第一章最終話(三)途方にくれて
――崩壊歴六百三十四年の五月十六日二十二時過ぎ
ジュニアは方々を駆け回り、やっと届けるべき商品の確保の目途を付けた。
大がかりな加工が必要だったがそれも終えた。
足りないものも有るが、明日早朝に入手できるよう手筈を整えてある。
今回の仕事は大変であったが、やり遂げたことにジュニアは満足していた。
時刻は既に夜十時を回っている。
ジュニアは猛烈に腹がへっている。
街に帰ってから何も食べていない。
表通りの市場は既に店は閉まった後で、全く明かりが無い。
普通の店は日没とともに店を閉めてしまう。
開いているのは路地裏にある酒場などだ。
今の時間なら未だジュニアの馴染みの店がやっているはずだ。
酒場ではなく定食屋なのだが、比較的遅い時間までやっているので重宝する。
酒も割高になるが出してはくれる。
ジュニアは閉店に間に合うように急ぐ。
その途中、暗い店舗の軒下の段に座る人影に気付く。
辺りに灯りは灯いていない。
最初は十歳前後の女の子かなと思ったがどうももう少し年上の女性のようだ。
座る膝の上に右の肘を置き、右腕で頬杖をついている。
女の座る右側には旅用の布袋と細長い布の筒が置かれている。
ジュニアは、なんだ? 家出娘か? と訝しむ。
かなり近くを通り過ぎて、ジュニアは座っている女性がラビナであることに気が付く。
ジュニアは気が付かないふりをして通り過ぎる。
しかしさすがに気になってラビナのほうを振り返る。
ラビナは顔でジュニアを追っていたのだろう。
ジュニアが振り返ると反対側に顔を振って目を合わせまいとする。
ジュニアは再び進行方向に向き直り、歩き出す。
視線を感じたのでもう一度ラビナのほうを振り返る。
ジュニアとラビナの目が一瞬合うが、ラビナは再びに反対側に顔を振って視線を外す。
「ラビナ、君は何をしているの?」
ジュニアはラビナに訊く。
ラビナは視線をジュニアの左上の空間に泳がせ、どう応えようか迷っているように見える。
「……朝が来るのを……待っているのよ」
ラビナは、最初は気丈な面付きであったが言い終わるころには泣きそうな顔になる。
「なんでここで?」
「お金が無いのよ!」
ラビナの大きな目から大粒の涙が零れ落ちる。
ジュニアは訊くんじゃ無かったと後悔する。
「アルンは?」
「酒場の厨房で働いているわ」
ラビナは少し離れた場所にある揺れるランプの灯りを指さす。
この街では最大手の酒場で深夜まで営業している唯一の店だ。
この店は宿屋も兼ねている。
「何で君は一緒に働かないの?」
「子供は雇えないと言われたのよ!」
そこで、ラビナは下を向いて両手で顔を覆い、ひもじくて、情けなくて、と言いながらわんわんと泣き出す。
ジュニアの普段から不機嫌そうな顔が更に不機嫌さを増して眉間の皺が深くなってゆく。
「……今から俺、飯食いに行くんだが一緒に来るか?」
ジュニアは甘い自分に嫌気がさしながらもラビナを誘う。
ラビナは下を向いたまま、ありがとね、ありがとね、とポタポタと涙を落としながら礼を言う。
不機嫌そうなジュニアと嗚咽するラビナは連れ添って路地裏の定食屋に入る。
「あら、いらっしゃい。
久しぶりね。
今日も来ないのかと……、ん?」
店の女がジュニアに笑顔で声をかけるが、後ろにいる泣き顔のラビナを見て怪訝そうな顔を作る。
女は二十歳前後か、暗い金髪を後ろで纏め、そばかすの笑顔が魅力的である。
「ジュニア、小さな女の子を連れまわして良い時間じゃあないわよ?」
店の女はジュニアの袖を引き、店の壁際に連れていき、ジュニアの耳に囁く。
「幼く見えるけど、俺より年上だよ」
ジュニアは言い訳するように応える。
「本当?
何歳なの?
頼むから私を犯罪に巻き込まないでよね?」
店の女は容赦なく切り込んでくる。
「サマサ、単なる人助けだよ」
ジュニアはサマサの左上の空間に視線を泳がせる。
「ふーん?
それにしても捨てた元彼女が働く店に新しい彼女を連れてくるなんて大した度胸ね」
サマサは怖い笑顔を作ってジュニアに凄む。
「そんな過去は無いし……。
ホントに単なる人助けだけなんだよ。
頼むから虐めないでくれ」
ジュニアはサマサに懇願する。
苛めて気が晴れたのかサマサはジュニアとラビナを隅のテーブルに誘導する。
ジュニアは定食二つを注文する。
「あの、蝦は苦手なの、蝦以外でお願い」
ラビナは低いトーンでサマサに言う。
「大丈夫、うちの定食には蝦なんて高級食材は入っていませんから」
サマサは小声で笑いながらラビナに応える。
「今日の定食は、餡かけ肉団子と炒め野菜、ハト麦のパンに野菜スープね」
サマサはラビナに説明する。
ラビナは、うんうん、と頷く。
「お酒は?」
サマサはジュニアに訊く。
「エールを一杯お願い」
ラビナは右手を挙げながら注文する。
「おい、一寸は遠慮しろよ」
ジュニアは、落ち着いた声で、しかし明らかな怒りを込めてラビナを咎める。
サマサは笑いながら、はいはい、と言い、厨房に消える。
「ラビナ、君は姫で王女じゃなかったの?
