第五章最終話(三十)私の馬になりなさい
「お天道さまが恋しい……」
ラビナは地べたに器具を並べ、薬莢に炸薬を詰める作業をしている。
岩を椅子代わりにして座っているが低すぎるので膝から下を後ろに投げ出す姿勢になっている。
手持ちの弾丸は豪雨に濡れ、すべて使えなくなってしまった。
弾丸は一応防水されているものの、長時間の水浸しでは信頼性低下となる。
幸いにも金属管に入れ、油紙で包んでいた火薬は無事だ。
乾燥した風が吹いていて濡れた服や道具もあらかた乾いてはいる。
しかしここはネナイライ山々壁の岩棚にある洞穴、しかも太陽は山の反対側である。
日光を遮る巨大な壁が、周囲に暗さと青空の奇妙なギャップを作り出している。
日中において太陽は見えず、正午が朝夕より暗い。
今は午後三時、青空の散乱光しかなく辺りは薄暗い。
「確かにお日さまがあればもう少し暖かいのにね」
ソニアは同意する。
彼女たちは日の当たる場所に行くことはできない。
「ナーガが日光を嫌うから仕方がないんですけれどね……」
マロンが諦め顔で呟く。
地下をこよなく愛する地下鼠のマロンとしても、ずぶ濡れの身を日陰の風で乾かすのは辛い。
皆日光が恋しいのだ。
ナーガとは羽のある巨大な蛇のクリーチャーだ。
ソニアが名付けた。
今は岩棚の上、幾つかの大きな岩瘤に跨って垂れ下がっている。
普段は殆ど動かないが、時々動いては何かを捕食しているようだ。
何を食べているのか皆、気にはなっている。
しかし真実を知るのが怖く、誰も話題にしない。
ナーガは大きさ、形状、色、動き、どれをとっても禍々しい化け物である。
しかし窮地を救ってくれたことで、ラビナもアオもまるで神のごとく敬っている。
アオはナーガの上に腹這になって寝ている。
暖をとっているのだ。
ナーガの体は暖かいというほどではないが、一定の温度に保たれている。
気温が低いため相対的に暖かい。
「それにしてもハンドロード(銃弾の手詰め)って、そうやるんだ?
目分量でパウダー(火薬)を流し込んで金属棒で圧力を均等に均しているの?
弾は木槌で圧着……、それで精度がでるのが不思議ね」
ソニアはラビナの作業を見て言う。
マロンも興味深そうに見ている。
ソニアは工場装弾された銃弾しか使ったことがない。
木槌、金槌、金属スケール、使われている道具は原始的なものばかりだ。
にもかかわらず、見た目寸分違わぬ実包が綺麗に並べられてゆく。
「あーうん、手に持った感じで火薬の量が分かるんだ。
叩く回数で圧力を調整している感じ。
水分量に合わせて色々変えたり工夫しているのよ」
ラビナは木槌を振るいながら応える。
「匠の技ね、こんな環境で弾丸のリロード(再装弾)できるなんて大したものだわ」
「あはは、お褒め頂きありがとう。
私の場合は自己流なのであまり参考にならないと思うけれどね。
この銃の口径が特殊だからハンドロードは必須なのよ」
ラビナは傍らに立てかけてある小銃を木槌で指し示し、笑う。
「有効射程距離はどれくらいなの?」
「四百くらいかな? コンディションが良くないと当たらないけれど」
「四百……、それは凄いわね。
真上に標的がある場合は?」
「真上ねぇ……、んー多分、大したことないと思うわよ。
高度差二千五百で速度ゼロになるから……、いいとこ百五十くらいかな?
