第五章最終話(二十六)君と一緒に行くよ
「あー、賢者さまはこの星域から立ち去っただけだと思うよ、多分だけれど。
地球人の誰かに呼ばれたんだろう? 四百年前に。
地球人は百年も生きられないから。
呼んだ人はもう死んでいるんだ。
だから、地球には用が無くなって、旅立っていったんだよきっと」
ジュニアは慰めるように言う。
『大切な人が失われたからといって、あんな危険なものを残して旅立つかなぁ?』
フィーの思念は哀れなほど湿っぽい。
「色々あったんだと思うよ。
だって、四百年前だよ? 何か楽観的な要素が有ったのかもしれないし」
ジュニアは言葉を重ねる。
フィーは俯いたままだ。
ジュニアのフィーを見守る視線が天井に流れる。
「リリィ、偶然かな?」
ジュニアは天井を見上げたまま問う。
「偶然だとしたら、それこそ天文学的確率よね……」
リリィの視線も天井に向けられている。
声には何か諦めのような感がある。
「ねえルーク」
「ふえぇ?」
脈絡なくジュニアはルークに話しかける。
ルークは意表を突かれて素っ頓狂な声をあげる。
「フィーのインターフェースは人間の肉体そのものだよ。
僕らと何ら変わらない。
そしてフィー自身は君の知っているように素敵な女の子。
それを忘れないでね」
ジュニアの口調は重い。
「そうね、それを否定したらフライヤーの家族を否定することになるわね……。
フィー、私は貴女を家族に受け入れるわ。
たとえ貴女が地球を離れようとも」
リリィは宣言する。
ルークは驚いた表情で母を見る。
フィーもリリィの顔を凝視する。
「勘違いしないでね、ルーク。
君とは直接は関係ないから。
君がフィーを受け入れるかどうかには無関係だから。
マリアとジャックがフィーを家族に受け入れることに同意するという意味だからね」
ルークの視線に気づき、リリィは無理に作ったような微笑みを浮かべる。
「まあ、フィーのことはそれくらいで……、夢幻卿が心配なのですけれど……」
アムリタが恐る恐るといった体で口を挟む。
「え? ああそう言えばそうだね。
ソニアがどうしているか心配だ。
エリー、ソニアの様子、どう?」
思い出したかのようにジュニアはエリーに訊く。
エリーは目を閉じ、ソニアの首の後ろに右手を添えている。
「事態は最悪ね。
ネナイライ山、山壁内の空洞にゲートが開きつつあるみたい。
ソニアは私に向かって、なんとかしてくれって叫んでいる」
「は?」
エリーは淡々とした説明に、一同口を開けて呆ける。
「ソニアが俺らに?
俺らにできることなんか無いだろう?」
ジュニアには意味が分からない。
「僕が行くよ」
フィーが肉声で応える。
「行くって夢幻卿に? どうやって?」
ジュニアは訊く。
「アムリタの夢を通って、ヒト用のゲートを潜るよ……、無理やりに」
「ええぇ? 無理やりって? 壊すってこと? ゲートを?
そんなことをしたら――」
「――待って……、続きがある。
ラビナが夢幻卿側からゲートを開くと言っているわ。
こっちにマーカーを描けってことらしいわね」
ジュニアの言葉をエリーは遮る。
「ふえ? 夢幻卿からこっちにゲートを開く?
あ、シャイガ・メールが居るとか?」
アムリタは驚きながらも可能性を探る。
「シャイガ・メールは居なさそうだけれど……。
良く分からないけれどできるみたいよ」
「んんん? ラビナってそんな大魔法使いだったんだ?」
「さ、さあ?
ともかく、マーカーとしてできるだけ大きな六芒星を描かなければ。
ここは宇宙空間だからアンカーをどこにするかが悩みどころね」
「マーカー、どこでも良い分けじゃないんだ?」
ジュニアが訊く。
「ええまあ……、大気も上下左右も無いので空間に描くと軌道がずれていくの。
ここから離れていくから戻るとき困るわ……、何かをアンカーにしなければ。
こちら側の居住区の側面をアンカーにしましょう」
エリーは窓の外、何もない宇宙空間側を指さす。
「短い周期で回転することになるけれど、まあなんとかなるでしょう。
ハブステーションから居住区の回転面を通ってゲートを潜るイメージで……。
って、今から三十分後に開くって言っているわ、急がないと。
それと……」
言葉を止め、目を開ける。
「私はこっちでゲートを維持しなければならない……。
ゲートを通っていくと禁止者になるかも知れないけれど……。
アムリタ、お願いできる?」
エリーはまっすぐアムリタを見て言葉を続ける。
「もちろんよ、私がフィーをアテンドするわ」
アムリタは目を細めて笑う。
「ありがとう、アムリタ」
フィーのインターフェースはアムリタの手を握る。
「では宇宙服を着て準備してね――」
――ブワッ
エリーが言いかけたとき、窓の外の光景が変わる。
太陽光は遮られ、反射板の明かりが消える。
真っ暗になったわけではない。
巨大な肉の壁が太陽光に照らされ、室内を照らす。
大きなおおきな肉の塊が太陽光に照らされ、全貌を現す。
フィーの本体が居住区の外側に移動したのだ。
窓の外に居続けているということは居住区にへばり付いていることを意味する。
「さすがフィー、早いわね。
私まだ準備できていないの。
宇宙服を着てくるからちょっと待ってちょうだい」
アムリタは椅子から立ち上がり、フィーの両肩に手を添える。
「まあ、確かにハブステーションまで行く必要はないわね。
私が空間を繋いで外に出してあげるわ。
だから減圧はしっかりやってちょうだい」
エリーは言う。
「宇宙服は必要ないよ。
私の体内に大気と同じ組成の空間を作るから」
フィーのインターフェースが言う。
「あら、そんなことができるの?