なんで無一文なわけ?」
ジュニアは小声でラビナに訊く。
「ジャックをどうにかしないと故郷に帰れないのよ」
ラビナはポツリポツリと語る。
「もともと大した路銀も持っていないし。
街々で働きながらジャックを追っているの。
でもフォルデンの森で荷物の中身を落としてしまったし、最近はアムリタの尾行を行っていたのであまり働いていないのよ。
化粧品も残り僅かでこの顔でしょ?
素嬪だとどこも雇ってくれないのよ」
ラビナは俯きながら、こうなったのもジャックのせいだ、と呟く。
ジュニアはジャックの仕出かしたことの責任を押し付けられるのは真平御免と思ったので、話題を戻す。
「君とアルンはどこから来たの?」
ラビナが応える前にサマサがエールの入ったグラスを二つ持ってくる。
「あれ?
俺はエールを頼んでいないよ?」
ジュニアは慌てる。
エール一杯分で既に定食より高い。
「あら、そうだったかしら?
女の子だけを酔わすのが目的なわけね?」
「判った、判ったから。
このエールはもらうから、本当にもう弄らないでくれ」
ジュニアはサマサに懇願する。
サマサは笑いながら厨房に消える。
「あのね、一杯だけだよ。
君の自棄酒なんかに付き合わないからね。
それに酒を飲むんだったら酒場のほうが遥かに安上がりだ」
ジュニアはラビナに釘を刺す。
ラビナは、うう、判ったわ、と言って唸る。
「最近、悪夢を見るの。
化け物に追われる夢。
巨大な蚕蛾の幼虫に蝦の足を大量に付けたような化け物が私を追ってくるの。
逃げようとしても足が鉛のように重くて思うように逃げられないの。
もうだめだ、私は死ぬんだと思ったところではっと目が覚めるのよ。
それが少しずつ変わりながら一晩に四五回繰り返されるの。
私はもう一生蝦は食べられないと思うわ」
エールをチビリチビリと飲みながらのラビナの告白にジュニアは、ふうん、と応える。
正直疲れているときにはあまり聞きたくない話題だ。
「やっぱりお酒はいいなぁ。
アムリタに奢ってもらって以来だからなぁ。
あれはジャックの金だっていうから浴びるほど飲んでやったのよ」
ラビナはどうでも良いことを呟く。
待つことしばし、料理が運ばれてくる。
ラビナは、ありがとう、と言いながら配膳されるのを待つ。
「待っていれば暖かいご飯がでてくるのは良いなぁ」
ラビナは料理を頬張り、美味しいよ、美味しいよ、と泣きながら呟く。
ジュニアは早く店を出たかった。
「お姐さーん!
エールをもう一杯お願いしまーす!」
ラビナは厨房に向かって大きな声で注文する。
厨房から、はーい、とサマサの声がかえってくる」
「おい!
いい加減にしろよ!」
ジュニアは堪りかねて声を荒げる。
ラビナは、お願い、お願いだから飲ませてちょうだい、飲まないと心が持たないの、と泣き出す。
しばらくしてサマサが二杯のエールのグラスを持ってくる。
「――!
一杯って言ったよね?」
ジュニアは泣きそうになりながらサマサに抗議する。
「各自一杯ということでしょ?
貴方のグラスも空いているじゃない」
「俺はこいつを今働いているこいつの保護者に引き渡さなければならないんだよ。
酔っぱらってしまうわけにはいかないんだ」
「貴方エール二杯くらいじゃ酔わないでしょう?
前の彼女として忠告してあげるけど、傷心の彼女には酒ぐらい付き合ってあげるのが男の甲斐性というものよ」
サマサは意地悪な笑みを湛えながら無慈悲に二人の前にエールのグラスを置き、空いたグラスを回収する。
「判ったから。
もう、お勘定締めてよ。
もう何も頼まないからね!」
「一応締めるけど、ドリンクのオーダーは彼女さんと相談してね」
「なんで今日はそんなに意地悪なんだ?」
ジュニアは懇願するようにサマサに訴えかける。
「あら?
貴方が前の彼女にしている酷い仕打ちに比べて、私の態度は天使のように寛容だと思うわよ?」
サマサは笑顔で、ごゆっくり、と言いながら厨房に消える。
「あの娘はジュニアの別れた彼女なのね……。
いや確かに別れた彼女に別の女と居る所を見せるのは余計な軋轢を生むと思うわ。
あまり良い趣味ではないわよ」
ラビナは他人事のようにジュニアに忠告する。
「ラビナ、君がそれを言うのか。
余計な軋轢を生んでいるのは君のせいなんだけれど……。
もうどうでもいいや」
ジュニアは投げやりになる。
ラビナは厨房のほうを見やり、なかなか迫力のある人物ねぇ、と付け加える。
「ジュニア、貴方は見た目が綺麗で料理が上手でキツイ性格の女が趣味なのねぇ、エリーと言い……」
ラビナはジュニアに、被虐趣味でもあるの? と酒で真赤になった顔で訊く。
「はいはい、もうなんだって良いよ。
酔っぱらいの相手なんかしていられないよ」
ジュニアはエールを呷る。
ラビナをこの店に連れてきたのは大失敗だった、金だけ貸して放置するべきだった、とジュニアは後悔する。
この店に誰かを連れてくることは金輪際やめようとジュニアは心の中で決意する。
ラビナは大きな声で、同じのもう一杯お願いしまーす、と言う。
厨房から、はーい、というサマサの声が返ってくる。
ジュニアは頭を抱え、テーブルに伏せる。
ジュニアの長い夜は始まったばかりであった。




