第五章最終話(三十一)ターゲットは暗雲と共に
アオはラビナを背負ったまま、滑るように空を飛ぶ。
遠くに見えていた暗い乱雲が今では見上げるほどの威容を持って迫る。
「なんで? もっと小さい雲だと思っていたんだけれど……」
ラビナは雲の大きさに驚く。
「雲が大きくなっているのにゃ」
アオは跳ねた距離を正確に把握している。
見えていた大きさに比べてその何倍にも雲が成長しているのだ。
今では上辺に鉄床を形成した積乱雲に見える。
雲の下辺も一定の高さで切れていて、それよりも下には豪雨が雨柱を作っている。
強い風が雲を巻くように吹いている。
積乱雲は湿気た風を吸い込み、回転しながら見る間にその勢力を増してゆく。
「また嵐なのにゃ、ずぶ濡れになるのにゃ」
アオは心底嫌そうに呟く。
それでも強風を横切るように、雨柱の外側を半時計周りに飛ぶ。
――ビガ!
――ドーン!
強烈な稲光の数秒後、猛烈な雷鳴が鳴り響く。
「ふぎゃぎゃぎゃ……、おっかないのにゃ……、あれ?」
稲光が消えた後にも光が消えない。
アオは最初、稲光の残像であると思った。
強烈な稲光により網膜に残った光、陽性残像だと。
しかし目の動きに無関係に雲を纏った銀色の発光が宙に留まり続ける。
「あれが私たちのターゲットみたいね……」
ラビナは右手で持つ小銃で銀色の光を指す。
「既に六個、揃ってしまっているようよ」
「ふぎゃ?」
アオも暗雲に見え隠れする幾つかの銀色の光を認識する。
大きな光が右上空にある。
それよりもかなり薄い光が正面右上空と左上空、雨柱に見え隠れする。
他の光は明確には分からない。
しかし雨柱を取り囲むようにぼんやりと淡く明るくなっているのが分かる。
「これがゲートにゃ? この距離であの大きさに見えるなんて凄く大きいのにゃ」
ラビナを背負ったままアオは空中で制止する。
口は驚きでポカンと開けられたままだ。
「前回のゲート、魔の荒野のときとは比較にならない大きさね……。
それにゲートを構成する六芒星の頂点自体も桁違いに大きい。
ソニアのこと、心配しすぎだと笑っていたけれど、確かにこの大きさでは対処に困るかな」
ラビナはトントンと軽くアオの背中を叩く。
「ねえアオ、念のために確認するけれど、貴方にあのゲートを壊す方法はある?
もし有るんなら、いったん私を降しても良いわよ」
ラビナは軽口のように言う。
「有ったらラビナの馬になんかなっていないのにゃ」
アオは淡々とした口調で応える。
「あはは、成程なるほど。
良い心がけね、じゃ私の指示通りに動くのよ!」
積乱雲は早い速度でネナイライ山方向に移動している。
一番大きな光は既に頭上を越えつつある。
雨柱には入っていないものの大粒の雨が二人を濡らす。
「じゃあ手始めに、あの大きな光、あれの横につけて」
簡単に言うが、光球からは他の頂点に向かって稲光が走り、危険極まりない。
それでもアオは空中を蹴り、光球の脇へ跳ぶ。
「そうそう、少し距離を取って、浅い角度で下りながら撃つわよ」
アオは腰を折り、頭を下げる格好で光球に近づく。
――ダーン! ダーン! ダーン!
早いレバーアクションでラビナの小銃から三発の銃弾が発射される。
弾は光の中に吸い込まれてゆく。
「離れて!」
ラビナは叫ぶ。
アオが後ろに飛ぶのと前後して複数の激しい稲妻がアオたちの居た空間を貫く。
「ふーっ! よくアレを躱せたわね」
ラビナは次弾を装填しながら言う。
「たまたまなのにゃ。
それよりも的を壊せそうなのかにゃ?
弾は当たってはいるようにゃけど」
「当たっているの?
私には確信が持てていないのだけれど」
「当たっているのにゃ。
当たる瞬間に小さな音がするのにゃ」
アオは光球を見下ろす位置に制止する。
「そう……、なら続けましょう。
行くわよ!」
ラビナは指示を出す。
アオはラビナの意を汲んで光球との位置を合わせる。
そしてターゲットに向かって滑るように飛ぶ。
――ダーン! ダーン!
――ビガ! ドーン!
二発を発射した所で激しい稲光がアオの居る位置を貫く。
アオは直前で軌道を変え、躱す。
「ふぎゃ! 今のは危なかったのにゃ、明らかにこっちを狙っているのにゃ」
アオは青い髪を逆立てて叫ぶ。
「でもまあ余裕で躱しているわ、大したものよ」
ラビナは関心したような口調で褒める。
「今のはどうだった?」
「当たっていると思うのにゃ、凄く嫌がっている感じがするのにゃ」
「嫌がっているの? それはいいわね……。
じゃヒットアンドウエイを続けるわよ」
「分かったのにゃ」
アオは光球に向かって飛び、稲妻を避ける動作を繰り返す。
僅かな直線でラビナは光球を撃つ。
――ダーン! ダーン!
――ダーン!
ラビナは最後の弾を撃つ。
――パーン!
眩い閃光が広がる。
稲妻とは異なる光だ。
アオは大きく軌道を変えながら離れる。
光は徐々に薄れ、激しく形を変える暗雲とそこから迸る豪雨が残る。
光球の存在は確認できなくなっていた。
「やったのかしら?」
六角形の頂点の一つが欠けた形になっている。
残る頂点から欠けた頂点を探すように稲妻が絶え間なく伸びる。
「やったのにゃ。
ずいぶん時間がかかってしまったけど、やったのにゃ」
アオは嬉しそうだ。
「そうね……、でも弾切れよ。
それにターゲットは山の中に入ってしまうわ」
ラビナは小銃を軽く振りながら呟く。
ラビナたちが奮闘する間も積乱雲は回転しながら早い速度で移動し続けている。
豪雨を伴う暗雲はネナイライ山にぶつかり、既に積乱雲の形はしていない。
今ではラビナたちは暗雲を斜め後ろから通してネナイライ山を見ている。
「なんとかならないのかにゃ?」
アオは首を捻り、背中のラビナを見上げる。
「残念だけれど私たちにできることはここまでかな……。
でも頂点の一角を潰せたのは大きいわ。
自分たちを褒めてあげましょう。
後はソニアの仕事なんだと思う」
遠くネナイライ山の岩棚で慌ててナーガの背に乗り込むソニアが見える。
マロンも一緒だ。
ナーガは緩やかに崖を這い上り、山壁に空いた洞穴に入ってゆく。
「ソニアの仕事って、あの人どうするのかにゃ?」
アオは仰け反るようにしてソニアの顔を見る。
「さあ? でも救世主として蕃神さまが遣わしたのだから、何か手段があるんじゃない?」
ラビナの口調も確信があってのものには聞こえない。
「あるのかにゃー、手段……」
「あるわよ、きっと。
さあ、ナーガの後を追うわよ」
ラビナは右の踝内側でアオの太腿を叩く。
「蹴らないで欲しいのにゃけど」
アオはぶつぶつと抗議しながら、ナーガの消えたネナイライ山壁に向かって跳躍する。