たしかに夢幻卿に行ったら宇宙服を脱がなければならないから大変かな、と思っていたのよね」
アムリタが嬉しそうに言う。
「僕も宇宙服を着ないで行くから」
フィーのインターフェースは右手で握り拳を作り、胸を、ドン、と叩く。
「あら、その体も行くの?」
アムリタは、意外だ、というように目を丸くする。
「ゲートが閉じてしまうと……、この体、維持できなくなるから……」
フィーのインターフェースは、小声で応える。
ルークが何かを言いかけ、手を伸ばすが言葉は出ない。
「ううん、問題ないわ。
ちょっと吃驚しただけ。
じゃあ、二人でこのままエリーの空間ゲートを通って宇宙にでましょうね」
アムリタが取り繕うように言う。
「フィーには感謝しているの。
地球のため、私たちのために頑張ってくれるなんて嬉しいわ。
道中、フィーを一人にしないから。
たとえ、ゲートが閉じてしまっても、夢幻卿で仲良く暮らしましょうね」
アムリタはフィーに向かって笑う。
冗談を言っているようには聞こえない。
「ありがとうアムリタ。
僕はここに来た意味が欲しいんだ。
賢者さまには会えなかったけれど、僕はここに来てルークやアムリタに会えた。
皆を守るよ、大切な皆を守るんだ」
フィーのインターフェースは淡々とした口調で呟く。
ルークの顔が赤らむ。
「二人とも、必ず帰ってきてちょうだいね。
帰ってこなかったら、無理やりゲートを抉じ開けなくちゃならなくなるから」
エリーは窓の外に向かって右手を振りながら言う。
手から銀色に輝く図形が発生し、壁を通り抜けてゆく。
図形は形を変えて、居住区の外壁を走る。
時間をずらして似た図形がドーナッツ状の居住区外壁、正六角形の頂点に留まる。
巨大な肉の塊、フィーの本体は銀色の線から逃げるように体の位置を変えていく。
フィーのインターフェースは窓からそんな自分を見ている。
アムリタはフィーの後ろからフィーを抱きしめる。
正六角形の頂点は一つ置きに銀色の線で結ばれ、大きな六芒星を形作る。
エリーの右手は動き続け、奇妙な文字で六芒星を装飾してゆく。
「これで良いはず……。
あとは向こう側からゲートが開かれるのを待つだけね……」
暫しの後、エリーの動きが止まる。
誰も言葉を発するものがないまま時間が過ぎてゆく。
「問題でも発生したのかしら?」
重い空気の中、アムリタが口を開く。
予告の三十分が過ぎてもゲートが開かれない。
「ソニアの意識を覗こうか――」
エリーが応えようとした瞬間、窓の外が明るく輝きだす。
「来た?」
アムリタはフィーのインターフェースを後ろから抱きかかえたまま、窓に額を密着させる。
『凄い光……。
もう少しで三角形になる。
これがゲート……。
正三角形……、また別の所が輝く……。
ああそうか……、写しているんだ……。
別の空間に写しているんだ……、そして移しているんだ。
凄い力……、賢者さまなら作れるのかな……。
ああそういう意味……、だからマーカーが要る……。
三角形が二つ……、凄い光……。
これがゲート、光の門……』
フィーの思念が皆に漏れ伝わる。
『ゲートが開いた』
フィーは宣言する。
窓の外は眩いばかりの光に包まれる。
その光を遮るように、フィーの本体が窓の外に現れる。
「この先五メートルに空間を作ったんだ。
そこに繋げられる?」
フィーの問いにエリーは無言で頷き、右手を振る。
エリーの右手から銀色に光る図形が現れ、図形は円形の動き、ゲートとなる。
「これで良い?」
「うん、丁度、ありがとう」
フィーはエリーに礼を言う。
そしてゲートに歩を進める。
アムリタもフィーに続く。
「ま、待って、僕も行く!」
ルークは立ち上がり、叫ぶ。
そしてゲートに向かって走る。
「ルーク、駄目よ! 君が行っても足を引っ張るだけよ!」
リリィが慌てて引き留める。
「フィー、僕も君と一緒に行くよ!
君を手伝いたいんだ!
フィーの役に立ちたいんだ!」
ルークは思いの丈を叫ぶ。
何ができるかは言っていない。
ただ、フィーとともに行くことを欲している。
アムリタはフィーを見る。
フィーは握りしめた両拳を太ももの高さに広げ、厳しい表情でルークを見る。
「ありがとうルーク、僕も君と行きたい!
僕は君を守るから!
何があっても君を守るから!
僕は君の女神になるんだって決めているから!」
フィーも顔を真っ赤にして叫ぶ。