それ以上高くなると当てるのが大変だし当たっても的を射抜けるか微妙」
「百五十……、だよねー。
ゲートが現れたら水平射撃できる位置取りをしないとだめだよね。
できれば見下ろせる場所を確保できれば良いのだけれど」
ソニアは考えるように呟く。
ソニアは蕃神、ナーブにゲートを閉じるよう言いつけられた。
しかしソニア自身には空中に浮かぶゲートを閉じる良い方法が思い浮かばない。
まさかナーガに乗って肉弾戦を挑むとも思えない。
現時点ではラビナの銃が唯一の対抗策に思える。
「まあ、任せてちょうだい。
場所さえ確保してくれれば、ゲートを壊してみせるわ。
前回いけたから、今回も大丈夫だいじょうぶ」
ラビナは陽気に請け負う。
ラビナは銃弾を三個ずつ六列並べて作業を終える。
十五個の銃弾を弾丸ベルトの穴に詰め、残る三発を小銃に装填する。
そして崖沿い、右方向に向かって構える。
「準備完了! 試射するわよ。
皆、耳を塞いでいてちょうだいね」
ラビナの警告に、アオとマロンは慌てて顔の横、人間でいう耳のあたりを両手で押さえる。
二人の獣としての耳は後ろに倒されている。
――スー、ハー、スー
――ダーン、ダーン、ダーン
幾ばくかの呼吸の後、三発の銃声が聞こえる。
ラビナのトリガとレバーアクションは早い。
五十メートル先にあった小さな岩瘤が三つ、砕け散る。
マロンが小さな手で、パチパチパチ、と拍手をする。
「まあ及第点ね。
残り一ダースと三つ、予備を含めてこれで何とかなるでしょう」
レバーアクションにより最後の薬莢が排出され、カラン、と音をたてて地面に落ちる。
ラビナはまじめな顔で宣言し、ゆっくりと次弾を装填する。
「ナーガに乗って射撃とかできる?」
ソニアは訊いてみる。
ソニアも射撃の練習はしたことがあるのだが、自分では当てられない自信がある。
「まさかの騎射? あの激しい動きの中で? 無理むり、絶対に無理。
ナーガの羽を撃ってしまうわ」
ラビナは面白い冗談を聞いたかのように笑い流す。
「だよねー」
ソニアにはナーブの意図が分からない。
ラビナを助けることが自分の使命だったのだろうか?
「じゃあさー、アオに抱きかかえられての射撃とかは?」
「んー? 高さが合わない場合を心配しているの?
この山はどこまでも高いんだから大丈夫よ。
どれだけターゲットが高くても、アオにもっと高い所に連れていってもらえば無問題だから」
ラビナは安心させるように笑い、下の海に向かって小銃を構える。
ラビナの指摘は尤もだ。
高すぎて狙えないということはこの場所では起こりえない。
「だよねー……、まあ、どちらかと言うと遠すぎて狙えない場合が怖いんだけれどね」
「ああ……、そうね、そのパターンではアオを踏み台にする必要があるわね。
アオ! 練習するから貴方、私の馬になりなさい!」
ラビナは小銃に弾を詰めながらアオに向かって叫ぶ。
アオは、ふぎゃ? とナーガの上で顔を上げる。
ラビナはアオの元に歩み寄り、高圧的に何かを命じる。
アオは嫌そうな顔で拒否の姿勢を見せるが、ナーガの上から引きずり降ろされる。
「四つん這いなっている貴方の上に私が跨って乗る感じで……、え? 無理?
掴んでいないと落ちる? 例えできたとしても嫌だ?
どうしてよ? 屈辱的? 尊厳? だから世界の危機が迫っているんだって……。
後ろから抱きかかえるからそれで何とかしろって……。
そんな姿勢で射撃なんてできる分けないでしょ?
いいから跨らせなさい、足を固定してくれていれば落ちないから……」
アオとラビナは揉めている。
しかしアオの抵抗空しく、ラビナは強圧的にアオを従わせる。
ラビナはアオを後ろ向きに屈ませ、その背に乗る。
アオが小柄な少年であるだけに、傍から見ていると大人が子供を虐めているようにしか見えない。
ソニアは居た堪れなくなって視線を洋上に移す。
暗雲が見える。
「――! あそこ!」
ソニアは遠くの空に立ち上る、小さく見える黒い雲の塊を指さす。
それは晴天の青空に似つかわしくない乱雲であった。
「いよいよ来たのかしら?」
ラビナは腰を追って前屈みになるアオに負ぶさりながら呟く。
「いくわよ!」
ラビナは右踝内側でアオの腰を叩く。
完全に乗馬のノリだ。
「酷いのにゃ、口で言ってくれれば分かるのにゃ!」
アオは抗議をしながらもジャンプする。
二人は暗雲に向かって飛ぶ。
雲は見る間に大きくなっていく。
今では小型の積乱雲に見え、その下に降雨が確認できる。
「また雨……」
マロンは辛そうに呟く。
積乱雲は時々稲妻を直下の海上に落とす。
――ゴロゴロゴロゴロ……
かなり遅れて小さな雷鳴が届く。
「嫌な感じですね……、あれ?」
積乱雲の稲妻と思っていた銀色の光が消えない。
時々の稲妻の光に比べると暗いものの、それでも確かな銀色の光が積乱雲下に灯っている。
「本当に嫌な感じね」
ソニアは同意する。




