺らではなく、将来のソニアの彼氏がどう思うかであって、ともごもごと応える。
「僕は君が大好きなんだよ」
ジャックはソニアの頭を右手で抱える。
「知ってる……」
「君は僕の宝物なんだから」
「うん、知っている……」
ソニアは俯き、ジャックの胸に額を当てる。
「例えどんなお莫迦さんでもだよ」
「お莫迦って言うな……」
ソニアは俯いたまま動かない。
「まぁ、いいや。
埋め込んでしまったものは仕方がない。
その眼はソニアにあげるよ」
ジャックはややトーンを落としてソニアに言う。
「ジャック、本当に大丈夫なの?」
マリアは部屋の入り口で腕組をしながら訊く。
ジャックが大丈夫なのかと訊いているのか、それともソニアのことなのか、それとも全く別のことを懸念しているのか。
ソニアには判らない。
「大丈夫にしなければならないね」
ジャックは優しく笑いながらマリアに応える。
「僕はしばらくサンタマリア号で静養するよ。
エリー、アムリタ。
ソニアを君たちの仲間に加えてやってよ。
色々迷惑をかけると思うけれどたまには役に立つと思うよ」
エリーは暫く黙った後、判った、と短く応える。
静観していたアムリタも、了解です、と応える。
ただ一人ジュニアだけが、右の掌を眉間に押し当て、やれやれという仕草をする。
「ソニア、僕の代わりに見てきなよ。
そして探して。
この星が助かる未来を」
ジャックはそっとソニアの頭を撫でながら言う。
ソニアは、うん、探すよ、と小さな声で応える。